第7話 コロッケパンと千円札

「まさかまさかまさか〜〜〜!」


ハズミは何度もカバンをのぞきこみ

手で探るように、内側をかきまわした。


「うっそぉ…嘘でしょぉぉ」


ハズミががっくり首をたれる。


ひろはすでに自分の机の上に

お弁当を用意していた。


「入れ忘れたみたい…おべんと、うぅ〜〜… 」


ハズミは言うもショックというふうに

自分の状況を説明した。


はたから見ると大げさな、

と思うかもしれないが、

自分でお弁当を作っているハズミにとっては

悔しさもひとしおなのだ。


「どうするハズミ? 

取りに帰る? それとも何か買ってくる?」


「ウウウ…しゃあない。

お弁当は晩ご飯にまわして

購買でパン買うわ」


気持ちを切り替え、さっそく出立しようとした。


でも、手ぶらでパンは買えないことに気がついて

行きかけた足でまた戻ると

必要なものを取り出しに

またカバンの中へ手をつっこんだ。


購買でパンか…いいな…。


口の中に生つばがたまる。


ひろは、購買のコロッケパンに目がないのだ。


「ね、ハズミ! わたしもパン買いに行く。

でさぁ、わたしのお弁当、半分コしない?」


ひろの思いつきにハズミも乗った。


ではふたりで買いに行こうと

意見がまとまったところで

さっきからまだカバンの中をゴソゴソしていた

ハズミの手が止まった。


悲しげに顔をあげる。


そして、「財布も忘れちゃった…」

と事態を告げた。


しかしその問題は、たやすく片付いた。


ひろは大抵余分に持ってきていたので

ハズミに貸すことができた。


ちなみに言うと、自分のおこづかいではない。


ひろが大抵余分に持ってきているお金とは

お使いのお金だ。


両親とも共働きで、帰りが遅いので

ひろは家のお手伝いとして

普段の買い物を担当しているのだ。


そこはハズミと事情が似ている。


違うのは、ハズミには家に帰れば

おばあちゃんがいるということだ。


ただ、おばあちゃんは足が悪いので

ハズミは学校帰りに食材を買い

それをおばあちゃんが

夕食に調理する。


だからハズミにとっては

財布を忘れたというのは

とても面倒なことなのだ。


わたしたちは、そういうデリケートな問題を

共有しているので、当たり前のように、

ハズミの買い物に足るだけのお金を貸した。


こういう貸し借りは

わたしたちの間では普通だ。



   🟤   🔵



「ゲゲ、いっぱいだぁ…」


狭い購買の一角に、パンを買う生徒たちが

30人ほど群がっている。


これに列などない。


争奪戦といっていい。


ひろも群れの後ろから負けじと加わり

目当てのコロッケパンがまだ残っているかどうか

背伸びで探した。


パンの並んだショーケースの後ろで

三人のおばちゃんたちが

生徒に忙しくパンを渡し、さばいている。


人気の高いコロッケパンは

早くしないと、なくなってしまう。


となりのハズミが、

あっと気づいたような声をあげた。


「お〜い! 元木っ、元木〜っっっ」


ハズミの声に、

すでに購買の前にたどりつきそうな

元木が顔を向けた。


「お願いっ、アタシの分も一緒にたのむ!

ひろはコロッケパンだっけ?

