第5話 別れた理由

 つかさと別れて、数年が経った時だった。

 つかさとは、

「結婚を前提に」

 という思いで付き合っていたのも、当然のことだ。

 最終的には、それが怖かったのか、つかさの方から、身を引くという形だったが、それはきれいごとで、

「俺から逃げたんだ」

 というのが真相だと、山岸は思っている。

 さすがに別れてから、尾を引いたのは、かなりのもので、今回は、転勤させてくれたことに感謝するくらいだった。

「今まで、付き合ったこともないような付き合い方してみたいな」

 とも思えるようになったのは、別れてから一年半、転勤してから、一年のことだった。

 少なくとも、

「もう、社内恋愛はこりごりだ」

 ということであった。

 そこで、山岸が考えたのが、

「結婚してしまえば、こんな思いすることはない」

 というものだった。

「結婚しても、ゴールではない。何が起こるか、夫婦間であれば、余計にそう思うだろう?」

 ということも分かっていたつもりだった。

 しかし、どうしても、

「目指すは、結婚」

 ということだったのだ。

「結婚するって、どういうことか分かっているのか?」

 と自問自答してみるが、一度もしたことがないので、分かるはずもない。

 ただ、

「ゴールではない」

 と思いながらも、

「ゴールであってほしい」

 という思い、さらには、

「ゴールだったら、面白くない」

 という思いとが交錯していた。

 後者の、

「面白い」

 というのは、その少し後から、自分のことを、

「芸術家肌なのではないか?」

 と感じるようになったからのもので、

「芸術家肌というのもそうだが、創作という、モノづくりということが、この俺は好きだし、似合っているのだろう」

 と考えるようになったからだと思うのだった。

 というのは、ショックがだいぶ冷めてきた頃、少しずつ気持ちに余裕が戻ってくると、

「俺は創作が基本的に好きなんだ」

 と思ったからだった。

 しかし、そもそも、芸術的なことや、創作などというものは、小学生の頃に、

「とっくの昔に捨ててきた」

 というものであった。

「何を捨てたのか?」

 ということであるが、捨てたというよりも、その頃の勉強を放棄したというだけのことであって、

「勉強なんて、その気になれば、いくらでもできる」

 ということだ。

 その気にならないと言えば聞こえがいいが、勉強しようという意思があってできないのは、

「ただ、逃げているだけ」

 ということである。

「金がないから」

 という人もいうだろう。

 しかし、勉強して趣味として継続できるものの中で、芸術関係としても、できることはいくらでもある。

 例えば、

「文章を書く」

 というのは、正直金がかからない。筆記具さえあれば、どこででもできるというもの。

 それに、何も小説ばかりと限ったわけではない。

「物書き」

 というのは、エッセイであっても、俳句や短歌のような、短いものであってもいいだろう。

 短い文章と言っても、そこに思いが凝縮されているわけである。とても、勉強になることだと言っても過言ではないだろう、

 それを思うと、

「やろうと思えば何だって、いくらでもできるんだ」

 と思うようになると、

「エッセイでも書いてみたいな」

 と感じるようになった。

「少しつたない内容だけど、少しきれいにまとめれば、つかさとの間の話だって、エッセイとして書けるのではないだろうか?」

 と考えるようになった。

 ただ、

「小説のように、難しくはないのでは?」

 と思っていたが、実際には結構難しい。

 というのも、

「かなり勉強が必要だ」

 ということであった。

 小説のような、

「フィクション」

 であれば、

「いくらでも潰しがきく」

 というものであるが、

「実際には、そんなにうまくいくものではない」

 と言えるだろう、

 少しずつでも勉強しているうちに、次第に興味が深まっていき、市役所などでやっている、

「生涯学習」

 というようなものに、

「エッセイ講座」

 というものがあった。

「これ幸い」

 ということで、申し込んでみることにしたのだ。

 ショッキングなことが、まだ、少しくすぶっていたので、

「こういう機会に友達ができれば、それに越したことはない」

 というものであった。

 しかも、同一の趣味であれば、

「これほどありがたいことはない」

 と言えるのではないだろうか?

