第03話 西城カズマ その3


  ※※※※


「と、討伐の業務――?」

 キリコは呆気に取られていたが、カズマのほうは気にしていない様子である。

「ああ。ここから少し歩いたところにある都道25号線、天神坂上交差点だよ。そこが悪霊のカスどもの根城になってるって調査結果が出た。幽霊の名前は榊原ショウタ。生前は気のいい走り屋だったらしい。愛用のバイクに乗って仲間たちといっしょに走り回っていたって話だよ。そして、あるときハードラックと踊っちまったんだ。居眠り運転をしていた運送トラックに衝突して即死だ。その場所が東京都中野区にある天神坂上交差点。以後、その交差点を通る都道25号線では原因不明の交通事故が多発しているって話だぜ。ここまでは、オレの仲間とボンヌが調査した情報」

 カズマはキリコのほうを見た。

「こういう悪霊がいるせいで、罪もない人間が犠牲になってんだぜ。そりゃ、死んだ幽霊の側にだって事情や言い分はあるさ。でも、それは今を生きてるヤツらを呪ったり殺したりしていい理由にはなんねえだろ。なにがあってもな。だからオレはこういう仕事に就いて悪霊を再殺してるよ。特定の宗教を信じてるわけじゃねえから、祓うだの成仏させるだの天国に送るだのとかいう言葉は使わん。オレたちはすでに死んだ連中が悪さをしていたらもういちど死なせなくちゃいけないんだ。それを『再殺』と名づけて呼んでる。で、自分たちのことをこう呼ぶことさえある――再殺部隊」

「さ、さ、再殺部隊――」

「血なまぐせえ話だろ? キリコちゃんみたいな可愛い女の子には関係ない。オレだってどうしてこんな労働やってんのかっていえば、まあいろいろ事情があるんだが、兄貴との二人暮らしの生活を少しでも楽にしたいからだ。父親も母親もいないクソ家族で、兄貴はオレを育てるために霊能者の仕事に就いてくれた。だったら、オレがそれを手伝わないのはウソになるだろ。

 キリコちゃんは人助けのためにジギィといっしょに頑張ってたらしいけどな、なんかもっとオシャレとか恋愛とかそういうつまんねえことを考えながら幸せに暮らせよ。だって、どうせ女はそうなんだろ?」

 そう言うとカズマは歩き出した。そしてそのあとを、ボンヌ=ボワッソンがお辞儀をしてから黙ってついていく。キリコは、ただそれを黙って見つめていた。そして思い出したのは呪いの一軒家でのこと、それから大学病院の屋上でのことであった。彼女は悪霊を斬り伏せたあとで幽霊の返り血にまみれた。

 幽霊にも、血は流れていたのだ。とっくにキリコの手は鮮血で汚れている。

 だから、あとはそれをどう受け止めるかだ。

 ジギィ=ジグザグはキリコのとなりに立つ。

《どうなることかと思ったけど、話は丸く収まったみたいでよかったよ。それに、彼はどうやらお金を貰って悪霊を倒す秘密の仕事をしているらしい。これならひと安心だ。もうキリコさんが無意味な人助けをする必要なんてないってことさ。社会の平和だの治安だのは、彼のような激務に身をやつしている男たちに任せてしまえばいいんだし》

 おおよそそんなことを言っていたが、キリコの耳にはほとんど入ってこない。このときの感情を上手く言葉にすることはできなかった。ひと言で言えば彼女は、お前ならどうするんだという心の声に背中を押されていた。

 そして萩原キリコは走り出し、西城カズマのあとを追い駆ける。

《キリコさん?》

 というジギィの声をいったんスルーして、彼女はカズマに追いついた。

「カズマさん!」

「――? なんだよキリコちゃん、忘れモンか?」

「え、いえ、そういうわけでは!」

「じゃあなんだよ?」

 カズマが訝しげに見つめてくるなか、キリコは自分の気持ちを吐き出すしかない。

「わ、わ、私にもその仕事を手伝わせてください!」


 大声を出したキリコに対して、カズマのほうはずっと険しい目線をぶつけてくる。

「なあ、それがどういう意味なのか分かってんのか」

「え?」

「悪霊と戦うっていうのは場合によっては死ぬかもしれねえことなんだぜ。キリコちゃんは今まで運よく生き延びてこれたんだろうけどよ、これから戦い続けてそれでも無事でいられる保証はどこにもないんだ。それでもやるっていうのか。オレはアンタに立派な父親がいることも調べてる。アンタにもしものことがあったら悲しむヤツらがいるってことなんじゃないのか。誰も言ってくれなかったっていうならオレが言ってやる。自分のことをもっと大事にしろ。ここまで言われても、それでも、悪霊を倒すためにアンタは仕事を手伝いたいっていうのか? なんでだ?」

