第03話 西城カズマ その2
※※※※
こうして萩原キリコとジギィ=ジグザグは、西城カズマとボンヌ=ボワッソンに連れられてアフガニスタン料理店の扉をくぐっていた。室内の天井、内壁、床の装飾やテーブルと椅子の意匠、そして小物や照明に至るまで異国情緒をアピールしてくる店である。アフガニスタンがどういう国なのか、キリコは受験勉強でしか知らなかった。だが、もしこの店のような雰囲気が本当にある土地なら、きっとそこは素敵な場所なのだろうという気がした。なんというか、西洋式のドアと違って和式のフスマが日本人なりの気風を表しているのと同じように、その土地固有の性質はそれぞれ住み処の形状にこそ現れるのだと。
「あ、あの。カズマさん――」
「ん? なんだキリコちゃん」
「お、親に連絡を入れてもいいですか? 帰りが遅くなっちゃうことと、ゆうごはんが要らなくなっちゃったってことと、報告しなくちゃいけなくて」
「ハハハ!」
カズマは笑い声を上げた。
「アンタ、オレが敵かもしれないのにこの場でたらふくメシを食う気か? なんだかオドオドしてて不安だったんだが、実際は大した根性の持ち主かもしれねえな」
「あ、ご、ごめんなさい!」
「誰も怒ってねえよ。褒めたんだぜ? 叱られてもねえのに謝るのはやめろ、そんなもんただの謝り損だろうが」
「あ、え、は、はい」
「親御さんに連絡は入れていい。ただしメールの文面を事前に確認させるか、あるいは電話の場合は、スマートフォン端末を少し耳から話してオレに通話が聞こえるようにしろ。もしもキリコちゃんが家に『早く逃げて、追っ手が来てる』なんて指示を出してたらたまったもんじゃないからな?」
カズマはそんな風に言いながら空いている席に着いた。キリコはその向かい側にある椅子を引いてゆっくりと腰を下ろす。ボンヌ=ボワッソンはカズマの隣に立ち、ジギィ=ジグザグはキリコの隣に立った。もちろん二人の幽霊の姿は他の客や従業員には全く見えていないのである。
キリコはメールの文章を打ってから、スマートフォンの画面が見えるようにテーブルの上に置いた。こんな文章だ。
『お母さん、ごめんなさい。急に職場の男の人に誘われて、夕飯をいっしょに食べることになってしまいました。これも業務のひとつだと思うので、ついていきます。せっかく料理を用意していてくれたのなら、無駄にしてしまって申し訳ありません。冷蔵庫に入れていただければどこかのタイミングでチンして食べます。あと、帰りが遅くなってしまうことについても謝罪をさせてください。なるべく早く帰れるようにしますので。
仕事については問題なく進められています。後日きちんと報告をします』
カズマはその文章を見ながら、黙って親指を立てた。GOサインである。キリコはホッとしながら送信ボタンを押したが、カズマのほうは表情が固かった。
「キリコちゃんさ、謝りすぎじゃないのか?」
「えっ?」
「これが実の母親に送る文章かよ? そもそも親子どうしで敬語なのか? オレは親がいねえから分からねえけど、今回みたいなことがあっても兄貴には『わり、メシいらね!』で済ましちまうぜ。まあそのせいでブチギレられたりすっけどなあ。でも、家族って普通はそういうもんだろ。
――誰も指摘してないならオレが言うわ。アンタさ、どっか歪んでんじゃねえのか」
「そ、そんな」
キリコは真っ青になってしまった。そんなこと、たしかに誰にも指摘されたことはなかったのだ。彼女の性格に気づいてくれる知り合いも、きちんと忠告してくれる友だちも今までいなかったのだから当たり前である。
ちなみに、実の母親である萩原ハヅキからの返信はこれだけだった。
『あっそう、おつかれ』
西城カズマの表情が真剣になった。
「まずは、キリコちゃんのとなりにいる幽霊さんの名前と素性、経歴を知りたい」
《あ、僕のことか?》
とジギィは言った。
《僕の名前はジギィ=ジグザグ。素性は自分でも不明、経歴も不明だ。かれこれ1000年ほど彷徨いながら自分がどんな未練を抱いているのか探してきたけど、これといった成果はなかった。そんなとき僕を見つけてくれた萩原キリコさんと出会って、なりゆきでエンゲージを交わしたって感じなのかな。今の目的は自分の過去を知ることと、キリコさんの行動を手伝うことくらいだ。エンゲージのレベルは「冥婚」。これは特殊な体質で、僕はそのレベルでエンゲージしないと協力することもできないんだ。それに、キリコさんほどの才能の持ち主といっしょにいないと人に見つけてもらうことさえ難しい》
