第07話 血ヶ崎ノエマ その3


  ※※※※


 アリス・ミラーギロチンが口もとを拭きながら出てくると、森野ユーリも西城カズマも萩原キリコも現場の洗い出しを行なっていた。

「正直に言うと、情けないわ」

 とアリスは言った。

「死体に慣れてるユーリくんやカズマくんはともかく、アタシと同じくらい新米のキリコでさえ平気だったっていうのに、アタシのほうはこのザマなんてね」

「別に気にすることはねえよ」

 カズマはそう答えた。

「オレだって最初にこういうのを見たときはメシが喉を通らなかった。まあ、それでも事前に資料に目を通していたことはあるから軽傷で済んだけどな。しかし、人間の皮をベリベリ剥ぎ取って服にしたり、骨を切り出して食器にしてるような現場に行ったときはどうしようもなかったぜ。だから見せたくなかったんだ」

「――そう?」

 アリスが椅子に腰かけるなか、カズマは物色を勧めた。食器棚の上に並んでいる写真立ての裏側に改造ガスガンがあるのを見つけると、ハンカチ越しに手に取る。「コルトガバメントの M1911、いや M1911A1 のガスブローバックかァ? 鉛玉を撃てるようにした違法タイプってやつだな。良い趣味してやがる。弾倉がパンパンなのを見る限り使うヒマはなかったみてえだが」

 カズマはゆっくりとガスガンを食器棚の上に置いた。同じ部屋にいる所轄の刑事が「あのお、あんまり現場をいじらないでほしいんですけどお」と抗議してくるが、彼のほうは手のひらを揺らしながら「大して動かしてねえだろ。ガタガタ騒ぐな」とぶっきらぼうに返事するだけだった。

「ボンヌ、《あとを追う能力》のほうは今どうだ?」

《カズマ様、あたしの能力は七割ほど調査を終えてるわ。殺害時刻は昨日の23時45分16秒ジャスト。生きたまま色々されちゃったみたいだけど、死因は霊能力による心臓麻痺で間違いないわよ。エンゲージのタイプは斬撃、レベルは冥婚といったところね。方向性としてはキリコちゃんに近い感じの能力者だと思う、でも、キリコちゃんのように直接的に強いという感じはしない。もっと陰湿で、自分が有利になるのを見計らってから発動するかカウンターを決め込むような感じね――》

「はあん?」

 そんな風にカズマがボンヌと会話するのを聞きながら、キリコのほうは現場にある壁一面の本棚のほうを眺めていた。自己啓発書やビジネス書や技術書が並ぶなか、ホラー関係・オカルト関係の本も多く収められているのが分かった。キッドA(本名:浅野ケイ)という霊能系ユーチューバーは特に能力のないインチキな素人だったらしいが、それでも、視聴者を楽しませるための勉強や下準備といったものに手を抜いたことはなかったらしい。キリコにはそれが耐えられなかった。チャンネル登録者の数から考えて、彼の死を嘆き悲しむ女の子は大勢いるだろうと思えた。

「あ、あの、カズマさんっ」

「なんだ? キリコちゃん」

「わ、私たちって霊能者ですよね? じゃあ、殺されちゃったキッドAさんの幽霊と今すぐ会話すれば犯人が誰なのかは分かると思うんですけど」

 キリコがそう言うと、カズマは少しだけ表情を曇らせた。

「そうか、キリコちゃんはまだ知らないことだったな」

「え?」

「オレたち霊能者は幽霊の力を借りて悪霊を再殺するだろ? 既に死んでいる人間をもういちど死なせるんだ。じゃあ、生きている人間をその力で殺したらどうなる? これは重要なルールだ、よく覚えておいてくれ。

 ――霊能者による生者対象の攻撃行為は、初手で再殺扱いになるんだ。だからキッドAとかいう男の魂はもうこの世のどこにもない。もし輪廻転生があるとして、そいつはどこにも生き返らない。霊能者に殺された人間はな、悪霊にすらなれないんだよ」


 霊能者による初手再殺の法則。

 キリコは初めてそのことを聞き、ただ、なにも言えないような気持ちになった。事件の手がかりがひとつなくなったというだけではない。幽霊にすらなれないような人の死にかたがあるという事実に、静かにショックを受けていただけだった。今まで自分が対峙してきた悪霊たちは、たしかに、それぞれの未練を八つ当たりのような怒りに変えて暴れ回るような存在ではあったかもしれない。しかしそれでも己のグツグツと湧き上がるような感情を世界にぶつけて回ることはできていたのだ。たとえ悪徳だとしても、それが可能だった。そういう死霊にすらなれないというのはどういう気分なのだろう、と。

