二章『手がかりを求めて』~第一話 研究者~
小さな村で一夜を明かし、イスパは西へ。元々目指していた方角なので問題はない。
山に囲われたこの世界の中心。まずはそこを調べる。大樹そのものは見つけられなくても、その手の噂や詳しい人がいるかもしれない。昨日よりも速度を上げ、ぐんぐん進む。この付近は森が広がっており、人が住んでいそうな場所は少ない。野盗が湧いたのもそういう理由からだろう。身を隠すにはちょうどいい。
風に乗って飛ぶという移動方法を使っても、すぐに町に辿り着けるわけではない。魔法使いとはいっても生身の人間なので、何かにぶつかったり着地に失敗したら痛い。身体強化の魔法を使えばもっと速度を上げられるが、長時間の使用はとても疲れるため戦闘にしか使わない。
「世界の中心……」
見渡しても見つからない。世界は広い。イスパが見てきた世界と、今見える世界は違う。旅に出てもう長いが、世界の全貌は全く見えない。山に囲われているというのも初めて知った。
緑いっぱいの森を見下ろしながら、西へ。お昼ごはんや休憩を挟みつつ進んでいくと、視界の奥に映るものがあった。
「すっごい大きい壁だねえ」
見たこともないほど大きな白い壁。イスパは風を吹かせ高度を上げた。四角く建てられた壁の中に町。上から見るだけでも、家屋や人が多いことがわかる。
あそこなら、有力な情報が聞けるかもしれない。イスパは一気に速度を高め、町へと向かった。
大きな町の大きな入り口。近くで見るとますます高い壁。見上げるほどの外壁にくっついた小さな門の外側に、兜をかぶった男が二人いた。門番をしているようだ。イスパが目の前に降り立ったのを見て、槍を向けてきた。
「こんにちは。中に入っていい?」
イスパは堂々と歩み寄って声をかける。槍にまったく怯えることがない。
「旅人か? 目的は?」
「魔法の大樹と、世界の中心のこと」
集めるべき情報は増えたが、目的は変わらない。魔法の大樹だ。
「何か、自分の身を証明するようなものは?」
「ないよ」
怪しむ門番にさっぱりと即答。そんなものは持っていない。名前すらない村出身のイスパに、身分も何もない。そもそも、証明するようなものを持っている人のほうが珍しい。それこそこういった、大きな町に住んでいない限りは。
「申し訳ないが、何者かわからない人間を入れるわけには……」
「待て。この子、魔法使いじゃないか? それに今、大樹と……」
黙っていたもう一人の門番が声を上げた。
「おじさん、何か知ってるの?」
大樹について何かあるような口ぶり。イスパの耳は聞き逃さない。
「……いいのか? 魔法使いといっても、誰かわからない者を」
「かまわんだろ。あの人だぞ」
二人で何かこそこそ話している。全て聞こえてはいるのだが、意味がわからないのでイスパは黙っていた。間もなくして、引き止めた方の門番がイスパに向き直った。
「失礼した。条件付きだが、中に入れることはできる」
「条件って?」
身分を証明できない代わりに条件があるということか。イスパとしては中に入れるのならなんでもいい。
「この町に、魔法の大樹について調べている者がいる。まずその者に会ってもらいたい」
「いいよ」
また即答。人に会うくらいなんともない。仮に何かあったとしても、殴り合いならば切り抜けてしまえる。大樹について調べているのなら好都合だ。
「よし。案内するからついてきてくれ」
門番に言われ、イスパは後ろについて歩く。扉の向こう、町の中へ。
扉を一歩くぐると、外とは別世界のような活気があった。老若男女、色々な声が周囲から聞こえてくる。人は多いが道が広いため、歩くことは容易。石が綺麗に敷き詰められた通路。人が歩くためにここまで整えられた道は初めてだった。
黙々と門番についていく。途中、イスパに気付いた何人かが振り返るのを感じた。こんな大きな町でも、余所者は目立つのだろうか。
歩く距離はそれほど長くなかった。最初の分岐を左に曲がってしばらく。門番が足を止めた。
「ここだ。中へ入ろう」
木造で彩られた明るい建物が並ぶ中、ぽつんと無骨な灰色の石の家。家なのかもわからない、四角い倉庫のような建物。中に入ると、床もしっかり石。四角い部屋が一つあるだけ。奥には質素な机と椅子。白い紙が机の上に積まれていたり、床に散らばっていたり。たった一つの部屋なのに、やけに散らかっている。生活感はまるでない。
あれらの紙は、大樹のことが書かれているのだろうか。興味はあるが、今は門番についていく。部屋の隅にある階段を下り、地下へ。
