第14話 それは、まるで夢のような その2
鋭く尖った声と眼差しが突き刺さる。
慌てて口をふさいだものの、時すでに遅し。
煌めく漆黒の双眸の圧が、
ふたりの間に沈黙が下りて、じりじりと熱気に締め付けられて、肌に汗がにじんでくる。
「黙ってるのって、どうなの、
「……ッ」
つばを飲み込み、奥歯をグッと噛み締めた。
しどけなく寝そべっていた
返す返すもタイミングが悪いとしか言いようがない。
――はぁ……いい感じの雰囲気だったんだが、ここまでか……
『自業自得だな』と嗤う声が頭のどこかから聞こえてくる。
口元を覆っていた手を降ろし、胸に当てて深呼吸をひとつ。
覚悟を決めて、万里と正面から向かい合って――口を開いた。
この場を凌ぐための適当なウソをつこうとまでは思わなかった。
「……勘違いしてしまって、嫌な気持ちにさせたみたいだな」
「ん? 真壁、何言ってんの?」
「違うのか? さっき自分でそう言っていたじゃないか?」
しばしの間、見つめあう。
万里は口をへの字に曲げて、眉根を寄せた。
緊張感が高まって、周囲の喧騒が遠ざかる感覚があって――万里が軽く肩を落とすと、あっという間に張りつめていた空気が霧散していく。
ゴロンと寝ころんだ彼女は、空を仰いで目を閉じた。
豊かな胸のふくらみが、呼吸に合わせてゆっくりと上下し始める。
「バッカみたい。真壁とはここで偶然会っただけじゃん」
「そりゃそうだ」
「別に私と海に行くからって、期待してたわけでもないし」
「期待も何も、こんなところで会うとは思ってなかったな」
言葉が足りなかったと万里は笑った。
一緒に海に行く……というよりは水着姿を披露されると期待して、男が勘違いするのが気に食わない。
自分が、自分だけが特別扱いされていると思い込まれるのがメンドクサイ。
たまたま現地で出会った千里は含まない。
そういうことらしい。
「何の心構えもなく直に見ちゃった真壁が私に墜ちるのは……まぁ、仕方ない」
可愛すぎてゴメンね。
目と口をふにゃふにゃさせる万里。
ニヤニヤしい表情に、謝罪や悔恨の色はない。
――可愛いというよりも、美人だし……それに……いや、止めとこう。
何も悪いことはしていないのに、言葉が足りなかったのは万里なのに……居心地の悪さに耐えきれず、視線を明後日の方向に飛ばした。
ひとつ息を吐いてから、のどに力を込めて言葉を捻り出す。
「紛らわしかったり変な表現したり、ちょっとは反省しろ」
「なに? ひょっとして期待してた?」
「してたさ。さっき……その、見ちまったし。
ほとんど密着状態になってたし。
万里の水着はズレてたし。
いろいろ見えてたし。
今だって……
思春期男子のひとりとして、短期間にここまでアレコレ重なってしまっては……もっともっとと勝手に期待してしまうわけだ。
上がりまくったハードルのさらに上をぴょんぴょん飛び越してくるから、なおさらだ。
思い出すだけで昂ってしまうドキドキイベントが満載だったではないか。
こぶしを握り締めて主張する千里を、万里はジト目でにらみつけた。
「えっちすけべ変態最低。期待ってそういう意味じゃないんだけど?」
「……だから紛らわしい言い方するなって言っただろ」
「はいはい。私が悪うございました」
この話は終わりね。
そう言われてしまえば、矛を収めざるを得ない。
――まぁ、仕方ないんだがな。見ちまったのは確かだし。
思い出したら頭に血が上ってきた。
鼻血が出たらどうしようとか考え始めて、『これはドツボだ』と背筋が震えた。
悪気があったわけではないし、事故じゃないかと抗弁したいところだが……クラスの女子の裸を見てしまった事実に対する申し訳なさみたいなものは、どうにも拭い難い。
勢いあまってステップアップ~なんて、とてもじゃないが考えられない。
『夏だから、夏が悪いんだ』で済む話と済まない話がある。
どう考えても、これは済まない方。
――なんだけどなぁ。
それでも……万里から目が離せない。
再び目蓋を閉ざしてしまった彼女に見咎められるわけはないのだが、よそ見してはいけないような気がしてならない。
――ほんとかよ? なんでだよ?
