子供の神隠し事件〜回想〜

第5話 王女からの手紙


 三年前---。


 ダレンは、今は自身の家となっているアパートの一室を借りて一人暮らしをしていた。

 今と変わらない位置にリクライニングチェアがあり、そこでのんびりと寛いでいると、当時はまだ出来たばかりで少なかった車が、アパートの前に止まった。

 だいたいの貴族や平民は、いまだに馬車が主流であり、車なんぞ高級な代物に乗るのは、上位貴族の人間、ないしは金持ちの商人くらいしかいない。

 この国の車の種類は二種あり、ドアや屋根が無いもの、そしてドアや屋根が付いたもの。

 通常、ドアや屋根が無い車が多く、ドアや屋根が付いた物は、ほんの数台しか出回っていない高級車だ。走っているとすれば、それは【貸出車かしだしくるま】と呼ばれており、国が管理する車が殆んどだ。馬車と違い、運賃は些か高い。それもあって、貸出車も上流階級の人間が乗ることが多いのだ。

 下に止まった車はドアがあるタイプだ。

 ダレンは自分の来客であるとすれば、自分が知る限りこんな乗り物に乗って来るのは、一人しか居ない、と思った。


 案の定、訪ねて来たのはキャロルであった。

 キャロルは、送り主の名が書かれていない一通の手紙をダレンに手渡し、さっさと二階の部屋へ向かって行った。


 あの封筒に纏わり付いた香水の匂いを思い出したく無くても、当時の記憶と共に蘇ってくる。


 手紙の主は、この国の第三王女陛下からの依頼であった。



♢♢



「それで? 王女様は、なんて?」


 キャロルがキッチンでコーヒーを淹れながら訊ねた。

 アーサー経由で入って来た今回の依頼主は、この国の第三王女だ。去年、依頼を受けて以来、何かあればダレンに話を持ち掛けて来るが、その多くがダレン自身にも危険が及びかねない厄介な物ばかりだ。


「僕にもコーヒーを淹れてくれ」

「自分で淹れなさいよ」

「僕のキッチンを許可なく勝手に使っているんだ。しかも、僕がお気に入りのコーヒー豆を使って。そして今、冷蔵庫の中に入っているチョコレートすら、こっそり食べようとしているだろ?」


 キャロルは開けようとした冷蔵庫の取手から手を離す。コーヒーを淹れている最中、冷蔵庫の前にあるゴミ箱の中に、ビリビリに破かれた高級チョコレート店の包装紙が目に入り、冷蔵庫にチョコレートがあると気が付いて開けようとしたのだ。

 キッチンからチラリと顔を出し、ダレンを見る。が、ダレンはリクライニングチェアに身体を預け、手紙に視線を落としている。まるでキャロルの行動を見ているかの様にスラスラと言い当てたが、全くこちらに目を向けている様子は無い。


 キャロルは小さく「……分かったわよ」と言うと、イーとムキ顔を一つし、コーヒーカップを二客出した。


 コーヒーを淹れてリビングへ戻って来たキャロルは、テーブルに盆を置いてダレン用のコーヒーカップを手に取る。


「はい、どうぞ」

「ありがとう」


 キャロルは淹れたてのコーヒーをソーサーを付けて渡したが、ダレンは目を向ける事なくカップだけを持ってコーヒーを飲んだ。


(コイツは……)


 キャロルはグッと文句を堪えて、残されたソーサーをテーブルの上に置くと、自分も椅子に腰掛け、コーヒーを口に含む。香り豊かで深いコクがある味に、思わずホッと吐息が漏れる。

 キャロルがコーヒーを自分で淹れる様になったのは、ダレンがこの家に暮らし始めてからだ。それまでは、キッチンに入った事すら無かったが、ダレンが自分で食事の支度をしているのを見て、何だか負けた気がしたのだ。

 キャロルはコーヒーの美味しい淹れ方を学び、ダレンに初めて飲ませた時、「旨い」と言われて心の中で歓喜の声を上げたほど嬉しかった。

 コーヒーを飲みながら、その時の事を思い出して小さく笑う。

 コーヒーの良い香りに、これにチョコレートを合わせて食べたら、絶対に美味しい筈だと思いながら、もう一口飲むと、ダレンが漸く顔を上げた。

 静かに立ち上がり、キッチンへ向かうと直ぐに戻って来た。その手にはチョコレートの箱を持っている。


「どうぞ、

「どうも、ありがとうございますっ!」


 キャロルはフンと鼻を鳴らしチョコレートを一粒口に入れた。

 キャロルは「叔母様」と呼ばれるのが嫌いだ。たいして年齢の差があるわけでも無い者同士なのだから、当然とも言えよう。ダレンはニヤリと意地悪く口角を持ち上げ、自分もチョコレートを一粒摘み口に放り込むと、その箱をキャロルの前のテーブルへそっと置いた。

