第4話 雪
「おや、雪だね」
窓の方にのんびり目をやると
白髪まじりのあごヒゲをさすった。
ひろは、やんでいた雪が降りだしたせいで
外が急に明るくなったことに気がついた。
新学期から、雪の降る日が多い。
今日のは また、
「こうせつ、へんぺん、べっしょにおちず…」
先生は窓をみながら 静かにいった。
そして後ろをむくと、黒板の中央に、
『好雪 片々不落別処所』
と書いた。
きたっ。
関係ない話をしてくれる。
これが とても面白いのだ。
「『こうせつ へんぺん べっしょにおちず』。
これは中国の古い禅語でね。さあ、だれかに
返り点と送り仮名をふってもらおう」
先生が教室を見わたしたので
ひろはあわてて目を伏せた。
別の子が当たり、途中で分からなくなったので
別の子が引き継いだ。
「うん、そうだね。
じゃあ今度は意味を考えよう。この言葉はね、
ある僧が、自宅に招いた僧たちを
おもてまで送るとき、
降っていた雪景色をみて言ったんだ。
どういう意味だとおもう? 」
先生がランダムに当てていく。
「雪が、えーっと、あー、わかんねえッ」
「雪が…好きで…」
みなが言いよどむなか、
「よい雪が降っておりますが… えっと、
方々、お足元に気をつけて、
滑ってどこかに落ちないでくださいね…?」
ゆりがまとめ、
オオ〜ッとまわりから声があがった。
文字を推理していたひろも当てられた。
「雪は好きだが、
片付け…たぶん玄関の雪かきのことです。
…が 面倒くさい。
別のところに降ってくれないかな、
という意味だとおもいます」
笑いも起きたが、なるほどという声もあがった。
先生が次を指名する。
「では、雪村くん」
「…ハイ 」
言われて、のろのろ立ちあがる。
また ぼんやりしてたのかも…。
ひろの見るかぎり雪村は
ほぼ授業中、ぼーっとしていた。
大っぴらではないので
先生たちには気づかれずにすんでいる。
雪村とは、あれから 口をきいていない。
それはケンカの延長 というのではなく
単に ひろから 話すことも
雪村が話しかけることもないからだ。
ただこの席になって一週間、
ひろは雪村の行動の中で
謎におもうことが一つあった。
「えっと…」
立ち上がった雪村は
今なんの時間か忘れたふうに
大きく二度まばたきをした。
そして黒板の字を見つめ
なにかの物語を思い出すふうに、
とつとつと答えた。
「遠いところへ行ったら、そこは、
好きだった雪が降らなかった…
だとおもいます」
生徒たちが、
ああ…と気づいたふうな息をもらした。
ふむ。ちゃんときいてたのか。
ひろの心にも、ふるさとの雪を恋しがる
寂しい僧の姿が浮かんだ。
先生がうなずいて、あごをさする。
「さあ。色々な解釈が出てしまったねえ。
でもね… これはもっと
そのまんまの意味なんだよ。
『雪の一片一片は別のところに落ちない』。
つまり『雪のひとひら、ひとひらが
間違ったところに落ちず…
落ちるべきところに、
吸い込まれるように舞い落ちている。
見事な雪だ』と」
そう言って先生は、窓の雪に目をやった。
ふーん…。
続きの言葉はない。
これで終わり?
ひろがなんだか、ふに落ちずにいると
「どういう意味か、よく分かりませーん」
と、鈴木が手をあげた。
みなもウンウンうなずく。
鈴木の方へ行くと、彼のほおを軽く叩いた。
みな驚いて
鈴木も訳がわからず、ポカンとしている。
「…と質問した者に、この僧は
こう返したんだよ」
先生は 鈴木をみて、ワハハとわらった。
ようやく理解して、
「ひでーよ、先生!」
と鈴木がほっぺを大げさになでたので
みなが、どっとわらった。
「いいタイミングで、いい質問してくれたね」
肩に手を置き、先生が鈴木を
「でも意味きいただけでブツなんて
そのヒトひでえよ」
「そうだねえ。鈴木くんの意見は
素直でもっともだとおもうよ。
じゃあなぜ、この僧は雪をみて
こう言ったのだとおもう?
