イツキの願い

 なかなか眠れなかったわたしは、睡眠不足だった。

 目をこすりながら、ぼんやりとキッチンに入っていく。


「お母さん、おはよう……」

「日咲、学校がないからってダラダラし過ぎよ」

「はぁい……」


 お母さんは呆れた表情を見せる。

 昨日、深刻な声で話していたことは、夢だったんじゃないかと思っちゃうくらい。


「お父さんは?」

「今日は会社の人とゴルフで、早朝から出かけましたよ」

「そうなんだ」


 たっぷりとバターを塗り、ハチミツを乗せて焼いた食パンを食べはじめると、お母さんはわたしの前にホットミルクを置いた。


「日咲の、今日の予定は? 早智ちゃんと遊ぶ約束でもしているの?」

「ううん。なんの約束もない……」


 そう答えたけれど。

 考えたら、あの姿見がある部屋に、ずっといるのも、いまは無理。


「でも、散歩に行こうかな……」

「そうね。ちょっと陽にあたってきなさい。まだ寝ぼけた目をしているから」


 笑いながら、お母さんに言われた。

 気分転換をするためにも、わたしは本当に散歩へでかけようと考える。


 お気に入りのワンピースにおしゃれなサンダル。

 ぶらぶらと歩きだしたわたしは、児童館の前にある公園を目指すことにした。


 思いっきりブランコを、こぐのもいいな。

 そう考えて歩いていると、十字路で、別の道からやってきた流星とばったり出会った。


「あれ、日咲じゃねーか」

「あ……。流星」

「ひとりか? いつも一緒の早智は?」

「え、うん、今日は、遊ぶ約束をしていなくて……」


 そういう流星も、ひとりだ。

 学校で会うときと変わらない、Tシャツに短パンの流星は、珍しそうに日咲を見る。


「あ、おまえ、髪の毛を結ぶヤツ。赤色に戻したんだ」


 気がついたように、流星は、わたしの結んだ髪に手を伸ばしかける。

 そして、慌てたように、パッと手をひっこめた。


「怒るなよ。習慣で、うっかり手が出ただけだ。引っ張ってねえぞ」

「あ、うん」


 思わずわたしは、笑みを浮かべる。

 流星なりに、一応気をつけてくれているんだ。


 そんなわたしの表情を、流星はじっと見る。

 それから、時々見せる、目を細めて睨むような表情をした。


「おまえ、なにかあったのか? 早智とケンカか?」

「え?」

「いつもおまえは、オレの前でオドオドしているけれどな、今日は、なんていうか――元気がない。そんな顔をするときはたいてい、腹イタか、親に怒られたときか、友だちとケンカしたときじゃね?」


