第2話 アワーズ一家からの依頼


 リビングにある大きなダイニングテーブルに着席した一同に、ダレンは自ら淹れたコーヒーと、そして少女の前にはホットココアを置き、ゆっくり椅子に腰掛けた。


 先程から「ダレン」と呼ばれているこの男の名は、ダレン・オスカー。二十五歳。


 この国では、まだ珍しい【探偵】を生業としている男だ。


 元々は侯爵家の次男だが、王家のある出来事を内々に解決させた事により、二十一歳の頃に子爵を叙爵されている。

 が、訳あって表向きは父親の持っていた爵位を襲爵された事になっているが、しかし。領地があるわけではない名ばかりの子爵である。

 本人もそこに拘りは無く、公の場でも貴族達の間では「侯爵家の人間」という印象が強く、子爵である事はいつの間か忘れ去られ、今ではあまり広く知られてはいない。


 ダレンは金色の癖のない髪に、海の底の様に深い碧の瞳を持っている眉目秀麗な男だ。その年齢不詳な美しさは、老若男女問わず見惚れる容姿で、長身痩躯で落ち着いた佇まいは、どんなに服を着崩していても、育ちの良さを隠しきれていない。


 本来ならば、アパートなんぞに住む様な立場では無いにも関わらず、護衛騎士も付き人も使用人すらも居ない、何もないこのアパートに数年間一人で暮らし、最近ではそのアパートを全室丸ごと買取、改装して弟子と共に二人で暮らしいてる。

 貴族社会はダレンが子供の頃に比べ、勢力の衰え見え始めている。そう遠くない未来には中産階級が大きくなり、近い将来、爵位等は消えてなくなるだろうとダレンは思っている。だからこそ、ダレンは爵位に拘りが無い。

 だが、彼の仕事には【爵位】は重要なアイテムだ。

 何故なら、彼は誰の依頼でも受け入れるわけでは無い。上流階級の【貴族】達のみを相手に探偵業を行っているからだ。


 ダレンは、目の前に座る大人の女を真っ直ぐに見つめた。


「ダレン、さっそく依頼の話しだけど」と、女が言うと、ダレンはサッと片手を上げ制す。


 改装して、真新しい建物の香りがするダレンの家。

 そのリビングに漂うコーヒーの芳ばしい香りの中、ダレンは女の言葉を制したその手を、自分のカップに伸ばす。


「家族総出で押し掛けて『依頼だ』というからには、ここに居る全員が聞いていい話しだ、という事だな? キャロル」


 ダレンがクイっとコーヒーを一口飲むと、キャロルと呼ばれた女が「もちろん!」と大きく頷く。


 このキャロルという女は、ダレンの元助手であった。

 キャロル・アワーズ。伯爵家の若夫人。

 現在、三十一歳でダレンとは七歳差だが、彼と同い年と言われても、誰も疑わないであろう若さだ。陶器の様に白く滑らかな肌、少し垂れ目の大きな緑色の瞳が、年齢よりも若く見せるのであろう。

 そんな彼女、実はダレンの叔母でもある。たった七歳差である事もあり、ダレンから『叔母さま』と呼ばれる事を嫌がっている。


「今回の依頼は、私達アワーズ伯爵家からの依頼よ。だから、全員いて大丈夫」


 キャロルは隣に座る少女と夫に微笑む。


「アワーズ伯爵家からの依頼? 一体、どんな依頼だ」


 キャロルの言葉にダレンは僅かに眉をひそめ訊ねると、少女の隣に座っている男が口を開いた。


「リアの護衛を頼みたい」と、少女の肩を抱きながら言った。


「護衛?」

「ああ」


 男の名はアーサー・アワーズ。時期伯爵で、キャロルの夫である。

 王宮で文官として勤めており、王宮内で悩める相談者にダレンを紹介するという協力をしている。

 貴族間には、警察沙汰にしたく無いこと、表沙汰にしたくない出来事は、絶え間無く溢れている。王宮で働いていれば、そんな話しは嫌でも耳に入って来るのだ。アーサーは、相談者に対して悩みに寄り添うように話を聞き出し、【探偵】を紹介する。

