第4話 一目惚れの女
大学時代に、
「彼女らしい女性がいた」
と言えなくもないが、あくまでも、
「らしい人」
という程度で、
「それ以上でも、それ以下でもない」
といってもいいかも知れない。
そんな山岸が30歳くらいになった頃、好きになった女性がいた。
ちょうど転勤になって行った先だったが、彼女は25歳で、実は、一目惚れだったのだ。
今までに好きになった女性だったが、
「初めての一目惚れだった」
といってもいいだろう。
それまでは、
「自分から好きになるよりも、好きになられる方がいい」
と思っていた。
要するに、
「自分がマウントを取りたい」
と思っていたからに違いない。
どうしても、自分から好きになると、相手にマウントを取られそうな気がする。もちろん、勝手な妄想なのだが、ただ、どちらかというと、
「相手に対して」
というよりも、まわりに対して、
「あいつ、モテるじゃないか?:
ということで、モテることに対して、
「羨ましさ」
と、
「尊敬の念のようなもの」
その裏返しに、
「嫉妬」
というものが渦巻くことで、
「自分は、注目を浴びている」
と思うと、まわりに、
「多大な影響を与えている」
と感じるのだった。
それなのに、一目惚れしてしまったことで、それまでの自分が思い描いていた、
「恋愛」
というものに、微妙な違いという感覚をかんじていたのだった。
というのも、
「相手に好きになってもらおうとお思うと、こちらが、相手を意識しているということを少しでも感じさせないと、こちらを振り向いてはくれない」
もし、少しでも彼女を好きな人がいるのであれば、
「そいつにはかなわない」
ということになるのだ。
転勤していって、最初に見た彼女への第一印象は、
「どこか影がある女性」
という印象であった。
ただ、その中で、
「視線を感じる」
と思うと、気にならないわけにはいかない。
自分を見詰めるその視線に、ときめきのようなものを感じたのだとすれば、
「今まで、自分が誰も好きにならなかったことが悪いのか?」
あるいは、
「人を好きになれなかった」
ということなのか?
と考えるようになるのだった。
「女性から好かれたい」
と思っているのに、
「何が悪い」
というのか?
それは、彼女に、
「影がある」
と感じたことで、
「自分に彼女の好きになってくれるという責任を負うことができるだろうか?」
と感じたからかも知れない。
そう思うと、
「相手に好かれたから好きになる」
というのは、
「自分を好きになってくれた」
ということの責任を取ることになる。
と考えると、
「こっちが好きになる方が気楽なのかも知れない」
と感じた。
確かに、彼女がこちらを気にしてくれたのは、
「俺の方が好きになったからではないか?」
と思うと、自分を納得させることができる。
だから、最初に告白したのも、山岸の方であったし、相手も、どうやら待っていたような気がする。
「女性って、自分を好きになってくれたことへの、相手に対して、責任のようなものを感じないのだろうか?」
と思った。
これは何も、
「女性だから」
ということではなく、ただ、山岸自身が感じていることであって、それ以上でもそれ以下でもないと思うと、
「好きになられたから好きになる」
ということに後ろめたさのようなものを感じるなど、
「さらさらない」
といってもいいかも知れない。
付き合い始めるきっかけになったのは、社員旅行だった。
もうその頃は結構な会社で、社員旅行というのはなくなっていて、山岸の会社でも、その2年後くらいにはなくなったのだが、その最後ともいっていいくらいのもので、それほど遠くではなかったが、それでも、温泉に、おいしい料理に、酒と、慰安旅行という意味では、よかったのではないだろうか?