元木ぃ〜っ、 コロッケパンと

フランクカレーパン、たのむっ」


元木はびっくりした顔で

ウンウンうなずいた。


「ずりぃぞ、水沢 !」群れの中から

石井の顔が、振り返って叫んだ。

「オレらのあとから来たくせにっ 」


ひろはムムッと石井をにらんだ。


スキーのときの結束は

あの日かぎりで終わったらしい。


「フン。別にいいでしょっ。

に頼むぐらい」


ハズミはしれっと答えた。


「はあ? なんで元木がお友だちなんだよっ」


石井はなおも文句をつける。


ハズミはこれ以上答えても仕方ないというふうに

とぼけた顔で会話を打ち切った。


石井には分からないのだ。


男子はじつは、知らないかもしれない。


購買のパンを

女子が男子に頼むとき

奥底に秘めている暗黙のルールを。


それは決して、

人の中をおしくらまんじゅうしてパンを買うのが

か弱い身には大変なのだ

という理由ではない。


ひろはこの女子の行動心理について

自分なりの見解を持っている。


女子は男子に獲物を捕ってきてもらいたいのだ。


自分のために。


原始の時代から人類がそうしてきたみたいに。


気に入った男子から、それを受け取りたいのだ。


「しまった水沢っ、

オレぎりぎりしか、おカネ持ってない!」


前方の元木が、困った顔で振り向いた。


驚いたハズミは、たたんだ千円札を指先にはさみ

群衆の上から腕をのばして、

元木のところまで届けようとした。


元木もあわてて 腕をのばす。


元木の指先が、千円札の先に、

触れたように見えた。


と、千円札がくるりと下がり

ハズミの指先からすべり落ちた。


千円札は音もなく落ちた。


小銭ならチャリンと音がした。


「アッ」とあげたハズミの声に

数人が顔を向けた。


が、気づいたところで視線くらいは落とせても

見つけて拾ってあげるなんて芸当は

例えラグビー部員でも、できなかったろう。


千円札は群れのなかで行方不明になった。


途方にくれた元木の顔が

黒い頭の並ぶ向こうに

ひょこひょこ浮かぶ。


ハズミの判断は早かった。


すぐそこで終止符を打つ。


「ごめん元木っ、自分で買うから大丈夫!」


確かにもう、そうするしかない。


元木はすまなそうに手で謝り、

黒い波間に見えなくなった。


ひろとハズミはいったん下がり

みなの後ろから、しゃがんでのぞいた。


足、足、足…で、

床はほぼ埋め尽くされていた。


ひとり2本ある足は

見えるだけで相当な数だ。


軽い紙なんて気づかれず

踏まれてそうな…。


イヤ、それとも下まで落ちないで

まだ途中のどっかで、引っかかっているとか?


それか知らずに蹴っ飛ばされて

見当している辺りより

ずっと遠くへ行ってるのかもしれない。


千円は小銭と違って大金だ。


なんとしても見つけたい。


足の林のなかを、目で縫うように探す。


「水沢〜っ、見つかった?」


パンを買った元木が戻ってきた。


ハズミが「まだ」と答えると

「そうか」と言って一緒に探した。


責任を感じているらしい。


へえ…そういうの、女子のポイント高いのよ。


「弱ったなぁ、これじゃ、わからないなぁ」


元木はあっちからこっちからと

頭を下にのぞいてまわった。


ハズミがわらって元木にいった。


「いいよいいよ、人がすくの、待ってみるから。

それに、そんなふうに下からのぞいたらサ?

…ホラ、あらぬ誤解をまねくかもよ?


「ええ? うそっ」


素直にあわてる元木に

ひろは横でクスクスわらった。


ハズミは冗談を使って

元木を自分のもとから解放するつもりだ。


今ここに、三人いたって仕方ない。


ハズミはからかうように追いやって

元木はすまなそうに帰って行った。


ひろは心の中で、元木にいった。


ハズミはね…

いつか有名なコメディエンヌになって

取材にきた元木と出会って…って

そんなストーリーを思い描いているのよ。


じっとしゃがんで元木を見送るハズミの姿は

片隅に小さく咲いてる花のように見えた。


あとはふたり、目で探しながら

人がすくのを待った。


パンを買った生徒は、次々出ていったが

新たな生徒が、そのまた後ろから

加わっていった。


ハズミが言った。


「…ひろ、悪いけど、パン買ってきてくれない?

アタシここで探しとくから」


そうね。きっとそれがいい。


ひろはうなずき、立ち上がった。


そのとき、「あの」と声をかけられた。


ひろたちが振り向くと、それは雪村だった。


雪村は購買の袋から、パンをひとつ取り出すと

ハズミに差し出した。


「これ…買おうとおもってたんだろ?

