第5話 犬かカエルか

「ひゃっほーっ」


ハズミが雪煙をあげて、勢いよく止まった。


「どう?」


ひろは素直に拍手をおくった。

ハズミのうまさは群を抜いている。


ハズミは毎年、家族でスキーに行くほどの

スキーヤーなのだ。


今日は 遠足で、

長野のスキー場にやってきた。


スノーボードをしているお客さんもいたが

ひろたちは全員スキーだ。


ひろは運動神経はわるくないのだが

スキーはどうも苦手だ。


ふんばっても意思とは関係なく

スキー板はてんでバラバラに動く。


なんとかストックで止めようとするが

体が残っても足がズルズル引っぱられていく。


「ああ、スカッとしたーっ」


ハズミの顔は興奮で上気している。


「重力から解放されるっていうか

自由で、飛んでる気分っ」


なるほど。そんな気分、味わってみたい。


ひろは下の広場で練習にはげんだ。


ハズミは自分の滑る合間をぬって

ひろの指導も引き受けた。


ひろがひとり、ズルリ、ズルリと滑っていると

女の子たちの騒いでいる声がきこえた。


「みてみてっ、あの人超うまい!」


たしか あれは四組の女子たちだ。


ハズミの付き合いで、

よく元木のクラスに行くので分かった。


ハズミのことかと、

彼女たちの見あげるゲレンデを振りあおいだ。


ひとり、まわりの誰よりも速い、

ブルーのウェアーが目にはいった。


ハズミじゃない。


軽やかに、飛ぶようにおりてくる。


ひとりだけ重力が違うみたいだ。


女子のキャアキャア興奮した声がきこえた。


「雪村くんてさ、前まで北海道にいたらしいよ」


ひろはドキンとした。


「だからあんなに滑れるんだ」


「 めっちゃかっこいいね」


ブルーのウェアーは、下まで降りてくると

すぐリフトの方へ向かっていった。


あれから…雪村との関係が変わったかというと、

変わったともいえるし、

変わってないともいえる。


例えば この前 こんなことがあった。


席替えをしてから、

初めての掃除当番が回ってきた日のことだ。


班は席で区分けされるので

新たな班になるのは

わたしとハズミの女子ふたりと

雪村を含む男子三人だった。


机をぜんぶ、教室の後ろにさげ、

床を掃ききよめる。


ほうきで床のゴミや砂くずを

ひとところにかき集め、

さて…ちり取りは?と顔をあげたときのこと。


まるでテレパスを受けたみたいに雪村が

ちり取りを手にやって来たのだ。


その構える角度も、

わたしのほうきとぴったりで

ちり取りへ掃くゴミは、

スムーズに中へ収まるし、

最後に残る、細かな砂くずに対しても

ほうきの動きに合わせ、

あうんの呼吸で対応し

引いてほしいときに引き

構えてほしいところで構え、

余計な言葉もいらず

相手のステップに、うまくハマるような感覚で

あっという間に終わったのだった。


雪村との会話は、あの日で止まっている。


ひろはそれで良いとおもっている。


あのとき、あの空間にいたことが

特別な時間をつくったのだ。


教室にもどると、

わたしたちは前と同じにもどった。


雪村は相変わらず、ただとなりの席にいた。


でもなんとなく、やさしい顔になったとおもう。


そして…特にわたしに対して、

やさしいような気がするのだ。


「どう、調子は!」


ハズミがもどってきた。


「うん、なんとか」


教わったとおり、板をハの字に

ゆっくり波を描いて滑ってみせた。


「ウンウン、だいぶ格好ついてきたじゃん!」


ハズミ先生からグッドをもらう。


「ところでさあ! 雪村みた?

スキー めっちゃうまいっ」


ハズミは目をかがやかせ、

信じられないふうに、ひろにいった。


ひろは、やや動揺しつつ、「うん」といった。


「いやぁ、もう、他の人とはぜんぜん違うのっ。

滑り方がかっこいいというか…きれいなんだぁ。

じつはさっき、滑っている後ろから

追いかけてみたんだけど

ぜんぜん追いつけないのっ。

アタシ、スピードには自信あるんだけど

速さはどっちかな…コース取りは負けるかな」


ハズミは雪村の滑りを思い出すように

じっとゲレンデに目を向けた。


じつは、あの校庭でのことは

ハズミには言ってない。


あれは雪村の秘密にもかかわることだ。


あのあとハズミに、

どこに行ってたのか聞かれたが、

禅語のことを考えに

外で雪を見てたのだと答えた。


小さなウソだが、ウソは後ろめたい。


「でねっ、雪村にさっき

声かけて聞いてみたらさ、

前に北海道にいたんだって!」


「へえ…」それは秘密じゃなかったんだ。


ショックを隠しつつ、

はじめて聞いたふうに、あいづちをうつ。


そんなあっさり言っちゃうの。

へえ…あの話はなんだったの?