 他方で森野ユーリは、キッドAのデスクにあるノートPCを立ち上げていた。仕事用のものとは違う、私用のほうらしい。

「こちらにもなにか手がかりはないかと思って電源をつけてみましたが、案の定、システムログインにパスワードロックがかかっています。専門家に頼んで開錠してもらうしかないかもしれませんね」

「あ、あの」

 とキリコは手を挙げた。

「何回か試していいなら、わ、私がやってみてもいいですか」

「? キリコ氏が? もちろん勝算があるのなら譲りますよ」

「ありがとうございます」

 それからキリコは椅子に座って、ノートPCのキーボードに両手の指を置いた。「ちょっとだけ思ったんですけど、キッドAっていうのは、たぶんイギリスのロックバンドのアルバム名ですよね。浅野ケイさんはきっとそのバンドのファンだったんだと思います。だったらそのバンドメンバーの名前か、人気レコードの曲名か、あるいはそのバンドが使っていた機材か所属していたレコード会社をしらみ潰しに当たってみればどこかでヒットするんじゃないかと思いまして」

「――そういうものですか?」

「えあ、あ、はい。わ、私も自分の家にあるノートPCのシステムログインパスワードはテレビで見かけた可愛いアイドルの名前とその身長にしてるんですよ」

「マジですか。超意外ですね」

「な、なので、やってみます」

 ちなみに萩原キリコが自分のノートPCのシステムログインパスワードにしている名前といえば TsukimuraTem@ri162である。

 キリコはいくつかのパスワード入力を試してみて、システムログインに成功。すぐにデスクトップを立ち上げた。

「え――あれ?」

 キリコの声に対して、すぐにカズマが反応をする。

「どうした、キリコちゃん?」

「エディタ系アプリのファイル更新時間が、変です。今日の00時16分27秒。さっきボンヌ=ボワッソンさんが教えてくれた被害者の死亡時刻よりもだいぶあとですよ。昨日の23時45分16秒ジャストですよね? これ、いったいどういうことなんですか」

 考えられることは、ただひとつ。犯人がキッドAを殺害したあと、なにかしらの証拠を隠蔽するためにミーティングの議事録かなにかを消去したってことだ。つまり犯人は被害者の浅野ケイが死ぬ前に誰かと話していた情報を知られたくなかったということである。その理由は大きく分けてふたつ考えられる。己の足跡がつくのを嫌ったということなのか、あるいは、これから次に仕留めようとする対象を悟られたくないのか。


  ※※※※


 森野ユーリはすぐに萩原キリコのとなりに来て、エディタ系アプリが格納されているフォルダを確認した。

「なるほど、理解しました。キッドAこと浅野ケイは、仕事用のPCでオンラインミーティングしていた内容について、契約外のメモは私用のPCでテキストファイルに記録していたということですね。二刀流というやつです。つまり――」

「つ、つまり?」

 キリコが訊くと、ユーリは振り返った。

「浅野ケイはオンラインミーティングで誰かと話すなか、それを仕事とは別のデータファイルとして残したいという気持ちがあった。そして、議事録を残したあとで何者かに襲撃されて死亡した。そのあとで、犯人が起動中のPCに気づいてその議事録部分だけを消去・更新したあとどこかに消え去ったということでしょう。

 なぜ犯人はそんなことをしたのか? それは分かりませんが、いずれにせよ、ミーティングの相手を洗っていくのが自然な流れになります。所轄も捜査一課も同じような方針に走るかもしれませんが、今は関係はない。放っておくと、もしかしたら、今度はその人が犠牲になる可能性があります」

 ユーリはそこまで言うと、ずっと壁際で突っ立っていた所轄の刑事に声をかける。

「浅野ケイが死亡直前まで会話していた相手は誰ですか?」

「え? ええ、あ、はい」

 刑事はすぐにデータを検索する。

「仕事用のPCに残った記録で言いますと、相手の名前は岩本サクヤです。まだ調査中なんですが、私立のJ大学に通いつつ、弱小の編集プロダクション『クロノスタシス』というところでアルバイトをしているごく普通の女の子みたいで。高校時代は女子バスケットボール部のキャプテンを務めていたとか。

 顔のデータも検索したら出てきましたよ。全国大会に出たときのインタビューがまだネットに残っているみたいですね――かなりキレイ目の感じの子で、女子校でこんな感じなら同性の子にけっこうモテたんじゃないですか。ほら、思春期にはそうやって自分をレズビアンだと勘違いする人もいるらしいですからね。