地下は一階よりも広い空間だった。一階にあったものとは違うタイプの机。ここは食事に使っているようで、木の皿に干した肉が置いてある。かじられた後の果実も放置されていて、お行儀がいいとは言えない。
「ウェルナ殿」
暗い部屋の中で何かしている怪しい人物。足元まで伸びている白い上着をまとった人物に、門番が声をかけた。ウェルナというのはあの人の名前か。
「用があるならそのまま喋りたまえ。私は忙しい」
返ってきたのは女性の声。特徴的な喋り方だ。忙しいと言いつつ、何をしているのかわからない。部屋が暗いせいで余計にわからない。
「魔法使いの旅人がいらっしゃいました。大樹のことを知りたいと」
「……ほう?」
ウェルナがのっそりと振り返った。手には小さな明かり。金属の器の上で何かが燃えているようだ。あれを頼りに何かを見ていたのだろうか。
ウェルナはイスパに向かって歩き、明かりを近づけて顔を確認する。イスパにもウェルナの顔がぼんやりと見えた。眼鏡に釣り目。そして金髪。かなりの美人さんだ。身長がイスパよりずっと高い。
「キミ、名前は?」
「イスパ。イスパ=サコバイヤ」
「ウェルナ=ナトゥアだ。よろしく」
ウェルナはにまりと笑った。何が面白かったのかはイスパにはわからないが。
「ご苦労だったね門番。キミは帰っていいよ」
「はっ。失礼いたします」
ウェルナの言葉で門番は戻っていった。イスパとウェルナの二人きりになる。門番が会わせようとしたのがこの人物。魔法の大樹を調べている者。
「可愛いお嬢さんが助手とは嬉しいね。この子たちも喜んでいるだろう」
「助手?」
急に助手呼ばわりされた。意味がわからず、イスパは首を傾げる。
「おおかた、どこの誰だかわからないから町に入れてもらえなかったのだろう? その交換条件として、ここに通された。違うかい?」
「そうだよ」
まさにその通り。バッチリと正解を当ててきた。
「外から見ただろう、この町の外壁を。大げさなことだ。ここの人々は外の世界を恐れていてね。ああやって身を守っているのさ。誰が来るわけでもないのに」
イスパは上空から見た。確かに、大げさと言えば大げさだった。近くに別の都市があるわけでもない。獣くらいは襲ってくるだろうが、この町の規模、門番までいるなら警戒はできそうだが。そもそも獣は、多くの人間が集まるような場所を好まない。
「旅人にも排他的でね。私のような一般人は気にしないが……この町の長たる人が、外部の人間が勝手に入ってくることを嫌うのさ」
町の名前はブルームという。外敵に過敏で過剰な防衛。生物として正しい生き方と言えなくもない。
「そんなわけで、キミが入ってこれるとしたらそういう方法しかない。ただ、安心したまえ。悪いようにはしない。私はキミのような人間は歓迎する」
悪いようにはしないらしい。ぺらぺらと舌が回る上に怪しいが。
「魔法の大樹のことを知りたいのだろう? その研究をしている私の助手として調べるのなら効率がいいさ。キミにとって必要なくなれば、町から出ていけばいいだけ。違うかい?」
「まあ……うん」
イスパがうなずく。助手という点が腑に落ちないが、ウェルナが言うことも一理ある。
「決まりだな」
快くはないが肯定の返事を聞き、ウェルナはニッと歯を見せる。
「まずは話をしようか。キミは魔法の大樹について、どう認識している? どこにあると思う?」
イスパが興味を持つのは大樹のことだけ。それをわかってかどうか、ウェルナは最初にその話を切り出す。
「山に囲われた世界の中心に」
イスパが冒険者ギルドで得た情報。たった一人に聞いただけだが。
「ふむ。シンプルだね。確かにその話もある。他には何かあるかな?」
「世界は確かに存在する。その中心も」
「……ほう?」
これは村で聞いた話。信憑性はさらに低いが。
「それは、キミの唱える仮説かい?」
「ううん。昔、そう言ってた人がいたって」
それを聞いたウェルナの表情が変わった。余裕のある笑みが消え、目つきも真剣に。
「……世界の中心というのには、諸説あってね」
これまでの軽口とは違う、真面目な声と口調でウェルナは語り始めた。
「一つはキミが言ったように、広い大地の真ん中にあるという説。この世界は山で囲われている……実際に確かめた者はいないが、そう主張されている。樹齢三千年とか四千年とか言われているし、そう考えるのが普通だ」
