一章『大樹』~第一話 風の向くまま~

 今日もいい天気。

 イスパの頭の中には今、それくらいしかなかった。ついさっき、人を大勢殺したばかりなのだが。何事もなかったかのように歩く。旅を続ける。


「今はどのあたりかなあ」


 一人つぶやき、地図を広げてみる。どこかの町かで買ったもの。


「ん~……」


 地図をじっと見てみるも、すぐに諦めた。そもそも、今の自分がどこにいるのかがわからない。地図が意味を成さない。それ以前にこの地図が正しいのかどうかも、イスパには定かではない。

 いつもこの調子だった。それでも自分の村からここまで、倒れることなく旅を続けている。音を上げず、引き返すこともなく。ただ旅を続ける。


「適当に歩いてるだけじゃだめか」


 彼女にも、目的はある。だがその手がかりはないため、ひたすら歩き続けている。

 しかし、気付く。情報が必要だと。


「おっきな町に行ってみよう」


 地図を小さく折りたたみ、ポケットに入れる。瞬間、弾けるように駆け出す。近くにある高い丘に登り、周囲を見る。


「何も見えないなあ……」


 見渡してみても、森と平原。街道が続いているとしても、近くに町はない。


「まあ、いいや」


 諦めた。深くは考えない性格。ないものはない。町が見えないのなら、見えるところまで進むしかない。

 再び跳躍する。高さを利用してより遠くへ飛び、右足一本で着地。踏み出す左足でさらに飛ぶ。跳躍力もさることながら、足への衝撃を無視した走り。人間業ではない。瞬きをする暇もなく、イスパの影が前へ前へと進む。


「……ん?」


 そのまま町まで走りきるかと思われたが、イスパが動きを止める。広い平原に動くそれを見つけ、向きを変えた。

 



 

「平地ゆえ遠くまで見渡せますが……さすがに、人間一人を探すのは難しいですね」


 軽装ではあるが鎧を着こんだ男。それが六人。その中の一人が、先頭を歩くひげ面の男に声をかけた。


「もう少し行けば、小さな村がある。そこを目指そう。手がかりがあるかもしれん」


 地図を参照し、進む。地図がなければどちらに行けばいいかわからないような場所だが、彼らは土地勘があるようだ。


「村、ですか……無事だといいのですが」

「そのようなことを口に出すな。それを守るのが我らの務めだ」


 先頭を歩くのはこの隊のリーダーだろうか。不謹慎な部下を静かに諫め、地図に従って村のある方角に目を向ける――


「よいしょっと」


 地図に気を取られたせいか、話に注意が向いたせいか。男たちが接近に全く気付かないまま、イスパは彼らのすぐ横に着地した。


「む……!?」


 突然の来訪者に、六人が揃って武器を構える。五人は槍を、一人が杖を。イスパは男たちの動きをまるで相手にせず、警戒もしないまま向き合う。


「道を教えてほしいんだけど」


 本当にただ道を尋ねたいといったふうな態度だが、六人の男にとってはなんの前触れもなく目の前に現れた不審者。警戒しないわけがない。といっても、見た目は二十にもならない少女。大の男が大勢で武器を向ける相手とも思えない。


「女の子……? 隊長、どうしますか?」


 また別の一人が呼びかける。隊長と呼ばれたのはやはり、先頭を歩いていた男。


「いや……」


 隊長は警戒を解かず、武器を向けたまま。謎の少女の姿をつぶさに観察する。


「君は何者だ? 名前は?」

「イスパ」


 名前を尋ねられたので、答える。自然なことだ。


「君のような女の子が、こんなところで何をしているんだ?」

「旅の途中。道を知りたいの」


 自分より背丈がありなおかつ武装した男たちを前にしても、イスパはまったく動じない。ついさっき大罪を犯したはずだが、その発覚を恐れることすらない。


「一人旅なのか? 近頃、この辺りに賊が出ているとの話がある。気を付けるんだぞ。それで、どこに行きたいんだ?」

「大きな町。買い物とか、宿とかあるところ」


 受け答えはいたって普通。かよわそうな少女の一人旅というのは妙だが、苦心しているような様子は見受けられない。こう見えて屈強なのだろうと、隊長の男は部下に目配せした。部下たちが一様にうなずく。


「それなら、こっちの街道を行くといい。遠いが、ゆっくりと宿泊できる町がある。トリノという町だ」

「ありがとう。じゃ」


 短く礼を言うと、イスパは軽やかに駆けだした。同時に烈風が吹き、六人の男は思わず腕で顔を覆う。


「……魔法使いか」


 街道を振り返り、隊長が言う。『魔法使い』の存在は、この世界では珍しいことではないが、イスパのそれは凡庸なものではなかった。


「まあいい。予定通り、村へ行ってみよう」


 一瞬で地の彼方へと消えた少女を見送り、男たちは本来の仕事へと戻った。

 

 



