第05話 アリス・ミラーギロチン その2
※※※※
萩原キリコとアリス・ミラーギロチンはPC機器を操作できる場所を探して、少し入り組んだところにあるビジネスパーソン向けの喫茶店に入った。アリスはすぐにショルダーバッグのなかからノートPC( HP Chromebook x360 14 )を取り出し、その場にあるフリーのコンセントに電源ケーブルを繋いで起動ボタンを押す。
「なんで跡継ぎをやめちゃったのよ? 萩原キリコ」
とアリスは訊いてきた。
「ひとつだけ言っていい? アタシはパパの仕事を継ぐなんてまっぴらごめんだった。でもそんなアタシがここ最近までパパの言うことを素直に聞いていたのは、あなたと出会ったからだわ。家族ぐるみの社長パーティで、あなたは緊張しつつ、なにもかもつまらなそうにしながら接待をこなしていた。可愛いと思ったの、なによりもまずその容姿と声色がね。だからこういう女がライバル企業の次期社長になるっていうならアタシも頑張ってみてもいいって気持ちは少しあったわ。でもあなたはある日突然その立場を去っていってしまった。あなたはアタシの期待を裏切ったの」
アリスは、テーブルに来た年若い男性店員にコーヒーを頼んだ。キリコのほうはウーロン茶を頼むと、彼女の顔を見つめる。
「わ、わわ、私――」
「なに?」
「跡継ぎをやめたんじゃないです。やめさせられたんですよ」
それからキリコは説明した。高校時代に原因不明のストレスで入院し、まともに勉強もできなくなり試験も受けられなくなってしまったこと。そして父親のツトムから見放されて今は妹のユイカが跡継ぎ最有力候補になっていること。自分の不甲斐なさ、妹に負担を背負わせている己の情けなさに現在も悩まされていること。
「だ、だからせめて働こうと思いました。そしたら色々あって、えっと、なんか、お前は霊能者の素質があるんだって言われて。で、だから、もしもそういう能力が自分にあるなら役に立ちたいって思っただけなんです。私、わっわ、私は自分の力で誰かを助けられるならそうしたいって、そ、そう感じて――」
「――そう?」
アリスのほうは、運ばれてきたアイスコーヒーのストローを咥えて飲んだ。ズゾゾゾゾというド派手な音を立てて彼女はそのカフェイン飲料を飲み干す。
キリコは、
「アリスさんは、どうして霊能者に?」
と訊いた。アリスのほうはフン、と鼻を鳴らす。
「そんなの決まってるじゃない!? まずパパに敷かれたレールの上で生きていくなんて死んでもイヤだからよ!」
そう言う。
「パパのことは嫌いじゃないのよ? 気に入ってるわ! でも自分の人生は自分自身の夢と能力で切り拓いてこそ意味があるんじゃない? アタシはパパにお膳立てされた生きかたなんて好きになれないの。そんなとき、自分に霊能力があるってことを知った。これこそアタシのために用意された活躍の舞台ってものじゃなくて? だからアタシは数週間でバッチリ修行して契約霊もゲットして自分の足で警視庁刑事部霊能課の存在を探って、速攻そこにコンタクトをかけたというわけなのよ。アタシは自分の手に入れたものはぜんぶ己の実力で手に入れたものだって証明されないと気が済まないの!」
アリスはそう言うと、「そうしたらキリコ、あなたも同じ霊能者になっていたなんてこれは運命以外のなにものでもないわ!」とテーブルを叩いてきた。
「アタシには夢がある。ただひとり自分だけの力でステージに上がって皆から尊敬されるという夢がね。悪党をブッ飛ばして感謝されるなんて最高の仕事じゃない!? 天職って感じがするわよ。キリコはそういうのじゃないの!? 人助けをするだけで自分はいいなんて勿体ないわね、そんな調子じゃあアタシとゴーシェにすぐ追い抜かれるわ!」
そんな彼女の演説を聞きながら、キリコは手もとのウーロン茶に唇をつける余裕もないままずっと戸惑っていた。
そうしてアリス・ミラーギロチンがPCを操作していると、森野ユーリからのミーティング予約が入っていることに二人は気づいた。
「ふっふーん、森野くん仕事が早いわね!」
「ゆ、ユーリさんともう面識あるんですか」