 長身で文官の割に体格の良いアーサーは、黒髪に水色の瞳を持つ容貌魁偉な男だ。学生時代にキャロルの一目惚れから始まり、今ではキャロルを溺愛している。だが、記念日には無頓着で、よく記念日を忘れてはキャロルに怒られており、その怒りの矛先がダレンに何故か飛び火することもある。そのため、ここ数年は記念日が近くなるとダレンがアーサーに耳打ちする様になったため、ダレンはアーサーよりも二人の記念日に詳しくなった。


 アーサーは嬉しそうに顔を綻ばせ、護衛を頼む理由を簡潔に説明をした。


「実は、今度の【春の祝福】でリアが推薦枠で【春の女神】候補に選ばれたんだ」


 【春の祝福】とは、この国の伝統的祭りである。

 無事に春を迎えられた喜びを、そして無事に農業の始まりを迎えられる事を女神に感謝をし、五穀豊穣を願う祭りだ。

 【春の女神】とは、その祭りの主役でもある【五穀豊穣の女神】に扮した妙齢の女性が、祭りの最終日に舞台で踊りを披露するのだ。女神役は、毎年、祭りの実行委員会から募集がなされ、立候補や推薦等で集まった中から、候補者が選出される。

 候補者が発表されると、祭りが始まる十日前に国民投票がされ、その三日後、投票率一位の女性がその年の女神として選ばれるという仕組みだ。


「フィーリアが? だが、【春の女神】は、毎年、十六歳から十八歳の少女が選ばれていなかったか? フィーリアはまだ十三歳だろ」と、ダレンが言えば、ダレンの隣に座る青年が口を開く。


「フィーリア、そもそもダンスは大丈夫なのか?」

「失礼ね! 私だって、ダンスくらい踊れるわよ」

「でも、オレとダンスの練習をする時は、リズムが少しずつ、ずれていくじゃないか」

「ちょっ、何を言っているのよ! エリック! しぃー!!」


 慌てる少女を揶揄いながら声を上げて笑う、この青年。

 エリック・レイカー、十八歳。

 元孤児で、三年前に【子供の神隠し】という誘拐事件に巻き込まれ、ダレンに助けられて以来、ダレンの助手であり弟子として共に行動をしている。この家の一階に住む住人でもある。

 赤茶色の癖のある髪に、薄茶色の瞳は人懐っこい印象を与える好青年だ。

 三年前の事件後、エリックの父親をダレンが見つけ出して来た。それまで、「ただのエリック」だった少年は、実は伯爵家の隠し子であった事が分かった。ダレンがどの様にレイカー伯爵と交渉したのかエリックは知らないが、「ただのエリック」に、その日から「レイカー」という苗字がついた。孤児院から引き取ってくれたダレンに並々ならぬ恩があり、心から師匠として慕っている。

 アワーズ伯爵家には、貴族としての勉強をするため出入りをしていて、フィーリアと共に勉学に励み、彼女の事を本当の妹のように可愛がっている。


 そして先程から話題に上がっている少女。

 フィーリア・アワーズ、十三歳。


 エリック同様に、三年前に起きた【子供の神隠し事件】で誘拐された事をきっかけに、ダレン達と知り合い、孤児院からアワーズ伯爵家に養女として引き取られた。

 真っ直ぐな黒髪はアーサーによく似ており、金色が混ざった緑色の瞳はキャロルによく似ている美少女だ。あまりに二人とよく似ているせいか、養女だと公にしているにも関わらず、何故か二人の実子だという噂が一人歩きして、それが本当の事のように広がっている。

 色白で年齢よりも少し大人びて見えるフィーリアは、まだ社交デビューもしていない内から求婚が絶えない。


 そんな彼女には、秘密がひとつ。


 この国には、魔法も妖精も存在しない。もちろん、魔法使いも。


 だが、この美少女。

 実は、魔法を使える。


 彼女は元々、レイルスロー王国とは別の国の出身で、その国にはまだ魔法が存在しているという。彼女は、その国で聖女候補だったのだが、髪の色と瞳の色が原因で殺されかけ、国から逃げ出して来たという経緯がある。

 彼女が、この魔法も妖精も存在しないレイルスロー王国に来てから使える魔法は、ひとつだけ。


 治癒魔法。


 その事実は、この部屋にいる人間と、もう一人。ここには登場していないが、今し方、車の中で待機中の、アワーズ伯爵家お抱え運転手のウィリスのみが知っている、内緒の話。

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