 街道に沿って進む。時間はさしてかからなかった。風に乗って進むイスパの移動方法であれば、歩くよりも数倍時間を短縮できる。

 隊長が教えてくれた通り、町があった。イスパにとっては久しぶりの大きな町。土の道路に出店が並び、水と食料や鞄、武器防具など、旅人にとって欲しいものがたくさんある。

 しかしそれとは別に、必要としているものがある。今回もイスパはそれを求め、人が集まっている場所へとまずは向かう。

 シックなこげ茶色のドアを開け、建物の中へ。建物の中にいる人々は皆、各々で喋っていた。イスパが入ってきたことに気付いていない者もいる。

 イスパも特に反応を待たず、さっさと入っていく。壁にかけてある大きな掲示板に、いくつもの紙が尖った木や石で止められている。紙に書かれているのはこの近隣の情報。食べられる草や生き物、何があるかなど。

 ここ冒険者ギルドには、冒険者や旅人が集まる。主に情報の交換や売買が行われる。中には冒険者に仕事の依頼を出す者も。イスパは依頼は受けないが、情報はどの町のギルドでもチェックしている。町周辺で採取できる薬草、食べられる虫、吸える葉。よくある情報は並んでいるが、イスパの目当ての話は見当たらない。

 情報は誰でも書き込めるため、ひとつひとつが真実かどうかはわからない。が、ギルドの管理者が情報も精査しているため、全くのでたらめが並ぶということは稀。そういったギルドは自然と冒険者からも白い目で見られ、淘汰される。


「ここにはないか」


 隅々まで見てみたが、残念ながら情報はなかった。世界は広い。目的のそれに近い場所でなければ情報は集まりにくいだろう。が、イスパは自分のいる場所が世界のどこかもわかっていない。


「待ちな、お嬢ちゃん」


 それだけ見て外に出ようとするイスパを呼び止める声。イスパが振り返ると、短いがぼさぼさの髪に口ひげという、いかにもないかつい男が立っていた。ここにいるからには冒険者。割とがっしりとした体をしている。


「何の情報を探してるんだ? 教えてやらないこともないぜ」


 何も言っていないのに教えようとしてくる。おそらくイスパが掲示板を確認していたところを見ていたのだろう。初めて見る顔に声をかけようといったところか。


「魔法の大樹のこと。知ってる?」


 イスパの目的はただ一つ。世界の中心にあるという、魔法の大樹。


「魔法の大樹? 噂は聞いたことがあるが……こんな小さい町じゃ大した話はないだろうな。何より、ここは大陸の端だ。中心には程遠い」

「そうなの? 真ん中ってどっち?」

「そりゃ、山がないほうだろ。この世界は山で囲われてるわけだからな」


 そうらしい。イスパにとっては聞いたことのない話だが。確かに、遠くに山は見える。見晴らしのいい場所なら、どこを見ても山、山、山。イスパが生まれ育った村も、山の麓。人々が暮らしいている平地を囲っていると言われれば、そうかもしれない。


「ふーん。探してみる」


 信憑性はまるでないが、可能性の一つ。イスパは一応納得し、外へと足を向けた。


「待て。お前、魔法使いか?」


 再び呼び止める男。先に進みたい気持ちを抑えつつ、イスパは振り返る。


「そうだけど?」


 服装は魔法使いっぽくはないが、杖を背負っている。この世界で杖を持つのは老人か、もしくは魔法使いだけ。

 イスパの返事に、男は何を思ったのか口元を緩めた。


「魔法使いなら、いい仕事がいくらでもあるぜ。やってみないか?」

「そういうのやらないんで」


 一瞬たりとも考える素振りを見せず、イスパは誘いを断った。

 仕事の依頼。冒険者ギルドでは当たり前にやられていることだが、イスパは全く興味がなかった。金も評判も、彼女には必要ないもの。


「そう言わずにさ。稼げる仕事があるんだよ。魔法の大樹に関わることかもしれないぜ」

「その言葉、何度も聞いた。私の魔法を利用したいだけの人から」


 魔法使いはそう数多くはいない。魔法を使えても、確かな実力と経験を持っている人間は更に少ない。熊がいたからその場で直火焼き、なんて芸達者な魔法使いはほんの一部である。猛獣にきちんと対処できず食い殺される魔法使いは珍しくない。生身の人間相手もまた然り。

 魔法使いに仕事を依頼あるいは斡旋し、実力を試す。ギルドではよくあることだ。特に、初めて訪れる冒険者には。


「他を当たってください」


 急に敬語になるイスパ。いつもこれで避けてきた。何もする気はないと言って去った。


「待ってくれよ。一回だけでもいいからさ」


 引き止められることもあった。しつこくまとわりつかれることもあった。


「そうだ。すぐできるちょうどいい話が一つ——」

「うるさい」


 そのたびに、黙らせてきた。幼い頃に身についた、魔法の力で。

 風で吹き飛ばす。男の顎を的確に。一点に集中した風の魔法は鈍器に匹敵する。男の意識が衝撃ととも消し飛び、大きな体が大きな音を立てて仰向けに倒れる。

 周囲がざわつくのを意に介さず、イスパは建物を出ていった。倒れた男の様子を振り返ることもなく。

 