では、石井くんはどうおもう?」
「えー、オレ〜? 全然わかんね〜よ」
鈴木の後ろで、石井が立ちあがる。
「雪をじーっと見ていたら…
自分の予想していた地点に落ちた!」
と、指で宙をなぞって 床を指した。
クスクス笑いと一緒に、
どうやってわかんだよ〜と、
まわりからツッコミがはいった。
うるせ〜と石井が席につく。
同じ質問に、他の子も答える。
「
「全ての運命が決まってるって
言いたかったのかな。
「じつはそのお客のなかに悪い人がいて
アナタは道に外れている、と
この発言にみなが色めきたった。
「じゃあ、きっとぶたれたヤツだ」
興奮して何人かが騒ぐ。
そこへ チャイムが鳴り、
ああ〜っと、みなのため息がもれた。
「いやいや、色んな意見がでたね」
先生が教卓に立ち、
少し考えるふうにあごヒゲをさすった。
クラス一同、口をつぐみ、
正解がなにかを待つ。
「うーむ…では僕も、この僧にならって
あえて 解釈は言わないでおこう」
まさかの発言に、「エエエーーーッッッ!」と
クラス中が、叫び声をあげた。
しかし先生は、笑っておさめると、
「さ、これで授業は終わりですっ」
と、最後はとてもさわやかな顔で
楽しそうに行ってしまった。
残された生徒たちは
「ホントは先生も知らなかったりして」
だれかが冗談をいい、
「まさか〜」と何人かがあいまいにわらった。
「ひろぉ、分かる?」
助けてと言わん様相で、ハズミが迫る。
今回は ネタ作りより、
授業に興味がいったらしい。
「鈴木ィ、 代表で聞きに行ってくれヨォ!」
だれかがそう頼んだが、
鈴木はもうカンベンというふうに
「やだよ オレはぁ」と首を引っ込めた。
ひろもハズミと、正解はなんだったのか
あーだこーだ予想を立てたが、
けっきょくあの中に、正解があったかどうか、
そんな疑問も出てくる始末で
二つの頭を悩ますだけに終わった。
「あ、アタシ週番だった!」
役目を思い出し、
ハズミは黒板を消しに、席をたった。
ひろは、まだ収まらぬモヤモヤに
これはもう、先生のところへ行くしかないと
ひとり意を決し、腰をあげた。
が…、最後 ああ言った先生が
それで答えてくれるのか、はたと疑問がわき、
今あげた腰を、またゆるゆると
自分の席へ戻した。
「ね、ね、均一にキレイに積もるって
なんでそうおもったの?」
向こうでだれかが、
さっき答えた子に質問している。
「ンー、だって、バラバラに降ってるのに
積もったところって ふんわりしてて
整えたみたいにキレイでしょ?
なんでボコボコにならないんだろうって
むかしからずっと不思議で…」
会話をききながら、ひろは
まだだれも踏んでいない
まっさらな雪を思い浮かべた。
「ったく…先生のクセにさあ。
来年受験のオレらに、答え教えねえなんて、
ありえなくねえ?!」
耳に入ってきた 別の会話に
ひろは気分を害され
ムッとそちらに目をやった。
「だいたい…あの歳で独身ってさあ!
どっか、ヘンっておもわねえ?」
「お前ひでぇ〜、 そこまで言う?」
いつもの仲間たちが、
ケラケラ面白がっている。
持論をくりひろげた。
ひろはますます不愉快になった。
フン。トンダ
教室のまんなかでは男女の輪ができ
さっきの続きで盛りあがっている。
「なあ、オマエはどうおもう?
やっぱぶたれたヤツ 怪しいよな」
「あれ意味がわかんなかったの。
どういうこと?」
「 ああ〜、なんで先生、
教えてくれないんだよぉ」
「あーーっっ、水沢、消すなよ!!
