第6話 ノープランと責めないで その2

 万里ばんりをターゲットにした(と思われる)声の主が、横から正面に回り込んできて進路を塞ぐ。

 男が、ふたり。

 年齢は、少し上に見えた。

 おそらく大学生、ひょっとしたら社会人かもしれない。

 どちらもむき出しになった肌はこんがりと色がついていて、キラキラなアクセサリをジャラジャラ身につけていて、日焼けとは異なる赤みを帯びた顔はアルコールの気配を感じさせた。

 軽薄な声色とセリフのチョイスに負けないくらいに、全身から浮ついた雰囲気を漂わせた、あまりお近づきになりたくない人種だった。

 

――い、いや……俺もさっき似たようなこと言ったけどな。


 口の端を引くつかせる千里せんりを余所に、ふたりの視線が万里を舐めまわす。

 その不躾な態度が無性に癇に障って、考えるより早く身体が動いた。


いずみ、こっちだ」


「え?」


 足を止めずに90度横に曲がって、浜辺にたむろする人だかりに突っ込んだ。

 小走りと言ってもいい速さで――しっかり万里の手を握り締めて。

 汗ばむ手のひら越しに、彼女の驚きと戸惑いを感じた。


「ちょ、なんなのよ。真壁まかべ、アンタねぇ!」


「急げ。話は後で聞くから」


「はぁ!?」


 返事を待つことなく、ひたすら前進を続けた。

 ザクザクと乱暴に砂を踏む音に、背後から飛んできた怒号が混じる。


『おい、待ちやがれ』

『ガキが調子に乗ってんじゃねーぞ』

『聞いてんのか、コラ! 待てって言ってるだろ!』

 ・

 ・

 ・


――『待て』と言われて待つ奴がいるかよ!


 声は出さず、心の中で舌を出す。

 周囲から集まる好奇の視線もざわめきも、どちらも無視した。

 ふいに、手に強い力を感じた。万里が握り返してきたのだと、少し遅れて気が付いた。


「真壁、痛い」


「……ッ」


 透き通った抗議は横から突き刺さった。

 胸の奥にズドンと衝撃があり、息苦しさが続く。

 歯を食いしばって耳を澄ますと、すでに喚き声は消えていた。

 足を止めて振り向くと――ナンパ男たちの姿は、もうどこにも見当たらない。

 ようやく安堵が押し寄せてきて、胸の奥から大きく息を吐き出した。全身の毛穴からどっと汗が噴き出してくる。


「……よし。あいつら、追ってきてないな」


「もう! 真壁ってば強引すぎる」


「一番のナンパ対策は無視することだ。下手に反応すると付け込まれるだろ」


「それはそうだけど……詳しいのね? 実体験?」


「……そんなところだ」


 ウソである。

 本当は陽平ようへいの体験談だ。

 由宇ゆうと付き合うまでの彼は結構な遊び人だったそうだから、男ふたりでグダグダ喋ると、この手のネタがしばしば話題に上るのである。

 適当に聞き流していた友人の武勇伝が、こんなところで役に立つとは。

 ……ただ、それを万里に伝えるつもりはなかったし、自分の体験談と勘違いされても問題はない。

 海でナンパするような男にはふさわしかろう――と思っていたのだが。


「ウソでしょ、それ。違うなら違うって言いなさいよ。ナンパするキャラに見えないって何度言ったらわかるワケ?」


「しただろ、泉を」


「……そういえば、そうだったわね」


 別にオッケーしたわけじゃないけど。

 そっぽを向いた万里を見て、吹き出しそうになって――堪えた。

 漆黒のジト目を回避しつつ口元を押さえ、コホンと軽めの咳ばらいをひとつ。


「しかしまぁ、自分でやっておいてアレだが……もう少し食い下がってもよさそうなものなのにな」


「そう? 他にもいっぱい女の子がいるのに、逃げる子に執着するなんて効率悪くない?」


「女なら誰でもいいってことか? 泉ほどの美人は、そうそういないだろうに」


 歩みを緩めた万里を見やる。

 涼しげな眼差しが際立つ大人びた美貌。

 腰まで届く、丁寧に梳られた艶やかなストレートの黒髪。

 パーカーに覆われているとは言え、十分すぎるほどに存在感を誇示する胸元。

 脚は長くて程よく細く、身長に比して高い位置にある白いお尻は際どいデザインの赤い水着との対比が眩しい。

 どこもかしこも男にとっては垂涎の要素だらけだ。

 ちょっと無視された程度で諦めるなんて、あまりにも惜しいと思うのだが。


「へぇ、それって口説いてるつもり?」


「事実を口にしただけだ」


「ふ~ん、真壁ってそういうこと言う奴だったんだ」


 万里が笑った。

 柔らかく細められた目、弾む声。

 さっきまでの不機嫌がウソみたいに、今の彼女は楽しそう。


「そう言えば」


「そう言えば?」


「無視するのが一番の対策ってわかっていたみたいな口ぶりだったが……俺が声をかけたときには無視されなかったな?」


「……聞き覚えのある声だったから、つい振り向いちゃっただけ」


「そうなのか?」


「そうよ」


 だ・か・ら、調子に乗るな!