 この『クロノスタシス』とかいう編集プロダクションですが、オカルト関係や芸能人のゴシップを扱って記事を売り捌いている、まあまあどこにでもあるような小さい事務所だったみたいです。キッドA(本名:浅野ケイ)という男は霊能系ユーチューバーをやっていたそうですから、その関係の取材じゃないでしょうか」

 そう刑事は説明した。

「え?」

 と萩原キリコは反応した。

「い、いわ、岩本サクヤさん!? 本当に岩本サクヤさんなんですか!?」

 そうやってうろたえる彼女に対して、アリス・ミラーギロチンが真っ青な顔のままゆっくりと表情を上げた。

「なに? どうしたの? その子は知り合いかなにか?」

「し、知り合いなんてものじゃないです。私、わた、わ、岩本サクヤさんとは同じ職場で働いてます。同僚なんです」

「はあ?」

 アリスはようやく立ち上がることができた。

 この場でかろうじて平静を装うことができていたのは西城カズマだけであった。彼だけは萩原キリコの普段の勤務先が『クロノスタシス』であることを知っている。だから社名が出た時点でなにか察するものがあったのだが、まさか、キリコとサクヤが直接の顔見知りとまでは知らなかった。

 アリスに至っては全てが寝耳に水である。

「なによそれ、キリコ。キッドAとかいう被害者はあなたと会ったことがあって、そんな彼が殺される前に喋ってた岩本サクヤはあなたの同僚!? どういうことよ、それ。

 こんなことが偶然で片づけられると思う? 少なくとも犯人が単独犯であれ複数犯であれあなたのことも間接的に狙ってるってことになるんじゃないの?」


 さて、《僕》のほうから結論だけ先に言っておいてしまうと、もちろんアリス・ミラーギロチンの推理は外れている。血ヶ崎ノエマと血ヶ崎ノエシスと、そして彼女たち双子を率いている檜山ザンセツの三人は別に萩原キリコ狙いでキッドAを殺したわけではない。もちろん岩本サクヤの存在を知ったのも犯行実施後のことでしかない。全ては巡り合わせが良いのか悪いのか、ともかく偶然によるものだが、しかし偶然というものは場合によっては浅薄な必然よりも運命を告げるものである。コインを投げて、たまたま裏か表か決まるような状況のほうが1+1=2よりも正しいということはありうるからだ。

 つまり血ヶ崎姉妹は、ここで萩原キリコとジギィ=ジグザグを《引き寄せて》しまったということだ。

 キリコはただ、俯いていた。

 それに対して助け舟を出したのが誰かと言えば、ジギィである。彼はキリコの左肩に静かに手を置いてから話し始めた。

《つまりこういうことになる。犯人グループの狙いがどうであれ、彼らには無秩序型の快楽殺人を装いながら人を殺す必要があり、その対象としてオカルト関係の業界関係者を選ぶ動機もあった。そして、彼が死亡直前に会話していた半アマチュアのジャーナリストとの記録を消す必要もあったということだろう。その理由は僕には分からないが、少なくとも今は彼がミーティングをしていた人間が手がかりになることだけはたしかだね。

 そしてその被害者にしても重要参考人のほうにしても、両者は僕のお嫁さんであるところのキリコさんに向かって一本の線で繋がっている。

 であれば、僕たちの方針は決まったようなものだろう。まず、西城カズマくんがボンヌ=ボワッソンの力を借りて残穢を辿っていくことで地道に犯人を探すこと。次に、参考人であるところの岩本サクヤさんをこちら側で率先して護衛するということだ。僕たちは犯人を追いかけたくて、犯人たちはサクヤさんとやらを次のターゲットにしようとしているかもしれないのだから、つまりは挟み撃ちの格好になるね》

 ジギィがそう言うと、アリスのほうがすぐに頷いた。

「そうね。ええ、そうすべきだ、とアタシも思う。

 ここからはチーム編成を変えて対応しましょう。カズマくんとアタシで残穢を辿って犯人を追い詰めていくことにして、岩本サクヤさんっていう女の子のガードはユーリくんとキリコに任せるわ。これについて理由は簡単。カズマくんとその契約霊ボンヌは探索には秀でているけれど防御力が高いというわけではないらしいから、アタシと契約霊ゴーシェがそれをサポートする。そして、岩本サクヤのほうを自然に護衛するには顔見知りのキリコがいちばん上手くいくと思うわ。ただしキリコの能力は直線的で、搦め手とか間接的なトラップがすごいというわけでもないから、そこはユーリくんに任す」