 そんな時に、

「好きになれる人がいれば」

 というちょっとした、欲があったのも無理もないことだった。

 実際に、エッセイ教室に入ってみると、男女の比率は。圧倒的に女子の方が多いと言ってもいいだろう。

「そういえば、エッセイストというと、どうしても女性のイメージがあるかな?」

 と思った。

 それだけ

「メルヘンチックな考え方」

 を持っている人が多いということだろう。

 それを思うと、

「確かに、女性が多い」

 というのも分かるというものだった。

 先生も、女性だった。

「エッセイストでありながら、男女問題に関しても、よくラジオなどのゲストで出てくることがある」

 というほどの人で、

「よく、こんな金にもならないことするものだな」

 と思ったが、実際には、

「同市出身」

 ということで納得がいった。

「なるほど、そういうことか」

 と納得した。

 そういえば、

「カメオ出演」

 という言葉がある、

 原作者や脚本家が、ちょい役などで、出演する」

 というものだ。

 まさしく、そんな

「カメオ出演」

 のようなものではないか?

 と感じた。

 なるほど、そう考えれば、講義料も、実際の講演会などの費用から比べれば、格安だと言ってもいいくらいだろう。

 そんなことを考えると、

「この教室は設けもん」

 といってもよかっただろう。

 おかげで、講義に出る日が待ち遠しくなり、機関としては、三か月だったが、

「結構楽しめそうだ」

 と言えるのではないだろうか?

 教室を見渡すと、

「好きに慣れそうな女性も結構いる

 と思えた。

 あくまでも、

「パッと見」

 というだけのことだが、それでもよかった。

「少しでも気分が晴れるのであれば」

 と思うと、

「入会した甲斐があったというものだ」

 と感じた。

 今までとは違った感覚だということが嬉しく、

「早く一週間が経たないか?」

 と思っていたのだ。

 その会場で出会った女の中に、

「宮崎あいり」

 という女性がいた。

 その女とは、最初に体験入会のような時、隣に座った女性だった。

 その時は、別に何とも思わなかった。

 どちらかというと、

「どこにでもいるかのような女性で、好きになろうと思えば思えるかも知れない」

 という程度の女性だったのだが、正直、印象には残らなかった。

 容姿という意味でいけば、

「可愛い」

「キレイ」

 というのには、ほど遠いという感じだったが、逆に、

「絶対に好きになれないほど」

 ということもなく、

「本質的に合わない」

 という感覚でもなかった。

 だから、印象にも残っていなかったのだが、再会してみると、

「あれ? あの時の人だったのか?」

 と思うほどであった。

 だが、それでも、まだ、

「好きになる」

 という感覚はなく。

 どちらかというと、

「少し気になる」

 という程度になってきたという感じであった。

 だから、

「却って、その複雑な心境の正体を知りたい」

 と思うからなのか、気になるという感じであった。

 しばらくすると、彼女は、

「どうやら俺のことを好きになっているんじゃないか?」

 と感じた時があったが、その時に、自分の中で、

「爆発的に、雰囲気が変わった」

 と感じた時であった。

 そういえば、

「女性というのは、誰かを好きになると、これほどきれいになるということはない」

 と聞いたことがあったが、まさにその通りなのではないかと思うのだった。

 といって、

「可愛い系なのか、キレイ系なのか?」

 どっちなのかということをすぐには感じなかったようだ。

 どちらかというと、

「可愛い系」

 が好きな山岸だったが、あいりに関しては、可愛い系というよりも、

「キレイ系」

 だと思うのだった。

 今までキレイ系というと、どこか、避けているところがあったが、あいりにだけは違っていた。

「どういう心境の変化だ」

 と言えばいいのだろうか?

 どうやら、

「正面からであったり、斜め前くらいからの角度よりも、彼女に関しては、その横顔にドキリとする感覚があるからではないか?」

 と感じたのだ。

 それは、確かに鋭い感性のようなものだと思ったが、どちらかというと、

「当たりとも遠からじ」

 ということであり、どこか、無難な見方を自分がしているのではないか?