 カズマに凄まれて、キリコは一瞬だけ言葉を失ってしまう。が、それでも決意は変わらなかった。

「わ、私――」

「なんだよ?」

「私、思うんです。た、たとえば、川で溺れている人がいて、私しか近くにいない。溺れている人を助けるためのロープは私にしか投げられないんです。そういうときロープを投げて助けることに理由なんかないって。困っている人とか、悲しんでいる人とか、そういうのをどうにかすることに根拠なんか要らないって思います。私は、わ、私はバカなのかもしれません。ずっと勉強ばかりしてきて自分のアタマで考えたこともなかったです。でも、自分にできることがあるならそれをやりたいと感じるのは本当です。本当なんです。それだけじゃダメなんですか?」

 キリコのそんな言葉を、カズマは黙って聞いていた。それから彼はジギィ=ジグザグのほうを見つめた。

「アンタのほうはどうだ、幽霊ジギィ」

《僕にはキリコさんの価値観はまだよく分からないよ。赤の他人がどうなろうと僕の知ったことではないからね。とはいえ、彼女が人助けをしたいというなら、僕としては協力するしかない。夫はお嫁さんの手伝いをするものだし、彼女は僕のお嫁さんだからね。それに僕は僕の知らない価値観に触れることで自分の世界を広げたい。それが、僕自身の未練を知る手がかりになるかもしれないんだ》

「ハッ、そうかよ?」

 カズマはハハハと笑った。彼のとなりで佇んでいるボンヌ=ボワッソンも楽しげにクスクスと微笑んでいる。

《ねえカズマさま、あたしのほうはキリコちゃんたちのことがだんだん気に入ってきたわ。今回の案件くらいはいっしょに働いても構わないって感覚になってきたんだけど、カズマさまはどうかしら? だって、この男の人、ジギィ=ジグザグの霊力はマジでハンパないもの。少なめに計算してもあたしの百倍以上の霊力はあるし、それをフルスペックで引き出せるキリコちゃんは天賦の才を持つ霊能者よ。協力してもらわない手はないと思うけど?》

「ふうん、ボンヌもそう思うのか?」

 カズマはボンヌとアイコンタクトを交わしてから、ゆっくりとキリコに目線を戻して「分かったよ」と言った。

「じゃあキリコちゃん、今から悪霊討伐に連れていってやる。言っとくが、同行するからには頼りにするぜ? ベソかいて泣いても助けてやらねえから、自分の身は自分で守ってみることだな」


  ※※※※


 こうして萩原キリコと西城カズマの二人は(互いの契約霊であるジギィ=ジグザグとボンヌ=ボワッソンを連れて)天神坂上交差点に来ていた。そこにいる悪霊は榊原ショウタ。そしてもうひとりは、その榊原ショウタを轢き殺してしまったトラックの運転手であった。彼は榊原ショウタを相手に事故を起こしたあと職を失い、愛していた妻子にも逃げられて、失意のなかで首を吊った男である。そうして、気がつくとこの交差点に辿り着いていたというわけだ。不思議なことに榊原ショウタは彼に恨み言を言わなかった。そうして、二人は相棒になっていた。

 人を呪い殺すための相棒。

 カズマは「よーう」と声をかけた。

「生きた人間を平気で殺すクズども、初めましてだなあ? オレは西城カズマ、霊能者。今からテメエらを再殺してやんよ――」

《アヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャ!!》

 榊原ショウタは大声で笑うと、自分の跨っているバイクのエンジンをふかす。そのバイクまで含めて彼の霊体、ということだろう。ゴーストライダー。赤ジャケットとダメージジーンズを着た格好だが、瞳の色が真っ黒になっているその姿は、紛れもなく彼が死者だということを物語っていた。

《初めましてじゃんよお、どーも霊能者。

 俺みたいに交通事故で死んだあと性懲りもなくバイクに乗ってるような腐れ野郎って他にいますか? っていねえかあ! ハハハハハ!

 今日の生者どもの会話! お葬式が悲しいとか、天国ではどうか幸せになってねとか、まあそれが普通ですわなあ!

 かたや俺は真夜中の道路でゴミみたいな通行人どもの死体を積み上げて呟くんですわ!