 アリスがそう言うと、ユーリは腕を組んだ。

「それでいいだろうとぼくも思います。まずは一般人に対する被害を避けるべきです。なんとしても岩本サクヤさんへの脅威は防がなければなりません。それから、キリコ氏はご自身の周りを厳重に注意するべきでしょう」


  ※※※※


 さて、方針が決まってしまえばあとはこの場に残る理由もなかった。西城カズマはボンヌ=ボワッソンに耳打ちして今後の追跡を指示し、森野ユーリはカルト=キャルチュールとデルタ=デジィールを宥めながら所轄の刑事に挨拶だけ済ませておいた。そして、アリス・ミラーギロチンはやっと吐き気も収まって体調を取り戻したのか、ゴーシェ=ゴーシェに声をかけてカバンを肩にかける。

 萩原キリコのほうはといえば、先ほど会話に入ってくれたジギィ=ジグザグに目線だけで感謝を伝えた。

 彼らが部屋から出るタイミングでまるで入れ替わるように、捜査一課七係の面々が入ってきた。所轄の刑事は慌てて敬礼を返す(余談だが、彼は西城カズマや森野ユーリには敬礼をしていない)。七係の男たちはカズマ、ユーリ、アリス、キリコの顔を見ると「チッ」と大きめの舌打ちをした。

「再殺の連中か――」

「安心しろよ、もう見たいもんは見終わったからあとは好きに捜査してな?」

「言われなくてもそのつもりだ。物証が残ってりゃエスパーどもに要はねえ」

「ああ、でも被害者が事件直前に喋ってた女を任意同行でしょっぴくのはナシだ。そっちはオレたちのほうで保護することにしたからよ」

「この場でガタガタ喋ってんじゃねえぞ小僧。必要事項はあとでファイルで送ってこい」

 歩いてくる七係の男に対して、カズマとユーリは肩をすくめて応じるだけだった。アリスは無表情で通りすぎる。そしてキリコは首をすくめてオドオドとしながら脇をすり抜けるのが精一杯だった。七係の男たちはキリコのことが少しだけ気になったのか、「おい」とカズマに声をかける。

「この可哀想な嬢ちゃんもお前らの部隊に入ったのか?」

「まあな、ウチのチームの最高戦力だよその女は」

「そうは見えねえな? おうちに帰って微分積分でも解いてるほうが似合ってるよ」

「女嫌いのオレが言うんだから実績はたしかだぜ。霊能課は靴底すり減らして手帳をめくるだけの奴らとは尺度が違うんだ――、コイツは筋金入りだよ。見た目だけで判断してると足もと掬われちまうぞ?」

 カズマはそう答えると廊下に出て、ユーリ、アリス、キリコとともにエレベーターに乗り込んだ。ドアはゆっくりと閉まって、やがて地上に向かって降下運動を始める。グウン――という低い音が聞こえたような気がした。空気圧の変化に対して、キリコは慎重にツバを飲み込んだあと訊いてみることにした。

「私たちって、も、もしかして他の課の皆さんとは折り合いが悪いんですか?」

「そりゃそうだろ。向こうからしてみたらせっかくデカい事件が管轄で起きたのに、『ここから先は世間に秘匿されている謎の部隊が解決するのにお役御免です』なんて言われてるようなもんだからな。手柄を横取りされてるようなもんさ。なにしろ向こうは幽霊が見えるってわけでもねえし、ワケのわからねえ連中にうろちょろされてるって面白くない気分になるのも不思議じゃねえさ」

「き、協力とかできないんですか? そのほうが、悪い人をやっつけて人助けをするには良いと思うんです、けど」

「ド正論ってとこだが、縦割りの上下関係を重んじる組織でそれはムリな話だなあ。別にオレたちと刑事部だけの問題じゃねえよ。公安部と刑事部の足の引っぱり合いなんて、テレビドラマに出てくるくらいの定番だしな。まあ、オレも兄貴の言うことを訊くつもりしかないんだから人のことは言えねえけど――」

 カズマの達観したような、あるいは諦めたような物言いに対して、キリコはそれ以上なにも返すことができなかった。とはいえ、今はこんな組織的な・長期的な問題だけに集中しているわけにもいかない。彼女はスマートフォンを(アイフォンSE第二世代)を取り出すとすぐに岩本サクヤへ連絡を入れることにした。

 犯人たちがなにを狙っているのかは、まだボンヤリとしか分からない。だがその企みがなんであっても防ぐべきことだけは確実なのだ。

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