第26話 平穏はいまだ遠く その4
どこから話そうかな。
言葉どおり何から話すか迷っているようにも見えたが……眉間にしわが寄っていないあたり、焦らすためのポーズにも見えてしまう。
待たされたのは、ほんの一瞬。
再び開かれた眼差しに気圧されぬよう、
「うん。私たち……メッセージを見て、ビックリしたの」
「メッセージ?」
「『ナンパされたから遊んでくるわ』って」
「それは……」
あの日。
ひとり手持ち無沙汰にしていた
『ちゃんと連絡しておかないと、ユキやステラを困らせてしまうから』
声を弾ませる彼女の姿が脳裏によみがえった。
でも、メッセージを見た白雪がビックリする理由がわからない。
「万里って……ガードが固そうに見えて、脇が甘いところがあると思わない?」
まったくもって同意する他なかったが、首を縦に振ろうとすると脳内万里に冷たい眼差しをいただいてしまうので無言を貫きとおした。
頷いてもよかった気もした。
「確かに万里を放ったらかしにして
海デートをやめて、四人で万里を探し回ったの。
そう続けた白雪はニコニコ笑っていたが、その目はまったく笑っていなかった。
「で、どうなったかは……言うまでもないかな。炎天下の浜辺を散々駆けずり回った私たちが見つけたのは――水辺で楽しそうにビーチバレーしてた万里だった」
「……見られてたのか」
声が掠れ、背筋を冷たいものが駆け上がる。
緊張に身を強張らせる千里の目の前で、白雪はわずかに頬を緩めた。
「ちょっとホッとしたな」
「……ホッとした?」
「ええ。どこの馬の骨とも知れないチャラチャラした男に引っかかってたら割って入ってたけど……相手、
「俺だったら、別にいいのか?」
思わず尋ねてしまった。
もはや、口止めは意味をなしていなかった。
ボロを出そうが出すまいが、白雪に一部始終を見られていたのだから。
「さっきも言ったけど、私は真壁くんのことをときどき見てた。よく知っているとまでは言わないけど、真面目そうな人だと思ってたから……まぁ、大丈夫かなって」
「そんなに
「ないない。いくらなんでもそれはない」
「そうか?」
「そうよ。楽しそうなふたりの邪魔をしようなんて、それは無粋にすぎるもの」
「そうか……気を遣わせてしまったな」
「それほどでも。それで、万里のことはそっとしておこうって話に纏まったんだけど……それはそれとして、せっかくの海デートを台無しにされた上に暑~い暑~い夏の昼間に走り回らされて、彼氏の前で汗まみれのクタクタな姿を見せる羽目になった私たちとしては、ちょっといたずらしたくなっちゃったって言うか」
ちょっとよ、ちょっと。
ちょっとだけよ。
「それで、あのメッセージか」
万里の怒りが大噴火していたところから察するに『ちょっといたずら』なんて代物ではなかったのではないかと思うのだが……それを口にするには勇気が足りなかった。
「それじゃ、
「少し早めに切り上げて……私は和彦くんと晩ごはん食べて帰りました」
「
「ふたりで浴衣を見に行ったって言ってたけど、それ以上は聞いてないかな」
友人の自己申告を疑っていないらしい。
『星崎 ステラ』のこともほとんど知らない千里には、それが適切なリアクションなのかは判断できなかった。
きっと近しい友人である彼女らの見立ての方が正しいのだろうと好意的に解釈しようとして……首が重力に引かれて折れた。
横に。
「泉から聞いていたのとは、ずいぶん違うな」
「無理に聞く気はないけど……あの子、私たちがもの凄くふしだらなことをしてるって思ってそうなのよね」
ふしだらなんて言葉、初めて口にしたかも。
まるで悪びれてない口振りに、千里の全身から力が抜けた。
今回のトラブルの原因は、要するに些細な意地の張り合いに過ぎなかったのだ。
「俺が余計なことを言ったせいで、おかしなことになったってことか」
「私が聞きたかったのは、そこ。真壁くん――万里に何を吹き込んだの?」
瞬間、空気が凍った。
鋭い声が、眼差しが正面から千里に突き刺さる。
事と次第によってはタダでは済まさない、そんな強烈な意思が迸っている。
――これは、何も言わないってわけにはいかないだろ。
率直に身の危険を感じたのもあるが、彼女たちの友情に心動かされた部分もある。
むやみに沈黙を貫くよりも、素直に説明した方がいいと思った。
心の中で万里に謝りながら、唇を舌で湿らせた。
「……高峰も星崎もバカじゃないだろうから、親との約束を破るリスクを承知の上で交際しているだろうから、それぞれに考えてることもあるだろうから、あまり口出ししない方がいいんじゃないかみたいなことを言った」
「あら」
眼鏡のレンズの奥で、白雪は目を丸くしていた。
想像していた内容と、ずいぶん差があったらしい。
――コイツ……俺が何をしたと思ってやがったんだ?