 It is a true world !》

 そんな榊原ショウタの声を聞き、萩原キリコはアタマに血がのぼっていくのを感じた。この幽霊も、きっと悲しい事情があったのかもしれない。でも今はそれを帳消しにするように酷いことをしている。どうしてそんなことができるんだろうか。自分だって、死ぬ前は生きた人間だったくせに。彼女は、幽霊の邪悪さは、罪もない生きた人間を死なせることにあるとばかり思っていた。しかし、実際にはそれだけではないのだ。悪霊たちの行動は、生前の彼ら自身にあった善性さえ穢しているのだ、と感じた。

「あなたは、狂ってますよ――!」

 キリコがそう怒鳴ると、さらに榊原ショウタは笑い声を大きくした。とっくに正気は失われている。自分だけが死んでしまった悲しみ、憎しみ、怒りが彼の人格から理性を消し飛ばしていた。

《狂ってる!? それ褒め言葉だぜ!?》

 榊原ショウタがそう叫ぶと、トラックの運転手のほうが《ハハハ!》と声を上げて走り出した。こちらもトラックごと霊体になっているようだった。おそらく、生前は自分の仕事としていた運送業に誇りを持っていたのだろう。だが、現在、彼はそんなことなどまるで忘れているかのようだった。人を轢いてしまったあとの非難と、離婚と、失職と、孤独、その全てが彼にこの世のなかを恨ませている。社会人当時の作業着を身にまとったまま彼はアクセルを踏んで走り出した。

 カズマはそちらのほうを眺めながら、

「キリコちゃん、オレはあっちのクズを追い駆ける。オレのボンヌの能力に対して逃げ切れるヤツはいない。そういう能力だしな。だから、キリコちゃんとジギィはバイク乗りのカスを始末しとけ!」

 と言った。

 それに対して、キリコはズボンのポケットから指輪を取り出して返事をした。

「分かりました! このバイクさんのこと、私とジギィさんが倒します!

 わ、私、わた、私はこんなこと、こんな辛いこと、絶対に許せません!」


 彼女がそう言った瞬間、西城カズマは黄金色の指輪を取り出すと、それをゆっくりと左手の中指にはめた。不思議なことに、ぴったりとカズマの中指にはまるサイズである。特に複雑な装飾や宝石の類が刻み込まれているわけではないのだが、暗がりのなかでも輝いて彼のためだけの灯かりになるようだった。「オレのエンゲージのレベルは『友愛』だぜ。いくぞボンヌ」と囁いてからポーズを決定。指輪の内側には細やかなラテン語でこんな風に刻まれている。

「Est enim amicus qui est tamquam alter idem.」

 日本語に訳すと、

「だって、ダチ公はもうひとりの自分だろうが」

 である。

《カズマさま、いきますよ》というボンヌ=ボワッソンの言葉に、カズマは「おう!」と答えた。

「エェンゲージ!!」

 それが合図であった。

 カズマはその瞬間に、黄色のスーツに姿を変えていた。そしてここからが肝心なところなのだが、ボンヌはその場から消え去っていた。彼女がいなくなった代わりに、カズマの両足には黄金のローラーブレードが履かれていた。

「キリコちゃんの幽霊ジギィが刀になるっていうならよ、オレの幽霊ボンヌは――ローラーブレードの靴になってくれるってわけだぜ!」

 彼はそう言うと、ほとんど自動的にトラックの運転手の幽霊を追い始めた。彼のローラーブレードはなんの予備動作もなく、ただ標的に向かってエンジンでも積んでいるかのように疾走を始める。ボンヌ=ボワッソンの魂、『ただあとを追うだけの能力』なのである。キリコは呆気に取られていた。これが、霊能者の力! 幽霊と契約を交わし、幽霊の特性を引き出して、そして幽霊の力を使って悪霊たちを退治する! こんなことがこの世にできる人がいるなんて知らなかった。そうキリコは思った。どうもバイクに乗ったままの榊原ショウタも怯え始めているらしい。

 キリコのほうも漆黒の指輪を、ピーン、と指ではじいて空中に飛ばす。そして自分の薬指にはめた。指輪の内側には細やかなラテン語でこんな風に刻まれている。

「In manus tuas commendo spiritum meum」

 日本語に訳すと、

「私の魂は、あなたの手のなかに」

 という意味であった。

「い、いきますね! ジギィさん」

《僕の許可は要らないよ、キリコさん。僕はいつだってキミに力を貸すと決めている》

「え、エンゲージ!」

 それが合図であった。

 エンゲージとともに激しい黒光が彼女を包み込む。眩しさのあまりキリコは思わず目をつぶったが、瞼を開いたときにはあらゆる景色が一変していた。彼女の全身を、ゴシック風の真っ黒なドレスが包み込んでいた。爪も、唇も、死化粧のような黒一色。そしてここからが肝心なところなのだが、ジギィはその場から消え去っていた。