「当たり前じゃないそんなの! 彼は警視庁刑事部霊能課三係のなかでいちばんシゴデキな男だと思うわ。あなたも会ったことがあるんじゃなくって? 東京のどこでどういう異変が起きているのかバッチリ把握してくれているもの。あんまり頼もしすぎるとアタシの活躍の場がなくなっちゃうのが困りものってやつよねえ。もうひとりの西城カズマって男は、まあ能力的には強いと思うけど少々ボンクラの感じがするわね。あと、ちょっと女に対するナメが入っているのが気に食わないと言えば気に食わない感じ。正直に言えばいつでも追い越せるような輩だと思ってるわよ。キリコはそういう風に思わなかった?」
「え、あ、ええ、いや、別に」
「鈍感ね、あなた。だいたいの男は女のことを見下してるんだから自分で自分なりに自衛しないとそのうち痛い目を見ることになるわよ――男は女に守ってもらえるけど、女を守ってくれる存在はこの世にいないんだから、自分の身はちゃんと自分で保護しなくちゃいけないもの。オッケー?」
そんな風に二人が話していると、森野ユーリとのオンライン通話が始まった。
『お疲れ様です、アリス氏にキリコ氏』
「無問題(モーマンタイ)よ、森野くん!」
アリスが堂々と答えると、ユーリのほうはただ苦笑するだけだった。
『少し前にアリス・ミラーギロチン氏から報告を受けた件ですが、ぼくたちのほうでも裏づけが取れましたよ。
長富ハスミという女性です。彼女はかつての恋人から手酷い虐待を受けていましたが、その恋人が事故で死亡。そして新しい彼氏を見つけて暮らしていたはずなのですが、その彼氏も病気で死亡。さらに彼女は新たな男との恋愛をしていたというのですが、その男も原因不明の自殺で亡くなっています。以降こんな風にして、彼女が誰かと付き合ったり、彼女を好きになったりしたような男性は全て例外なく不審死を遂げているわけです。おそらくは彼女に憑りついている幽霊の仕業だと見て間違いないでしょう。調査してくれたアリス氏には感謝しています』
「そんなのいいのよ! 気にしないで!」
アリスは腕を組む。
「女の恋路を邪魔する悪霊、ね! なんの遺恨もなくブッ飛ばすことができるっていう意味では最高の対象だわ。アタシとゴーシェ=ゴーシェの能力を使って再殺するにはもってこいの存在よね。ひとつだけ言っておくわ。アタシは、こんな風にか弱い女の子を苦しめるような幽霊がいちばん許せないのよ」
そう言うとアリスはキリコのほうを見る。
「長富ハスミちゃんって子が、今どんな風に生きてるか分かる? 自分は誰のことも好きにならないほうがいい、いや誰にも好かれないほうがいい、そんな感じで思いつめて苦しんでいるのよ! それもこれも往生際の悪いクソ幽霊のせいでね! そんなもの、アタシたちが成敗しなくちゃダメじゃない!?」
彼女は立ち上がった。
「アタシのデビュー戦にもってこいのユーレイバトルってわけね! やってやろうじゃねえかこの野郎! アタシは、アタシは、こういう卑劣でどうしようもないカスの悪霊をブチのめすためにアタシは霊能者になったんだわ!」
そう宣言した。
※※※※
アリスとキリコは喫茶店を出た。ちなみに、支払いはアリスが済ませた。
「気にしないでいいのよ萩原キリコ! アタシにはお金はたっぷりあるし、気になるなら今度あなたが奢ってくれればいいんだから!」
「え、あ、は、はい」
「お金の出し入れはシンプルにしておきたいのよ。貰うレシートと出費は同じにしておくのが計算も楽だからね。そうじゃなくちゃアタシの気持ちが悪い。テレビのリモコンをテーブルの決まった位置に置いておかないと落ち着かないのと同じよ。キリコはそういうのって気にしないの?」
「い、あ、いや私は別に――」
キリコが胸の前で手をもじもじとさせていると、アリスは不意に彼女の腕を掴み、自分の顔の前に引き寄せた。
「これは親切だから言うわよ? そういう自信なさげな態度はやめなさい、今すぐ」
「え、え」
「アタシがあなたの弱みにつけこむつもり満々の悪党だったらどうする気だった? この子はオドオドしていて御しやすそうだ、なんて思われたら搾取される一方よ。女はね、性格が悪いくらいじゃないとこの世界では釣り合いが取れないんだから。あなたはきっと心が優しい子なのね。だから周りの人間もあなたを善良な存在と見込んで心暖かく迎えるの。でもそういう戦略が通用しない敵がいつかもし現れてきたら? たとえば今回アタシたちが護衛しなくちゃいけない長富ハスミみたいに、酷い暴力野郎が近づいてきたらどうするの。あなたは世界の悪意に対して無防備すぎるわ」
アリスはそう言うと、キリコの顔をじっと見つめた。
「あなたはアタシにとってライバルだったし、今もそうなのよ? 情けない真似をしないでちょうだい」
