呪われた姫神 その13

 「だから、だから私―――」


 泣き出しそうな顔

 

 すがるような眼差し



 ああ―――。



 綾乃は想う。


 この子は悩んでいる。

 

 よかれと思って嘘をつく。


 誰でも一度はある経験だ。


 だけど、その嘘が広まって、どうしようもなくなった時、どうすればいい?

 取り消したくても取り消せない。

 そんな時、どうすればいい?

 

 この子は、それを相談できる相手すらいないんだ。

 

 だから、私の所へ来た。


 教えて欲しくて

 

 そして、


 救って欲しくて―――


 私は、この子が救えないかもしれない。


 でも、出来る限り事はしてあげたい。


 それが、間違っていたとしても、私は、私の出せる救いの手を、差し出さねばならない。


 

 「あのですね?亜里砂ちゃん」

 綾乃が口を開いた途端、

 

 ドンッ!!


 その言葉を遮るように、鈍い音が部屋を揺るがせ、天井から埃が落ちてくる。

 

 とっさに亜里砂を庇う綾乃だが、鈍い破裂音が何度も襖の向こうから響いてくる。


 綾乃は知っていた。


 この破裂音が銃声だということを。


 だから、亜里砂を掛け軸の裏に押し込んだ。

 「綾乃ちゃんも!」

 「狙いは私です。私から離れれば、亜里砂ちゃんは大丈夫です」

 「で、でも!」

 「亜里砂ちゃん」

 綾乃は微笑みを浮かべながら亜里砂に言った。

 「昔、誰かから聞いたことがあります」

 「綾乃ちゃん?」

 「ウソもつき通せばホンモノになるって。だから、亜里砂ちゃんはこのウソをつき通せばよいのです。亜里砂ちゃんの場合、ただ、時を待てばいいのですから、簡単です」

 亜里砂が答える前に、掛け軸が綾乃の姿を隠した。

 

 

 部屋の外は、やや奇妙な戦場だった。

 袴を着た神主や巫女達が、牧師やシスター達と銃撃戦を展開している、そんな光景。


 安易なマンガの世界が現実のものとなっていた。

 ただ、マンガでない証拠に、撃ち合っている弾は、ホンモノだ。


 「どうしてここがわかったというんだ!」

 銃の弾倉を交換しながら、神主の一人が叫んだ。

 「近づけさせるな!綾乃様をお護りしろ!」

 言い様、フルオートで牧師目かげて撃ち、すぐに伏せる。

 鍾乳洞の入り口から、電気ノコギリのような音が響く。

 同時に、ついさっきまで頭のあった場所を無数の弾丸が飛び抜けていった。

 牧師達も牧師達で機関銃まで持ち込んできたのは、もう確認済みだ。

 証拠に、目の前に転がっている巫女2人の死体は蜂の巣にされている。

 「銃刀法違反で通報してやろうか」

 「こっちだって同じでしょうが」

 横にいた若い見習神主がヘルメットを被りながらそんなツッコミを入れてきた。

 「ここ来るまで、M-16なんて、戦争映画でしかみたことなかったけど、向こうもMG-34なんて持ってきてるし。もうメチャクチャだ」

 「綿野さん。祐一様より連絡。騎士が来ました!射撃を停止して下さい!」

 「了解した。撃ち方止め!」

 無論、こっちが止めたからといって、むこうが撃つのを止めてくれるはずもなく、彼らはただ、頭を低くして、弾丸の雨をしのぐしかなかった。

 

  そして―――


 「騎士をつれてこなかったのが幸いでしたな」

 肉の塊と化した牧師達の死体を前に、神主の一人が安堵のため息をついた。

 「ああ。まさか向こうも、こっちが武装していることも、まして騎士がいることも、知らなかったろうし」

 「綾乃様は?」

 「ご無事です」

 「よし。このゴミを片づけろ。綾乃様に穢れをお見せするな」

 

 