世界の全てを歩いて見た者はいない。山に沿って一周したわけでもない。しかし見渡せば周囲に山があるから、囲われているのだという仮説が出た。
「次に、世界の中心は地中深くにあるという説。これはこの世界が平面ではなく球体になっているという主張だ。つまり、同じ方向に歩き続ければいずれ一周する。山に囲われているという説とは相反するように思えるが、山を越えれば一周できるという話だな」
世界は丸い説。山の向こうに何があるかわからないのだから、この説もありえるというわけか。
「有力なのはこの二つの説だ。ま、現実的だからね。目に見える景色で考えれば、ちゃんちゃらおかしいというわけでもない。こういった仮説はたくさんあるが、残りは荒唐無稽なものばかりだ」
大樹は人類にとって未知の存在。仮説も多数存在する。確かめた者はただの一人もいない。
「ただ、私が推しているのは荒唐無稽な方でね。世界が別に存在するというものだ」
「別、って?」
まるで意味のわからない言い回しにイスパは首を傾げるばかり。ウェルナがおかしな人物であるのはわかるが、どこまでぶっ飛んでいるのやら。
「私たちは間違いなくここに生きている。だが大樹のある世界は、ここではない。この世界のどこかに入り口があるか、あるいは何かしらの方法で行けるのか……根拠など何もないが、別世界があるのではと私は考えている」
「……ふうん?」
静かに集中していたイスパだったが、この話にはさすがに顔をしかめた。あまりにも意味不明すぎる。別世界とは何か。
「はは、信じられないか。それが正しい反応だ。私も、ついさっきまでは同じように思っていたよ。ただ、キミの言葉で少し前に進んだ。『世界は確かに存在する。その中心も』……だったね?」
「うん」
先ほどイスパが伝えた情報。ウェルナは一言一句違わずに覚えている。
「妙な言い回しだと思うだろう? 確かに存在、なんて。それは、ここではない別の世界が確かにある……とも取れないか?」
「……まあ、そうかも?」
旅人の男が言っていた言葉の意味を汲むのなら、ありえない話ではないか。ほんのわずかな可能性だが。
「有力な二つの説も含め、私は多方面で調査を進めている。これまでの調査をまとめた資料もある。キミが私に協力してくれるのなら、見てくれて構わない。これ以降の情報も提供しよう。報酬は払えないがその代わり、出ていくのもキミの自由だ。資料の持ち出しは困るがね。どうだい?」
確かに、イスパにとって悪い話ではない。要は協力すれば、ウェルナが持っている情報が手に入る。一人で闇雲に調べるよりは効果的だ。必要なくなるか、ここでの調査に限界が来ればまた旅に出ればいい。短期間にせよ長期間にせよ、やるに越したことはない。問題があるとすれば一つだけ。
「協力って、何をすればいいの?」
このウェルナという怪しい女に何をさせられるのか、だ。別世界を探してこいとか言われると非常に困る。
「私は体が強くなくてね。加えて、魔法も使えない。キミはあるだろう? 魔法使いとしての能力と、戦うだけの力が。それを貸してほしい。必要なときにね」
外に出て何かするのだろうか。しかしそれなら、イスパの得意分野ではある。じっと何かの研究をしたり、机に座って資料をまとめたりというのに比べればずっといい。
「……それくらいなら、いいよ」
快諾とまではいかないが、妥協。情報がもらえるのだから、対価としては妥当だ。
イスパの返事を聞くと、ウェルナはまた表情を緩めた。ただそれは最初のような胡散臭いものではなく、どこか優しい笑みだった。
「感謝するよ。では、この場所について説明しようか。キミも興味を持てる内容だから安心してくれ」
念入りに前置きし、ウェルナは大きなテーブルに置いてある小さな木を手に取った。
「早速で悪いが、魔法でこの部屋を明るくできるかな?」
「わかった」
説明しようにも暗すぎたのか、明かりを要求するウェルナ。それを受けてイスパが手に炎を浮かべる。光が二人の体を照らした。部屋全体が明るくはならないが。
「ありがとう。ではこれを見てくれ。キミなら、これが何の木かわかるだろう」
ウェルナが手に持っているのはレンガでできた器。そこに土が敷かれ、手の平サイズのかわいらしい木が植えられている。
「神木でしょ?」
神木。魔力の宿る木。魔法使い御用達の植物だ。
「その通り。私は、神木の栽培に成功した。見ての通り小さなものだがね」
神木は本来、自然にしか生えない。そこらじゅうに生えているわけではないが、冒険者ギルドなどで情報が共有される。神木を伐採し売りさばく輩もいるとか。