 キャロルはチラリとダレンを見上げる。

 ダレンは意地悪をしたかと思えば、何て事ない顔をしつつ、さりげない優しさを見せるのだ。

 キャロルは小さく笑みを浮かべ、チョコレートをもう一粒摘む。実は、このチョコレート店は、キャロルのお気に入りなのだ。


「今日は、随分とご機嫌だな」

「……何故そう思うのよ」


 今さっきまで誰かさんのお陰で、ちょっと気分が削がれてたけどね、と心の中で悪態を吐きつつ訊ねる。


「まぁ、強いて言えば、そのボンネットかな」


 と、テーブルの上に置かれたキャロルが被ってきたボンネットにチラリと視線を送る。

 これは、昨晩、夫からプレゼントされた物だ。ついでに言えば、今着ているデイドレスも。

 普段は誕生日や記念日には無頓着な夫が、昨夜は結婚記念十周年だと覚えており、サプライズでプレゼントをしてくれたのだ。

 普段は、そんな気の利く夫では無い為、記念日である事も敢えて何も言わずにいたのに。

 キャロルは嬉しくなって、早速、今日から着ている。


「結婚十周年だって、覚えててくれたのよ! あのアーサーが!」

「そりゃあ、おめでとう」

「心の籠ってないおめでとうを、ありがとう」

「いやぁ、心底めでたいと思っているさ」

「あら、それは失礼?」


 キャロルが戯けて言えばダレンは鼻で笑った。


「それで? 依頼は何て?」


 キャロルの問いにダレンは唸りながら手紙をよこす。読んでも良いという事だ。

 キャロルは手に取り、ザッと目を通す。暫くしてから、難しい顔をダレンに向けた。


「王女様が出資している、あの教会で、って事よね?」

「そうだな」

「王族が関わって出資もしている、しかも当然、慰問にも行くというのに、こんな大それた事するかしら?」

「灯台下暗し、というからね。やる奴はやるだろう」


 ダレンは軽く両手を上げ、ヒラヒラとさせる。


「これが本当に教会が関係しているとなると、王族も加担してると思われる可能性はあるな」

「なんて事を……」

「だからこそ、僕にこの話を持って来たんだろう」


 ダレンの感情のこもっていない言葉が、余計に現実味を持たせる。


「どうする? 受けるの?」


 キャロルはそう言うが、その顔は「受けるに決まってるわよね?」と言わんばかりに目を見開き、ダレンの顔を覗き込む。

 ダレンは半目でキャロルを一瞥すると、本日三回目の溜息を吐いた。


「あの人は、なんで僕にこんな厄介な依頼ばかりするのかねぇ……」

「あの人だなんて……不敬よ」


 キャロルが咎めれば、ダレンは口角を下げて軽く手を上げる。


「そりゃ、貴方が王女様の申し出を袖にしたからに決まってるでしょ」

「…………」


 王女殿下の申し出。

 それは、ダレンの爵位にも関係している。


 ダレンが初めて王女殿下の依頼を受け、王族のスキャンダルを揉み消した際、高位の爵位を与えられそうになっていた。

 理由は、単にダレンに恋した王女殿下が、職権濫用でダレンに高位の爵位を与え、王女殿下が臣下する方向で話が進みそうになっていたのだ。

 つまり平たく言えば、王女殿下はダレンに結婚を申し込んで、それをダレンは「子爵以上の爵位は要らない」と言い、暗に断ったのだ。

 王族が嫁入りするには、伯爵以上の爵位で無ければならない。ダレンは、それを回避する為、自分の年齢を盾に「若過ぎるから」と言えば、王女殿下の暴走に困り果てていた周りもそれに乗って、子爵に落ち着いたのだった。


 ダレンは、その時の事を思い出しているのか、死んだ目をしてくうを見つめている。


「ダレ〜ン? 大丈夫?」


 キャロルがダレンの目の前で手のひらを振ると、ハッと気を取り戻したダレンは、身震いを一つし、キャロルを半目で睨み付ける。


「余計な事を思い出させるな」

「なんでって言うから、答えただけですけども? それで? どうする? 断る?」


 再度、訊ねるキャロルの問いに、ダレンは渋い顔をしながら手紙に視線を落とした。


 王女殿下の依頼は、最近、ダレンも気にしていた内容でもあったからだ。

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