 東京某所

 メトセラ教団 本部 執務室


 「全滅だと!?」

 電話越しの報告に、驚きを隠せないという表情の男がいた。

 「どういうことだ!騎士こそいないものの、戦闘のプロが―」

 男は、そこまで言って、言葉を失った。

 首筋に突きつけられた切っ先に、気づいたからだ。

 「騎士か」

 「そういうことだ」

 刀を向けているのは、由忠だった。

 「全く、厄介な存在だよ。君たち騎士というのは」

 男は、無言のまま、受話器を置いた。

 「お前より、少しは全うだと思っているがね」

 「……フッ。何をもって全うと?」

 「自分で考えろ。ここでお前と、哲学論争を交わすつもりはない」

 「自分の意見を述べること位、いいのではないのか?」

 振り返った男は、刀を向ける相手の背後にいる女性の姿に、ほんの一瞬だけ、目を見開いた後、自嘲気味に笑った。

 「―――やぁ。イーリス」

 「……戻りましたとはいいません」

 「そうか……君は神を捨てたか」

 「私が神を捨てたのですか?それとも、神が私を捨てたのですか?」

 「神は、意志だよ」

 男は言った。

 「内面の意志こそが、神だ。自らの内面からの言葉こそが神の言葉であり、それに従うのは、敬虔なる信者の務めだろう」

 「我々が、神の名の下に行ったことは、どの神、いえ。どの方の内面の言葉だったというのか、お聞かせ頂けませんか?」

 「決まっている」

 男は、イーリスを哀れむように言った。

 「私だ」

 「!」

 「より、心の内面からの言葉を聞くことが出来る者、それこそがより高い階層にいる存在。いわば、神の代理人だ。それが、私だ」

 「詭弁を!」

 イーリスの怒鳴り声に、男は全く動じた様子もない。

 「―――詭弁?ほう?詭弁というのかね。真実を」

 「私は、そんなことを真実として受け入れない!神は、神の声は――」

 「ならば、君の言う、神の名の元、あまたの人を殺めた君とは、一体、何者なのかね」

 「!!」

 「私はただ、神の代理人として、己の内面からの言葉を君に伝えただけだ。手を下したのは、君だが」

 「そ、それこそが詭弁というもので―――」

 「詭弁というなら、詭弁というがいい」

 胸を張った男は、革張りの執務椅子に深々と腰を下ろした。

 「開き直ったか?」由忠は刀を鞘に戻しつつ、訊ねた。

 「だが、その詭弁を求めたのは誰だ?神の声を求めたのは誰だ?殺すべき敵、愛すべき相手、生きるべき道、規範。私は神の代理人として、君達の求めに応じて、相応のものを差し出したはずだがね」

 「そ、それは――」

 「それを棚に上げて、今更に私に罪をかぶせるというのか!!」

 男は怒鳴った。

 「詭弁?神の声を詭弁などと、神を冒涜するのもいい加減にしろ!イーリス!その心故、神はお前を見捨てたのだ!それがなぜわからない!」

 

 「おためごかしは、終わりか?」

 口を開いたのは、由忠だった。

 「悪いが、俺は現実主義者でね。自らの行動に、神だの悪魔だのは絡めないことにしている。その俺が、今のお前らのやりとりを、現実の世界の言葉に翻訳してやるよ」

 「翻訳?」

 「結局、誰がそそのかして、誰が手を下したのか。その責任が誰にあるのか――ただ、それを神とやらを絡めて言いあっているだけだ。イーリス、お前は一つ忘れている」

 「?」

 「神は、理由であり、結果ではあっても、口実ではない。自らの行動の責任を神に転嫁させるようなマネは、神を冒涜するだけだ」

 「!!」

 イーリスは、驚きの眼を由忠に向けた。

 「この世界における、神と時間ってのはな」

 不意に由忠の右手が動き、執務机の引き出しから銃を取りだそうとした男の腕を斬りつけた。

 「俺達、生きる人間に、全てを任せている。俺達は、神を規範としても、言い逃れの道具にすることは出来ないように出来てるんだ」

 

 ああ、そうだ。

 

 イーリスは何かを悟った気がした。

 

 確かに、この男のいう通りだ。

 私の母を殺したあの時、私は、あの悲劇を、神のせいに出来るか?

 敬愛する神のせいに出来るか?

 否

 断じて否だ。


 ただ、私は、神に頼りすぎていたのかもしれない。

 悲劇からの救済を求め、ひたすら祈り、修行しつづけた。

 ただ、神の救いだけを求め、神の意志と信じたからこそ、人をも殺した。

 だが、結局、それは私の言い逃れに過ぎなかったのだ。

 自ら判断するのが怖かっただけだ。

 怖かったから、神という存在を言い逃れの口実に使ってきただけ。

 ならば、私はどうすべきだったのだ?

 どうすればいいのだ?


 簡単だ。


 私はただ、自らを自らの力で律すればいい。

 ただ、それだけなのだ。

 神の教えに背かず

 自らの意志で、自ら生き抜く。

 それこそが、生きるということだ。

 

 「ではイーリス」

 由忠は問う。

 「どうすればいい?」

 

 「こうします」

 ナイフを抜いたイーリスは、男へと歩き始めた。


 迷いのない眼は、驚愕の表情を凍り付けた男を捉えていた。

 しかし、

 澄んだ耳は、男の言葉を聞かず

 澄んだ心は、男の存在を否定し

 澄んだ腕は、男の肉体を否定し

 澄んだナイフは、男の生命を否定した。


 ただ、それだけだった。




 「よかったのか?」


 首のない男が座った椅子を一瞥し、由忠はイーリスに訊ねた。

 「はい。お世話になりました」

 イーリスは、執務机に備え付けられたパソコンを操作しつつ言った。

 「起爆スイッチが作動します。あと5分で、この建物は爆破されます。止めることは出来ません」

 

 起爆のキーを押し、イーリスは過去の自分に決別した。

 

 イーリスは想う。


 これでよかったのだ。

 そう。

 私はこれで良かったのだ。と。

 明日からからどうすればいいのかもわからない。

 だが、心は晴れていた。

 心が晴れているなら、私は生きていけるのだ。と。


 生きたい――。


 イーリスは、そう心から願えるようになっていた。

 生きて、生き抜いてみたい。と。


 

 「なら、もう少し、つきあってもらおうか」

 由忠は、意味ありげな顔でイーリスに言ったが、

 「今回の件、最後までおつきあいさせていただきます。なんなりとご命令を」

 殊勝にも、そう言ってのけるイーリスは、由忠の含みがわからなかった。

 だから、

 「よし。じゃ」

 由忠のエジキになる運命が、避けられなかった。

 「?」

 「ここを処分して飲みに行くぞ。朝までな」

 不意にイーリスの腰に手が回った。

 「え?ええっ!?」

 「つきあうんだろ?」

 イーリスは、何かを間違えたことに気づいたものの、後の祭りだった。

 

  



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