第6話 真剣勝負

小休憩でみなで休憩所へもどったとき

雪村にウェアーを渡してお礼をいうと

フンと返事がかえってきた。


まだ機嫌がわるい。


犬がカエルの例えが気に入らなかったらしい。


雪村のスキーは、

ちょっとした話題になっていた。


ひろとハズミはテーブルにつき

販売機のココアで暖をとった。


ハズミは疲れたのか、口数が少ない。


両手で紙コップを持ったまま

ココアの表面をじっとみている。


ココアの中に、なにか入っているのかと

ひろはハズミのカップをのぞきこんだ。


「…ええいっ」


突然ハズミが声をあげた。


「よぉし…ひろ、ちょっと付き合って!」


そして立ち上がると、返事をする間も与えずに、

ひろをテーブルから連れ出した。


「えっ、とっ…なになに?」


手をひかれるまま、

ハズミのあとをあたふた続く。


みなの休憩しているフロア内を足早にゆき

中央のストーブを横切る。


一体どこへ行くのかと、案じたところで、

前方のハズミがピタリと止まった。


ひろはつんのめって、とととと立て直した。


ハズミが、よく響く大きな声で

先に向かって呼びかけた。


「あのうっ、…雪村!」


先のテーブルに雪村がいて

ハズミに呼ばれ、ふりむいた。


一緒にテーブルにいた

男子たちも顔をあげる。


「あのうっ、休憩が終わったらサ…、

アタシと勝負してくれない?」


ひろは目をまるくして、

ハズミの顔を振り仰いだ。


ハズミは頬を上気させ、真剣な眼差しで

雪村を見つめている。


一瞬の間があって、

オオ〜ッとまわりから歓声があがった。


「おもしれ〜っ。水沢もすげぇうまいもんなっ」


「スピードか? ジャンプか?

どうやって決めんの?」


「はっきりいって、どっちが勝つか

わかんねえよ!」


「おまえ、どっちの味方なんだよっ」


「雪村 、もちろんやるよなっ」


あっけにとられる中、

まわりは、どんどん 盛り上がる。


そして後に引けない状況になった雪村は

この勝負を受けた。



   🟤   🔵



勝負は一回。

先にゴールに着ついた方が、勝ちだ。


ひろたちは、リフトで一番上までのぼった。


ふもとのゴールには、

女子がふたり分かれて、

目印の旗を掲げている。

学校の引率用だ。


ふたりの勝負の話は、

またたく間にひろがったらしい。


見おろすと、

ゴール付近に人だかりができていた。


天候は少し荒れ、視界がうすく曇っていた。


さっきより滑っている人の数は

少なくなっている。


ハズミと雪村は斜面のへりに立った。


鈴木と石井が雪村の背中をたたく。


「女なんかに負けんなよ」


「ぶっちぎれよ!」


「ハズミ、がんばれ!」


ひろも、エールを送る。


スタートの合図は公平にいこうと

鈴木はひろに提案を持ちかけた。


合図をお互い、確認する。


位置につくと、ゴール付近で異変がみえた。


下で熊田先生らしき人が

女子たちから旗を取りあげている。


そして、ひろたちに大きく手をふったり

なにか叫んでいる様子だ。


声は届かない。


そのうちリフトに乗りこんだ。


「ウワッ。こっちに来る気だ」


「やべーんじゃねえの?」


鈴木と石井が、顔を見合わせた。


あわててひろも確認し、

ゲレンデへ首を伸ばす。


リフトに乗ってるペアの後ろ、

豆粒ほどの先生が

ちんと座ってのぼってくる。


よもやこれまでと、ひろは悟り

仲間の方へ身をもどした。


まだ、じっとゲレンデに目を向けてる

ハズミの青い顔がある。


あきらめがたいだろうな。くやしいだろうな。


なにも言わない顔が、そう言っている。


でも…こうなった以上、ここで先生を待ち、

勝負は中止すると伝えた方がいい。


しかし、ひろは言えなかった。


そうは、ハズミには言えなかった。


ああ…先生さえ、気がつかなかったら!!


あるいは、まわりがこの勝負に

…!!


ただの他愛ないお遊びとして、

おもしろい思いつきとして、

レースは平和のうちに

終わったんじゃないだろうか?