「だが、こんな小さなものでも神木は神木だ。魔力の源。魔法使いであれば魔法が使えるはずだ。そこで、キミに質問なのだが。魔法使いというのは、どうやったらなれるんだい?」
魔法を使えない者に、魔法使いのことはわからない。神木があったとして、どうやって魔法を使うのか。杖を持てば誰でもというわけではない。
「魔法は、自然を操る力」
「ほう。具体的には?」
自然を操る。常人では考えられない思考だ。しかし確かに、魔法使いは火や水を操る。
「火が燃えるのを見て、火の魔法を覚える。風を感じて、風の魔法を覚える。どう燃えるのか、どう吹くのか」
座学だけで魔法は習得できない。自然を感じ、イメージを膨らませる必要がある。イメージによって、指先ほどの火から家一軒を焼き尽くす炎まで、多彩な魔法が使える。
「なるほど? 感受性というか、その感覚がなければできないのか。私が使えないのも納得だ」
理屈で考える頭の固い人間には難しいかもしれない。だから絶対にできないというわけではないが。
「キミは自然の中で育ったのだな。どんな魔法が使えるか、聞いてもいいかな」
「火と、水と、風と、雷」
魔法は自然を操る。自然にある現象からイメージすることで、雷だって操れる。
「……雷?」
質問に答えたイスパに、ウェルナは目を丸くした。
「驚いたな。雷の魔法を使える者がいると噂には聞いていたが、極めて珍しい例だ。私も、実際に使えるという者を見るのは初めてさ。キミは雷にも縁があったのかい?」
「小さい頃、雷に打たれた。神木を見上げてたときに」
イスパには確かな経験がある。村の外れに生えていた一本の神木。いつか魔法使いになりたいとその木を見上げていたとき、空が光った。イスパは雷に打たれて意識不明。起きたのは自宅の寝床だった。
「そのときに、魔法を使えるようになったのか?」
「ううん。その後、雷で折れた枝を拾ったから」
おそらく雷が落ちた衝撃で、神木の枝が折れた。その枝でイスパは魔法が使えるようになったのである。
「その折れた枝が、その杖かい?」
「これは後から買った」
イスパの杖は仕込み杖。神木を使って作られたものだ。
「買ったものなのか。では、魔法使いの覚醒と神木は直接関係ない……? 魔法使いであれば神木を使えるということなのかな」
魔法を使うために神木があるのか、神木があるから魔法が使えるのか。イスパの話を聞く限り前者だが、イメージだけで使えるものなのだろうか。子供のときにはできても大人になってできなくなる、なんてこともあり得そうだが。
「うむ、興味深い話だ。やはりキミを選んで正解だったな。これ以上は長くなるし、話は追い追いするとしよう。上に行こうか」
ウェルナは神木の鉢をテーブルに戻し、階段を上がって一階へ。イスパもそれについていく。向かったのはここに入ってから最初に見た、散らかった机。ウェルナはそこから紙の束を一つ取り、イスパに差し出す。
「これが私の調査をまとめた資料だ。無論、これからも追加されていく。この家の中でなら自由に読んでくれ。私の頭には全て入っているから、気にしなくていい。重ねて言うが、持ち出しは禁止だ。まあ誰かの目に入ったところで理解できるものではないだろうが、盗人に見られるのは気分が悪い」
イスパは資料を受け取り、興味深そうにじっと見つめた。なかなか気前がいい。勝手に触るな、とか言われそうなものだが。
「基本的にはキミに任せる。ここで寝泊まりしても構わないし、町の宿を使っても構わない。宿で余所者扱いされたら、ウェルナ=ナトゥアの名を出したまえ。私としては、ここにいてくれると助かるがね。だがキミもキミで大樹のことを調べたいだろう。強制はしない」
意外に自由だった。助手という響きが気になったが、イスパが行動することに規制がかかるわけでもない。実質、イスパにデメリットのようなものはなさそうだ。
「じゃあ、今は何をすればいい?」
「おっ、熱心だね。では資料に目を通したまえ。その後、興味があるのなら話の続きをしよう。神木の栽培についてもね」
「わかった」
ウェルナに言われ、イスパは部屋の隅にちょこんと座って資料を読み始めた。
「椅子を使ってくれてかまわないよ」
ウェルナはイスパの動きに微笑みつつ、また地下へと消えていった。
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