すでに、彼女の方でも、
「こちらを意識している」
ということが分かっているという感覚だった。
「おいしい料理に舌鼓」
というと、さらにそこに酒が入ると、どうしても無礼講になったりする。
そうなると、女性社員は、今では考えられないことかも知れないが、まるで、
「ホステス扱い」
ということになり、
「上司の席をまわりながら、酌をしないといけない」
などという、今でいえば、
「パワハラ」
さらに、
「セクハラ」
といっても仕方がない状態になるといっても過言ではないであろう。
そんな状態において、山岸は、絶えず彼女のそばにいて、
「この俺が守ってやろう」
とばかりに、
「ナイト」
の気分だったのだ。
彼女もそんな山岸の気持ちを分かっているのか、その状態で、酔っぱらっているのかいないのか、見るからに、しなだれているかのように見えた。
「かわいい」
とすぐに感じた。
電流が走った」
といっても、過言ではないだろう。
少しずつ、浴衣がはだけた様子が見えていた。
「ゴクッ」
と、思わず生唾を飲み込んだ。
あまり飲んでいないが、酔いが一気に回ってきた気がした。
「これはヤバイ」
あまり酒には強い方ではないと自覚をしている山岸は、酒に酔っているわけではなく、彼女に酔ってしまった。
甘い香水の香りの、ほんのりと酔いが回っている彼女の身体から、少し、酸っぱい臭いがする。
基本的に、酸っぱい臭いは苦手だったが、その臭いを感じたその時、自分の鼻が敏感になったかのようで、
「鼻が詰まっているはずなのに」
と、酒が少しでも入ると、鼻の通りが悪くなることを分かっていながら、感じてくる匂いに、悪い気はしなかった。
「酸っぱい臭いと、甘い匂いが、混ざり合っている」
というのを感じると、
「酔っていないと思っていた自分が、酔ってしまった」
と感じたのだ。
「しまった。酔うはずではなかったのに」
と、ここで酔ってしまうと、自分が、不利になるということを分かったのだろう。
「しょうがない、酔いを醒まさないと」
と思い、彼女に、
「トイレに行ってくる」
と告げて、まずはトイレに行き、その後、夜風にあたりに、一旦、宿の表に出たのだった。
表は誰もおらず、ひときわ明るい部屋から、笑い声が聞こえる。さっきまでいた部屋からだった。
「さて、これで酔いは冷めるかな?」
と、ベンチに座って、夜風に当たっていると、その夜風が、無性に気持ちいいではないか。
すると、玄関から、誰か小柄な女性がこちらに向かって歩いてくるのが見えた。
「山岸さん」
といって寄ってくるではないか。
正直。第一印象は、
「ただの驚き」
だったのだが、次の瞬間には、
「喜び一色」
に変わり、
「喜び」
がいつの間にか、
「悦び」
に変わっていたのだ。
「喜び」
というと、気持ちの上で、うきうきしてきたりすることなのだろうが、
「悦び」
になると、気持ちよりも身体が感応するということで、
「ドキドキ」
に近いのかも知れない。
酔い覚ましのために表に出てきたのに、また先ほどのもたれかかってくる身体の暖かさを思い出し、さらに、ドキドキが増してくるのだった。
「つかささん、どうしたですか?」
苗字は、
「安藤」
という名前であったが、その時にはすでに、
「つかささん」
と呼ぶようになっていた。
というのは、事務員の人は皆、敬意を表し手、
「つかささん」
と呼んでいたことと、彼女の方から、
「年齢も近いし」
ということで、
「つかささん」
と会社で呼ぶことをまわりからの公認としても許されていた。
しかし、社員旅行で、二人きりになって、口にすると、どうにも恥ずかしい。
思わず、顔がほてってくるのを感じると、手で押さえてみたり、それだけでは気が済まず、顔を叩いて、ごまかそうとしているのであった。
「山岸さんは、私のことを気にしてくれているでしょう?」
