第07話 血ヶ崎ノエマ その1
※※※※
さて、このあたりで《僕》としては物語の視点を変えてみようかと思う。
萩原キリコが呪いの本『昏い森の殺人』という幽霊を討伐しているころ、キッドAという霊能系ユーチューバーは岩本サクヤにネット上のコンタクトを受けていた。キッドAという男については覚えているだろうか。かつて編集プロダクション『クロノスタシス』の田中アスカや萩原キリコからの取材を受けると、ともに呪いの一軒家に赴いて、そしてキリコがパニックになってしまった(少なくとも、彼にはそうとしか見えなかった)状態に怖れを為して退却した者である。そんな彼に、『クロノスタシス』の新人スタッフである岩本サクヤは職場を隠してオンラインミーティングをしていた。
『では?』
とサクヤは言った。
『呪いの一軒家を訪問する仕事に就いたとき、そこにいたクロノスタシスのスタッフは田中アスカと萩原キリコの二名のみ。そして幽霊を見たと言って大暴れしたのはキリコというほうの女で間違いないんですね?』
「ああ、まあ、そういうことになるよね――」
キッドAはゲーミングチェアの背もたれに体を預けた。
「正直なところビックリしたよ。幽霊なんかいるわけないのにな、いきなりワアワア騒ぎだして壁とか床とかに体を打ちつけて血まみれになってるんだから。そりゃ、最初のほうは取材用の行きすぎた演技だと思って暴言も吐いたかもしれねえけど、今になってみたらアスカちゃんって女の子の言うとおり精神的なショック症状だったろうと思うぜ。あのキリコちゃんって子に悪気があったわけじゃないんだ。そう考えると、まあ、気の毒な対応をしちまったとは思うよ。
けっこう可愛かった、いや、メチャクチャ可愛かったのになあ。もったいなかった」
『なるほど~、なるほど』
サクヤはオンラインミーティングの画面越しに、うんうんと頷いていた。
「しかしサクヤちゃん、なんでそんな大昔の仕事が気になるんだ? もう呪いの一軒家の不審死なんかほとんど起きてないんだろう?」
『いやいや、ボクが気にしているのはまさにそこなんですよキッドAさん』
サクヤはにっこりと笑った。
『大学病院の屋上に現れた死神少女の噂をご存じですか? そいつはのちに中野区の交差点にも現れて、そしてボクの考えでは、アムニージアックという別の霊能系ユーチューバーが個人的に会おうとしていたNという女性の前にも出現していました。ボクとしては彼女が悪霊を討伐するゴーストバスターのようなものだと思っているんです。それについての色々な判断材料はここでは端折りますけど、とにかくそう考えているということです。
そして、キッドAさんのおっしゃる呪いの一軒家でも、ある時期を境にしてフッと霊障がなくなっている。ボクは、様々な事情を鑑みて、その事件こそ死神少女が最初に現れた現場なのではないかと疑っています。また、そこには萩原キリコという女性がいて、彼女は幽霊を見たなどと言ってみんなの前で暴れ回ったと。ボク個人は、萩原キリコこそが死神少女なのではないかという推測を立てているんですよ』
「は――ああ?」
『まあ可能性としては7パーセント程度ですが。でも、萩原キリコが死神少女だとすると今までの全ての疑問に辻褄が合ってしまうんです。彼女はその大学病院の患者だった。そして交差点の近くに住んでいた。なにもかも、彼女がいきなり霊能力を手に入れて活躍し始めたとするならば説明がつくということです。もちろんこの世に本当に幽霊や霊能者が存在すると前提するなら、の話です』
サクヤは笑顔をスッと消してキッドAの顔を見つめてきた。
『共同戦線を張りませんか? 死神少女の正体を突き止めるために、もしよければ、ボクと組みましょう』
オンラインミーティングが終わったあとで、キッドAはタバコ(セブンスター)を咥えて火を点け、ゆっくりと吸い込んだ。
(あの岩本サクヤって女、オカルトにどっぷりのめり込んでやがるんだなあ。死神少女だの幽霊だの霊能者だのバカバカしい――まあ、オレとしてはどうでもいいけどなあ。女子校上がりのボーイッシュ体育会系女子っていえばいいのかあ? そういうタイプのメスはまだ抱いたことねえから、ちょっとずつ距離を詰めていこうか? そういや、萩原キリコとかいうガキについてもなんか言ってたな。
ハハッ、こりゃいい。あの小娘も、体つきは瘦せっぽっちだがツラのほうはかなり良かったんだぜ。ついでにご馳走させてもらえばいいじゃないか――オレがやってるのはそういうお仕事なんだ)
