第04話 森野ユーリ その1
※※※※
こうした萩原キリコとジギィ=ジグザグの活躍は、不本意なことに、さらに世間に知られてしまうことになった。キリコがジギィとともに悪霊を倒した交差点、その近くにある家屋の前には、用心深い家主が監視カメラをばっちり装備していたからだ。西城カズマのようなプロが「戦う前に社会の目を潰しておけ」と指示を下してくれたので、電柱にかけられた公共のレンズなどは破壊できていた。だが、キリコは一般市民が猜疑心に囚われながら私用で使っている録画装置があることを想定できていなかった。結果としてキリコがジギィとエンゲージした姿が撮影され、さらにオカルト業界を賑わせることになった。
キリコは榊原ショウタを斬り伏せたあと、薬指の指輪をゆっくりと外した。その瞬間にゴシック風の衣装もネイルもメイクも全て消えていき、普段の地味なTシャツとジーンズに、化粧気のない容姿に戻っていく。それと同じくして、西城カズマがローラーブレードで走りながら彼女のもとに帰ってきた。彼のほうも中指にはめられた指輪を外すと、元のチンピラめいた薄着になっている。
「こっちのほうはサクッと終わらせたぜ、まあクソ雑魚だったな。キリコちゃんのほうはどうだった?」
と彼は訊いてきた。キリコは榊原ショウタが消滅したあとを見つめながら、とりあえず首を縦に振る。
「な、なんとかできました。斬ったというか、斬ることしかできなかったという感じなんですけど――」
「上出来だよ。それに自分の契約霊の能力を応用するのが上手いみたいだな。もともとアタマがいいんじゃないのか? オレがその域に達したのは、霊能者として仕事を始めてからだいたい三年くらい経ったあたりだと思うぜ。キリコちゃんは最強クラスの幽霊ジギィ=ジグザグの力をフルスペックで引き出せる才能にプラスして、その力を適切に使いこなせる脳ミソがあるってことだ――」
「そ、そそ、そんな、わ、私なんかっクソバカですよ」
キリコがそんな風に言うと、カズマは眉をひそめた。
「なあ、謙遜なんかすんな、いちいちうぜえしな。自虐は人間がやることのなかでいちばん最悪の言動なんだ。どうしてだか分かるか? 自分で自分を貶めるだけじゃなくて、自分よりも能力の低い人間を侮辱しちまってるからだ。アンタがクソバカオンナだぁ? じゃあアンタよりもバカな人間はどうやって生きていけばいいんだよ? オレの通ってた高校はアンタのそれに比べたらすんげえアホ校なんだぜ? それに、少なくともキリコちゃんはオレよりも霊能者としての才覚に恵まれてる。それは分かり切ってることなんだ。理解したら、二度とオレの前で自分を卑下すんな」
「は、はひ、はいい――!!」
「自分がすげえヤツだって自覚がないすげえヤツは、迷惑だぜ。凡人にとってな」
カズマはそう言い捨ててから、ボンヌ=ボワッソンのほうを見つめた。
「なあボンヌ、お前はどう思う? オレはハッキリ言って、キリコちゃんは霊能の天才だと思うぜ。オレたちの部隊に迎え入れたいと思ってるんだが、ボンヌがどう思ってるのかは知りたい。言いたいことを好き勝手に教えてくれよ」
ボンヌ=ボワッソンはキリコと、そしてジギィを見つめてから口もとを隠した。
《あたしは賛成よ、カズマさま。萩原キリコちゃんもジギィ=ジグザグも、圧倒的に強いもの。きっとあたしたちの仕事にとって重要な存在になってくれる、そう思うわ。警視庁刑事部霊能課――あたしたちの居場所に彼女たちを迎え入れて仕事をさせることは、きっと間違いないし。そういう気がするの》
ボンヌがそう言うと、ジギィは少しだけ表情を変えた。一方で、キリコのほうはまだなにも本筋を掴めていない、そういう顔つきでカズマとボンヌを見つめるしかなかった。
「け、警視庁刑事部霊能課――!?」
じゃあな、近いうちに連絡させてもらうぜ――それまでに返事は考えておいてくれよ。カズマはだいたいそんなことを言って、今度こそキリコとは別方向に歩いていった。キリコはその背中を見つめながら、彼が見えなくなったタイミングで不意に呟く。
「ジギィさん」
《なんだい?》
「わ、私は歪んでいるんでしょうか」
キリコは、自分がカズマから言われたことを思い出していた。《誰も指摘してないならオレが言うわ。アンタさ、どっか歪んでんじゃねえのか》。彼女は今の今までそんなことを誰にも言われたことがなかった。というよりも、言ってくれる人がいなかったのだ。だから戦いを終えて冷静になったとき、改めて考えてしまった。もしかして私はなにひとつ取り柄のない人間というだけではなく、どこか性根の腐ったところがあるのではないかと。それに去り際のカズマの言葉も気になっていた。《自虐は人間がやることのなかでいちばん最悪の言動なんだ》。それはそうなのだろうか?