 と感じるところであった。

 そのおかげで、

「気になる」

 ということがどういうことなのかということを、今になってから、感じるようになったのだった。

 知り合った時から、少しだけ、

「何やら怪しい」

 という感覚を持っていた。

 これは、前に付き合った

「つかさ」

 には、感じたことなどない感覚だったのだ。

 つかさの場合は、お互いに、ド直球と言っていいほど、お互いをぶつけた気がした。だからこそ、しょっちゅう喧嘩にはなっていたが、それだけに、付き合い方も激しかったのだと思うのだ。

 だが、つかさと別れてから、しばらくは、放心状態になっていて、

「もう、こんな思いをしないといけないのであれば、誰とも付き合わない」

 と感じていたのだ。

 それだけ、

「燃えつきた」

 という感覚で、

「燃え尽き症候群」

 なのではと感じたのだが、実際につかさと一緒にいた時間を、

「あれだけ長かった」

 と思っていたはずなのに、今となってみれば。

「幻のようだ」

 としか思えないのは、それだけ、実際と後では、感覚が違っていたと言っても過言ではなかったということであろう。

 ただ、つかさという女を最後は嫌いになったわけではない。だが、相手から、

「あなたの顔も見たくない」

 と言われた瞬間に、

「これまで、これ以上分かり合える相手はいない」

 と思っていた相手から、完全に違う人に変わってしまったと思うことで、

「一番、会いたくない人間」

 ということになってしまったのだ。

 そんなつかさとはまったく違った雰囲気を醸し出しているのが、今回知り合った、

「あいり」

 という女性だった。

 確かに、最初の頃のように、まったく関心なかったと思っている女性であったのに、再会すると、今度は、それまでとまったく違う女性に見えてくることで、まるでその反動であるかのように好きになってしまうというのは、

「往々にしてありだ」

 と言えるのだろうか?

「自分にとって好きな人というのは、どういう人なんだろうか?」

 とよく考えるが、確かに、あいりという女性を見ていると、今まで自分が好きになってきた女性とも違っている。

 というほど、たくさんの女性を好きになったわけではなく、中には、テレビタレントなどに勝手に、

「恋をした」

 ということも含めての話である。

 恋をするということが、どういうものなのか、

「つかさとの間で分かっていたはずだったのに」

 と考えるが、どうも、そうではないようだ。

「自分の中で、愛情というものを理解しようとすると、まずは、相手の懐に入らないといけない」

 ということを考えていたくせに、どちらかというと、そういう感覚というよりも、

「好きになったから、好きなんだ」

 という、これほど単純なものではないといえるようなこともあるというべきなのか、自分でも分かっていないのだった。

 だが、

「今回だったら分かるかも知れないな」

 と思ったのは、最初から、あいりという女性が、神秘的すぎて、その正体を探りかねるというような感覚で、

「こういうのを、本当の愛情というのだろうか?」

 と、勝手に考えてしまうのだった。

「今まで、好きになった女の子のパターンが変わったことはなかったのにな」

 と思っていた。

 と言っても、好きになったり、気に入る女の子のパターンというと、一つではない。好きになる最初のパターンとして、

「いつも清楚で、どこか、影があるような、とてもおとなしい女の子。そして、そういう女の子が、自分のことを慕ってくれる」

 と思うようなそんな女の子のパターンと、

「身体が小さくて、可愛らしく、実際に声もアニメ声で、そして、いつもニコニコ笑っているような女の子、どちらかというと天然で、照れ屋な女の子であれば良き」

 という感じである。

 特に後者の女の子であれば、

「絶対に自分を裏切ることはない」

 という確証があるくらいで、前者であれば、

「裏切られることもあるに違いない」

 と感じるのだった。

 あくまでも、自分の勘にしかすぎないが。この気持ちが、いかに証明されるかということは分からないが、少なくともつかさは、

「前者だった」

 と言えるだろう。

 だからこそ、つかさとの別れには、

「彼女に裏切られた」

 という思いが付きまとうのだ。

 確かに、裏切られたというのは言い過ぎかも知れないが、せっかく、仲良くなって、まわりも、

「二人を見守っていこう」

 というところまでは来ていたので、いきなり、

「あなたについていけないわ」

 と言われた時はショックだった。

 だからといって、

「はい、そうですか」

 と引き下がるわけにはいかない。

 確かに思い出してみれば、付き合い始めてからしばらくの間。山岸が、自分で思っているよりも、

「まさか、こんなに俺のことを信じてくれなくなるなんて」

 と思うほどに、前の日までと違って、

「豹変した」

 という感じだった。

 しばらく黙って見ている時もあれば、必死になって説得することもあったが、つかさは、何も言わないことが多く、黙ってこちらを見ていたが。いつもある程度興奮状態が収まってくると。