まだ考えてるんだからっ」
輪のなかから、
鈴木が首をつきだし叫んだ。
「あ、ごめん、こうだっけ?」
ハズミが、半分消した文字に
チョークで書き足す。
見ると、さっきとは違う文字がはまっていた。
ひろもそっちの輪に加わろうと
ふたたび椅子から腰をあげた。
そのとき…ギィと、となりで
椅子のひく音がした。
雪村が席を離れたのを、ひろが気づく。
みなのおしゃべりも、鈴木達の輪も
いずれも心にかからない様子で
雪村は、教室の後ろを横切っていく。
そしてだれとも話さず、
だれにも気づかれないまま、
ひとり教室を出ていった。
まただ…。
ずっと気になっていたのは、この行動だった。
このごろ休み時間になるたび、どこかへ行く。
そしてギリギリに戻ってくるのだが
いつも顔色が悪いのだ。
ひろは迷い、それからえいっと
席から離れた。
教室の中央では、石井がさっきの禅語をめぐり
独自の説を披露している。
ひろは、ひとっ飛びにそこをゆき過ぎて
雪村の出ていった戸口へ、たどり着いた。
首だけ出し、外をのぞく。
廊下の先にまだ、雪村の後ろ姿があった。
ひろはやや身をかがめるようにして
廊下を行き交う生徒を隠れみのに
シタシタと追いかけた。
「でさあー、キモいのよ、そいつ」
「うわ〜、それでそれで?」
前方のふたり組を追い抜く。
雪村が 角を曲がる。
あ、待って!
ひろが走ってそこまで行くと
階段をあがってきた他の生徒とすれ違った。
いない。どっちだろ?
階段をすべるようにおり
途中で雪村の後ろ姿が見えたとき
ひろは心の中でガッツポーズした。
それからは探偵の要領で、距離をあけてつけた。
雪村は急いでるふうでもなく
下へ下へとおりていく。
でも まっすぐどこかへ
向かってるみたいだった。
ひろは自分の行動に
冒険のように ドキドキしつつ
どこか雪村に対し、
すごく悪いことをしている感じも覚えた。
雪村が一階までおりた。
遅れておりたひろは一瞬 見失ったが
ガチャっと重い音がきこえ
大扉からでていく人影を、目のはしで捉えた。
校庭へでる扉だ。
雪で、運動場は使えないはず…。
扉へ行き、外をのぞく。
雪が激しく降っている。
グラウンドに立ち入り禁止の旗がでている。
雪村の姿はない。
ひろも外へでた。
冷たい空気がいっきに襲ってくる。
周囲をぐるりと 見わたすと
校舎の壁にそって、むこうに人影がみえた。
雪村だ。
ひとり壁にもたれ、グラウンドを眺めている。
なにしてるんだろ?
ひろもグラウンドに目をこらした。
雪でよく見えない。
ひとりになりたかった、のかな……。
外の寒さに体がこわばる。
ひろはその場で足踏みをした。
しばらくトコトコ やっているうちに
やがてその足踏みは
冷たい空気に押し出されるみたいに
雪村にむかって、歩みはじめた。
雪村は、近づく人間に
気づく様子もなく、
ジッとそこにたたずんでいた。
激しい雪が、レースのカーテンみたいに
お互いを隠している。
ひろはかかえるように両腕を組み
寒さのなかを押し進んだ。
おぼろに見える人影は、とてもしずかで
そのシンとした気配に
だんだんひろの心もしずかになって
やがて 見慣れたよこ顔が
ふいに雪の先から姿をみせると
ひろはかかえた腕を、ほどいておろし
まだ距離をあけたまま、足を止めた。
「なにしてるの?」
なんでもない顔で声をかける。
雪村はギョッとふりむくと
突然の侵入者に、ものすごくいやな顔をした。
「…なんだっていいだろ」
「 なによ。人が心配してやってるのに」
「なんのことだよ」
雪村がにらむ。
雪村の態度にはもう慣れている。
ひろは大きく前へ踏みだすと
残りの距離をつめた。
「ノートもとらない。授業もきいてない。
なんだか知らないけど、
ぼんやりしちゃって。
シャンとしなさいよ! シャンと!」
雪村の背中をバシッとたたく。
雪村はあっけにとられた顔をしていたが
やがて感心したふうに、ひろにいった。
「古田っておせっかいだなあ…」
「おせっかいで、わるかったわね」
雪村の顔が、フッとわらった。
「なあ、おれ
「え」
雪村は大きく伸びをした。
「小学校まで北海道にいたんだぜ」
そういえば雪村の言葉には
独特のイントネーションがある。
肌も色白で、雪国の人のようだ。
雪村は グラウンドにむかって歩きだした。
激しく降る ぼたん雪が
雪村の姿をはんぶん消した。
「好きとか、どうとかって、
考えたことなかったんだ」
ひろは ドキッとして、
顔を見ようと 目をこらした。
「雪なんてさあ、…あって当たり前だったし」
ハ…と吸い込んだ空気に、雪のにおいがした。
雪村はわらっていた。
いつもの校庭も、野球部のネットも
周りを囲む塀も、雪で半分もみえない。
色もない。
はげしく降る雪が、音まで消してしまった。
ひろも雪のなかへ飛びだした。
振りあおぐと
天然のシャーベットがどんどん落ちてくる。
かき氷みたい…。
ひろは両手をひろげた。
でもかき氷とは違う。
人の目にはみえないけれど
ひとつ、ひとつが美しい結晶だ。
こんなモノが、遠い空からやってくるなんて
なんて不思議なんだろ。
軽い雪が、ほおや、まつげにとまった。
「北海道育ちだったら、
スキーなんか滑れるんだろうね」
ひろは、今度のスキー遠足を
思いだしてふりむいた。
「あったりまえだよ!