キリコがジギィのほうをチラッと見ると、彼のほうはあんがい平然としていた。
《正直に言うと、分からないよ。もちろん僕にはキリコさんの価値観のなかで分からない部分がある。でも、それは僕の色眼鏡が歪んでいるだけかもしれないだろう? だから僕の基準でキリコさんを裁くことはできないんだよ。カズマくんがキリコさんに対して言った言葉もぜんぶ、あくまでカズマくんの価値観から見た判断というやつだ。だから僕はわざわざ彼の言葉を止めることはしなかったけど、肯定もしなかったな。僕はキリコさんが歪んでいるなんて思わないし。仮に思ったとして、それは幽霊として1000年もしぶとく彷徨っている僕のほうに原因がありそうだからね》
「そ、そ、そうなんでしょうか――?」
《最終的にはキリコさんが自分で判断すればいいさ。自分のなかに正すべき歪みがあると思うのか、そうじゃないのか、ね。僕はその判断を尊重するよ》
「は、判断――?」
キリコはジギィとともに家に向かって歩き始めた。そうして、彼女は自分のなかに自分自身を判断する基準がなにもないことに気づいていた。もちろん、クソバカだとか陰キャだとか根暗だとか言うことはできる。しかしそれは外側から与えられた物差しであり、自分自身で磨き上げてきた心の定規というわけではなかった。キリコは最後にもうひとつ、カズマの言葉を思い出す。《キリコちゃんの言葉はそういうのばっかりだな。『そんなのフェアじゃないです』『そんなの正しくないです』『そんなの良くないです』。そういう言葉のどこにアンタの意志があるんだよ?》。
もしかして、私、自分の意志できちんと判断したことが一度もないの――? そんな風にキリコは感じた。
「じ、じ、ジギィさん」
《ん? どうしたの?》
ジギィが優しく微笑んでくる整った顔立ちに、キリコはきちんと向き直る。
「わ、私。カズマさんからの申し出を受けようと思います。警視庁刑事部霊能課で働くことで悪い幽霊を一人でも減らせるのなら、そうしたいんです」
※※※※
さて、こういう活躍が世間に知られてしまったのだ。
キリコはとりあえずカズマと別れたあとで家に帰り、シャワーを浴びて寝ると、翌日からは再び職場の編集プロダクション『クロノスタシス』に通勤していた。
そうしてその間、ジギィ=ジグザグはなにも言わなかった。キリコとしては彼が考えていることはよく分からなかったので、とくに話しかけるようなことなどなかった。ジギィさんとはまだ価値観が通じ合えているような気はしない。しかし、少なくとも自分があらぬ疑いをかけられたときは自分の代わりに怒って、自分のことを庇ってくれようとしたのだ。今はそれで充分だ、という感じもキリコはした。
ある日、オフィスに顔を出すと、そこには月岡さんと田中アスカだけではなく、ひとり高身長の女が空き椅子に座っていた。黒髪ロングストレートに凛々しい顔立ち、そして身体のシルエットにピッタリと合っている白黒のパンツスーツ。月岡さんも田中アスカも苦笑いをしながら彼女と面と向かっている。そしてキリコの存在に気づくと、やあ助かったと言わんばかりに彼女の自分たちの側に置かれた椅子へと強引に腰かけさせたのであった。「キリコちゃん! ナイスタイミングだよ」と田中アスカは言う。
「この前、新しいバイトの面接の件を話したでしょ? それがこの子だよ!」
「えっ、ええっ!?」
キリコはその面接相手を見た。面接相手のほうもキリコの顔を見つめる。
「改めまして、ご挨拶させてください! ボクの名前は岩本サクヤです!」
彼女は――岩本サクヤは、大きい低めの声でそう言った。
「高校では女子バスケットボール部のキャプテンをやっていました! リーダーシップとプロジェクト全体のマネジメントを見据えた行動には自信があります! もともとオカルト関係の物事にもジャーナリズムにも関心がありまして、御社のもとで、ぜひ! スキルを身に着けて御社にも社会全体にも貢献したい人材になりたいと思っております! PCの操作については高校時代のアルバイトで経験を積んでおり、文書作成実績も多少! それから体力には自信があります! 若輩の未熟者ですし、大学生活のなかでの業務になりますが、なにとぞよろしくお願いいたします!」
そう言うと岩本サクヤはカバンから写真を出した。
「すでに今、注目されている新ネタを持っています」
「え、え、ええっ?」
「つい先日、現場近くの家にある私用監視カメラに映っていました! 話題の『病院死神ゴスロリ美少女』ですよ! アングラのネットで手に入れた写真なんですが! 実はこの交差点は、ちょっと前に不幸な死亡事故が起きて以来、そこに連なる東京都道で不可解にも死者が多発していたという、心霊スポットのひとつだったと言われていまして! そしてそこに再び死神少女が現れました。これは偶然なのでしょうか? いえ、そうではない! きっと彼女と幽霊のあいだには深い関係があるわけです! 果たして彼女は幽霊をそそのかして悪事を起こすヴィランなのか、それとも悪霊を倒すヒーローなのか?