先生が止めに入る理由はきっと

普通に滑っている人たちのいるゲレンデで

スピードレースをするのは危ないと

そういった事だろう。


でも今、ゲレンデはすいてるし

ハズミも雪村も、人をよけるくらい

充分な腕もある。


ふたりなら、なんの心配もないと

わたしは断言できる。 


そうだ…先生が来たら、そう説得してみようか。


ううん…先生はそんな話、

楽観的に受け入れてはくれないだろう。


先生は、を考えるのだ。


わたしたちに、

起こしてほしくないのだ。


そのときふと、位置についていた雪村が

大きく二回、肩をまわしたのが見えた。


そして雪村は、

まるで天気のことでも話すように

横のハズミにきいた。


「どうする水沢?

たぶん、やめろってことだろうけど」


ハズミは面食らったふうに

ゲレンデから顔をあげた。


驚いたことに雪村は、先生の待ったを

深刻な事態とは、とらえてなかった。


それを理由に、やめるつもりはないらしい。


でもハズミがやめたいなら

やめてもいいと言っているのだ。


「アタシは…」


少しかすれたハズミの声に…

ひろは、『やめる』と言うとおもった。


先生の静止を無視して行けば

事態はもっと厄介になる。


まるで石か、なにかが入ったみたいに

ひろは、おなかが冷たくなった。


先生の怒りの形相が見える。


もし自分の命令にわかってて、そむいたら…。


鈴木と石井の、張りつめた顔が

シンと並んで 、ハズミを見つめる。


ひろのおなかの石ころは

ますます重く、苦しくなった。


しかし一方、頭のほうは、

それとは別の、全く反対のほうへ

向かっていった。


ギリギリにきて、

かしこい選択とは言えないほうを

ひろはハズミに願っていた。


つかえた息を吐くように、ハズミが言った。


「……やりたいっ」


雪村が、ひろたちへ顔を向けた。


みな、互いの顔をみて、うなずきあった。


覚悟が決まったせいか、

不安そうな顔は、ひとりもなかった。


それがなんだか誇らしくおもえる。


今は怖いものなどないくらい

心が高揚している。


みなピピリと、いい顔でひきしまってる。


あの石井ですら。


さあ… グズグズしてはいられない!


「水沢。あのゴールのあった辺り覚えてる? 」


雪村がゲレンデを指さした。


ハズミが「うん」と答えてから、雪村が続けた。


「いま旗がないけど、ちょうどいいな。

間隔がちょっと狭いとおもってたんだ。

あのゴールよりもっと手前で、そうだな…

左側にリフト乗り場があるだろ? そこから、

あそこのみんなの集まっている所を頂点にして

右に向かって水平に線を引く。

それをゴールラインにしよう。わかる?」


雪村は下の風景を指でなぞりながら

ハズミに説明した。


「わかるよ、オーケー。

右に目印はないけど、

リフトから水平のライン ね」


「よかった」


「そうね。その方がゴールの旗を

目指さなくていいし

下におりるだけでいいから楽だわ」


「うん」


「雪村…こうゆうレース

何度かしたことあるの? 遊びで?」


ハズミがハッと気づいたように

雪村を見た。


「まあ、遊びではしょっちゅう。

正式のは何度か…」


ハズミは驚いて、短く息をはいた。


「水沢は?」雪村の問いに、

ハズミは「…ない」と

ショックを受けたふうに答えた。


「大丈夫だよ。水沢は、いい滑り方してるから」


雪村は請け合った。


「軽い、紙ひこうきみたいだけど

ちゃんとコントロールできてるし、

無茶もしてない。

いつものように、落ち着いてやれば、

問題ない」


ハズミは雪村の言葉に、

驚いたように口をつぐんだ。


うれしいのだ、ハズミは。


ひろには分かった。


自分が雪村の滑りに注目していたように

雪村も見てくれていたことに

いま…きっと、感激している。


ハズミは参ったというふうに

うつむいて笑った。


「おいっ、水沢も雪村も早くしろよ!