「――ご、ごご、ごめんなさい」
「ッ! そこで謝るのがおかしいって言ってるのよ! 張り合いがないわ!」
怯えるキリコの右腕を、アリスは苛立たし気に振りほどいた。
「ひとつだけ教えてあげる。アタシの契約霊、ゴーシェ=ゴーシェの能力は《身を護るだけの能力》。これは生前の彼女が受けてきた仕打ちと恨みが具現化したものよ。父方の親族に殴られ続けて若くして死亡、新宿トー横で彼女は放浪しながら、でも誰ひとり呪い殺すことができなかった。良い子よ。そういうゴーシェをアタシは契約霊に選んだの。自分の心と身体を守りたかった、未練の心が彼女の能力になっていたわけね。
だからアタシはゴーシェに言ったわ。『悪党をブチのめす仕事をするから、これからアタシの手伝いをしなさい』と。
そしてゴーシェは答えた。『YES!』とね!」
アリスはそこまで言うと、キリコをキッと睨む。
「この世界で理不尽な悪意の犠牲になってきた子たちはいっぱいいるの。アタシはそういうのって絶対に許せないから、だから霊能者になった。いい? アタシたちは困っている人間を助ける側の存在にならなくちゃいけないの。なのに、自分が助けられたがっている顔をしていてどうするの? アタシはそんなものは認めない。誰かを救うってことは、別の誰かを救わない排他主義者でいなくちゃいけないってことでしょ? 惨めな被害者ヅラなんてしてる場合じゃないわ! キリコ! あなたは、現時点ではね、アタシよりよっぽど強いんだから自信も覚悟も持たなくちゃダメじゃないの!?」
アリスがこんな風に発破をかけると、キリコはもうなにも言い返せなかった。
二人が道路に出ると、一台の車が停まっていた。手前には髪を短く刈り上げたスーツ姿の男が立っていて、キリコとアリスに気づくとピッと人差し指で挨拶をしてくる。彼の名は園田シンゴ。警視庁刑事部霊能課三係に属する者の一人である。そして今回の業務は彼女たちの現場への送迎であった。
シンゴが後部座席のドアを開けると、アリスのほうはとくになんの躊躇もなく車に乗り込んでいく。キリコが彼女と彼の顔を両方ともウロウロと見比べていると、シンゴは少しだけ苦笑した。
「安心してよ、キリコくん。ジブンは刑事部霊能課三係のひとり、園田シンゴ。まあ西城カズマくんとか森野ユーリくんとかとは違って霊能も持ってないし、契約霊もいない感じだけどね。しかし、それでも東京の幽霊再殺部隊のお役に立てることはあるし知識もなくはないので、こうして働いているって感じかな?」
「そ、そうなんですか」
「話は車のなかでしましょう――どうぞ?」
そんな風に園田シンゴに誘われて、キリコは自動車(BMW 3シリーズ ツーリング タンザナイトブルーカラー)に乗り込んで、アリスの隣に座るとシートベルトをしめた。やや時間を置いて、運転席に腰を下ろした園田シンゴがエンジンをかけて、ゆっくりと車を出発させる。
「しかし」
とシンゴは言った。
「斬撃タイプと詠唱タイプのバディとはね、なかなか相性がいいんじゃないか? ジブンはキリコくんとアリスくんは上手くやれると思うけど」
「えっ」
キリコは身を乗り出した。
「あ、まっ、まずその、斬撃タイプと詠唱タイプ、って?」
「あれえ? キリコくんはそこもまだ知らなかったのか。まあ仕方ないか、うちらの部隊に入ったばっかりだもんねえ」
彼はそう答えるとボタンを押した。後部座席用のモニターに映像を映し出すためである。
「霊能者が幽霊とエンゲージして手に入れる能力としては、まあ色々あるとして、だいたい全部で六種類あるんだよね。
ざっくり説明するとだね、
斬撃。これはキリコくんかな。幽霊の能力を長い刀剣の形にするタイプ。攻守スピードすべてにおいてバランスが取れているし、幽霊の能力によっては射程距離も補える、いわば最優のタイプというべきやつだね。
射出。ここに該当するのは森野ユーリくんだと思う。幽霊の能力を弓矢や銃器の形にするタイプ。射程距離という意味では強みがあるんだけど、攻撃するたびに霊力を身体から離して消耗するから使いどころが難しいタイプではあるね。
穿通。これは再殺部隊隊長の小宮サンシロウさんくらいしか知らないな。槍や棒や斧みたいな形に幽霊の能力を具現化するタイプで、攻撃力に特化しているらしい。代わりに防御を犠牲にせざるを得ないらしいが。