まず採用して頂いたあかつきには、ボクが彼女の正体を突き止めてみせますね!」
「ええええええええ――!」
キリコは思わず大声を上げてしまった。死神少女!? どう考えても、もう、それは自分のことに違いない。この岩本サクヤという新人が採用されてしまったら、流石に近いうちに萩原キリコが霊能者とバレてしまうかもしれないのだ。
そうして、キリコとサクヤは取材のために二人で出かけることになった。経営者兼編集者である月岡いわく、
「俺とアスカちゃんは別件で立て込んでいるからさあ、新人研修みたいな感じでキリコちゃんが付き添ってあげてよ。キリコちゃんももうドキュメントの新規作成以外はだいたい任せられるようになったしね。あとで働きぶりの報告よろしく!」
というようなことであった。
キリコはとりあえずサクヤとともに、まずは死神ゴスロリ少女(てゆーか自分自身)が最初に出現したと言われている板橋区の大学病院へ赴くことになる。
サクヤは身長が高いため歩幅が大きく、ついていくのがやっとという感じであった。サクヤはそんなキリコの様子に気づき、
「ああ! すみません萩原先輩!」
そうニッコリ笑うと歩くペースを落としてくれる。
ちょうどそのとき、田中アスカから連絡が届いた。
『おつおつー。キリコちゃん大丈夫? あんまり無理しないようにね。まあ、これでキリコちゃんも立派な先輩従業員ってわけだから、なにかあったらすぐに相談してくれると嬉しいかなあ、一応。なんか感じてるとは思うんだけどさ、岩本サクヤさん、ちょっと意識も高いしヤル気に満ち溢れちゃってる系の人だし、上手くキリコちゃんのほうでセーブしておいてあげてね――あれってたぶん、山岡さんが広告に出したアルバイト募集の文章がわりと盛りに盛られてたというか、そういうのを真に受けちゃった説あるからさ。うちはそんなんじゃないのにねえ』
そんなメッセージであった。
うーん、そうなのかなあ――とキリコが思っていると、となりにいたサクヤのほうが「そういえば」と話を振ってきた。キリコは慌ててスマートフォンの画面を隠す。
「な、な、なんですか?」
「萩原先輩ってボクと同い年ですよね? いっしょに仕事できて嬉しいです。ボクの周りにはあんまり幽霊とか信じてる子っていなかったので。なにしろ女子校だったのでボクに対してファンだとか好きだとか言ってくれる子たちはいたんですけど、でも、幽霊の話ができるような友だちはいませんでしたから――」
「えっ」
キリコは思わず岩本サクヤのほうを見つめてしまった。
「ま、まさか、岩本さんも幽霊を見たことがあるんですか?」
「アハハ! なんですか『も』って! それじゃあまるで萩原先輩が幽霊を見たことがあるみたいじゃないですか!」
サクヤは愉快そうに笑ったあとでキリコに顔を向けた。
「流石にまだ本物の幽霊を見たことはありませんよ、ボクだって。でも、きっと幽霊はこの世にいるんだろうと信じているんです。幽霊を非科学的だと言う人たちだっているかもしれませんが、科学なんて、あくまで『科学』というフレームのなかで世界を捉えているだけですからね。それは世界中に幽霊の目撃談があることの説明にはならない」
「み、見たことがないのに信じてるんですか?」
キリコがそう訊いてみると、サクヤは威風堂々という感じで胸を張ってみせた。
「それはそうですよ! 存在すると分かりきっているものなんて、いちいち『信じる』必要はありません。それは『知っている』だけです。なにかを信じるというのは、あるかどうか分からないものについて、自分の意志で『あるんだ』と決めてかかることなんですよ。だからボクは自分の意志で、自分の判断で、幽霊はいると信じているんです。不合理なるがゆえに我信ず、と、トマス・アクィナスも言ってますよ。
