第31話 夜空に咲く、あの花よりも その4
太陽が地平に沈んでも地表を覆う余熱はなくなってくれないし、花火目当ての見物客がひしめき合う歩行者天国は人口密度が高すぎて、どうしようもなく暑苦しかった。
何もかも、夏が悪い。
「暑っつ」
「だらしないわよ、
肌に張り付いたシャツをつまんで内側に空気を送り込んでいた
漆黒の瞳は鋭く細められていて、声には呆れの色が濃い。
露出の少ない浴衣に身を包みながら、驚くことに彼女は汗ひとつかいていなかった。
「暑くないのか、その格好?」
「暑いに決まってるけど」
「全然そうは見えない」
「気合の入れ方が違うのよ」
「気合」
意味わからん。
気合で汗を止められるのか?
自信満々に言い切られても、素直に首を縦に振る気にはなれない。
「そうそう、気合だよ千里!」
なお、こちらの幼馴染はしっかり汗をかいていた。
千里は余計なことを考えるのをやめた。
「気合か、そうだな」
万里、由宇、陽平、そして千里。
四人は人の流れに逆らわないように、ひと塊になって歩みを進めていた。
せっかくクソ暑い夏の夜に繰り出したにもかかわらず、くつろげているとは言い難い状況だった。チラリと後方に目を向けると、あまりよくない気配を感じる。
万里をめぐるクラスメートとのいさかいは、ひとまず沈静化したものの……それをよしとしない面々からは剣呑な眼差しが向けられたままだ。
「……迷惑かけるわね」
「迷惑だと思ってたら、そもそも近寄らんさ」
万里の声が暗い。
明るめに切り返してみたが、あまり効果はなさそうだった。
それ以上はかけるべき言葉が見つからなくて、周囲を取り巻く空気は重苦しくて。
「ねぇ、千里。何か食べようよ」
お腹空かない?
能天気に由宇が笑う。
――いいかもしれないな。
人間、腹が減っているとロクなことを考えない。
うだうだ悩むよりも何かうまいものでも食べた方が気が晴れそうだ。
道の脇に立ち並ぶ夜店からは、ちょうどいい感じに鼻も心もくすぐる匂いが漂ってきている。
「ああ……じゃあ、焼きそばでも食うか」
「青のりが歯につくからいらない」
「だったら、たこ焼きでどうだ」
「だから、青のりいらないって」
「それじゃ、お好み焼きで」
「青のり!」
千里、ワザとやってるでしょ!
いきなり由宇がキレた。
目についた夜店を片っ端から挙げただけなのに。
「お前なぁ、去年はバクバク食ってただろ」
「去年と一緒にするな、千里のバカ!」
由宇はぷーっと頬を膨らませ――その頭を陽平の手がよしよしと撫でている。
何だろう、あの態度。
ものすごく面白くない。
そう思っていたのは千里だけだったらしく、万里は口元に手を当ててくすくすと笑っている。
「彼氏の前で青のりがついた歯を見せたくないって、そういう気持ちをわかってあげなさいよ」
「……海でも食ってただろ、焼きそば」
スイカだって豪快に食べていた。
今さら気にすることかよ。
苛立つ千里の耳朶を、万里の囁きが震わせる。
「気にしないより、気になった方がいいと思うけど」
「それは……まぁ、そうかもしれん」
彼女の言い分に理があることを認めざるを得ない。
好きな人の前でカッコつけたい気持ちはわかるし、ずっとアレな姿を見せて愛想をつかされたら取り返しがつかない。
恋する乙女としてひと皮むけた……まぁ、理解できなくはない。
「由宇、お前、成長してるんだな」
「当然。どこかの誰かとは違うんだから」
「どこの誰だよ」
「さぁ?」
由宇の言葉がチクチク刺さる。
口から零れかけたため息を飲み込んで、眼鏡の位置を直す。
ピクピク震えるこめかみを意識しながら、何度も『落ち着け』と心の中で繰り返し唱えながら。
――実際……成長してるんだよな、コイツ。
主に精神面が。
複雑になっていると表現する方が正確かもしれない。
身体的な面については……あえて言及する必要を感じなかった。見ればわかるからだ。
――それに比べて、俺はまだ子どものままだな。
釈然としないものはあるにしても、そこだけは認めざるを得ない。
「わかったわかった、じゃあ、あれはどうだ」
指さした先では、ベビーカステラを売っていた。
香ばしさを交えた甘い匂い。もちろん青のりは歯につかない。
――これならいいだろ。
甘いものが嫌いな女子はいない。
