第8話 チョコロ
委員会で遅くなり、急いで学校出たのは
外がだいぶ暗くなってからだった。
ひろは部活に入っていなかったので
遅くなるのは委員会ぐらいだ。
二年生のとき、学級代表に推薦されてしまい
特に忙しい身でもないので引き受けた。
学級代表といっても、たいした仕事はない。
ひろは歩きながら指で
右ポケットの中をまさぐった。
おなかは今、猛烈にすいている。
「ど・れ・に・し・よ・う・か・な」
人気のない道で、ひとつ取りだす。
街灯にかざし、色を確認する。
黒い空に、青の玉がポツンと光った。
宇宙のなかの地球って…こんな感じ?
強くまぶしい光が青い玉を照らす。
街灯の光線は太陽だ。
銀紙をめくり 口に入れる。
固い大地がドロドロの溶岩になって
暗黒の中に飲み込まれていく。
空腹のからだに
チョコの味わいが染みわたっていく。
ああ。こんな美味しいモノ、他にない。
絶対ない。フフッ…。
宇宙にだって、きっとない。
大通りに出た。
信号で立ち止まる。
ライトをつけた自動車たちが
まるで大きな生き物みたいに
ブンブンうなりながら走っていく。
今日の買い物は牛乳だけだし…
コンビニでいっか。
ひろはケータイを出し、 画面を見た。
お母さんからメールで
『7時に帰る』と入っていた。
お父さんからは、まだメールがないので
遅くなるのだろう。
両親とも役所勤めだ。
公務員なのに仕事が定時に終わることはない。
忙しそうな自動車たちが
黄色に変わった信号で止まり始める。
小学生の頃はひろも、学童に行ったり
クラブ活動で忙しくしていた。
それは、小さな子どもが家にひとりでは
心配だという、両親の都合からだった。
中学生になった今は
何もせず気ままに過ごしている。
自由とは、自分の好きにできる
時間のことなのだ。
両親も口出ししなかった。
大きくなると、大人に監督してもらわなくても
ひとり勝手にやっていけるのだ。
横断歩道の信号が
青に変わる瞬間を、ひろは待った。
大通りに面したコンビニが、先に見える。
そのこうこうとした店内に
雑誌の立ち読みをしている、雪村の姿を
ひろは偶然発見した。
しかもまだ制服を着ている。
あ〜あ、ダメじゃないか…こんな学校の近くで。
信号が変わり、ひろは現場へ向かった。
入店のメロディーとともに中に入り
テクテク近づき、そばへ立つ。
雪村はまったく気づかず、
マンガ雑誌を読んでいる。
「いったん家に帰ってから、また来たら?」
「ワッ…」
まわりに気をつかって声を落としたのに
よほど驚いたのか、
雪村は手に持っていた雑誌を派手に落とし、
あわてて拾い上げようとして
また落とした。
騒々しい音に、店員や客がふりむく。
雪村は赤くなってひろと周囲に目をやると
雑誌を元に戻し
あたふたとコンビニを出た。
ひろも続いて、あとを追う。
「おどかすなよ!」
「そんなに驚くことないでしょ?」
店の外で同時に言った。
そして一緒に吹きだした。
「雪村のあのカッコ…」
ひろがしつこく笑ったので、雪村が怒った。
そのうちふたりの興奮も
冷たい夜気分に冷まされて、
やがてコンビニの光のなかから
袋をさげて出てきたおじさんが、
ひろたちのいる駐車場のトラックに乗り込み
暗い道路へでていくと、
自分たちもそろそろ帰る時間なのだと
お互いにおもった。
一緒に帰るふうに、雪村が先に立つ。
すると今になってひろは、自分がなんの用で
コンビニに寄ったのかを思い出した。
「あの、さっき牛乳を買おうと思っていたのに
忘れちゃって…」
ひろは謝るふうに
後ろのコンビニを指さした。
雪村はここで別れることに
なんの感想もないみたいに「ふうん」と答えた。
言ったあとでひろは
牛乳なんていつでもよかったのに、とおもった。
でもすでに言ってしまったので
「じゃ…」と告げ、ひとり店内へ引き返した。
ひろが二本の牛乳をさげて
コンビニから出てみると
雪村は駐車場で待っていた。
雪村は「待ってる」とは言わなかったし
ひろも「待ってて」とは言わなかったが
雪村は当たり前のように待っていたので
ひろはドギマギしつつも
「お待たせ」 とだけ言っておいた。
それから並んで歩きはじめた。
ふたりのそばを、ライトをつけた自転車が
チリリンと通りすぎる。
道が暗いのが、なんだかありがたかった。
「しょっちゅう寄り道してるの?コンビニとか」
ひろがきいた。
「んー、あんまりしてないけど…」
雪村は鼻をこすって、あいまいに答える。
黒いコートのサラリーマンが
ひろたちを追いこした。
「それ持ってやろうか」
雪村が牛乳のことを言った。
ひろは急に女の子扱いされたようで、
あわてて断った。
「別にいいっ、全然…
こんなの ちっとも重くないから」
でもそれは、相手の好意をむげにする
可愛げのないものだったのでは…と
ひろは言ってすぐ後悔したが
雪村のほうは全然気にしてないふうだった。
しばらく黙って一緒に歩いた。
ひろが角を曲がると、雪村も曲がった。
雪村はまだひろと同じ方向らしい。
ひろがきいた。
「家、この辺なの?」
「うん…」
雪村があいまいに答えた。
くすぐったいような変な気分だ。
また黙って歩いた。
この辺りの道は暗くて狭い。
まわりの家々から明かりがもれ
夕飯の支度をしている気配がした。
ひろがきいた。
「こんなに遅くなったら、おうちの人、
心配するんじゃない?」
「うん…」
雪村はまた、あいまいに答えた。
そのまま黙って歩く。
ふいに雪村が言った。
「今日、親父が来るんだ。 久しぶりに」
お父さん?
まるで親戚が来るような、不思議な言い方だ。
「じゃあ、早く帰らないとね」
ひろは諭すふうに答えた。
「うん…。でも、まあ、
先にふたりで話もあるだろうし…」
雪村はまた、あいまいに言った。
笑っているのに、悲しく見えた。
すごく大事な話を聞いてしまった気がした。
雪村はもうなにも言わなかった。
公園の前にさしかかった。
「わたしの家、そこなの」
ひろは立ち止まると、向こうの角を指さした。
雪村は「うん」と答えた 。
ひろは自分が途方もなくバカにおもえた。
別れぎわ、雪村が言った。
「古田。チョコロ 、1コくれる?」
雪村がそれを覚えていたことに少し驚きながら
ひろはポケットから一つ取りだした。
街灯に照らさなくてもわかった。
銀のチョコロは、暗闇にハッとするほど白く
くっきりと見えた。
星のようだとおもった。
雪村に差しだす。
雪村の手のひらに、白い光がコロンと落ちた。
ああ、もしコレが本当に…ほんとうに
空から落ちてきたモノだったら!
星よりも…魔法の雪だったら、イイ…。
雪村のため、ひろはそう、天に願った。
雪村は「サンキュー」といって
それを手のなかに軽くにぎった。
そして、にぎった手をひろに振って
帰っていった。
ひろはその背中が、
夜道に消えるまで動かなかった。
そして、雪村の家は
この辺じゃなかったんじゃないか、とおもった。
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