「ごめんなさい」

 と誤ってくる。

 その時に、山岸はいつも、

「この子は、何ていとおしいんだ」

 ということで、それまでの苦労が報われた気がしてくるのだ。

 だから、何でも許せてしまう。しかも、

「すべては自分の手柄だ」

 という風に感じるのだった。

 だから、

「どんなに精神的に荒れていても、最後は俺のところに戻ってきてくれるのだから、少々のわがままは許してあげよう」

 と感じるようになったのだ。

 そのせいで、彼女のわがままは、

「あばたもえくぼ」

 とでもいえばいいのか、

「どんなに悪いところでも、いいところにしか見えない」

 というものであった。

 それを考えると、

「彼女を救えるのは、俺しかいない」

 と思うようになった。

 彼女に対して、あまりにも精神状態に、むらがあることから、

「何かの精神疾患を患っているのではないか?」

 と思ったが。そんな興奮状態の時に限って、彼女には、絶対的な自信があるようだった。

 この状態は、後になって、別の機会で精神疾患というものを勉強した時、

「思い当たる節があるな」

 と思って調べた時、感じたのが、つかさのその時の状態だったのだ。

 というのは、

「躁状態」

 というのが、そういう状態に近いということを書いてあったのだ。

「躁状態というと、まず、自分が何でもできると思い込むこと。過度のハイな状態になり、実際にまるでスーパーマンにでもなったかのように、自分には失敗なく、なんでもこなせると思い込んでいる」

 というのだ、

 だから、これ以上ないというくらいに自信過剰になっていて、眠らなくても平気だというくらいに精神状態だけが特化してしまっていることで、身体がついてこないということもあるのだという。

 そんな精神状態になると、もっとひどいことになってしまう。

 それが対人関係であった。

 自分が何でもできると思うので、決定的な優越感を味わっている。そうなると、まわりの皆に対して、優越感が生まれてきて、マウントを取ったうえで、まわりの劣等生を平気で口にして、相手に気を遣うということが一切なくなってしまう。

 そうなると、まわり全員に恨まれてしまい、自分が孤立していくのだ。

 しかし、当の本人は、

「自分だけでだって、何とでもなる」

 と思っているので、孤立したことが分かったとしても、そんなに不安にはならないだろう。

 そもそも、自分が孤立しているということも分からない。それだけ、精神的に、ハイになっているのであって、

「誰にも何も言わせない」

 ということを、さも当たり前のことのように感じるのだ。

 それを思うと、

「俺もよく耐えたものだな」

 と考える。

 彼女のその時がそういう状態だったのかどうか。医者が診断したわけではないので分からない。

 というのも、

「躁状態になると、まさか自分が病気だなどということが分からない」

 という。

 だから、いくら先生に診てもらおうと思っても本人にその気がないのであればしょうがない。

 さすがにこの状態で、首に縄をつけて、引っ張っていくわけにはいかない。

 しかし、実際には病気の可能性が高いのだから、それを一人で相手にするというのは、

「いくら恋人だ」

 と言っても難しいことである。

 一つ気になるのは。その時の彼女は、

「ハイな状態ではない」

 ということである。

 いつも笑顔であったり、目が輝いているというような、典型的な躁状態というわけでもなく、しかも、その期間がたったの一日、いや、数時間ともなると、

「躁鬱症」

 と呼ばれるものの、躁状態ではないといえるであろう。

 確かに、数時間の躁状態というのも、実際にないとは言えないだろう。

 だからこそm医者の診断が必要なのだが、あの状態になった、つかさを制することができるのは、誰もいない。

 母親でも無理なのだから。さすがに、山岸では無理だろう。

 では、元カレであれば、どうだったのか?