と言われ、いきなり核心を突かれたことに、ビックリしていると、
「そういえば、彼女のことで、聴いたウワサがあった」
というのを思い出したのだった。
それは、転勤してから、一週間くらい経った時のことだった。
ちょうど、昼休みに、パートのおばさんたちと一緒に食事することになった。
その時間ちょうど、事務員は、昼過ぎの一番忙しい時間であり、山岸は、午前の営業からちょうど帰ってきていた。
他の営業の人は、表で食べてくる人が多いので、事務所でコンビニ弁当というのは、彼くらいだった。
昼休みの時間ともなると、パートのおばさんの時間がほとんどだった。
事務員さんは、もっと遅い時間になるのは、会社のシステムの関係上、
「仕方のないこと」
ということだったのだ。
それは、他の支店でも経験したことで、大体事務員は、
「午後二時過ぎくらい」
というのが普通だった。
その日、ちょうど一緒になったパートのおばさんたちから、
「山岸君は、安藤さんのこと、好きなんだろう?」
といきなり言われた。
そう、この土地の人は、思ったことをすぐに口にしないと気が済まないタイプなのだろう。
つかさにいきなり核心を突かれた時に感じたのだった。
だが、その時のおばさんたちは、
「いいことじゃない。おばさんたちが応援してあげよう」
と、相当前のめりともいうべき状況になっていた。
だが、そのうちに一人が、
「山岸君には言っておいた方がいいかも?」
と一人が言い出すと、急にその場が少し重苦しい空気に包まれた。
これが、知り合って半年以上くらいの相手であれば、
「どうしたんですか?」
と気軽に聞けるのだが、まだ数日くらいしか経っていないので、すぐに聞けるというわけにもいかなかった。
黙っていると、おばさんたちの間で、
「どうすればいいか」
という、
「評定」
が始まった。
「結論が出ない会議を、果てしなく行う」
ということを、戦国時代に、秀吉が、小田原征伐の時に、小田原城に籠城した、
「後北条氏の家臣たち」
が行った会議のことを表して、
「小田原評定」
というのだそうだが、それを聴くと、
「まるで小田原評定のようだ」
と思ったが、実際の結論は、すぐに出たのだった。
「とりあえず、耳に入れておいた方がいいいということなので、もしショックを感じたくないということだったり、自分で彼女に直接聞きたいというころであったら、言ってくれれば、私たちは何も言わない」
ということであった。
どうやら、おばさんたちは、山岸に、
「その結論をゆだねる」
ということにしたのだった。
「いや、今聴いておきましょう」
と思ったのは、
「彼女に聞く勇気はない」
ということと、何よりも、
「すぐに知りたい」
と感じたことであり、その理由のどちらも、
「男としては、どうなのだろう?」
と感じることであった。
だが、
「聞いておかないと、実際に話をした時、何かがあったということだけを聴いてしまった中途半端な状態であれば、何を話していいのか、分からなくなる」
ということであった。
そう思って、自分のその顔を見た時、おばさんたちは、
「ええ、分かりました。お話しましょう」
ということで、お互いに、
「覚悟」
というものが決まったのであった。
おばさんたちは話始めた。
「実は、彼女、前にお付き合いをしていた人がいてね」
ということであった。
「なるほど、それくらいなら、分かる気がする」
と思った。そして次の言葉が、
「その相手というのは、この間までこの支店にいた人でね、結局転勤で、他の土地に行ったんだよ」
ということであった。
それを聴くと、何となく流れが分かった気がした。
皆にも分かるような社内恋愛をしていて、
「何かの原因でうまくいかなくなり、ひょっとすると、会社の人に迷惑を掛けたか何かして、転勤になった」
ということなのではなかっただろうか?
