第5話 決断の時

母の診察当日。

父はたまたま仕事に出ていたので、私は母を車椅子に乗せて通院に出かけた。


母の表情は、病気が進んでいるとは思えないほどに穏やかだ。

病院に行くバスを降りて、私は母と少しだけ院内の庭を散歩した。


「今日は晴れているし、そよ風が気持ちいいわ。よく昔はアキと手を繋いでお散歩したわね」


「そうね。また元気になったら一緒にお散歩しようよ」


「ええ、約束よ」


そんな約束は、叶えられるだろうか。

いや、無事に叶えて親子で昔のように散歩をしたい。


院内に入り、受付を済ませて順番を待つ。


(いい加減、寿命をあげるか決めないと…)


待っている間も、私の気持ちはグラグラと揺れ動いていた。

待合スペースにあるテレビを見ながら、どうにか自分の気持ちを落ち着かせている。


「山岡スミレさん、診察室へどうぞ」


順番が周ってきて、母の名前が呼ばれた。


母の担当医の先生は、この病院でも屈指の腕利きと言われていて、とても信頼されている。

その呼吸器の名医の先生が、カルテを見ながら重い口を開いた。


「この間の検査の結果が出ました。大変申し上げにくいのですが、あまりよい状態とは言えません。入院して治療をする必要があります。」


母の表情を見ると、少し曇っている気がした。

さっき院内の散歩をしていたときの穏やかな表情は、どこかに消えていた。


入院の打診があったので、念の為父にも連絡をしてみた。


「そう…だったのか。入院費用はどうにか工面できるから、母さんを入院させて治療してもらおうか。家にいるよりはずっと安心だからな。なんせ呼吸器の病だから、いつ何が起きるか分からない。父さんも仕事が終わったら、母さんの荷物を持って病院に向かうから、アキは母さんのそばにいてくれ」


「分かったよ、お父さん。病院の方にもそう伝えておくね。」


こうして、母の入院が決まった。

名医の先生があのような返答をするのだから、母の病状は相当進行しているのだろう。


「アキ、そしてお父さんにも…気を使わせちゃってごめんね。必ず治すからね…ゲホッ」


「お母さんが、無理しないで」


母の咳は、聞いているこちらとしても苦しくなるほどに悪化していた。

寿命の件も、早めに決断をしなければならない。


母の状態を見ていると、「死にたい」なんて考えていた自分が恥ずかしい。

病気の母が前を向いて生きようとしているのに、私は何を考えていたのだ。


―入院当日の夜


父が病院に到着し、その晩は父が母の看病をすることになった。


「母さん…いや、スミレ。お前に先立たれたら俺はどうすればいいんだ」


「お父さん、いえ…雅人まさひとさん。大丈夫よ。私は病気を良くして生きてみせるわ。もしものことがあれば、アキだってついているし」


こんな父と母の会話が聞こえてきた。

胸が締め付けられる気持ちになりながらも、私は翌日の面接のために病室を後にした。


家に着くなり、私は三津島の事務所に電話をかけた。


「もしもし、三津島さん。山岡アキです。先日の件でお電話差し上げました」


「山岡さん、こんな夜中にどうかされましたか?」


「…母に私の寿命を15年あげたいんです」


「分かりました。それでは、明日事務所に来れますかな?あと、この件はご家族やご友人などにはお話していませんね?」


「承知しました。もちろん、周りには一切話してはいません。」


「ありがとう。では、明日の15時にお待ちしております。」



もう、後には戻れない。

大好きなお母さんに、長く生きてほしいんだもの。




続く

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