第13話 それは、まるで夢のような その1
『じゃあ、僕らはその辺をひと回りしてくるから』
ケチのつけようがない笑みをイケメン面に張り付けた
ちゃっかり恋人の腰に手をまわしながら。
由宇は由宇で、照れてはいても嫌がってはいなかった。
ディープなキスだけでなく、恋人からのボディタッチを自然体で受け入れている。
そして――そんなバカップルふたりを目の当たりにしても、やはり
――いいことだよな?
いくら長い時間を共にした幼馴染だからとは言え、由宇の人生にイチイチ千里が口出しするのはおかしい。前々からそう思っていたものの、彼女が自分以外の男と距離を縮めて、交際して、イチャイチャする姿を目にすると心のざわめきを抑えきれなかった。
自分が手引きしておきながら……と自己嫌悪に陥ることすらあった。
「いいこと、だよな?」
昏い感情に苛まれる痛みがない。
胸の奥にさざ波らしきものすら立つ気配がない。
今なら――あるいはようやく、ふたりを心から祝福できそうだった。
喜ぶべきことなのに素直に受け入れられないのは、心の変化が唐突だったうえに原因に思い当たらないからだ。
「
「……何でもない。さっきまで辛そうだったが、調子はどうだ?」
さりげなく話の流れを逸らした。
寝っ転がったまま見上げてくる万里に困惑を悟られたくない。
なぜ彼女の目を気にするのか、自分でも理解に苦しむ気持ちはないでもないが……とにかく平静を装いつつレジャーシートに身体を横たえた万里の方に振り返って――言葉も唾も吐息までも、全部まとめて飲み込んだ。
うっすらと開かれた長いまつ毛の奥で煌めく、漆黒の瞳。
頬に張り付いた黒髪、桃色に艶めく唇。わずかに覗くきれいな歯並び。
水分を吸って肌に張り付いた赤い水着が、肌の白さと大人びた肢体のラインを際立たせている。
濡れた眼差し。
気だるげな表情。
しどけない仕草。
蠱惑的とか妖艶とか、あまり高校生に似つかわしくない単語がよく似合う。
手を伸ばせば届いてしまう距離で、
『カノジョ、かなり千里に気を許してるんじゃないかな』
『何にもないなら、何かあるようにすればいい』
『千里だってまんざらじゃないんだろ?』
ゴクリと唾を飲み込もうとして、飲み込めなかった。
口の中はとっくの昔にカラカラに乾ききっていたから。
じっとりと滲み出た粘着質な汗を拭いたくても拭えない。
先ほどとは別の意味で、彼女に動揺を悟られたくなかった。
全身に重苦しい沈黙がのしかかってきて、指一本動かせない。
千里の耳朶を撫で上げてきた万里の声は、妙に甘ったるかった。
「ん……ちょっと怠い」
「……海の中でかなり暴れてたからな、ゆっくり休め」
「うん、そーする」
素直にうなずいて、万里は眼を閉じる。
鼻にかかった声に心が激しく揺さぶられ、無防備な肢体から目が離せない。
漆黒の視線がなくなった今、いよいよ彼女を間近でじっくり見つめていても咎める者は誰もいなくなったわけで。
よくないとわかっていても、止められない。
じりじりと照り付けてくる太陽よりも強烈な熱気が、内側から千里を焙り立ててくる。
「真壁さぁ」
「な、いきなりなんだ?」
「なんでキョドッてんの。まぁ、いいけど」
「すまん。いきなりだったから驚いた。それで、何の話だ?」
本当は万里をガン見していたのがバレたかと焦ったわけだが……そ知らぬふりして話の先を促した。
早口気味に。
かすれ気味な声で。
メチャクチャ冷や汗かきながら。
我がことながらみっともないと呆れてしまう。
万里が口を開くまでの数秒が、やたらと長く感じられた。
「夏休みって、何してる?」
あまりにもありふれた質問だった。
なぜか寂しく感じられたものの、ホッとしたのも事実だ。
開きっぱなしですっかり乾いてしまっていた唇を舐め、思い浮かんだままに言葉を繋げていく。
「ずいぶんと漠然としてるな……まぁ、勉強してバイトして、勉強して……」
「他には?」
「……それ以外は何もしてないな」
「ぷっ。めっちゃ普通。せっかくの夏休みなのに」
「普通で悪かったな。そこまで言うなら、
「私? 私は……ユキやステラと遊んだり、
ユキ、ステラ、恭介。
万里が挙げた名前は、いずれも彼女のグループに属しているメンバーだった。
誰もがクラスの中心人物とでも呼ぶべき錚々たる顔ぶれだ。
――恭介……か。
男の名前が万里の唇から出てきた瞬間、右手が無意識に自分の胸を抑えた。
声を上げることはしなかったが……心のうちにチクリと痛む棘を感じる。
どこか身に覚えがある痛みと口の中に広がる苦みに、千里の顔が歪む。
「……私も、めっちゃ普通だったわ」
「そうなのか?」
仲の良い友人と毎日のように出かけるのは、普通なのだろうか?