 ということを考えてみた。

 実際に逢ったことのない人であるが、今頭の中で、

「二度と会うことは不可能なのだ」

 と思うと、その男性は、

「神に召された」

 という感覚になり、

「彼以外に彼女を制する人間はいない」

 と思うと、山岸は複雑な心境になった。

 いや、複雑な心境というよりも、もっと違った発想であった。

 というのは、

「彼というのは、ひょっとすると、俺の分身のような人ではなかったか?」

 という思いである。

 心の中では、

「かないっこない」

 と思っているが、彼女が慕う男性は、二人しかいないと思うのだ。

「そのうちの一人が、天に召されたのだから、残った自分がしっかりしないといけない」

 と考えるようになった。

 確かに、彼女は、躁状態だった。

 だが、

「彼女がこんな風になったのがいつぃからなのか?」

 というのが、問題だ。

 自分と付き合うようになってからという可能性は低い気がする。

 そういえば、付き合う前にパートのおばさんたちが、自分に彼女をけしかけようとした時、ちょろっと話をしていたのが、

「彼女のあの性格、山岸君で大丈夫なんだろうか?」

 というようなことを言っていたような気がする。

 というのは、さすがに、山岸も最初から、つかさのことを何とかできるとは、思っていなかった。

 そこまで好きになったわけでもないが、

「まわりも応援してくれているし、今の自分であれば、いろいろ大丈夫なのではないか?」

 という、自分の中にも自信過剰なところがあったので、その気持ちの表れが、

「つかさを好きになった」

 という自分の中の答えだったに違いない。

 そして、実際に、

「つかさの性格」

 というものを分析していくうちに自分の中でも、

「本当に大丈夫だろうか?」

 ということを考えるようになっていた。

 つかさは、好き嫌いも多く、気分屋であったことから、

「躁鬱なのか?」

 と考えると、

「鬱状態」

 というのが、ほとんど見受けられない。

 躁状態の中で、何か自分で不安に感じるようなことがあるようだが、それは、勘違いというものであり、つかさには、自分が自分でも分からないという気分になるくらいであった。

 では、一体いつから、こんな状態になったのだろう?

 ということを考えてみるが、どうしても想像の域を出ないが、考えられるのは、

「元カレと付き合っている時ではないか?」

 と考えた。

 そして、その時、元カレとの間で、きっと、彼女を抑えつけようという気持ちがあり、それが喧嘩になって、お互いに不安を募らせることで、女はどうしても、、先に我慢ができなくなり、男に当たっているうちに、男がたじろいだその時の間隙をついて、一気に攻めるということを覚えたのではないだろうか?

 そんなことを考えると、

「俺に太刀打ちできるだろうか?」

 ということをどうしても考えてしまって、そのせいもあってか、

「俺はどこまで相手をすればいいのか?」

 と、元カレの所業を恨めしく思うのだが、逆に、

「もし、俺が元カレの立場だったら、同じことを感じていたんだろうな」

 と思うと、自分も、元カレに頭が上がらない気持ちと、

「託された」

 という思いから、責任のようなものが生まれているような気がして、それを思うと、

「どうすればいいのか?」

 とも考えるようになったのだった。

 そんな状態で、結局、別れることになった。

 それも、別れを切り出したのは、相手からだった。

「あなたの言っていることが信じられなくなった」

 ということであったが、最初は何が起こったのか分かるはずもない。

 もっとも、付き合い始めた頃は、

「何が起こっても不思議なことはない」

 と感じていたが、そのうちに、

「何が起こってもなんて考えていたのがウソのようだ」

 とばかりに、お互いの気持ちが、潤滑油を流したかのように、きれいに流れるようになっていたにも関わらず、最後には、

「もう、どうすることもできない」

 ということになるのであった。

 というのも、

「俺が言っていることが信じられない?」

 というのが、そもそも信じられない。

 それこそ、最初の頃だったら分からなくもないのに、今になって、何を言っているのだ?

 ということを考えてみると、

「俺が何を言ったというのだ?」

 ということを考え始めると、最初の頃であれば、分からなくもなかった。

「何があっても不思議のないこと」

 が、今になって襲ってくるという感覚になると、

「もう、俺たちは最後なんだ」

 という初めて、大きな壁のようなものが見えてくる気がするのだ。

 それを思うと、

「俺たちが、もうどうしようもないという状況に陥ったとすれば、それは、最初から、無理があったということなのだろうか?」

 と思えないでもない。

 最初から無理なものを、お互いに引っ張ってきたということは、だから、最初であれば、

「何が起こっても不思議はない」

 と感じるのかも知れない。

 と思うのだった。

 そんなことを考えていると、

「俺が悪かったのか?」

 とも思えてくる。

 最初から、

「無理なものは無理だ」

 ということを彼女は訴えていたのでじゃないか?

 それを必死になってなだめて、気持ちを一つにしてきたつもりだったが、実際には、

「お互いに無理を押し通してきて、相手を沼に引きずり込んできたのではないか?」

 と思うと、

「あなたの言っていることが信じられない」

 という言葉には、信憑性が感じられるのだ。

 今になれば、その時の事情も分かってきたような気がする。

 だから、

「今度誰か他の女と付き合う時は、自分を殺してでも、相手のことを考えるようにしたいものだ」

 と考えたが、それもあまりにも極端であり、間違いの下だったということを、理解していなかったのだ。


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