「ほう――」
《先に僕のほうから言っておこうかな。キミは僕のキリコさんにあらぬ疑いをかけているようだけれど、彼女が幽霊を利用して誰かを害したことはいちどもない。むしろ、彼女は無関係な赤の他人を助けるために僕の力を使うことのほうが多かったんだ。心霊スポットに住まう女の幽霊、そして大学病院に入り込んだ男の幽霊たちを倒すために。僕にはそんな彼女の行動指針はまるで理解できないが、夫になった以上は、その価値観を尊重して協力したいと考えている。もちろん彼女は守る。カズマくんが敵対するというのなら応じるのもやぶさかではないね》
「はあん?」
カズマは羊肉の鉄串を食べながら返事をした。
「キリコちゃんは、なんでそんな人助けみてえなことしたんだ」
「わ、私ですか?」
「オレがアンタに話しかけたんだからアンタのことだろうがよ」
カズマはそう言いながら鉄串を皿へと置いた。
キリコのほうは唇をきゅっとする。
「ふ、深い理由はないんです。ただ、体が勝手に動いてしまったというか……み、見てみぬフリなんてできなかったっていうか、それだけです。本当に、それだけなんです。悪いオバケさんのせいで泣いている人がいるのを見たんです。最初はオバケさんとも話をしようとか思ってたんですけど、わ、私が口下手だからなんでしょうか、そういう風にはなってくれませんでした。もしも私がなにもしなかったら死んでしまうかもしれない人がいて、そのせいで悲しい気持ちになってしまう人がいて、だから、そんなのはイヤだったんです。そ、それだけじゃダメなんでしょうか」
「なんの報酬もないのに勝手に悪霊を倒したってことかあ?」
「は、はい――」
「そうかよ――」
カズマは蒸し焼きパンを口に入れて噛んで飲み干すと、次にカラフィと呼ばれるアフガニスタン料理の鉄鍋にスプーンを突っ込んだ。めちゃくちゃに食べる男だ。キリコもそれを見ながら、とりあえず、カバブと呼ばれる鉄串の肉をゆっくりと箸で外し、ひとつひとつを口に運んでいった。おいしい、と思った。海に囲まれた日本の風土とはまた異なる、異国ならではの味わいがキリコの舌を満たしていた。カズマのほうは「ずいぶん行儀のいい食いかたをするんだな? 直接、串のまま噛みついたほうがウマいぜ?」と笑って、それからドリンクを注文する。
「なんとなく分かった。キリコちゃんと、それから幽霊ジギィ」
そうカズマは言った。
「少なくともアンタらが悪党じゃないってことはまあ理解した。疑って悪かったな。それにメシの食いかたを見ててよーく分かった。こんな綺麗な食いかたをする女に悪事なんてできるわけがねえってよ?」
※※※※
キリコは羊肉を食べながら、カズマの言葉を咀嚼していた。とりあえず信じてもらえたらしいということだけは分かる。だがそれに対して、ジギィ=ジグザグのほうは目つきが険しいままだ。
《僕たちの事情はきちんと答えたよ。今度はカズマくんが話す番だ、違うかい?》
「じ、じ、ジギィさん?」
《ごめんね、キリコさん。でもキミが怒らないのなら僕が代わりに怒るよ。今の今までキリコさんは濡れ衣を着せられていたということなんだ。なんの罪もないのに、僕という幽霊を利用して悪いことをしていたんだろうと言われてた。
人を疑ってそれが間違っていたら、宣戦布告と見なして間違いないんだ。もしカズマくんたちが僕と敵対したくないというのであれば、次は自分たちがどうして僕たちを探ろうとしていたのか、そもそも自分たちが何者なのかを包み隠さず話すべきだろう。もちろん断りたいなら断ってもいいよ。だが、そのとき僕がどうするかはよく考えてくれ。僕はキリコさんと違ってキリコさん以外の人間のことなんかどうでもいいんだから》
「ジギィさん!」
キリコは思わずジギィの服を掴んだ。
「きゅ、きゅ、急になに言ってるんですか!」
《ごめんキリコさん、今は黙っていてほしい》
ジギィの表情は殺気に満ちていた。
それに対して、カズマのほうは特に焦っている様子もなく、また新たに羊肉の鉄鍋(カラフィ)と鉄串(カバブ)を注文する。