先生が来ちゃうだろ!」


遠慮のない石井が、遠慮のない言い方でいった。


「ゴメン、石井の言うとおりだわ!」


ハズミは、ほがらかにわらい、

オーケーの合図を送ると

ゲレンデのほうへ向き直った。


そして隣に並ぶ雪村に


「ありがとう 勝負してくれて」


と短く伝えた。


雪村は「いや、」と、

びっくりしたふうに言い、


「こういう感じ…久しぶりなんだ。

だから今すっげえ、わくわくしてる」


と白状するみたいに舌を出した。


鈴木が合図した。


「位置について」


ふたりのスキーヤーが、

スタートの体制をととのえた。


「よーい……」


姿勢をグッと低くする。


「ドンッ!!」


ひろの声に、ふたり同時に飛びだした。


ふたりは 猛スピードで 突っ込んだ。


どちらも速い。


まわりのスキーヤーが、

ふたりのスピードに驚いて振り向く。


雪村が人をよけ、大きく外側へまわりこんだ。


ハズミはそのまま突っこむ。


ハズミは人を交わしながら、

時々あおられるように、くうに浮いた。


ひろの目がふたりを追い、左右に激しく動く。


雪村が矢のような速さでゴールに近づく。


ハズミが遅れている。


ハズミの先に人がはいってきた。


危ないっ。


ハズミが雪煙をあげ 激しく転んだ。


ひろは身を乗りだした。


雪村がゴールして、後ろをふりかえった。


雪村めがけて、生徒たちがどっと集まってくる。


雪村は人だかりに、もまれる前に

向きを変えると、ハズミのほうへ滑っていった。


ハズミは雪に深く埋もれて

起きあがるのに時間がかかっていた。


雪村が手を貸した。


雪村 のあとに続いて、他の生徒も駆けつける。


これはあとから、新聞部が記事にしたものを

読んだ内容である。


雪村のあと、いち早く駆けつけた元木が

ふたりの様子をレポートした内容によると

雪村はハズミのもとへ滑っていき

くやしそうなハズミに手を差しのべると


「すごいな水沢は。速いからあせったよ。

人がいる中だったからな。

たまたま運がなかっただけだ」と言ったそうだ。


ハズミは首をふり、

「ううん、アタシの実力だわ」と答えて

ふたりは握手を交わした。


それがこの写真。


元木はその瞬間を

逃さずカメラに切り取った。


ふたりの握手の背景に、

こちらに向かってストックを振り上げる

鈴木と石井の小さな姿が写っていた。


わたしはもちろん、リフトで降りましたとも。


ひろが駆けつけたとき、ハズミと雪村は

元木の取材を受けたり

友だちに囲まれて大騒ぎになっていた。


ハズミは負けて悔しかったとおもうが

晴れ晴れといい顔をしていた。


元木の質問攻めに、うれしそうに答えている。


よかったなぁと見ていたら

熊田先生が戻ってきた。


リフトで U ターンして、今までかかったのだ。


それを合図に、

まわりは蜘蛛の子を散らすように逃げていった。


残されたハズミと雪村は

まずい…と顔を見合わせたが

どうしようもないと観念したようで

おとなしくその場で怒られた。


鈴木と石井とわたしの三人は

自然と合流し、先生に捕らわれた同志ふたりを

離れたところから見守った。


声はここまで届かなかったが

厳しいお説教を受けているのが、わかった。


が、それも思ったより早く終わった。


せいぜい5分ほどだった。


遠足では先生たちも忙しいのだ。

他の生徒も、見回らなくてはいけないし。


それから解放されたふたりと合流し

お互いの無事を笑顔で確認した。


そしてレースの内容を

ふたりの口から詳しくきいた。


雪村は外からまわった方が

早く行けると判断したらしい。


ハズミは最短コースを選んだが

途中で遅れそうだと気がついて

もっと速くとあせったら

コントロールが効かなくなり

前の人をかわし損ねて、転倒したのだと語った。


派手なこけ方をしたが、打ち身ぐらいで

大した怪我はないそうだ。よかった!