 

 冒険者ギルドの建物を離れ、歩く。特に気にすることもない。よくあることだ。

 めぼしい情報はなかった。それだけ。少なくともイスパにとってはそれだけ。暴力なんてこの世界では日常茶飯事。


「そこの君、止まりなさい」


 こうして警備隊に呼び止められるのも、よくある。


「冒険者ギルドで問題を起こしたらしいな。話を聞かせてもらう」


 町を守る人たちがいる。国が治めている地域はそうなる。秩序も何もない場所もあるが、この町にはしっかりいた。


「問題を起こした人なら今もギルドにいると思うよ。私じゃない」


 悪いのは仕掛けてきた男であり、イスパ自身はそれを退けただけという主張。


「だとしても、手を出したのは君だ。それに、最近この近くを荒らしている者がいると噂になっている。来てもらおうか」


 警備隊は引き下がるつもりはないようだ。何があろうと、暴力をふるったのはイスパの方。しかるべき措置を取る必要がある。


「ふう……」


 イスパが息を吐き出す。こういうことも、何度かあった。自分が悪者になる、あるいはされるというのは。


「そういうのにも飽きたから」


 風が渦巻く。イスパを中心とし、竜巻が起こる。強めの風と砂ぼこりは、警備隊の男ですら立っているのがやっとの威力。

 最初はちゃんと言うことを聞いていたが、何度も経験すれば飽きもする。大樹の情報がないのなら、ここに留まる理由もない。

 風に乗って飛ぶ。イスパの体が矢のように飛ぶ。遥か上空で減速し、ふわりと着地。それを繰り返し、ぐんぐんと町から離れていく。気付けば町は視線の果て。魔法を使えない人間には到底追えない速度。


「山から離れて、世界の中心……」


 情報と呼ぶには頼りないが、唯一得られた話。この世界は山に囲われている。魔法の大樹が世界の中心にあるのなら、山が見えない方向へ。白く霞んだ、世界の向こう側。

 魔法の大樹。噂はいくらでもある。三千年以上前からあるだの、見つけた者は強大な魔力を得るだの……魔法使いだけでなく、興味を持つ者は多くいる。


「うーん……お腹すいたなあ」


 結局、さっきの町では何も食べなかった。さすがに腹が主張してくる。眼下に川を見つけ、降りる。

 まずはよく燃えそうな枯れ葉を敷き、その上に枝や折れた木を乗せ、魔法で火をつける。単なる火起こしではなく魔法なので、種火や火口などは必要ない。


「よし、と」


 焚火の目印ができた。水のある場所を確保できたので、次。再び飛び立ち、空から探す。今度は先ほどまでよりも低空、木々のてっぺんあたりを飛ぶ。


「お。あったあった」


 目当てのものはすぐに見つかった。少し離れて着地し、風の魔法を使う。飛ぶための強風や殴るための烈風ではない。物を鋭く切るための迅風。狙った箇所を正確に切り裂く。

 切って手に入れたのは、竹。この世界の至るところに自生している、野宿の心強い味方。一本を丁寧に伐採し、運ぶ。片側の節を残して切り、水を汲む。それを火にかけ、飲み水を確保。ついでに、村を襲って奪った芋の皮をむいて竹筒に投入。

 水の魔法もある。その水も飲める。が、イスパ曰く『死ぬほど超絶まずい』。魔力のこもった、体に悪そうな味がするとのこと。飲んで死んだ例を彼女は知らないが、飲む気には到底なれなかった。飲むとすれば、生きるための最終手段だ。


「よーし。お肉~お肉~」


 水の心配もいらなくなったところで、肉を探しにいく。人のいる場所を離れれば獣はそこかしこにいる。狩りはもちろん、魔法で。頭を押しつぶすように風で打ち付け、即死。必要以上に体を傷つけない完全な狩り。


「うさぎ~うさぎ~♪」


 ウサギを狩猟。火にかけて毛を処理し、内臓を取り除いてしっかり焼く。

 ウサギ肉はイスパの好物。村育ちで元々ウサギがかわいくて好きだったが、一人旅を始めてからは食べるようになった。どうせなら好きなものを食べたいという意識。

 これが今の彼女にとっての日常だった。あてもなく飛び回り、人や町を見つけては大樹についての情報を集める。時には野宿。たった一人の旅だが、本人的には順調。大樹は見つからないが、この生活に特に問題はない。

 魔法の大樹。強い魔力を秘めていると言われる。その木の枝を魔法の杖にするというのがイスパの願いであり目的。一方で、それ以外に興味がない。食事を済ませると、水の魔法で火をきっちりと消して出発。


「……うん?」


 さあ飛び立とうかというところに、音が聞こえた。音というか、声。


「…………」


 耳を澄ませる。人の悲鳴。この生活のせいで、悲鳴の聞き取りは鋭くなった。

 近くに誰か、いる。大樹の情報が聞けるかもしれないと、イスパは勇んで悲鳴のする方角へと向かった。

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