ふつうの会話?


ハズミは仕入れた情報を、楽しげに語る。


「小さい頃から、

地元のスキークラブでやってたらしいよ。

そこにいい先生がいたんだって」


「へえ…」じつに色々話すんじゃないの…。


雪村ってホントは、フランクな性格だったの?


律儀に黙っている自分がバカらしくおもえ

ひろは、全部ぶちまけてやろうかしらと

心の中でドクづいた。


ハズミが、ふうと息をつく。


「雪村ってさ、もっと、

とっつきにくいヤツかと思ってたけど

話してみると全然ふつーだったわ」


そして、口いっぱい二カッとわらった。


ま、いっか。

今日はいい天気で、ここまで来たのだ。

だって、ここにいる者たちは

雪の恩恵を大いに利用し、

その身一つでスピードに乗って

日常なんてものはすっぱり忘れ

ただ滑ることのみ、いそしんでいるのだ。

ま、ヘタな者も…ヘタなりに。


「ところで、ひろ。

だいぶいい感じに仕上がってきたし

次は、すこし上のほうで滑ってみる?」


ハズミ先生が、新たなステップを提案した。


それならと、ひろは

「いちばん上で滑りたい」と申し出た。


「いちばん上?」驚くハズミ。


「うん」


「だいぶ高いよ?」


「平気」


高いのは全然平気だ。


じつはあそこで滑っている雪村を

ちょっと覗いてみたいってのも、ある。


「うーん…」


「せっかくだし、景色のいいところで

練習したいの! ねっ…?」


そしてふたりでリフトへむかった。


道中ハズミが、「まあ 無理だったら…

リフトで降りていいから」とかなんとか、

となりでゴニョゴニョ 言ってたが

ひろの心は、ゲレンデ デビューの期待で

いっぱいだった。



   🟤   🔵



頂上って、こんなだったの?


てっぺんに立って 斜面を見下ろすと

絶壁のようだった。


これはもう滑るというより

落ちるという感覚だ。


ハズミがひろの顔をのぞきこむ。


「ひろ大丈夫? いけそう?」


とてもできる気がしない。


ハズミが「高いよ」じゃなく、

「傾斜がきついよ」といってくれれば…。


「無理だったらさ、

一緒にリフトで降りよっか?」


思いやりある提案に、

気持ちがゆるゆる傾いていく。


「だ… 大丈夫 」

ひろはストックをにぎりしめ

斜面へ挑むように目をやった。


自分で望んで、やって来たのだ。

ここで逃げては女がすたる。


「 周りの人の、滑り方を観察してから行く。

ハズミ…さき行って」


内心 止められるかとおもったが、

ハズミは「へ〜」とあっさり納得したので

ひろは拍子抜けした。


「ンじゃ、」ハズミは呑気に歯を見せ

「またあとで〜」と先に飛びだしていった。


あんまり軽やかに滑っていくので

じつは簡単なのかもしれないと

試しに身を乗りだしてみた。


板がズルリと進みそうになったとたん、

冷や汗がでた。


やはりコレを滑れるとは到底おもえない。


でも左右からは、人がどんどん滑りおりていく。


大丈夫っ…わたしだっていける。

ホラ、あんな簡単そうじゃない。


しかし、足元にひろがる斜面は

恐ろしく急だった。


そして それは、


ひろは今までの知識を総動員して

斜面と向かい合った。


ハの字で波など通用しそうにない。


たぶん乗りだせばもう、

自分にはコントロールできない世界だ。


ひろは、それでも果敢に、

前へ踏みだそうとした。


とたん全身がすくむ。


ハアァ〜〜〜、ダメだ〜〜〜。


くたくたになり、ひろは、ほへっと息をついた。


とりあえず邪魔にならないよう移動しよ…。


後ろのやや離れた場所に、

つかみやすそうな低い木がある。


ひろはストックとスキー板をなんとか操り

そこまでのぼった。


無事に枝をつかんだときは、ホッとした。


足もとから目を離すと

青い空と遠くの山がみえた。


山はしずかに、ゆったり座っている。


ふう、と肩の力がゆるんだ。


首がカチカチに固まっている。


ゴーグルをはずすと、

まぶしい光がとびこんできた。


ひゅっと風がかけぬける。


大気のすがすがしさに、

いまさらながら山にいるんだな、と感じた。


ゲレンデを見おろす。


カラフルな格好のスキーヤーたちが

あちこちで滑ったりころんだりしている。


「フフッ、チョコロがころがってるみたい」


こうして見ると、スリリングというより

なんだか呑気だ。


斜面のへりに、ブルーのウェアーをみつけた。


下をのぞいている。

コースを選んでいるらしい。


そしてぐっと雪を蹴り、前へ飛びだしていった。


自分だけが特別な板をつけてるみたいに

周囲をあっさり追い抜いていく。


それは ゲレンデのチョコロの中に

ツバメが飛び交い、遊んでるふうで

ひろは、ほぅと息をつくと

さっき騒いでいた四組の女子の

言うとおりだとおもった。


ハズミが斜面のへりに立っているのがみえた。


しきりに下をのぞいて、キョロキョロしている。


ひろは 大声で呼び、ストックを振りまわした。


気づいたハズミが、雪をこいでやってきた。


「なぁんだ、こんなとこにいたんだ!

