第2話 好きなひと

窓の外で気配を感じる。

細かな雪が、いつの間にか

大きな花びらみたいに舞っている。


たった今、 空がやり方を変えて

粉雪から、ぼたん雪に変えたのだ。


ほかに、気づいた人はいるかしら?


誰かに教えたい 衝動は、今は叶えられない。

授業中は、無駄話をしてはいけないから。


ひろは、自分の席のすぐ前にある

ゆるくうねったポニーテールを眺めた。


ハズミの生まれ持った この髪は

一体どのような カラクリで

こうした形状を、生み出しているのだろう。

古文のかん先生が、

遠くでカツカツとチョークを鳴らし

黒板に、今日取り組む漢詩を書きはじめた。


ひろは、雪の作る 不思議さや、美しさ

心地よさをそばで感じながら

豊かな気持ちでノートを広げた。


窓際のいちばん後ろの席。

ずっとあこがれてたのだ。


空から落ちてくるぼたん雪は

永遠に続く 紙吹雪のよう。

見慣れた風景が、どんどん白に埋まっていく。

三階からの街並みは、どこもかしこも綿帽子だ。


『ン……1年のときから』


今朝の言葉がよみがえる。

雪村がそこにいるのは…偶然じゃない。


雪村が黒板に目をむけながら

手のなかのシャーペンを、くるくる回しだした。


人差し指を回って、もとの位置へ戻る。

チアリーディングのバトンみたいに

よどみない。


うわ…器用だなあ。


ひろも前に練習したことはあるが

難しくてやめてしまった。


横目で、雪村のまつげにかかる髪や

スッと伸びた 鼻すじなどを観察する。


わりと顔はいいかも…。


1年生の頃はクラスが違ったので

ひろが雪村を知ったのは

2年生になってからだ。


いつ私のこと好きになったんだろ…。

一目惚れ?

それとも、なにか きっかけがあったとか…?


今朝の会話が、また胸の奥で、

ザワザワ音を立てる。


あのまま聞いてたら話してたかも…。

ああ〜もうちょっと、ねばってればよかった!


癖なのだろう。

雪村は手のなかのシャーペンを

ずっと回し続けている。


もし、魔法かなにかで

本人に知られず、心の中をのぞけるなら…。

どんなふうに好きになったのか、見てみたい。

映画を観る みたいに。


そのとき、 黒板を見ていた雪村の顔が

なんとなしに、こちらを向いた。


雪村の目と、ひろの視線が、ピタリ合わさる。


雪村のまゆが、びっくりして

ゆるゆる上へ、のぼっていく。


まるく並んだ大きな瞳が、 ひろを見つめる。


雪村のシャーペンが、カタ、と鳴って止まった。


ひろは 声も出ず、 アワ、と口をあけ

それから顔をそむけ、しまった! とおもった。


絶対、ヘンにおもわれた!


たまらず自分のほっぺを、バシバシたたく。

顔をおおい、指のすきまからのぞいてみる。


雪村は 肝をつぶした顔で

こちらを凝視している。

ひろはそのまま、机につっぷした。


  🟤  🔵


「ね、ね、ね、 新作みるぅ?」


ハズミが無邪気に、ひろをゆする。

ひろは甲羅に引っ込んだ亀のごとく

机につっぷしていた。


雪村の頭のなかを、ゴシゴシ消しゴムで

消してしまいたい…!


休み時間のにぎわいと、陽気な友の呼び声が

甲羅の上に降り注ぐ。


「お正月に親戚とさあ、一発ギャグで

おせち食べるゲームやってるうちに

思いついてさ〜っ」


寝る子を起こすように、ハズミがゆさぶる 。

新しいギャグができたらしい。


ひろは 伏せた体を のろのろ 起こし

外の世界へ 頭をもたげた。


そこへ「カマボコ星人ッ」とハズミの一声いっせい

ハズミの唇がピンクのアーチ型にのび

紅白のかまぼこみたいになった。


口の両はしを、指でへの字にひっぱっている。


「はあ〜…」


ひろの大きなため息に、

かまぼこが、もとの唇にもどった 。


「ウソォッ、いまいち?」


「 いや、おもしろいよ…」


ひろのうすら笑いに

ハズミは ポーチ から鏡を出すと

カマボコ星人の確認をはじめた。


ハズミは熱心に、技のチェックをしている。

ひろの視線は、そうっと、そうっと隣へ移った。


人の気配は……ない。

席は空だった。


なんだ、どっか行ったのか。


ひろは腕を高く伸ばすと、

椅子の背に体を預けた。


ハズミはまだ唇を、かまぼこにしたり、

戻したりしている。


「あのさ…」


「ウン、 」鏡を見つつ、

ハズミが喉で返事をする。


「例えばなんだけど…なんていうかさ、

よく知らない人からね、

でも全然知らないわけじゃなくって

顔見知りってくらいの関係かな?