 体験談からなのか、流星は、やけに自信たっぷりに言い切る。

 そして、わたしも、当たらずとも遠からず。

 早智が相手じゃないけれど、これは、友だちとうまくいっていない状態だ。


 わたしはため息をついて、うつむいてしまった。

 驚いた顔をして、流星は胸の前で両腕を組む。


「おいおい、マジかよ。腹イタなら病院に行けよ? 怒られたのなら、さっさと謝っちまえ。早智とのケンカなら、話だけは聞いてやる」


 そう流星が言ったとき、わたしと流星のそばに、黒いワゴン車が近づいて停まった。

 見覚えのない車だ。

 でも、明らかに、わたしと流星が立っていることを知っていて、車を寄せた感じがする。


「――日咲、ヤバそうだから逃げるぞ。誘拐かもしれねえからな」


 そうささやくと、流星は返事を待たずに、わたしの二の腕をつかんで歩きだした。


「え? ちょっと、流星……」


 後ろで、車のドアが開く音がした。

 その音で怖くなったわたしは、駆けだした流星に引っ張られるままに走りだす。

 そして。


「日咲!」


 後ろから、名前を呼ばれた。

 その意外な声に、わたしは思わず、流星の腕に重りのようにぶらさがって引きとめる。


「待って、待って! 流星!」

「え? なにやってんだ? 日咲!」


 立ち止まった流星とともに、わたしは振り向く。

 そこには、ワゴン車から降りてきたイツキがいた。


 ――イツキは、わたしと同じ、この現実の世界に存在していたんだ。


 その驚きとともに、わたしは、いままでと変わらぬ冷ややかに整った顔で、車椅子に乗っているイツキを、唖然と見つめた。


「こいつに、なにか用かよ」


 流星が、わたしをかばうように前に立ちふさがった。


「きみは?」


 イツキは、わたしと流星を見比べる。

 わたしが答える前に、流星が口を開いた。


「オレは、今藤流星、こいつの友だちだ」


 ああ、やっぱり流星は、面倒見のいいガキ大将だ。

 守ってくれようとしているんだ。


「そう、日咲の友人か。ぼくは、鳴海伊月なるみいつき。中学二年だ」


 改めて、彼の名前を聞いたわたしは、本当にイツキが実在しているんだと実感する。

 わたしは、後ろから流星の服を引っ張った。


「流星、この人は、わたしの知り合いだから。大丈夫……」


 そして、そろそろとわたしは流星の前に出る。

 イツキの前に立ったわたしは、やっぱり気になってしまって、足に視線が向いてしまう。

 その視線に、彼は慣れた様子で口を開いた。


「ああ。ずっと昔に、事故に遭ってね。手術はうまくいったんだけれど、まだうまく動かないんだ。もう、わかっただろうけれど。ぼくの願いは、この足を治すこと。そんなぼくの個人的な願いのために、きみには面倒なことを押しつけてしまったようだ。すまなかった」

「そんなこと……」


 わたしは、かぶりを振る。

 面倒なんかじゃなかった。

 三人で協力するお手伝いは、とっても楽しかったもの。


 イツキは、言葉を続ける。


「ぼくの父は、童話やおとぎ話、怪談など、いにしえより伝承されてきた物語の研究家――大学の教授をしているんだ。それで、ぼくも小さいころから、童話をよく読んできて、同年代の誰よりも知識はあると思っている」

「お父さんが研究家? そうなんだ……」


 わたしのお父さんは会社員だもの。

 研究家や大学教授っていうだけで、なんだか偉い人みたいに思えちゃう。


 そこまで説明したイツキは、わたしに向かって言った。


「隠しごとをしていたことで、きみにひとりだけ、さびしい思いをさせてしまった。本当にすまないと思っている。ミヤと話し合って、きみには、ぼくたちのことを告げるべきだと感じたんだ」

「え、そんな……」


 そこで、わたしは重大なことに気づいた。


「それって。それじゃあ、ミヤも? この現実の世界にいるの?」

「ああ、そうだ」


 うなずいたイツキに、わたしは驚いた。


「ミヤは幽霊じゃないの? わたしと入れ替わりたいわけでも、わたしの鏡に映った影でもないの?」


 わたしの立て続けの質問にうなずきながら、イツキは口を開いた。


「ミヤについては、ぼくから言うわけにはいかないから、きみから会いに行ってほしい」

「会いに……?」

「ああ、いつもの方法で、きみのほうから」


 わたしから、鏡の中を通って、ミヤに会いに行く……?

 その話に、わたしは呆然と立ちすくむ。


 ミヤは、わたしの亡くなった姉の幽霊じゃない。

 じつは、鏡に映ったわたしの影でもない。

 ミヤは、この世界に存在する女の子なんだ……。


 すると、それまで黙って聞いていた流星が突然、わたしの背中をパンと叩いた。


「なんの話をしているのか、オレにはさっぱりわかんねーけど。おまえには仲直りしたい相手がいるってことだろ? だったら、もっとこじれてしまう前に、さっさと会いに行け!」


 そして流星は、ニッと笑った。

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