それを考えると、
「なるほど、つかさに影があるというように感じたのも、無理のないことだったのかも知れないな」
と感じた。
さらに、いろいろ妄想もしてみた。
「そっか、彼女は、恋愛をするのが下手なのかも知れないな」
とも思ったが、その男性のことも気になっていた。
お互いに不器用だけど、純粋な愛を育んでいたのだとすると、
「その男に、無性な嫉妬心を抱いたとしても、それは無理もないことである」
と思えてならないのだった。
「その人、どんな人だったんですか?」
と聞くと、
「真面目な人だったけど、真面目過ぎたのか、仕事と彼女の間で何か悩んでいたんじゃないかしらね」
ということだった。
「ああ、だから彼女は、そういう人を好きになったんだ」
と思うと、
「俺は、彼女にとって、どんな風に写っているんだろうか?」
と感じた。
ただ、その男性のことを直接知らないし、おばさんたちに聴いてもいいが、あくまでも、まわりから見ていた先入観だったりする。
それを思えば、
「余計なことを聴かない方がいいだろう」
と思っていたが、
「あの人、山岸君に、似ているところがあるわ」
と言い出したのだから、もう、聴かないわけにはいかなくなった。
完全に、前のめりになってしまい、聴く体勢が整ったといってもいいだろう。
「似ていたというと?」
と探りを入れるように訊ねたが、
「ハッキリとは分からないけど、全体的にそう感じるのよ」
あくまでも抽象的な答えだった。
そんな話を聴いたうえでの、つかさとの、
「二人きりの時間」
ということだったので、つかさに、今までの話を聴いたということを話しておいた方がいいのかどうか、普通であれば、思案することだろう。
しかし、山岸は、
「考える以前の問題」
だったのだ。
彼の性格からいけば、
「清廉潔白」
と言えばいいのか、
「隠し事は嫌いだ」
という性格の人間であり、隠し事をするくらいなら、
「最初から話を聴かない」
と思う方だった、
だが、
「清廉潔白だというのであれば、最初から聞かないのが正論ではないか?」
と聞かれるであろう、
しかし、聴いておきたかったのは、間違いのないことで、その理由は、
「話をしていいかどうかというような話があることをほのめかされていて、それを聴かないというのも、却って失礼な気がする」
というものだった。
これは、完全に
「山岸側の勝手な理由だ」
と言われればそれまでなのだが、そうなれば、自分が、つかさという女性に、どこまでお勘定を持っているかということい掛かってくる。
もう絶対に離したくないと思うのであれば、最初から、まったく聞かない方を選ぶだろう。
「話は、本人から聞く」
という考えで、そこまで真剣だということだ。
しかし、それ以外であれば、
「話を聴こう」
と思うだろう。
思ったその時の感覚で、
「どうでもいい相手」
と思うのであれば、最初から深入りしないように自分から、縁を切るという感覚になるだろう。
しかし、つかさい関しては、そこまではなかった。
むしろ、
「彼女の口からも弁明が聴きたい」
と思ったからで、その時、自分と性格的に合うのかどうかということを考えたところで、この先をそうするか、考えることにするであろう。
自分の中で、
「本当に好きでたまらない女」
あるいは、
「どうでもいい女」
それ以外の女性を考えるとすると、ほとんど、9割5分くらいまでにはなるだろう。
じゃあ、
「後はどっちが多いのか?」
と聞かれると、
「どうでもいい女」
の方が多いような気がする。
そんな女に限って、自分の方では、そんな女だということに気付かずに、結果としては騙されるということになるのではないか?」
と思うのだ。
「俺のことを騙す女」
そんな女も、今までには、何人もいたのだった。
騙すといってもいろいろある。
「親切心を踏みにじる」
「浮気をしていて、正当性を訴える」
「こちらを金ずるにする女」
といろいろであった。
つかさが、自分のところまで来てくれた時、
「つかささんは、誰かと以前お付き合いをされていたんですか?」
と聞くと、さすがに一瞬ビクッとしたつかさだったが、それを見て、山岸は少し嬉しかった。
「核心を突く質問で、相手が動揺してくれたということは、脈があるということだ」
ということであったが、次の瞬間には、別の意味で、少しビビったのだ。
「そのお話、誰かから聞かれたんですか?」
と聞いてくる。
この質問は、
「案の定」
ということであり、最初から分かっていたことだった。
その時に、
「ああ、聴いたよ」
と答えるのは、自分の中で確定したことだった。
「誰に聞いたの?」
と聞いてきたので、
「それは言えない」
と答えると、ちょっとションとしていたが、これも、分かってのことだろう。
しかし、相手としても、誰からの情報かということで、支店内の勢力分布が分かっているのであれば、対応の使用があるということであろう。と言えばいいのか、そのあたりも、計算するのが普通だろう。
「もうすでに駆け引きは始まっている」
と言ってもいいのだが、だからと言って、
「露骨に攻めるということはできるはずがない」
と言えるだろう。
彼女は結局は、意を決しなければいけない。
山岸が考えることとすれば、
「彼女は、正直に話すしかないはずだ」
と思った。
