第10話 怒り

こんな時間に登校するのは

席替えの朝以来だ。


ひろはまだ誰もいない教室にはいった 。


椅子をひく、ギィ、という床の響きが

今日の新しい音を記した。


ぽつり、ぽつりとクラスメイトが現れて

朝がゆるやかに、はじまっていった。


むこうの席で男子たちが

きのうのテレビの話をしている。


ひろは ひとり席につき

まだあるじの来ない

となりの席を待った。



しんと並んだ机の列に

時がゆるゆる流れていく。


やがて雪村が現れた。


教室にはまだ10人もいない。

早い時間だ。


ひろはにぎり合わせた手をほどくと

相手を待つ構えで、椅子から立ちあがった。


雪村がひろに気づき

逆らうように足を止めた。


動かずジッとそこで立ちつくす。


が…やがて観念したのか足元をにらみつつ

席へ向かって歩いてきた。


その、ただならぬ雰囲気に、

他の生徒も気づいて、ふりかえる。


ひろは他のことは意識の外へ追いやり

やってくる雪村だけに集中した。


雪村が席に来るのを待ってから

低い声でひろは言った。


「話があるの」


雪村はひろの言葉をさえぎるように

ドサッとかばんを置いた。


その音にひるんだが、ひろは続けた。


「きのうは、ごめんっ」


ガバッと頭をさげる。


が、さげた頭の上からは、

なんの反応もなかった。


顔をあげると、そこに雪村はおらず

教室からでていく姿が見えた。


ひろは走って追いかけた。


ここであきらめたらダメだ…!


前にまわりこみ、強引にとめた。


「悪かったっておもってる。あのっ…」


雪村がこっちを向いた。


「おい 古田」


その言い方に、ドキリとした。


「もうオレに話しかけんじゃねえよ」


そう言って、

道ですれ違う他人みたいな顔で

ひろの横を通りすぎた。


なにかを伝えようと口が動いて

それきり止まった。


廊下をゆく雪村の足音が、

パタリ、パタリ…と、遠ざかる。


その一歩一歩に、迷いも、ゆるみもない。


肩を張り、堂々と去っていく後ろ姿を

ひろは一歩も動かず見つめていた。


雪村のとぼけた顔と、昨日のやり取りが

胸のなかを、ザラザラ…と

砂となって落ちていく。


ひろ口から、ハッ…と強い息がもれた。


そして自分の上靴を、片方脱ぎとるや

廊下の先の雪村めがけて

思いっきり投げつけた。


パン…と音がして、雪村の背中に当たった。


靴は落ち、雪村が止まった。


時間が止まったようにみえた。


雪村がゆっくり向き直った。


みたこともない怖い顔をしている。


雪村は靴を拾いあげ、

ひろをみて、ニッとわらった。


猫の前のネズミみたいに

ひろの体がすくんだ。


雪村は手にした靴を、ひょいと、

一方の手へパスをした。


受けた左手が、そのまま、まっすぐ

ま横へのびる。


のばした腕が、廊下にならぶ窓の外へ

半分でた。


と…その手がパラリとひらいた。


「あっ」


靴は下に落ちた。


雪村はひろをみて、面白そうにわらっている。


ひろは身をひるがえすと駆けだした。


登校してくる生徒たちとすれちがい

靴下のまま階段を駆けおりた。


外に出て地面に転がっている靴を見つけた。


しゃがむと涙がこぼれてきた。


あんなやつのせいで泣くもんか!


あんなやつのせいで泣くもんか!


ひざに顔をおしつけた。



教室へもどる途中

階段でトンダ囃子ばやしらと

ばったり出会った。


ひろが、うつむいて行こうとすると


「古田、お前とうとう振られたな」


トンダ囃子ばやしらが、どっとわらった。


「さっきの見てたぜ」

「あいつ怒ったらこえーなー」


ひろがキッとにらむと、むこうがひるんだ。


ひろは乱暴に彼らを押しのけ、階段をのぼった。



教室にもどると朝のチャイムが鳴った。


雪村は席にいる。


ひろは黙って席につくと

顔をひきしめ前をむいた。



教室に、熊田先生がはいってきた。


残りの生徒がバタバタ席につく。


ハズミが遅れて前に座る。


そのとき、あれ?とひろはおもった。


今朝はじめて顔を合わすのに

ハズミがなにも声をかけない。


見もしない。


ひろはとまどい、うかがった。


すでにホームルームが始まっているから?


