第27話 平穏はいまだ遠く その5

「もちろんタダで……なんて言わないから」


 楚々とした仕草でティーカップを口に添え、白雪しらゆきがほほ笑んだ。

 学校でしばしば目にするものとよく似た控えめで穏やかなスマイルだったが……これまでのやりとりを振り返ってしまうと、その表情をバカ正直に信じるのはためらいを覚える。

 罠とまではいかなくとも、慎重を期するに越したことはない。


「どういう意味だ?」


「どういう意味って……真壁まかべくんが万里ばんりと仲良くなれるように協力するってこと」


 ご不満かしら?

 その提案は魅力的に聞こえたが――千里せんりは首を横に振った。

 瞬間、白雪の笑みが強張って眉根にしわが寄った。

 断られることは想定していなかったらしい。


「いらん」


「……どうしてって聞いてもいい?」


「どうしてもなにも、俺といずみは付き合っているわけじゃない」


「でも、興味はあるんでしょ?」


 疑問形ではあったが、声から圧力が滲み出ていた。

『わけわかんねーこと言ってんじゃねーぞ』とか『今さらカッコつけてんじゃねーぞ』みたいな物騒なことを考えているように思えてならない。

 おそらく、その推測は間違っていない。


「あるかないかで言えば、ある。泉に興味がない男子なんて、そもそもいるのかって話だ」


「わざわざ主語を大きくしなくてもいいと思う」


「余計なお世話だ」


「確かに、そうね。でも、だったら、どうして?」


 アンダーリムの眼鏡越しに突き刺さる眼差しは鋭くて、ウソをついたり誤魔化したりといった小細工を弄する隙はひと欠片もない。

 だからと言って、情けない姿を見せるつもりもない。

 あくまで正面から堂々と相対しないと、白雪だけでなく万里にも失礼に当たるように思えたからだ。

 ただの見栄っ張りと言ってしまえば、それまででもある。


「正直なところ、俺は自分が泉に好意を抱いているか確信が持ててない。もちろん一般的な意味合いではなく、恋愛的な意味で」


「私には、そうは見えないけど……だったら、この話はご破算と言うことかな」


 白雪の目がスーッと細められた。

 心なしか声のトーンもフラットに近づいている。

 わかりやすいプレッシャーを感じさせる時よりも、こういう静けさを湛えているときの方が本能的に恐怖を覚える。

 深呼吸して、つばを飲み込んで、言葉を選んで――ゆっくりと口を開く。


「話は最後まで聞け。協力はする」


「それは……何の見返りもなしでいいってこと?」


「ああ。事情がわかってなかったのを差し引いても、俺が余計なことを言ったせいで拗れてしまった部分はあると思う」


 償いと言うほどではないが、万里や白雪が困っているのに知らんぷりというのは寝覚めが悪い。

 役に立つ自信はないが、できることがあるなら可能な限り協力する。

 そう続けると、白雪は困惑気味に眉を寄せた。

 見たことのない表情だった。


「万里が何から何まで話したとは思えないし、真壁くんの立場としては相当気を遣ってくれていたように聞こえたけど……」


「じゃあ、何もしなくていいのか?」


「いいえ。助けてくれるのなら、とても嬉しい」


 白雪はきれいな笑顔を見せた。

 いつもそんな顔だったらいいのに。

 そう思いはしたが、口には出さなかった。

 

「でも、本当に何もしなくていいの?」

 

 なおも食い下がってくる白雪に『そう言っている』と返して、アイスコーヒーを口に含んだ。

 すっかり氷は解けきっていて味は薄まっていたが、喉を潤すだけなら十分だった。 いい感じな喫茶店らしい値段(千里の財布的には大打撃な価格設定)にふさわしい味わいかと言うと……いささか残念ではあったが。

 閑話休題。


「それで、俺はどうしたらいい?」


 問いかけながら、少し身を乗り出した。

 自分がこの手の策謀を苦手としている自覚がある。

 本人には絶対に言わないが、おそらく白雪の得意分野に違いない。

 ほんのわずかに会話を交わしただけなのに、初めて言葉を交わしたはずなのに、そう確信できてしまった。


――そもそもの話、泉を連れてくる算段があるのか?