というのも、
「ここで、変な小細工をしても、すぐにバレることである」
ということだ。
その人の心情は別にして、事実関係だけは、
「動かしがたい事実なのだ」
ということである。
彼女は意を決したのか、話始めた。
「私が、入社して5年目目くらいのことだったかしら?」
という。
彼女は確か高卒で入社してきたのだから、入社年齢を18歳とすると、その5年後というと、23歳ということになる。
となると、その男とずっと付き合っていたのだとすると、
「4、5年の付き合い」
という計算になるだろう。
「この年数というと、結構なものではないか?」
と考えた。
彼女もおらずに、一人で過ごす期間と、彼女がいて、
「波乱万丈」
あるいは。
「ラブラブな期間」
どちらにしても、時間的にはかなり違っていたことだろう。
それに、おばさんたちの話を聴いている中江は、
「波乱万丈」
と言った方がよさそうだ。
と感じていた。
「だから、俺だったら、結構長かったような気がするのではないか?」
と、勝手に想像したのだった。
「別れたのが去年だというから、それからの数か月は、かなりの精神状態だっただろう。今でもまだしこりは残っているはずだ」
と感じていた。
「どこまで聞いたの?」
とつかさは聴くので、
「同じ会社の営業の人で、結局ごちゃごちゃあって、結局別れてしまい、彼は、別の支店に転勤になったと聞きました」
というと、
「そう」
と短く言って、つかさは、少し黙りこんでしまった。
何かを考えているのだろうが、それは、
「話を聴いたところまでを、思い出している」
というのか、
「その後の展開をどのように話せばいいのか?」
ということになるのか、正直、次に出てくる言葉の想像がつかなかった。
「そう。そこまで聞いたのね。ええ、その通りよ。私は前にここにいた人と4年くらいお付き合いをしていて、結婚しようとしていた。私たち、お互いに母子家庭だったから、そのあたりが、気が合ったのかも知れないわね。社内恋愛で皆私たちが付き合っているのを知っていたので、気を遣ってくれているようだったけど、結局、別れてしまったことで、彼との間もギクシャクして、よく言えば会社側が転勤させてくれたというのが、表から見た経緯になるわね」
とつかさは言った。
「表から見たということは、当事者では違ったと?」
と聞くと、
「そりゃあ、そうよね。自分たちの感情は、まわりの人に分かるわけもないし、人は、他人事ともなると、面白おかしく見るものよ。だから、自分のことを助けてくれているなんて思っていると、下手をすると、足元をすくわれるのよ」
というではないか。
なるほど、それだけ、まわりの状況三見えているということであろうか?
そんなことを考えてみると、
「じゃあ、実際には違っていたと?」
と、聴くと、
「まあ、大まかには、その通りだったんだけど。でも、人の感情なんてわからないわよね。その時に、誰が何を考えるかということが多くな問題だったいするからね」
というではないか・
「そうなんですね」
と聞くと、
「ええ、その時に感じたこと、しばらく経って、冷静になって考えることと、その時々でも違うし、冷静にならなければ、気付かない。分からないということだってあるのよね。私は、今回そのことを学んだって気がしたわ」
とつかさは言った。
山岸は、そこまで学んだという気はしなかった。どちらかというと、つかさの話を聴いて、
「本当にそうなんだろうか?」
という半信半疑であったが、相手が経験をしているつかさだということで、納得がいったのだ。
「やはり、経験者にはかなわない」
という思いが強かったのだ。
彼女がこちらのことを考えて話してくれるのかは分からない。
しかし、さすがに、山岸が彼女に惚れているから、余計に彼女のことを知りたいのだということくらいは分かっているだろう。それでいて、どのような返事をするか? ということが問題となるのだ。
「彼はね。本当に優しい人だったんだけど、それが災いしたのね。特に、会社の皆に分かってしまっていたということもあって、かなり、好奇な目で見られた。しかも、揉めた時どっちが悪いか分からないという時には、ほとんどの場合、女性を擁護するでしょう? そうなると、彼は一人宙に浮いてしまう形になるの。そうなるとみじめなもので、それを見ていて、私も頼りないと思ってしまったことで、彼はさらに孤立してしまった。それでも孤軍奮闘してくれたんだけど、結局ダメだったのね」
という。
「彼は、そんなに優しかったんだ……」
と、山岸が呟くと、
「そうね。優しかったわね」
とつかさがいうので、山岸は、
「ドキッ」
としてしまった。
「こんなにも、ドキッとした気持ちになるなんて」
という思いと、
「俺の気持ちを分かってくれていないのかな?」
と、いうつかさに対しての想いとが頭の中を交錯し、複雑な構図を描いているのであった。
「でも、山岸さんは山岸さんだから」
と言って、少ししてから、フォローしてくれたことで、それまでの寂しさは吹っ飛んだ気がした。
「つかささんは、まだ、その人のことを?」
と、核心になることをいきなり聞いてしまい、聴いた後で、
「さすがにまずかったか?」
と思ったが、
「うん、心に引っかかっているけど、もうどうしようもないのよ」
というではないか?