疾走。ご存じ西城カズマくんが使いこなしているタイプだね。彼はローラーブレードにしているみたいだけど、それに限らず靴、車、舟、飛行機、そういうスピード力に変換して使役するタイプの力だ。
詠唱。ここはアリスくんのほうが詳しいのかな? 杖、札、箱、人の形をしたもの、そういうものを使用する。攻守で言うと守、というか、そこからの反撃が強いタイプだね。このタイプは霊能者個人によっていちばん違いが出るんだよ。
そして最後に。それ以外のどれにも当てはまらない『なにか』。ジブンも上記五種以外のものについてはそうそうお目にかかったことはないんだ。ただ、メチャクチャ強い上に予想もつかないことをするから厄介というのはたしかかなあ。とりあえずはね。でももし悪い霊能者がこういう力を使っていたら、要注意ってやつだよ」
※※※※
悪い霊能者? たしかに園田シンゴさんはそう言った。
萩原キリコにとっては、今までは霊能者といえば生きた人間を守るために契約霊とともに戦っている人としか出会ったことがない。最初に出会った自分以外の霊能者、西城カズマと遭遇したときは流石に警戒していた記憶はあるものの、そういう誤解もすぐに解けた覚えがある。
しかし、その西城カズマは初対面のとき、こんな風に言っていた。
《オレはアンタが悪霊を利用して人様に危害を加えたいカスなのか、そうじゃないのかを調べにきたんだぜ》
そうだ、私は最初そういう「悪い霊能者」として疑われていたんだ。ということは、実際には悪さをしているのは幽霊ではなく、幽霊の力を利用する生者だったというケースもたくさんあるのではないだろうか? 今まで私が見たことがないというだけで、そういう悪意をバラ撒く連中もこの街にいる?
そこまで考えてから、キリコはぶんぶんと首を横に振った。ダメだ、今は目の前の案件に集中することが大事だ。
やがて車は住宅街のほうに入り込んでいき、路上駐車しても大して咎められないような街の奥まった空き地に着いていた。園田シンゴはサイドブレーキを引いてエンジンを切ると、助手席にあった大きめのコンビニ袋をアリスとキリコに手渡してくる。そのなかには簡単に食べられるおにぎりや菓子パン、そして清涼飲料水とタバコの箱がいっぱいになっていた。
「ここからは見張り番の持久戦になるから、おなかが減ったら食べて。ちなみにトイレは車を出たあと5分くらいしたところにあるコンビニで済ませてください」
シンゴがそう言うと、今度はアリスが口を開いた。
「どういうこと? 悪霊が長富ハスミちゃんって子に憑りついてることは分かってる。だったらさっさと彼女の住居に突撃してブッ飛ばしちゃえばいいじゃない?」
「そこがそうも言ってられないんだよねえ」
シンゴは苦笑した。
「今回の悪霊は、たしかに残穢を残しているから長富ハスミに憑いているのは間違いないんだけど。西城カズマくんの契約霊、ボンヌ=ボワッソンの追跡に引っかからないんだ。
幽霊には色んなタイプがいる。場所に住みつく霊もいれば、人に住みつく霊もいる。なんらかの状況や時刻、条件に住みつく霊もいるということだよ。たとえば満月の夜にしか発生しない、とかねえ。恐らく今回の悪霊は、長富ハスミに男が近づいたときにしか出現しないしそれまでは存在もしていない。だから、見つけるのに苦労したんだ。こういう幽霊がいちばん厄介なんだ」
「じゃあ、どうすればいいの?」
アリスの問いに、園田シンゴは振り返った。
「そこで朗報があるんだ。長富ハスミは、彼女は、とうとう自分の周りの不審死に耐えられず霊能系ユーチューバーに相談しててね、そいつが今夜、彼女の家を訪れるらしい。つまり彼女の近くに男が近づいてくるってわけ。そうしたら発動条件のトリガーが満たされて本物の悪霊が出てくるだろう。
キリコくんとアリスくんには状況発生次第、そこを叩いてほしいという感じかな。お願いできるだろうか?」
「合点承知の助だわ! 任せてシンゴくん! まあそのインチキユーチューバーを助けられるかどうかは自信ないけど、必ず長富ハスミちゃんは助けてみせるわ!」
アリスはそう言うと親指をグッ、とした。
一方でキリコは、「あの」と顔を上げる。
「私、アリスさんに言われました。お前は強いんだから自信を持つべきだって――!」
彼女はほんの少しだけ、覚悟を決めた表情だった。
「長富ハスミさんも男の人もことも、両方とも助けて幽霊を斬ればいいんですよね?」
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