至近距離から魅惑的な肢体をガン見したいだけじゃないのかと。
……千里には、そのセルフ邪推を跳ねのける理由が思いつかなかった。
自分が彼女に……彼女の身体にあさましい欲望を覚えていることを否定できない。
「ねぇ、真壁」
「……ん?」
「これの感想、聞いてないんだけど」
万里の手が胸からお腹までゆっくりと上下に撫でまわす。
まるで千里の視線を誘導するように……ではなく、もう誘っているようにしか見えない。
途中で何度かトップスの紐に白くて細い指が引っかかって、そのたびに柔らかそうな胸のふくらみが弾んで揺れた。
――『これ』ってどれだよ!?
胸か?
水着か?
それとも……
「似合ってるな、すごく……」
「すごく、何?」
「エロい」
口が滑った。
『どれが?』の部分を誤魔化すのに意識が囚われていて、先ほど言いかけて我慢したはずの単語がポロリと零れ落ちてしまった。
エロい。
万里はエロい。
さっきから、ずっと思ってた。
「ハッキリ言うし」
ゆっくりと目蓋が開かれる。
長いまつ毛の奥から現れた漆黒の瞳は、しっとり濡れていた。
感情を害している様子はなかったが、その微笑みからは彼女が何を考えているのか読み取ることはできない。
――なんなんだろうな、これは。わけがわからん。
頭の奥が甘く痺れて思考がまとまらない。
眉間を指で揉んでいると、脳裏に
いつもより頑張っている水着姿を恥ずかしげに披露した幼馴染に『エロい目で見るな!』と怒鳴られた記憶は新しい。
やっぱりジロジロ見てはいけないのではないか。
じわじわ罪悪感とか慙愧の念が込み上げてきて――限界に達した。
「自分で言っておいてアレだが、怒らないのか?」
「いやらしい目で見られるのが嬉しいわけじゃないけど、まったくいやらしい目で見られないのも、それはそれで腹が立つわけ」
魅力がないみたいに思えるじゃん。
彼女の言い分は矛盾しているようにも、理不尽なものにも感じられた。
一方で奇妙に納得してしまう自分もいて……要するに、頭の中をしっちゃかめっちゃかに引っ掻き回されてしまっている。万里の手のひらで転がされている自覚があって、そんな自分を不甲斐なく思いながらも不快でない。
何もかもが初めての体験だった。
「……」
喉に猛烈な渇きを覚えた。
スポーツドリンクはレジャーシートの脇にある。
すぐ手が届く場所のはずなのだが……その距離がやけに遠く感じられる。
「ま、そういうわけで……遠慮しなくていいよ」
さっき助けてくれたお礼と思ってくれれば。
クスリとこぼれた笑みは魅力的だったが……素直に頷くわけにもいかない。
おそらく気を利かせたつもりで付け足された言葉は、千里にとって聞き捨てならないものだった。
「それとこれとは話が違う。別にこんなことをしたくて助けたわけじゃない」
「……かっこいいこと言うね」
万里は柔らかく目を細め、再び目蓋を降ろした。
ほどなくして『すぅすぅ』と寝息らしきものが聞こえてくる。
寝顔に不自然な部分はなく、赤い布地に覆われた胸は同じ速さで上下している。
いくらなんでもさっきの今で眠っているとは思えなかったが……それはそれとして、彼女の肢体から目が離せないし、目を閉じることもできない。
どれだけ強がっても欲望にあらがうことは難しいし、そこまで見透かされている気もする。
「『遠慮しなくていいよ』って言われてもなぁ……」
あられもない姿をさらしている万里が言うところの『遠慮しなくていい』は『自分(の身体)を好きなだけ見てていい』の意味合いだろうが……この状況、その気になれば、彼女の思惑を超えた行為に耽ることだってできてしまうのだ。
「……やらないけどな」
辛うじて万里に届くぐらいの、掠れた声。
心なしか、彼女の寝息が穏やかになったような気がした。
安心されているということは、男として見られていないということ。
十七歳の男子的にあまり愉快なことではなかったが……信頼されているのだとも思ったし、その信頼を裏切りたくはないとも思った。
ただ……身体の奥から湧きたつ熱のやり場に困って、ため息が止まらない。
そんな自分が、少し情けなかった。
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