その言葉には、今までにない思いが込められているような気がして、意味深な雰囲気からか、彼女を覗き込むと、彼女も分かっているようで、
「ああ、そうなの。もう二度と、彼のことを思っても、絶対に元に戻らないの」
と言って、微笑んでいる。
その顔は、引きつっていなかった。きっと、自分の中で覚悟ができたということが分かったと言ってもいいだろう。
すると、少しの沈黙の後、つかさは、神妙になって。
「実は、彼。もうこの世の人ではないの」
というではないか?
「えっ」
あまりのことにビックリしてしまった。
すると、つかさは、山岸の顔を見ることなく、正面を見詰めている。
「葬儀に行ったんだけど、私は、その時、涙も出なかったわ。だって、彼が転勤になる前に、散々泣いたんですもの。目が腫れ上がるくらいに泣いたの。だから、もう彼のために流す涙なんて、これっぽっちも残っていなかったのよ。でもね、本当に寂しかったのは間違いないの。だから、もう、彼のための涙はないの。でも正直悔しかった。最後くらい、もっと流せる涙があってもよかったんじゃないかって思ってね」
というのだった。
彼女の心境が、その時どれだけ、複雑なものだったのかということを思い知った気がした。
「こんなに、深い思いが渦巻いていたなんて」
と、山岸は思った。
確かに、以前付き合っている人がいたというだけでも、ショックだったのに、まさか、その人が死んでいて、彼女の心境がここまで、複雑だったとは思ってもみなかった。
しかし、そのおかげというのか、山岸の中で、彼女への思いが再燃した気がした。
くすぶっていた青い炎が、青いまま燃えがっているような気がして、それが自分であり、
「静かに燃える」
という感覚を味わっていたのだ。
「熱くはないが、痛いと感じる」
まさに、そんな心境だったといってもいいだろう。
「つかさにとっての想いが、自分に乗り移ったのではないか?」
と、山岸は考えた。
「手が届くところにいる」
と感じただけ、まだマシだったのかも知れない。
それから二人は付き合うようになったのだが、毎日のように、喧嘩だったり、言い争いがあったりして、まったく落ち着かなかった。
しかし、最後には、いつもつかさが折れてくれる。そうなると、二人の間の情熱は、再燃するのであって、
「これこそが、俺たちの付き合い方なんだろうな」
と山岸は感じるのであった。
「そうね。これが私たちよね」
と言って、お互いが助け合う形だった。
それでも、なかなか、つかさの気持ちの中に入り込むことができない。
「どこかに結界のようなものがあるに違いない」
と思うのだが。その原因というのが、
「元カレの、死因」
だったのだ。
そう、彼は自殺であり、原因は分からなかったが、つかさが何か彼に言いたかったことがあったようで、それを永遠に言えなくなってしまったことで、そのことが彼女に軽い記憶喪失を起こさせ、
「病んでしまった」
と言ってもいいだろう。
その後の二人は、まるで、絵に描いたようなシナリオが待っていた。そう、つかさにとっては、
「完全にデジャブだわ」
と思っていたことだろう。
つかさからすれば、唯一違っていたのは、
「山岸が死ななかった」
ということと、元カレの時のように、
「何か言いたいこと」
というのが、なかったからであろうか。
ただ、ここまで、自分がボロボロになるまで引っ張るとは思わなかった。
「これも、俺が一目惚れしちゃったからなのかな?」
という思いが強かった。
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