機嫌を取るなら、何よりも絶対に甘いもの。
そう思っていたのだが、由宇の反応は芳しくなかった。
「え~、ベビーカステラなんて、いつでも食べられるじゃん」
「お前、もうキュウリでも齧っとけ!」
★
ボリボリと歯ごたえが心地良い。
口中に広がる浅漬けの味わいが絶妙だ。
塩分も水分もまとめて補給できるなんて合理的だ。
「ホントにキュウリ齧ってるし」
由宇がジト目で見つめてくる。
あちらは右手にフランクフルト、左手にコーラの二刀流だった。
行儀の良し悪しや浴衣姿とのマッチングは置くとして、彼女にはとてもよく似合っている。
「うまいぞ」
「なんかキュウリって負けた気がする」
「お前なぁ、キュウリ作ってる農家の人に謝ってこい」
「同じお金払うんだったら、甘いものとかお肉とかの方がよくない?」
「……今のお前と似たようなことを言っていた俺の親父が会社の健康診断でえげつない数字出してお袋に怒鳴られた話するか?」
「なに、私が太ってるって言いたいワケ?」
「そんなこと言ってないが」
「む~」
ぶんむくれた由宇は大口を開けてフランクフルトにかぶり付いて――くぐもった悲鳴を上げながら涙目で睨みつけてくる。
マスタードの部分を不用意に口にしてしまったらしい。
慌ててコーラを口に含んで、さらにむせた。
横から陽平が涙をぬぐってくれている。
――成長とは、いったい……
今そこを指摘するのは野暮だとわかっていたが、後でそれとなく注意しておいた方がいい気がしてきた。
陽平が楽しそうにしているから、別に問題はないのだろうか。
人それぞれと言ってしまえばそれまでだが……
「仲いいわね、アンタたち」
ポツリと万里がつぶやいた。
彼女はわたあめを口にしていた。
女子は甘いものが好きの公式にのっとっているようで、少し幼いイメージは微妙に彼女と重ならない。
「私は心が大きいから、イジワル千里を許してあげるの」
「慣れた」
「……千里、なにそれ?」
「聞いたままだろ」
「むぅ~」
じっとりした由宇の眼差しを躱して万里を見やる。
浮かない顔の生きた見本がそこにあった。
元がいいのに、もったいない。
「
由宇のあけすけなひと言に、ほかの三人の顔が凍った。
ギギギと目だけを陽平に向けると、あちらも自分を見つめてきている。
『こっち見てる場合じゃないだろ』
『そのままそっくりそっちに返す』
『彼氏だろ?』
『幼馴染でしょ?』
『『お前がどうにかしろ!』』
男ふたりで見つめあう真の理由は、残りひとりの顔を見るのが怖かったから。
――いきなりブッ込んできやがった!?
今日の由宇は言動がメチャクチャだ。
万里を助けたかと思えば、触れづらい話題をしれっと口にする。
キュウリとフランクフルトをぶち込んで黙らせてやりたくなるのだが……ここでそれをやったらタダの変質者だ。
それに、今はそれどころではない。
――これ、スルーできないよな。
恐る恐る万里を見やる。
爆発物処理班的な心境で。
「仲直り、したいんだけどね」
「え?」
めっちゃ、素直。
予想外のリアクションに変な声が出た。
彼女の整い過ぎた顔には、まぎれもない悔恨が滲んでいる。
図書室で顔を合わせたときは、もう少し意地を張っている感じだったのに。
思わずポケットの中のスマートフォンを強く握りしめてしまった。ずっと沈黙したままのスマホを。
――チャンスじゃないのか?
今すぐにでも
でも、万里たちがいる前であからさまな行動をとりたくないし、歩きスマホはさっき由宇に咎められたばかりだ。
――って言うか、いや待て……この展開はマズくないか?
万里が前向きに話を進めようとしているのに、自分たちはコソコソと裏で策を練っている。
この流れで白雪とのアレコレが露見してしまったら……想像するだけで、猛烈に嫌な予感がする。
「……ッ」
横から強い視線を感じた。至近距離。クソ暑い夏の夜に、ゾッと背筋が震えた。
笑みが引いた万里の眼差しが、すーっと千里に向けられている。
煌めく漆黒の瞳に映る自分の顔は、引きつっていた。
「ところで真壁」
「な、なにか?」
「さっきの『え?』って何?」
「……何でもない、早く仲直りできるといいな」
そう口にするのが、精いっぱいだった。
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