心臓がドクンと、警告のベルを鳴らす。


いや…これは。


昨日の行動を思い起こす。


体育のあと、すぐホームルームになったので

ひろは終わるやいなや

なにもかもから逃げるように帰ったのだ。


シマッタ…。


昨日の起こした問題は

雪村以外にもあったらしい。



先生が、「こないだの遠足の記事が載ってるぞー」と前列にお便りを置いていった。


「スキーのやつかあ」

「あ、オレ写ってる」


スキー、か…。

もう、遠い昔みたい。


ハズミにはきちんと説明しよう。


そしてこれまでのこと、

色々きいてもらいたい…。



席の先頭から、お便りがまわってきた。


ハズミが黙ってひろにまわす。


その渡す手に

妙によそよそしい感じをうけた。


怒ってるのとは違う…なにか変な感じ。


あとにすべきか迷ったが

ひろはハズミの肩をそっとたたいた。


「なに?」


ハズミが背中で返事する。


いつもと変わらぬふうな声色と

背中の緊張がそぐわない。


「あの…あとで話したいんだけど、いいかな?」


注意深く、様子をうかがう。


しかし、なぜか返事がこない。


背を向けたまま、じいっとしている。


冷や水をかけられたみたいに

ひろの心臓がドクンと打った。


「ハズミ…どうしたの?」


たずねるの声と胸の鼓動が

耳の奥でうるさく重なる。


ハズミは返事をしない。


どうしよう…。こんなハズミ初めてだ!


「なんで?」


もう一度きく。

そのときひろは、クラスの雰囲気が

いつもと違ってることに気がついた。


教室を見わたす。


クラスメイトがひろを見て

あわてて目をそらした。


はっきりひろを見て

わらっている者もいる。


雪村も気づいている様子だった。


まわりの視線を避けるように

ほうづえをつき、顔をはんぶん隠している。


ハズミに目を戻した。


ハズミはじっと前を向いたまま黙っている。


そういう…こと?


ひろは視線をおろすと

自分の両腕を強くつかんだ。


なにがあってもハズミだけは

わたしの味方でいてくれると思ったのに…!



その日はずっと、視線やひそひそ声が

ひろのまわりを取り巻いた。


「ええっ、それホントなの?」

「みてた人がいるんだって」

「サイテーじゃん」

「でも向こうもさ…」


クラスが違い、名前も知らない人さえも

ひろを見て耳打ちした。


でもひろは堂々としていた。


じっとこらえ前をむいていた。




放課後、委員会を終えて帰る途中

クラスの廊下から、ガサガサ音がきこえた。


掲示板の前で、

ゆりが大きな模造紙を貼っている。


今週の壁新聞だろう。


ふと、いやな考えが頭をよぎった。


ゆりもいるんだ…。

元木も知らないはず、ない。


ひろの足が止まる。


新聞に並々ならぬ 熱意を持っている元木は

最新のニュースを、いち早く載せる。


ひろは顔をあげると、

掲示板へ向かって行った。


ゆりが気づいた。


ひろは黙って壁新聞の前に立つと

冷静にざっと記事に目を走らせた。


ゆりの視線をほおに感じた。


時事ネタ、4コマなど、新聞の隅々まで

二度、三度と確認する。


………、ない。


ひろが考えていたような記事は

どこにもなかった。


「うわさのこと、

書いてあるのかとおもった…」


目を伏せたまま、

ひろは正直にゆりに言った。 


でも…。

今回のに間に合わなかった、

だけかもしれない。


疲れたし、もう帰ろう…と

ひろが行きかけたとき、

ゆりがためらいがちに言った。


「あの…、みんな 詳しく知りたがってるって

じつはどうするか、めたんだけど。

元木がね、それは部の訓示に

反するんじゃないかって…」


くんじ?

耳慣れない言葉に、ひろはぼんやり顔を向けた。  


ゆりが続ける。


「新聞部の訓示って、えっと…

『公平で、正確な情報を伝え、

一人ひとりの学校生活が、より豊かで

面白いものになるようにする』

って…いうんだけどね」


ゆりはそこで、考えるふうにまゆをよせ

「わたしも、そうおもう」

と、ひろにいった。


新聞には、手作りチョコ特集が

大きく載っていた。


『ふわふわチョコの作り方』と題して

お菓子作り名人の栗原さんが

新作チョコを

イラストと写真で解説している。


「そっか。ありがとう…」


記事に目を向けながら、ゆりにいった。


おととい救急車で運ばれた1組の森くんが

盲腸というものがどんなに痛いかを

熱弁している記事もあった。


術後の写真だろう。

ベッドに横になり、ピースしている。


「ううん、あたりまえだよ。

でもね、訓示なんて意識したの、今日初めて。

部活でいっつも 復唱してたんだけど。

ああ、そういうこと言ってたのか…

なるほどなぁって」


ゆりがホッとした顔で笑ったとたん

ひろは身をひるがして

ゆりの背中に飛びついた。


「ゆりの新聞部って、すごい。カッコイイ」


肩をもむと、ゆりがヒャアッとこそばがって

身をよじった。


ひろはスッポンのようにへばりつき

さらに肩もみをした。


もだえて目尻に涙をにじませたゆりは

やったな〜このぉと、

今度はひろの脇をくすぐった。



やっては、やり返し、


最後はわらいすぎて

ヘトヘトになった。



そうしないと

泣いてしまいそうだった。




❄️ ⛄ ❄️ ⛄ ❄️ ⛄ ❄️ ⛄ ❄️ ⛄

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