 万里の目がさらに細められ、反射的に身構えてしまう。

 身体を強張らせる千里をしげしげと見つめた万里は――わかりやすすぎるほどにわかりやすく肩を竦めた。

 緊迫した空気は、ほんの一瞬で霧散した。

 艶やかな黒髪をかき上げた万里は、逸らした視線を遠くの空に向ける。


「結果的に、だけど……アンタと一緒って悪くないわ。男連れってだけで声かけてくる人がずいぶん減ったし」


「減った? そうか? さっきの連中は?」


「空気読めない奴っているのよね」


「なるほどなぁ」


 男除けのために男を連れ歩く女。

 そんな人物が現実に、それも身近に存在するとは。

 改めて万里を見つめなおす。頭のてっぺんからつま先まで、じっくりと。


「……何?」


「大変だなと感心していた」


 これまでは学校でしか万里を目にしたことがなくて――学校での彼女はクラスの中心人物のひとりであり、校内有数の有名人でもあった。

 いつも美貌が眩しくて。

 常にクールで、余裕綽々で。

 周りには自然と人が集まっていて。

 だから、万里に苦悩なんてなくて、華々しく楽しい日々を送っているものだと思いこんでいたが……単に千里の想像力が足りていなかっただけで、彼女には彼女なりの苦労があるのだ。

『泉 万里』は、それを顔に出さなかっただけ。

 万里らしいと思ったし、その強がりを尊重したいと思った。


「褒められて悪い気はしないわね。で、そんな私を連れて歩いている気分は……どう?」


「どう、とは?」


「気にならない? 周りの視線」


「それはまぁ……さっきからビシビシ感じてたが」


 頬を指で掻きながら周囲に首を巡らせ、鼻から軽く息を吐きだした。

 ナンパ男どもはわかりやすかったが、彼ら以外にもそこかしこから万里に注がれる視線を感じる。

 その眼差しに込められている感情は様々のようだ。

 羨望があり、嫉妬があり……感心されてもいたし、露骨な欲望もあった。


――これが、泉が住んでいる世界なんだな。


「それで、ご感想は?」


「感想と言われても……泉は凄いな」


「いや、私じゃなくてアンタ。アンタはどうなのって聞いてるワケ」


「俺?」


「そう、アンタ。気持ちよくならない?」


「別に気持ちよくなんかならないな。凄いのは泉であって俺じゃない」


「ふ~ん」


 即答すると万里の声に変化が生じた。

 フラットなようでいて、わずかに揺らぎを感じる。

 向けられる眼差しにネガティブな、あるいは首筋を冷たい手で撫でまわされるような、あの感覚はない。


――なんなんだろうな、これは?


 悪い印象を与えたわけではなさそうだが……眉間にしわを寄せても答えは見つからなかった。

 代わりに、別のことに気づいてしまった。


「んんっ……ところで泉」


「何?」


「手、悪かったな」


「え? 手? あ、あれ? うん、うん」


 遅きに失した感はあったが、そっと万里の手を離した。

 男たちを振り切ろうとしたところから、握ったままだったのだ。

 万里は要領を得ない感じで首を傾げ、ようやく解放された手に漆黒の眼差しを注いで……


「こ、これくらい、別にいいし。何ともないし。気にしてなかったし!」


 キッと睨みつけてきて――その手を千里の手に絡めてくる。

 予想外のリアクションに、全身が激しく揺さぶられる。

 完全な不意打ち。ギュッと心臓が握りつぶされる。

 全身の肌が粟立ち、ゾクゾクと震えが走った。


「……それでいいなら、俺としては嬉しい限りだが」


「だったら素直に喜んでなさい」


「そうさせてもらおう」


 頷いたら、万里の瞳に澱みが生まれた。

 何とも表現しがたい、学校では見たことのない表情。


「真壁……アンタ、見た感じより、かなりスケベね?」


「スケベでない男はナンパなんかしない」


「……ば~か」


 断言したら、盛大に呆れられた。

 お仕置きとばかりに手を強く握り返され、予想外の握力に顔をしかめる千里だったが……それでも万里は手を離してくれなかった。

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