十分すぎるほどに充実した夏休みを堪能しているように思えるのだが……当の本人は納得できていないように見えた。間を置いて唇から零れた声色にも、目を閉ざしたまま口の端をわずかに吊り上げた表情にも、不満が強く感じられる。
「せっかく海に来ても、ユキもステラも彼氏連れなのに、私ときたら……はぁ」
「クラスの男子に声をかければよかったんじゃないのか?」
友人がふたりとも彼氏持ちで、自分だけがひとりぼっち。
その境遇に敗北感を抱いているのなら、いつも仲良くしている男子の誰かを誘えばよかったのではないか?
ひとたび彼女が声を上げれば喜び勇んで参戦する男子は後を絶たない……と言うか、よほどの用事がない限り断る奴はいないだろうに。
あるいは、それこそ――恭介にでも。
「ないわ」
思いもよらない一刀両断。
煩わしさすら感じられる口調と寒々しい声。
千里の身体を鋭くて残酷で、それでいて甘美な衝撃が貫いた。
胸の奥から湧き上がるドロドロした感情は――恐怖か憐憫か、それとも喜びか。
「……ないのか?」
「ない。だって勘違いされそうじゃん」
「そりゃ……そんな格好見せられて勘違いしない男はいないと思うぞ」
「真壁も?」
「勘違いをこらえるのに必死だ」
本当にこらえられているのか?
答えにたどり着くより早く、万里がうっすらと目を開ける。
マズいと思って頬が引きつったが、向けられる眼差しは予想に反して変わらない。
それどころか……優しげで、ともすれば誘っているように錯覚してしまう表情はそのままに『んんっ』と悩ましげな声を漏らしながら寝返りを打ち、見せつけるように肢体をくねらせてくる。
どこもかしこも魅惑的な肢体の中でも特に柔らかそうな胸のふくらみが強調されまくりだし、表面積が少なすぎるビキニが何かのはずみでズレて、見えてはならない部分が見えてしまわないか気になって気になって仕方がない。
心配だ。
本当に心配だ。
――ウソをつくな。
口の端が歪んだ。
心配しているなんてウソだ。
抑えきれないソワソワ感は、期待の顕れだ。
さっき見てしまった光景を、脳に焼き付いてしまった万里の姿を……あわよくば今一度、と。
ずっとそんなことばかり考えている。
「……」
白い肌をなぞって落ちる水滴から目が離せない。
海水だろうか、それとも汗だろうか。
どっちでもよかった。
「はぁ……男ってバカみたい。どんな格好しようが私の勝手なのに、水着になったからって勘違いして思い上がってるの、ホントうっとうしい。いつも学校ではおとなしくしてるんだから、私だって今日ぐらい夏っぽい気分に浸ってもいいじゃない。夏だし、海だし」
「……勘違いされたくないのか?」
勘違い?
誰のことを言っている?
詳しく問い詰めようとして、言葉を飲み込んだ。
千里に向けられていた万里の眼差しが、咎めるように細められたからだ。
「何? 何が言いたいワケ?」
鋭く尖った声は、むき出しになった千里の胸に突き刺さって燃えるような痛みを放った。
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