フランクカレーパンでよかったっけ?」


ハズミは目をしばたいて「うん」と答え

とまどうように受け取った。


女子が秘めてる暗黙のルールが

ひろの頭をよぎった。


ハズミは元木ではなく雪村から…、

獲物を捕ってもらったことになる。


「それ、けっこううまいよな。オレも好き」


雪村はハズミに渡すと、無邪気に言った。


ハズミは少し困ったように顔を赤らめて

「ウン」と答えた。


雪村はふたたび袋に手をいれると

今度はひろにパンを差し出した。


「古田は…コロッケパンだろ?」


ひろもうなずき受け取る。


ひろは、雪村がコロッケパンについても

なにかひとこと言うのでは…

と続きを待ったが、ひろのパンには、

なんのコメントもつけなかった。


雪村は、そんなひろを、

別の意味にとらえて言った。


「 なんだよ。

さっきオレもあそこにいたからさ。

ついでだったんだ、ついで」


そして自分の買ったパンを

くどい言い訳のように、袋をあけて見せた。


中にはパンが3つあった。


その1つは コロッケパンだった。


一緒だ…。


一緒なのに言わなかった。


その小さな不思議さが、

かえって隠された思いのように映って

ひろはなにも言えず口をつぐんだ。


雪村はムスッとした顔で

手のひらをぐいっと片方

ひろの前に差し出した。


手のひらは、なにも乗っていなかった。


雪村は黙っている。


えーっと…。


わからぬまま、

ひろはおずおず手を差し出した。


ひろの手が、そこへ乗るか否かで

雪村がびっくりして手を引っ込めた。


「バカ、ちがうぞっ。

…! パン代払えよなっ」


「そっか、ごめん…っ」


ひろは自分のかんちがいを

恥ずかしくおもいながら

持ってきた財布をあけた。


「えっと… ふたつで、いくら ?」


「三百六十円 」雪村が無愛想に答える。


「あの、おつりある?」


ひろが遠慮がちに五百円玉を渡すと

雪村はめんどうくさそうに自分の小銭を数えた。


「古田、十円ないの」


ひろはもう一度、財布の中を確かめた。


「えっと…四円ならある」


雪村はフンと息を吐くと

「十円はもういいから」と、ひろの手に

百円玉と五十円玉を並べるようにそっと置いた。


「え…でも」


「いいってば」


雪村はこれ以上言ってほしくないようで

ひろは黙って受け取った。


そしてそのまま雪村は、

「じゃあな」とすぐ行ってしまった。


ひろは、さっき元木を見送ったのと

同じように見送りながら

どうゆうのが 女子のポイント高いだろう…と

ふたつのサンプルを比べておもった。


それから、千円札を目で探しつつ

ハズミとそこで パンを食べた。


コロッケパンは、口の中でやさしくほどけた。


でも今日のコロッケパンは

いつもとちがう味わいがした 。


たぶん、頭のなかで、

『雪村も今どこかでコロッケパンを食べている』と想像したからかもしれない。


なんだかそれは、雪村の味がした。


ひろは、もそもそパンを食べながら

女子が秘めてる暗黙のルールは、裏を返せば、

男子にも当てはまるのではないかと

気がついた。


男子は捕ってきた獲物を

気に入った女子にあげたいと思っている。


人類が、原始の時代からそうしてきたみたいに

受け継がれた本能として。


「アッ…あれかな?」


ハズミが身を乗り出し、指さした。


ひろもハッと目をやった。


でもそれは、落ちたレシートだった。


やがてパンを食べ終えた。


購買の前もすいてきた。


そこで現場へいき、

まばらになった人の間で

落ちた千円札を探した。


あるはずだと思っていたのに

千円札はどこにもなかった。


パンのショーケースの下ものぞいてみた。


そんなひろたちを見て

親切な購買のおばちゃんたちが

ショーケースを動かし見せてくれた。


埃だらけの下に、何枚か小銭が落ちていたが

千円札はなかった。


しかたなくふたりで

まだお弁当を置いたままにしている

自分のクラスへ戻ることにした。


「ハズミ… 怒られる?」

廊下をゆく道すがら、

ひろはたずねた。


もし、ハズミが家でつらい立場になるのなら

もともとわたしのお金なのだし

自分はなくしたことでいい、とおもった。


「怒られないよ」


ハズミは平気そうにいった。


「ま、これは自分がなくしたんだし、

自分のおこづかいでなんとかするよ」


ひろはまゆをひそめた。


そんなのって…。


わたしだったら「ごめんなさい」で舌だして

「 気をつけなさい」で終わる話だ。


千円を… それも自分のおこづかいで

まかなうなんて。


ここはもう「わたしがなくしたことでいい」と

ひろは譲らぬ思いで主張してみせた。


ハズミは冗談みたいに笑っただけだった。


「じゃあ、わたしも半分だす!」


ひろが言うと、今度はすこし身を引いて


「だって …なくしたのはアタシだし」


と、サラリとかわした。


それが当たり前だと言わせる何かが

他者の立ち入りを拒否している。


自分のしたことを、自分で引き受けるのは、

確かに正論かもしれない…。


でも公平と言えるのか?


ひろは考え、訴えた。


「あれは不幸な事故っ…」

「ハズミがなくしたとは言えないっ…」

「お金のほうが消えたのだっ…」


思う理由を並べていく。


すると勢いに押されてか

ハズミの顔がふっとゆるんだ。


そして 面白い話でも聞くように

ふふふ…っとわらいだした。


ひろもなんだかおかしくなって

ハズミ一緒にわらいだした。


「ねえ、ハズミ…」わらうおなかを

かかえながら、ひろはいった。


「わたしの買うパンでもあったわけだし、

わたしに全然関係なかったとは、言えないよね。

あの場でハズミが、引き受けたんだもん。

だったらさ…なくなった分は

ふたりで半分コはどう?

そうするのが本当じゃない?」


ハズミの顔が、ひろを見て、

とまどっている。


ひろの胸の奥底で

小さな痛みがチクリと刺した。


ああ…ハズミ。

わたしは同情してるんじゃあないのだ。


不公平が嫌なのだ。


ハズミがおこづいでまかなうならば…

同じようにそうしようと思うのだ。


ふたりの足が、

ちょうど教室へたどり着いたときだった。


中で石井がかなりハイテンションな様子で

みなを前に話している。


「だって仕方ねえじゃん !

いつ、くっつけてきたのか、わかんねえし。

それに先生に渡したってサア、

どこにあったかわからないものじゃあ、

落とし主だって現れないんじゃないか?

ひひっ、これは正直なオレに、神様がさ、

おこづかいをくれたんだよ。

くつひもに千円札が引っかかってるなんてなあ!

ミラクルだよなあ!」


ひろとハズミは顔を見合わせ、

にこやかな石井めがけて突進した。



❄️ ⛄ ❄️ ⛄ ❄️ ⛄ ❄️ ⛄ ❄️ ⛄

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