体育の時間にやるんだぜ!
でも水泳はまるっきり ダメだけど。
実は、25m しか泳げない」
ひろは腹をかかえてヒィヒィわらった。
あんまりわらったので雪村が怒った。
「そっかあ…、雪村って北海道の人なのかあ」
証拠を探すみたいに、あらめて眺める。
身構える雪村に、ひろはあわてて 言い足した。
「えっとさ、例えば… 雪村の言葉って、
少し音が違うっていうか、なんだろ…。
言われてみれば、そうかな…って」
「そっか」
雪村は自分でもわかってる、
というふうに上唇をかんだ。
「オレさ、急にこっちに来ることになって…
でも 親戚がここだし、
言葉は聞き慣れていたんだけど
しゃべると方言って知らずにでるしさ…
それですごく苦労したんだぜ。
みんなと一緒に 中学で入学したから
転校生って感じにならずにすんだけど、
しゃべったら違うから
なんで?って色々きかれるし。
今じゃけっこう同じにしゃべれてる
つもりなんだけど、そっか …。
言葉は同じでも、リズムみたいなもん?
そういうのって…なかなか抜けないんだな」
雪村 はちょっとくやしそうな、
でも どうしようもない、
というかんじで肩をすくめた。
ひろは、なんて言ったらよいか
わからなかった。
けれど、雪村の声の小さいのはなぜなのか
わかった気がした。
「わたしは…そのぅ、
方言って…かわいいとおもうよ」
なんか雪村のことを、
かわいいと言ってしまったみたいで
ひろは赤面しそうになった。
「かわいいなんて、男に言うなよっ」
雪村は全然うれしくないぞ という顔をした。
「雪村がかわいいって言ってない!
方言がかわいいの!」
ひろはこぶしを振りあげ、訂正した。
「ウワ、わかった、わかったって…」
雪村は、面倒とおもったのか すぐ引き下がり、
「古田って、すぐ怒るんだもんな」 と
ぼそり と いった。
どの口が言う、とひろは心でつっこんだが
聞き流してあげた。
ほんとは怒ってなんかいなくて
今の気持ちは羽が生えたように
ふわふわしている。
「いいものあげる」
ひろは思いついて、 右ポケットをまさぐった。
まず中でコロコロまぜる。
なんだろうと見ている雪村の前に
ポケットから出した手をひろげた。
赤と緑のチョコロが、色鮮やかに現れた。
いきなり花が咲いたみたいだ。
「チョコロ」
と説明して、雪村に差しだす。
「チョコレートボールって呼び名じゃあ、
そっけないから…だからチョコロ」
「チョコレート?
おまえ…真面目なやつだとおもってたのに」
雪村は目をまるくしている。
ひろはますます愉快になった。
「べつにいいじゃない。コレ、わたしの充電池。
いつもポケットに入れてるの。あ、夏以外ね。
だってポケットで溶けちゃうし。
でも学校じゃあ食べてないよ。行き帰りぐらい」
「 行き帰りだって、買い食い禁止だろ?」
「 家から持ってきてるんだから、
買い食いじゃないもんね」
「 うん、まあ…そうか」
雪村ははんぶん首をかしげながら
赤いチョコロを受けとった。
ひろはそれを見届けると
緑のほうの銀紙をめくり、
口のなかに放りこんだ。
雪村の口がポカンとあく。
「あーっ、言ってることと、
やってることが違う!」
言われて気づき、びっくりして口を押さえた。
雪村が吹きだし、ひろもわらった。
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