「幽霊ジギィの言うことはもっともだな。こっちだって、キリコちゃんの疑いが晴れた時点で最初からオレたちのことは全部話すつもりだったんだ。それがスジってもんだからな。人として生きていく以上は、たとえ法律やモラルを破ったとしてもスジは守るべきだし仲間を裏切ったヤツは地獄行き、というのがまあオレの持論だ。逆にキリコちゃんはちょっと怒らなさすぎるんだよ。それに、自分が悪くもねえくせに頭を下げすぎる。そういう意味じゃ幽霊ジギィ、アンタとは同意見だぜ?」
《そうかい?》
「オレが言うのもなんだが、アンタみたいな幽霊が相棒なのはキリコちゃんにとってバランスがいいんじゃないのか?」
それから、カズマは肉を食い千切りながら話し始めた。
「キリコちゃんがなんの報酬もなく悪霊を倒したっていうのなら、オレたちは、報酬を貰って同じことをしてるってことになるのかな。この世には、生きた人間を呪い殺そうとするカスの悪霊がいっぱいいるんだよ。そこでオレたちは組織的に情報を集めて、この世に囚われている幽霊どもを再殺するために行動してるってわけだ。日本政府直属の、れっきとした部隊に所属してるのがオレたちだ。
そんで、板橋区の大学病院でド派手なユーレイバトルを繰り広げているヤツらのことも見つけちまった。キリコちゃんと、幽霊ジギィのことだぜ? アンタたちの目撃証言は当直の医師から交番のお巡りさんまでちゃんと伝わってんだよ」
「え、え――!?」
「そのときオレたちのアタマに浮かんだ疑問はただひとつだ。この女は自分とエンゲージした幽霊を強くして、もっと悪事を働くために悪霊を食いものにしてるだけなのか? それともなにも分からない霊能者が、ただ、悪霊に騙されてやりたい放題やってんのか? あるいは本気で、いきなり幽霊の力を手に入れちまった女がなんの得にもならない人助けをしてるのかって、な。それを調べにきたんだ」
報酬を貰って悪霊たちを倒している人たちがたくさんいる!? しかもそれが日本政府直属の組織!? そういう人たちが私のことを見つけてきたってこと!?
キリコには、なにもかもが初耳だった。ついこの間まで、世の中に幽霊がいることも知らなかったし、そんな幽霊が人間を傷つけていることさえ知らなかった彼女には、全てが驚きの連続だった。どうせなら、嘘であってくれればいいとさえ不意に思う。もしかして私は入院きっかけの病気が原因で、なにか幻覚のようなものが見えるようになってしまったのではないか。今まで耳目にしてきた幽霊のこともジギィさんのこともカズマさんの言っていることも本当は夢なのではないかと。
だが、そんなことはない。全ては現実なのである。
カズマのほうは最後にお冷のおかわりを頼んでからキリコとジギィに向き直った。ジギィのほうも少しだけ表情を和らげる。
《カズマくんの目的は分かったよ。じゃあ訊くけど、どうやって僕とキリコさんまで辿り着いた? 病院で幽霊たちを倒したとき、僕たちは主治医の新海ノボルにおぼろげな姿を見られただけだったはずだ。もしも生きた人間に萩原キリコさんの正体が知れていたら、本来ならば警察だとかが住居不法侵入罪で来たはずだろう。でも、実際はそうじゃないね。ということはカズマくん、君か、もしくは君の仲間の霊能者が持っている力で僕たちを見つけたということじゃないか?》
「幽霊ジギィ、あんまり急かすな」
カズマは笑った。それから自分のとなりにいるボンヌ=ボワッソンを親指で差す。彼女は髪をうしろで束ねた黒い和服姿で、ただ大人しそうに微笑みながら立っていた。まるで血の色のような紅を唇に塗った一重まぶたの日本風美人。キリコがボンヌの雰囲気から察せられることといえば、恐ろしく強い、ということだけだ。呪いの一軒家にいた女の幽霊より、病院にいた男たちの幽霊より、戦いになれば遥かに強力だろう。ただし嫌な空気は漂ってこなかった。それは彼女がカズマの味方で、つまりは、生きた人間の味方だからなのかもしれないとキリコは思う。
「オレのとなりにいる彼女――まあ、オレたちはこうやって生者に味方してくれる霊のことを契約霊と呼んでるんだが、それは別にいい――ボンヌ=ボワッソンにも、幽霊としての個別の能力がある。幽霊ジギィ、アンタにもそういう能力があるように、な。