 白雪(やステラ)と万里が連絡を絶っている以上、誰かが間に入るのは適切な手段だと思う。その役割に自分が相応しいか否かはともかくとして、当事者である白雪がいいと言っているのだから、そこを混ぜっ返す必要は感じない。

 一方で、万里を話し合いの場に引っ張り出すアイデアは思いつかない。

 この質問はもっともなもののはずなのだが……相対していた白雪の反応は芳しくなかった。


「どうって……万里に連絡を取って、私たちと顔合わせする機会を用意してくれれば」


「だから、どうやって? 泉の連絡先なんて知らんぞ」


「え?」


 すっかり落ち着き払った雰囲気で紅茶を楽しんでいた白雪の動きが止まった。

 店内から音が消え、むき出しの肌をクーラーから放出された風が撫でる。

 しばらく『意味がわからない』的な顔をしていた白雪が口を開いた。


「遠目に見た感じだけど……あの日、万里といい感じだったよね?」


「近くにいても確証は持ててないが、悪くはなかったと思う」


「流れで『連絡先交換しようぜ』ってならないかな?」


 何言ってんだ、コイツ?

 思わず耳を疑ったが、至近距離で声を遮る雑音はない。

 聞き間違いの余地はなくて……どこにでもいる男子高校生と一軍女子と呼ばれる人間の格差を思い知らされて、心臓が止まりそうになった。

 住んでいる世界、違い過ぎないか?


「お前らの基準を一般化して語られても困るんだが。泉とまともに話したのだって、あの日が初めてなんだぞ。いきなり連絡先なんて聞けるわけないだろ」


「そうかなぁ? 開放的な夏の空気があって、熱気で程よく頭がやられていて、万里は割と脇が甘いところがあって……どこをどう取ってもチャンスばっかりじゃない?」


 真壁くん、やる気あるの?

 咎めが強めな白雪の声がグサッと胸に突き刺さった。

『なんでお前にそんなこと言われなきゃならないんだ?』と呪詛めいた呻きが歯と歯の間から洩れかけたが……よくよく吟味してみると、相手が白雪であろうとなかろうと、状況や立場がどうであろうと、言い分そのものは実に正鵠を射ているように思えてならない。

 気が付くと、生暖かい眼差しを向けられていた。


「真壁くん……」


 哀れみ交じりの声。

 千里の心がきしんで悲鳴を上げ始める。

 ここで沈黙したら負けると直感した。何に負けるのかは、わからないが。


「い、いや、だって仕方ないだろ。あの日は由宇ゆう陽平ようへいも一緒だったんだ」


 とっさに練り上げた言い訳もとい反論は同行者に責任を擦り付けるという情けない代物だったし、思いっきり舌がもつれたし、何なら声は引っくり返ってしまった。

 しかしてその弁明は――あっという間に一刀両断されてしまった。


日高ひだかさんと池澤いけざわくん? ふたりとも真壁くんの味方じゃない?」


「み、味方!? 俺の味方って、お前……お前……」


「だって、四人で一緒に遊んで、『せっかくだから記念写真撮ろうよ』って言って、『じゃあ、共有するから』ってグループ作って……ほら。水着で一対一だったら下心を見透かされる危険性もあったからチキン……んんっ、用心するのもあるかないかといえばありかもしれないかなって思わなくもないけど、三体一でしょ?」


 どう考えても勝ち確。

 真壁くん、ホント何やってたの?

 白雪の眼差しは蔑みを通り越して哀れみすら湛えていて、それがまた千里の心を痛烈に抉ってくる。

 彼女の瞳は雄弁に物語っていた。

 取りなし頼むの、本当にコイツで大丈夫か?


――それとこれとは話が違うだろ……いや、でも……高峰たかみねの言うとおりなのか?


 さすがに帰り際は例のメッセージのせいで切り出せる雰囲気ではなかったにしても、スイカ割りのあたりは和気藹々とできていた。みんなでスイカを食べながら記念写真なんて、いかにも夏っぽくてイケそうな気がする。

 白雪の読みどおり、おそらく万里は首を縦に振ってくれただろう。

 彼女に恋してるかどうかはひとまず脇に置くとしても、一介の男子高校生として同じクラスの美少女と接点を持てるチャンスを棒に振ったのは、どう考えても悪手でしかない。

 全身から力が抜けて、頭からテーブルに突っ伏した。

『後悔先に立たず』

 有名な格言は、とても苦かった。

 こんな味、できれば一生知りたくなかった。


「……なぁ、高峰」


 自分の喉から出たとは思えない、苦渋に満ちた呻き声。

 ひび割れていたし、痛々しい響きだった。

 頭を上げる元気はなかった。


「なに、真壁くん?」


「師匠って呼ばせてくれ」


「いや」

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