こんなことを思いながら、キッドA(本名:浅野ケイ)は右手のマウスホイールでグーグルミートを閉じ、ゲーミングノートPC( G-Tune )のウィンドウでポルノサイトを開こうとしていた。そうだ、せっかく萩原キリコとかいう自称霊感少女のことを思い出したんだ、今日はああいうロングヘアに幸薄そうな顔をしたスレンダーな女で一発ヌクとするかあ、とキッドAは下卑た笑みを浮かべていた。失望させてしまったのなら申し訳ないが、目新しいビジネスに安易に飛びつくような輩は、別に男に限らずどいつもこいつも性的には似たようなものなのではないかと《僕》は思う。
そのときのことだった。
ピンポーン。
と、マンション玄関のインターフォンが鳴った。
「ああ? なんだあ? こんな時間に誰だよもう」
キッドAは立ち上がって廊下のほうへ歩いていくと、「こんな時間に誰だよお!?」と大声を出した。だが、反応はない。「?」と小首を傾げたキッドAは、とりあえず玄関ドアの覗き穴に顔を近づける。
魚眼レンズなガラス越しに見えていたのは、双子の美少女だった。
どちらも身長は同じくらいで、顔立ちもよく似てはいる。ただし、キッドAから見て左側に立っているほうがやや垂れ目、だらしない表情と姿勢をしているということが分かった。逆に右側に立っているほうはキリッとした目つきをしながら背筋をピンと伸ばしているのが印象的である。二人とも長い髪をピンク色に染めており、服装はといえば、どこかの私立高校の制服らしいブレザー姿であった。
先に《僕》のほうから彼女たちの名前を伝えておこう。左側に立っているのが血ヶ崎ノエマ18歳、右側に立っているのが血ヶ崎ノエシス同じく18歳である。まあ双子だから年齢が揃っているのは当たり前といえば当たり前のことだが。
(こんなガキども呼んだっけか――?)
キッドAとしては戸惑うばかりだったが、ここで無視を決め込んでいても面倒なことになるのは間違いない。なにしろ相手は見るからに未成年で、放置していたら近隣住民に通報されて自分が悪人扱いされかねなかった。はあ~~と、ため息をつきながらキッドAはドアのチェーンを外して鍵を開ける。
「なんだよ迷子かあ? それともオレの住所をつきとめてくれちゃったユーチューブのファンかアンチかなんかですか?」
キッドAがドアを開けると、血ヶ崎姉妹はケラケラと笑った。
「違うよお、お兄ちゃ~ん!」
とノエマが笑った。
「あたしたちは霊能者だよお、お兄ちゃん!」
とノエシスのほうも微笑んだ。
※※※※※
で。
キッドA(本名:浅野ケイ)は死んでいた。血ヶ崎ノエマが右手に持っているアイスピックで彼の右側の眼球を突き、さらに腹部を一突き、そして股間のあたりを念入りに血まみれになるまで刺し続けた。キッドAはパニックになりながら廊下を駆けてリビングルームに逃げ込んでドアを閉めた、が、残念ながらそのドアはガラス張りだった。血ヶ崎ノエマはガラスを突き破ってキッドAの背中を刺し、彼が涙と鼻水と血を垂らしながらスマートフォンに手を伸ばそうとするのを確認してから、その手の甲をグサリ、とアイスピックで貫いた。返り血が部屋の床と壁と天井すべてに撒き散らされていく。
「キャハハハハハハハハハハ!!!!」
血ヶ崎ノエマは大声で笑い続けた。
「クソオスの喚き声、きっしょ~~! 今まで下らねえ承認欲求満たしながら何人くらい女を喰いモンにしてきたんだよ、ロリコンのゴミチンポ野郎~~! 生きる価値のねえカスは全員ブチ殺してやるかんなあ、おい! おい! おい! 未成年に欲情するボケに人権があると思ってんのかあ~~??」
ノエマが高笑いを続けるなか、うしろからヒョコヒョコとついてきた血ヶ崎ノエシスのほうは微笑んでいた。
「ノエマお姉ちゃ~ん。やめようよ? そのままだと物理で殺して相手を悪霊に生まれ変わらせちゃうかもよお?」
「ああ、そうだったそうだった! キャハハハハハ!」
ノエシスからの優しい忠告を聞いて、ノエマは頬と喉の筋肉を両方とも引きつらせたような狂った笑い声を上げた。かつて教育熱心な両親に殴られ続けたせいで、痙攣したような表情しか浮かべられない後遺症が今でも残っているということなのである。彼女はヒィヒィと呼吸を整えながら、足元にいるキッドA(本名:浅野ケイ)を見下ろす。彼のほうは全身から血を流しながら、ずるずると床を這いつくばって「たっ、助けてえ!」と喚き散らしていた。「たっ、たっ、たひゅ、たひゅっ、たひゅけてえぇ!」