話がつきると、わたしたちは別れ、

それぞれまた、ゲレンデへと戻っていった。


それからあと、曇り空はカラリと晴れ

遠足は万事平和のうちに、一日を終えた。



   🟤   🔵



帰りのバスの中、

ハズミは今日の余韻にひたるように

窓の外を見ていた。


その顔は、ピカピカのリンゴみたいに輝いて

ひろが話しかけても、へえ…とか、ふん…とか、

夢見心地に答えるだけで

ひろもそのうち、しゃべるのをやめ

今日のいちにちに思いをはせた。


ハズミと雪村の勝負は、

当人以外の、まわりの人間にも、

深く印象付ける出来事となった。


先生の手前、それを話題にする者はなかったが、

例えば、バスに乗り込もうとする雪村に

別のクラスの男子たちが

賛辞をおくるように肩をたたいていった。


ハズミなどは、にこやかに手を振る者や、

親指を立てる者、ハイタッチを交わす者と

雪村より多いくらいだった。


そんなとき…ひろの内側からもぞもぞ顔を出す

やっかいな、いじけた感情が、今日はなく、

自分も称えられているような

誇らしい心地がした。


それはきっと今回のことは

自分たちも加わったのだという

自負があるからだ。


賛辞をおくる者たちは

勝負の勝敗より、勝負そのものに

心を寄せているようだった。


例えばこの勝負に、

先生が止めに入らなかったら、

ゴールの女子たちの旗を取り上げなかったら

彼らはこうした反応を示しただろうか。


ちょっと面白いものを見た、

くらいの感想で終わったんじゃないだろうか。


ハズミがはじめた真剣勝負は、

まわりにとっては、

楽しいお祭りのようなものだった。


雪村はどう見ても

まわりに乗せられ仕方なく、

といった感じだった。


わたしは付き添いとして

そばで見守るだけの役目だった。


先生がリフトで止めに向かったとき

それを見ていた生徒たちにだって

動揺がひろがったに違いない。


勝負は取りやめになると

誰もが思ったろう。


それがそうならず

リフトの先生を置き去りにして

ふたりがゲレンデへ飛び出したとき

下で気をもんでいた生徒たちは

びっくりしたはずだ。


リフトにいた先生なんて

さぞかし慌てたことだろう。


選択肢くれたのは、雪村だった。

やるならやっていいと。


決めたのはハズミだった。

決めていいなら、やって欲しいと。


わたしたちはハズミの思いつきに

ついて行ったのだ 。


この船の舵をにぎっていたのは

最初からハズミだった。


これはハズミが始めたことだった。


ハズミはよき船長だったと思う。


結果わたしたちを、わくわくする冒険へ

連れて行ってくれたと言える。


ハズミの選択は正しかったかどうかは

正直わからない。


実際ハズミはころんだし

やはり危険はあった。


でもハズミが自然と人を惹きつけるのは

こういうことなのだと

本当の意味でわかった気がする。


一発ギャグが、関心をひいている

だけじゃないのだ… きっと。


ハズミはまだぼんやり

窓の外を見ていた。


まるで寝てしまうのがもったいない

というふうに。


あれ?

ハズミって、こんなにキレイだっけ…。


ひろは不思議なおもいで

ハズミの横顔をみた。


赤い夕日がハズミの輪郭をなぞり、

ハズミの顔もうねった髪も

炎のように光っている。


元木は、今日のハズミのことを

どんなふうに思ったかな…。


ドキドキしたかな…。


ひろは息をついて、

重くなったまぶたを下ろすと

ふと、そんなことを考えた。


そして雪村とハズミだけの、

ふたりのやり取りを思い返した。


雪村はハズミのこと…どう思ったかな。

好きになったりした?


そう考えると、

いい気持ちはしなかったが

べつに雪村が心変わりしようと

誰を好きになろうと

そんなことは本人の勝手なのだと

ひろはその問題に片をつけた。


ただ、一年生の頃から好きと言っておいて

今日は今日でわたしに上着を貸したくせに

そう簡単に心変わりするとしたら

それはそれで軽薄 じゃないかと

そのあたりは追求していい、とおもった。


ひろはあくびをした。


すでに三度目のあくびだった。


バスの中はしんとして

ほとんどの者が眠っているようだった。


雪村も寝ているかもしれない。


ひろはそっと後方の席を

のぞいてみようかとおもった。


が、やめた。


その代わりに、

とじたまぶたの中で

斜面を滑りおりる、

雪村のスキーを思い返した。


青いツバメのような…。


やがてひろは揺れるバスに意識が沈んでいった。


ひろのとなりで、ハズミがぽそりとつぶやいた。


「いままで同い年の子には

負けたことなかったのになあ…。

アタシ、井の中のかわずだったわ」


ひろは半分夢のなかで

それを聞いていた。




❄️ ⛄ ❄️ ⛄ ❄️ ⛄ ❄️ ⛄ ❄️ ⛄

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