てっきり途中で転んでるとおもったのに」


「ごめん、ごめん。ちょっと休憩。

こっからの眺め、最高だね」


ハズミもひろの横で、ゴーグルをとり

まぶしげに目を細めた。


「ウ〜ッ、気持ちいぃ〜」


帽子をとったハズミのおでこは

キラキラと汗ばんでいた。


冷たい風が、汗をはらう。


しばらく黙って一緒にながめた。


山も、空も、太陽も、みんなわらってる。

わはは…わたしたち、地球と遊んでる。


「ほいじゃ、そろそろ行ってくるわ」


ハズミは帽子とゴーグルをつけ

またスキーヤーにもどっていった。


滑るのが楽しくて仕方のない様子だ。


むこうでまた、

楽しくて仕方のないヒトが滑っていった。


ほとんど休みなしに滑っている。

あ、珍しく転んだ。誰かと謝り合っている。

ぶつかりそうになったんだな。

雪村はいつになく、はしゃいでいる。

生き生きしている。


こういうの なんて言うんだっけ?

カエルが水に飛びこんで、うれしいみたいな…。


ひろはうれしかった。

そして、こんな景色を近くで感じていた人が

引っ越して別のところに住むって

どんな気持ちなんだろうとおもった。


「ハクション!」


ひろは鼻をこすった。


練習していたときは気がつかなかったが

じっとしていると寒い。


「あれ 古田?」


呼ばれて向くと、雪村がそばまで来ていた。


なんと、 T シャツ1枚になっている。


ひたいからは汗がにじんでいた。


ふたりの間では、季節が逆みたいだ。


あっけにとられるひろのそばで


「ちょっとコレ、そこに掛けさせてくれよ」


と手に抱えたブルーの上着を

ひろの枝にくくりつけようとした。


ひろはびっくりして枝から手を放した。


よろめいて足もとが勝手に滑りだす。


「ワ、ワ…」


ひろはあわててバランスをとろうとした。


雪村がとっさにひろの服をつかむ。


スキー板は、ズルリと回って止まった。


「え? まさか、滑れないのか?」


「わたしは、水泳のほうが得意なんです」


ひろは言い返した。


「バカだなー、滑れないのに

こんな上まで来るなんて」


「高いところが見たかったの」


雪村はため息をついた。


「じゃあ、スキー板はずしてろよ。

危ないから」


「あ、そっか」


ひろは素直に従った。


クシュッと、またくしゃみがでる。


「これでよかったら着てろよ。

飛ばされる心配がなくって、ちょうどいいや」


戸惑いながらも受けとった。

ブルーのウェアーは、

ひろより少し大きくて、ちょうどよかった。


雪村って…やっぱ、すごく変わったかも。


あの日ひろが活を入れて以来

雪村はとなりの観察者を意識してか

授業中しゃんとしていた。


少し間があいたので

ひろはなにか話そうと話題をふった。


「雪村って、スキーすごくうまいね」


雪村は 突然ほめられ、

照れくさそうな顔をした。


「いや、べつに、たいしたことないよ」


「ううん、四組の女子たちが、

キャーキャー騒いでたよ」


「ふーん…」


雪村が恥ずかしそうな、困った顔をしたので

ひろはちょっとしゃべりすぎたと思い

話題をかえた。


「そうそう! 雪村が滑っているのみててね、

雪のなかでハシャいでる

犬みたいっておもったんだ! えーっと…

なんかピッタリの言葉があったんだけど、

さっきから思い出せなくて…」


ひろはいったん口をつぐみ、パッと 顔あげた。


「そう! 井の中のかわずっ」


ひろは得意顔で雪村をみた。


雪村は口をあんぐりあけると、パクパクさせた。


「おまえ…おまえみたいなヤツをなあ!」


ひろはポカンとして続く言葉を待った。


雪村は 口をパクパクさせたまま、

続きがおもいつかなかったようで


「あー…、もう、いいっ!」


と行ってしまった。


これはずっとあとで知ったのだが

ひろが思い出そうとしていたのは

『水を得た魚』だった。



❄️ ⛄ ❄️ ⛄ ❄️ ⛄ ❄️ ⛄ ❄️ ⛄

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