「キャハハハハハ! もう肝臓もブッ刺してるからどっちみち死ぬってえのバカ!」
ノエマは笑った。
「ええっと、エンゲージリングはどこにやったっけかなあ~~?」
彼女はそう言いながら、ブレザーの内ポケットから桃色の指輪を取り出した。ノエマの隣には、幽霊が立っている。名前はイストワール=ド=フィロソフィエ。痩せこけた身体に旧日本軍の軍服を着た隻眼の中年男性である。要するに、それが血ヶ崎ノエマの契約霊というわけであった。
ノエマは指輪をゆっくりと薬指にはめる。指輪の内側には、細やかなラテン語でこんな風に刻まれている。
「In manus tuas commendo spiritum meum.(あたしのハートは、ダーリンのもの)」
と。
「えんげ~じ!」
それが合図であった。
エンゲージとともに激しいショッキングピンクの光が彼女を包み込む。彼女の全身を甘ロリ風の真っ白なドレスが包み込んでいた。爪と、唇は、お姫様のような桃一色。イストワール=ド=フィロソフィエはその場から消え去っていた。彼がいなくなった代わりに、ノエマの両手にはまっさらな中華流短剣の二刀流が握られていた。
ちなみに、ノエマ自身は左手の剣を「聖剣・ムーン」、右手の剣を「邪剣・ナイト」と名づけてそう呼んでいる。
「んじゃ、パパッと殺しちゃいますかあッ! キャハハハハハ!」
さて、このタイミングで《僕》のほうから重要な情報を開示しておこう。
平気で人を殺せる幽霊の力には幽霊の力でしか対抗することができない。したがって霊能者は幽霊とエンゲージを交わすことで幽霊の力を手に入れ、その力で戦うことでしか悪霊たちを再殺に追い込む術がない。この初期条件については今までの話で分かってくれていることだと思う。
ではここで問題。もしも霊能者が幽霊とのエンゲージで得た能力をもって生きた人間を攻撃した場合はどうなるのだろうか。
その答えは極めてシンプルなものである。霊能者による生者対象の殺人行為は初手で再殺扱いになる。
ゆえに霊能者に殺された人間たちは悪霊になることすらできないわけだ。
血ヶ崎ノエマがキッドA(本名:浅野ケイ)を殺害したあと、妹の血ヶ崎ノエシスは台所を漁って包丁大小各種とミキサーを取り出してきた。
「んじゃ、あとはこれで死体をバラして部屋中に血と内臓を撒き散らしたら、何個か取り出してミキサーでジュースみたいにしちゃおうよ、お姉ちゃん。あと、あたしのことをガールズバーで口説いてきたバカオヤジの唾液をこっそり盗んでるからさ、それを現場に垂らして捜査攪乱しちゃえば無問題だよねえ。そしたら心と脳ミソを病んじゃったクソ殺人鬼の無秩序犯罪みたいに見えるだろうしさあ」
「おお? 和製リチャード・チェイスの誕生ってわけだね、キャハ」
「早くしないと檜山ザンセツ師匠に怒られちゃうよお? さっさと済ませちゃお?」
「面倒くさ~い! ノエシスちゃんがやってよそんな後始末はさあ」
「んもお! ほんと妹使いが荒いんだからなあノエマお姉ちゃんは」
そんな風にノエシスがぶつくさ言いながら作業をしている横で、ノエマのほうはキッドAの残したノートパソコンを操作していた。どうやら自分たちが殺しに来る前にオンラインのミーティングをしていた相手は大学生の岩本サクヤというらしい。それだけでは特に興味を引く内容ではなかったのだが、キッドAが彼女と会話しながら残していた議事録をサクラエディタアプリで開いてみると、面白いことが書いてあった。大学病院に現れたという死神少女の噂。彼女が霊能者として方々の悪霊を討伐しているという説。そして、その正体は「萩原キリコ」という高卒のフリーター女だという説が書かれていた。
「なんだあ? キャハ、なんだあこれ? 超面白そうじゃ~ん!」
ノエマはとりあえず岩本サクヤのメールアドレスを含めた連絡先をメモ。そして萩原キリコという名前もとりあえず書き留めておいた。
「くく、く、死神少女って噂は聞いたことがあるんだよねえ。なんかオカルト関係で話題になってるらしいじゃん。もしかしてコイツって本当にいるやつなのかなあ。そしたらさあそしたらさあ、こいつもアタシたちと同じ霊能者ってことなのかなあ、ねえノエシスちゃんはどう思う? アヒャ、キヒヒ」