ボンヌにあるのは『あとを追うだけの能力』だ。目の前にいる相手を高速で追うこともできるし、たとえ相手が目の前にいなくても、そいつが残したモノを手がかりにどこまでも辿ることができる。そして、尾行するときにはほとんど誰にも気づかれない。事件を捜査する上では便利だぜ? そうしてオレは病院の屋上に残っていた残穢からアンタたちのことを探り当てたんだよ」
「ざ、ざざ、ザンエ――?」
「鹿が草を食いながら足跡を残すように、熊が人を襲いながら血を垂らすように、幽霊にも特有の証拠が残るってことだよ。オレのボンヌはそれを見逃さないし、見つけたからには最後の最後まで追いかけられるってわけだ。そうしてキリコちゃんと幽霊ジギィ、アンタらがまっすぐ自分たちのお家に帰るところまで滴ってる残穢のあとを辿り、その住所、本名、家族構成を調べ上げて会いにきた」
※※※※
カズマはひととおり喋り終えると、キリコのほうの皿も空になっているのを確認してから立ち上がった。
「キリコちゃんはお手洗いとかは大丈夫かあ? そんじゃ、そろそろ出るか」
そう言うと、会計のほうに向かう。財布を出して店員に言われた金額をそのまま出しているカズマに対して、キリコは思わず駆け寄った。
「あ、あの! わ、私も出します」
「ああ? いいよ別に、オレが誘ったんだしな。そうじゃなくてもこういうときは男が金を出すもんなんだよ。女に財布を出させるようなバカがあるか。常識だろうが」
「で、でで、でも、それって不公平なんじゃ?」
「ハッ!」
カズマは店員からレシートとお釣りを受け取りながら、ただニィッとだけ笑った。
「キリコちゃんの言葉はそういうのばっかりだな。『そんなのフェアじゃないです』『そんなの正しくないです』『そんなの良くないです』。そういう言葉のどこにアンタの意志があるんだよ」
「え――」
キリコは頭が真っ白になってしまった。私の意志? 私の意志ってなんだろうか。彼女はふと妹のユイカに言われた言葉を思い出していた。
《おねえちゃんはおねえちゃんだけの自分の夢を追い駆ければいいんだと思うぜ?》
私の夢ってなんだろう。私がやりたいことは、今までは、お父さんの跡継ぎになるために勉強を頑張ることだった。でも、今はそういう役割から見捨てられて、とにかくなにかしなくちゃと思ってバイトで働いて、でもそれが自分の夢だなんてとても言えなくて、私は本当は自分がなにをしたいかなんて考えたこともないのではないだろうか。そもそも、私は実際にお父さんの望みを叶えるのが心からの願いだったんだろうか。ただ、そう言われたからそうしていただけなんじゃないか。どれもこれも、今のキリコには荷が勝ちすぎる問いかけであった。
こうして二人は店の外に出て(結局、会計は全てカズマが済ませた)そのまま別れることになった。
「じゃあなキリコちゃん。最初は脅すようなことを言ったのは許せよ。ああいう言いかたをしないとついてこなかったろ?」
「い、いえ」
キリコは胸の前で手をもじもじする。
「べ、べつに怒ってないです。カズマさんが良い人なんだって分かってきた、ので」
「もっとオレにキレていいんだぜ? 恨まれるのも仕事のうちって思ってんだしさ。まあこれからは警戒監視体制は消えるよ。定期的に連絡はするかもしれねえけどな。こっちも上司みたいなヤツらに対して色々と正式っぽい報告とかしなくちゃいけねえしよ。それと、そっちが気になることがあったら遠慮なくかけてきてくれや」
そう言うと、カズマはスマートフォン(エクスペリア10シリーズの最新版)を操作してこちらに向けてきた。キリコは慌てて自分のスマートフォン(アイフォンSE第二世代)を起動して、通話メッセージアプリのQRコードを向ける。友だちのいないキリコにとってはほとんど久しぶりのアプリ操作である。ほとんど、どう使えばいいか分からなくてカズマに全て教えてもらう形になってしまった。
「――――か、カズマさんは、このあとどこかに行くんですか?」
「ん? ああ、まあな」
カズマは空を仰いだ。
「ちょっと野暮用がな。この近くで悪霊が暴れてるって話がある。キリコちゃんの調査を終えたら、そこに行ってカスの悪霊を再殺することになってたんだ。そこで交通事故が多発しててこれまでに何人もの生者が死んでる。ボンヌ=ボワッソンが、その事故は幽霊どもの仕業だって突き止めたよ。
今から討伐の業務だ」
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