一軍女子グループの仲たがいを誘発するようなことだろうか?
そんなことをするメリットがないことぐらい、簡単にわかりそうなものなのに。
――わからないほど動転しているってことか。
余裕ぶっているようで、万里と拗れているのがショックなのかもしれない。
なんだかんだ言って同じ高校二年生、言動は大人びていても中身は似たり寄ったり。
そう考えた方が腑に落ちるし、ホッとする。
「それは……うん、かなりまともって感じね。実際にそういうときが来たら、そういうスタンスで見守ってくれるとありがたいなって思うし。でも、だったら万里はどうしてあんなに
「知らんよ、そんなこと。元をたどれば高峰たちが泉を挑発しすぎたのが発端なんじゃないのか?」
「それを言われるとつらいな。確かに『万里も彼氏作ったら?』って折に触れて弄ったりはしたけど、ここまで思い詰めてたなんて思わなかったし」
「深刻にとらえるかどうかは泉が決めることだろ。どれだけ仲が良かったとしても、人の心の中までは見通せるもんじゃない」
「金言ね。経験談かな?」
「ノーコメントだ」
「ごめんなさい。今のひと言は余計だった。真壁くんの言うことはもっともよね。私たちが無神経だったわ」
それも含めて万里と話したい。
悪いところは改めるから、ちゃんと謝りたい。
白雪の表情は真剣そのもので、ウソ偽りの類は見られない。
「……なのに話を聞いてくれないのよ」
既読スルーってひどくない?
愚痴っぽく言われても答えようがなかった。
『着拒されてないだけマシだろ』と突っぱねるのも違うように思える。
――泉……
あの日の帰途、電車、そして駅。先ほど図書館で見せた横顔。
万里は万里でかなり悩み苦しんでいるように見えた。
心を落ち着けるまで待ってほしい。
許したいけど、許せない。
許し方がわからない。
――そんな感じだったよな。
彼女の表情を思い出し――そう確信した。
完全にふたりを拒絶するつもりなら、イチイチ悩まないはずだ。
「それにしても……なんで俺なんだ?」
「あの時一緒に遊んでたのが真壁くんだったから、かな。あ、仕返しってワケじゃなくて……あの万里があの水着を見せびらかしながら男の子と遊んでたって、正直すごく驚いたの。しかも相手が顔見知りって、ほんとビックリ」
「あの水着、なぁ」
「あれ、似合ってたでしょ。ステラと一緒に煽って買わせたのよ」
苦労したわ。
あの子、変に純情ぶるとこあるから。
口元をニヤつかせながら、意味ありげな光を宿した瞳を向けてくる。
『なんか言ってみなさいよ』とからかわれている気がした。
千里はテーブルの上でこぶしをギュッと握りしめた。
――神か、コイツ。
万里が身に着けていた水着は、単に似合っているだけではなかった。
ひたすらにドエロくて、ひとたび目にすれば生涯忘れることはないと確信できるほどに神がかっていた。
アレを彼女に着せるために骨を折ってくれたなんて……男としてこの偉業を讃えずにいられようか。
否。
断じて否である。
「すごかった。ありがとう」
「どういたしまして。うん……だから、真壁くんに頼むのがいいと思ったの」
コホンとひとつ咳ばらい。
白雪は真剣な表情を作り直して、そう付け加えた。
今さら取り繕っても遅いぞ、そんな本音を口にするほど千里は蛮勇ではなかった。
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