「ええ? 分かんないよお?」
ノエシスのほうはノエマの話を半分に聞きながらキッドAの四肢と首を切断。腹を捌いていくつかの内臓を取り出すと、ミキサーにかけてピンク色のジュースに変えた。それから死体と現場のところどころにスポイトで第三者の唾液を垂らしていく。これで事件はまるで頭のおかしい人間が食人目的・吸血目的でやったことに見えるわけだ。
「でもさあ」
とノエシスは言った。
「もし本当ならその萩原キリコってやつ、アタシたちと同じ霊能者なのにその力を慈善事業にしか使ってないってことじゃないのお? だとしたら、マジでムカつくよね。そういうイイ子ちゃんぶってるヤツってさあァ――!」
※※※※
さて。
血ヶ崎ノエマ・ノエシス姉妹はそのままキッドA(本名:浅野ケイ)の部屋をあとにするとマンション8階からエレベータを降りて地上に戻ってきた。駐車場には二人を出迎えるための車(トヨタのカローラ・アクティブスポーツのセメントグレーメタリック)が停まっている。そして、その前でタバコ(キャメル)を吸いながら待っているのが檜山ザンセツという男であった。長い黒髪をうしろでポニーテールにした背の高い男である。肌の感じからして若い年齢であることは察せられるが、目の下にくっきりと刷り込まれたクマと顔中に刻まれたシワが歴戦の気配を漂わせていた。
なにより目立つのが、顔半分にある火傷の跡と安物の義眼であった。それは彼が幼少期に母親から熱湯を被せられ、さらに物置にあった古い竹箒で頭部を突かれ続けたために視神経が腐敗したことによってできた傷だった。彼は大人になってからも敢えて整形外科手術を受けずにその傷を残して、義眼も高価なものに換えようとはしていない。それは、朝目覚めて鏡を覗き込むたびに世界に対する憎悪をきちんと思い出せるようにするためだ。ノエマとノエシスの姉妹二人も、そんなザンセツの屈折した心理はなんとなく察していた。
彼の歪んだ魂は、はっきりと弟子である彼女たちにも受け継がれているのだ。
「ずいぶん遅かったじゃないか、ノエマとノエシス」
「ごめんなさ~い」
ノエマはヘラヘラ笑いながら、薬指にはめてある指輪を抜いた。すぐにエンゲージは解けてもともとのブレザー姿に戻っていく。ここにはひとつの利点というものがあった。霊力によって守られている変身を辞めたときに返り血も同じように消えていく。要するに、証拠が自分の体に残らないということなのだ。ノエシスのほうも同じようにエンゲージとエンゲージ解除を繰り返し、自分の体に残っている血と臓物とニオイを完全に抹消していた。霊能力の悪用とでも言うべき行為であったが、裏ルールというか、何度も変身しているうちに気づく程度の効果でしかない。
ノエマは、キッドAの部屋からくすねた札束を檜山ザンセツに全て預けた。
「でもさあ、なんでこんな下らねえインフルエンサーぶち殺す必要なんかあったわけ? ザンセツ師匠さ~ん。だってコイツべつに霊能者でもなんでもないんでしょ?」
「俺のほうも詳しいことは知らねえよ、とにかく上からの命令ってヤツだな」
ザンセツはそう答えた。
「ただまあ、ひとつだけハッキリしてることがある。このところオレたちの組織のほうじゃ悪霊の蒐集が上手くいかなくなってるらしい。んで、その裏側には生者の味方を気取って幽霊を再殺しまくってる部隊があって、近頃どうもその動きが活発になってるそうなんだ。たぶんだがな。
ここでやるべきことはふたつある。まず、そいつらの情報源になりそうなものを片っ端から潰していくことだ。オカルト関係のメディアで仕事をしている連中ってことだな。そしてもうひとつは、そういう情報源候補者どもをなるべく残酷に殺して、正義の味方を気取っているそいつらを焚きつけておびき寄せること――組織の邪魔者を始末するための一石二鳥作戦ってわけだ」
とはいえ、ブラックリストの上から順に人を消していくのは基本的に骨が折れる、下っ端の武闘派構成員しかやりたがらないような案件である。そこで、東京都内の仕事を任されているチームのひとつが檜山ザンセツとその弟子兼部下、血ヶ崎ノエマと血ヶ崎ノエシスなのだった。
「貧乏くじばっかりだよ、まったくな。
――まだ開いてる店で酒でも飲むぞ、酔わなきゃやってられねえ」
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