 彼がいなくなった代わりに、キリコの左手には、黒艶の鞘に包まれた真剣の日本刀が握られていた。

 キリコの変身に対して、榊原ショウタは表情を変えていた。たとえ、どれだけ幽霊として過ごした年月が短くても、キリコとジギィが組み合わさったときの強さは本能的に察せられてしまうものらしいのだ。

《な、なんだよそれ! なんだよオメエら! 虐殺はNOだ!》

 そんな彼の言葉に対して、もはや、キリコは慈悲を持たない。

「バイク乗りさん! 私はあなたをこの刀でぶった斬ります!」


  ※※※※


《あーあ! 霊能者どもに狙われるとか、悪霊の辛いとこだぜ! これはよお!》

 榊原ショウタはそう叫ぶと、バイクを走らせた。

 ひと言で言うと、速すぎる。キリコは彼のことを目で追うのが精一杯だった。これでは斬撃を飛ばしたとしても相手に命中するわけがない。そして不意に彼女はうしろから勢いよく榊原ショウタのバイクに追突されてしまう。もちろん身体的なダメージは霊力が相殺しているが、道路を転げ回ってガードレールにぶつかり、流石に吐き気がこみ上げてくるというものだ。

「がっ、はぁ――ッッ!」

《アヒャヒャヒャヒャ! おいおいお嬢ちゃん、チンケな日本刀でどうやって俺のスピードに追いつく気なんだよ! そんな装備で大丈夫か!》

「ぐ――!」

 キリコは起き上がる。そしてそのときには、なんとなく榊原ショウタのスピードを攻略する計算も出来上がっていた。こいつは速くて、目で追えない。だから斬撃を飛ばそうとしても対象を捉えられない。つまり、まず動きを止めてみせる必要があるのだ。そんなことが果たしてできるだろうか。

 できる。ジギィ=ジグザグの能力が無敵だと思えるからだ。彼女は目をつぶり、今度は榊原ショウタの攻撃を避けようともしなかった。

《ああ? 早くも白旗あげてんのか――!?》

「違います」

 榊原ショウタのバイクが自分の体にぶつかろうとする、その瞬間に、キリコは能力を発動した。

「『壁を無視するだけの能力』。あなたは私に衝突しようとしている。つまり私のことを壁だと思っているということです。だから、今、私は『私』という名の『壁』を無視しました。こうすればあなたは私の体をすり抜け、バイクのホイールが空転し、そしてその結果としてスリップを起こして地面に倒れます」

 彼女がそう宣言するのとほぼ同時だったかどうか、榊原ショウタはバイクごとキリコに攻撃しようとしたが空振りして、その勢いのまま向こう側で横転してしまった。

《あ、ああ!? ああああ!!》

「今です!」

 キリコはすぐに振り返り、日本刀を構えた。榊原ショウタは慌ててバイクのうしろ側に隠れようとしたが、そんな挙動にはなんの意味もない。萩原キリコとジギィ=ジグザグの能力は「ただ壁を無視するだけの能力」なのだから、だ。「壁」になっているバイクを「無視」しながら、ただ斬撃を飛ばして榊原ショウタを斬ることができるのである。

「オバケさん! 私はオバケさんのことを再殺します!」

《いや、いやだ、いやああああああああ!》

「いっぱい人を殺しておいて――被害者ヅラしないで!」

 彼女はそう怒鳴りながら榊原ショウタに向かって刀を振るった。それは距離感も、バイクも全てを『無視』して彼の首を斬り裂いていた。これが壁を無視するだけの能力だ。


《アアアア、アアアア――!》

 地獄の底から聞こえてくるような断末魔がキリコの耳を貫いた。それはこの世に囚われていた悪霊、榊原ショウタの声であった。キリコは刀を鞘のなかにしまったあと、じわじわと瞼を開けた。そのときにはもう、この場所に幽霊はいなくなっていた。ただ返り血にまみれた彼女の手に、漆黒の日本刀が握られているままだった。もちろん、その血は幽霊の血であるがゆえに、彼女以外の誰にも見えないのである。ただただ交差点の上で星空が輝く、そんな不思議な状況で、キリコは夜の景色を眺めながらボーッとしていた。まるで全てが夢であるかのような気がしてしまったからだ。ただ、それでも、左手の薬指にはめられたジギィとのエンゲージ・リングだけは紛うことなき本物であった。

 こうして、彼女は立ち上がったのだ。2024年6月27日。

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