だって、幽霊なんて、本当にいたほうが面白いに決まっているじゃないですかっ! 萩原先輩はそうは思わないんですか?」
「え、ええ、ど、どうですかね?」
キリコは思わず目を泳がせてしまった。よく考えてみたら、普通の部活動もしていない自分にとって、「後輩」などという存在は生まれて初めてだったのだ。
※※※※
キリコとサクヤが板橋区の大学病院を再び訪れた頃には、そろそろ初診受付と再来受付の時間も終わろうとするところだった(公共性の高い病院は驚くほどシメの時間が早いことで有名なのである)。
「とりあえずカフェで一休みしてから、こっそり屋上のあたりを探ってみましょうか!」
そんな風にサクヤが言うので、ふたりは病院内にある喫茶店で軽くコーヒーでも飲もうかと足を運んだのだが、そこでは、キリコの担当医である新海ノボル先生が白衣のまま抹茶ラテを飲んでいたのだ。
ちなみにその新海ノボル先生が、病棟の屋上で《死神ゴスロリ美少女》を発見したその人なのだが。
「やあ、萩原さんじゃないですか」
新海ノボル先生はそう微笑んだ。
「どうしたんですか? 今日は診察の予約は入っていなかったと思いますけど」
「あ、あの、えっ、ええっと――」
キリコがまごついていると、隣にいたサクヤがスッと身を乗り出してきた。
「実はボクたちは、今回は取材でここに来たんです。この病院で話題の死神ゴスロリ美少女についてですが!」
サクヤはそう言う前に、チラリと、新海ノボル先生の白衣につけられている名札を確認していたようだった。おそらく、彼こそが取材のターゲットである目撃者に他ならないことを前もって知っておくためであろう。きっと、彼女が監視カメラの静止画を入手したと言っているアンダーグラウンドのネットワークで、新海ノボル先生の名前もとっくに知られているに違いない。
サクヤは順序立てて、自分たちがオカルト関係のエンタメ的な取材・執筆・編集等の仕事をしていることと、そのために病院を訪れて簡単な情報収集に来たのだということをシンプルに説明した。
新海ノボル先生のほうは、それに対して同じように簡潔に答えた。たしかに自分が屋上で不審者を見つけて通報した人間であるということ、しかし、警察が調べた限りでは不審者が屋上に来た痕跡もなにも見つからなかったのだということ。
「でも、不思議なんですよ」
「なにがです?」
サクヤがそう訊くと、新海ノボル先生は少しだけキリコを見てから言葉を繋いだ。
「その、ゴスロリ美少女でしたっけ。彼女が出現したあとですが、病棟で体調不良を訴えたり容体急変したりする患者さんが驚くほど少ないんです。なにか治療方針を変えたわけでもないというのに、数値が良くなって問題なく退院した人もいます。それにぼく自身、医者の不養生と言われると恥ずかしいのですが、不思議とあの日から疲労も消えましてね。もしかしたら、あれは本当に、なにかの天使だったのかもしれないなと思う日があります」
新海ノボル先生はそう言った。
「それから――これは笑われるかもしれませんが、彼女とはどこかで会ったような気がするんです。もちろん顔なんてよく見えなかったので、ただの思い込みかもしれません。だけど彼女は、――彼女はなにか、ぼくにはよく分からない、尊敬すべき大切なことをしようとしている気がしています。医者としては、非科学的なことはあまり信じないほうがいいとは分かっているんですけど」
そう新海ノボル先生が語るなか、萩原キリコのほうは、なにも答えられなかった。自分がどこかの誰かに尊敬されるべき大切なことをしようとしているなんて、とてもではないが考えられなかった。だが、彼の言葉がなにか彼女のしていることを底から肯定してくれているような、そういう感じがしたのだ。
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