つまり そんなビミョーな人が

突然自分のことを、好きだって言ってきたら

どうする?」


「エッ、うっそ! ひろ告白されたの?」

ハズミが鏡をわきへどける。


ハズミの、あげた大音量に、

あわてたひろは、とびあがって防いだ。


「されてないされてない!

ちがうからちがうから!」


周囲の数名が、何事かとふりかえる 。

鈴木と石井は、気づかず向こうで

男連中と ふざけ合っている。


雪村は?

教室には…いないようだ。セ〜〜フ。


「だからっ、そのぅ…例えば!

そんなことがあったら!  もしものハナシ!」


「エエ? なにそれ。 心理テスト?」


「 そう、 心理テスト みたいな…もの」


ひろは自分の言葉に

確かめるようにうなずいた。


「フ〜〜ン。で…エッと、ナンだっけ?

全然 眼中にないヤツから告白された場合?」


ううっ…違ってないが、そう聞くと

ようしゃない言い方だ。


「まあハッキリした感情もない、というか…

そもそも考えたこともない、というか…」


「はあ? それってどうゆう人間?」


ハズミは、よけいこんがらがった顔で、

「そういうのを、眼中にないって

言うんじゃないの?」とぼやきつつ、

ウ〜〜ムと、ややこしそうに首をひねった。


「 アタシはそうゆうの、

あんまり ピンと来ないけどサ。

だって、ホラ、 好きなやついるしね」


そうなのだ。

ハズミにはずっと片思いしている奴がいるのだ。


ちなみに 言っておくが、

相手はモテるタイプではない。

ハズミ以外の女の子から

キャーキャーいわれているところなど

見たことがない 。

個性的な、ちょっと変わった人物だ。


「じゃあさ、 よりかっこよかったら?」


彼の名は、元木という。

ひろはちょっと意地悪な質問をしてみた。


「へえ! そうかあ。

元木よりかっこいいのかあ。

ウ〜ン、どうするだろ?

でも、このクラスにはいないねっ。

ウン。少なくともうちの学年にはいないわ」


ひろの口が、あんぐりあく。

『恋は盲目』 という言葉を思い出す。


ハズミは しかし、そう 言い切ったのち

ふいに頼りなげに、目をさまよわせた。


「でも…そんなひとが、

ある日ひょっこり現れたら…。

アタシそれでも、元木を好きなのは

変わらないと思うけど 。

でもそのひと、元木よりかっこよくて

アタシを好きってことよね?

元木がアタシを好きになってくれる

保証はないけど、その人はすでにそうで…。

だったら、アタシさえ 好きになれば

両思いだもんねえ?」


ハズミの言わんとしていることは

ひろにもわかった。


けれどもハズミは

どちらとも言わないまま

苦しげにまゆをよせると、ひろに問うた。


「片思いよりもサ?

両思いのほうが、幸せだよねぇ?

報われない恋より、愛されるほうが

きっと幸せなんだろうねぇ?」


ハズミは自分の人生設計を

いつも具体的に思い描いている。

つまり これは、『元木と結婚』の夢を貫くか、

いいのが来たら、その人と結婚するか、

の話 なのだ。


わたしだったら…。

愛されるほうが幸せとおもう?


愛するほうが、

幸せなんじゃないかな… 本当は。片思いでも。

だって、好きと聞いてもわたしは

ちっとも幸せなんて…おもわなかったし。


ハズミは落ち込むみたいに頭をかかえ

出題者のひろをジトリとにらんだ。


「ひろってばぁ、

そんなテストしてくれちゃって!

ああアタシってば、ずるい性格 かなあ?」


「…ウウン、あなたは一途なひとでしょう 」


ひろは迷える友の肩に手を置き

感じたとおり伝えてあげた。


ハズミは少し 機嫌を直し

今度はひろに質問を返した。


「で、ひろは? どうなの?」


「え?」


「だから 心理テスト!

アタシにだけ答えさせるなんて、なしだから」


「 う、うん、もちろんっ… 」


心に浮かんだのは、心理テストなんかじゃなく

今日の出来事だった。

雪村のこと、いま…言ってしまおうか。


「…で、でもさっ、ハズミはいいなあ!

好きな人がいるんだもん。

元木と比べてどうかで考えられるでしょ?

わかりやすいもん、その方が」


「ひろだってホラ、 前に、

この人いいって言ってたじゃん。

なんて名前だっけ…トオル?」



ひろは正しい発音で言い直した。


「マンガの登場人物は、別次元というか、

そりゃあ好きだけどね。

でも実際には、いない人 だし…」


架空の人だって、恋は恋だとおもう。

けど この恋は、失恋もしなければ

成就 もしないのだ。


「…トールがマンガじゃなかったら『私も

好きなやついるしね』ってなるんだけど」


ひろのつくため息に、

ハズミもともにだまりこみ、腕を組んだ。


「別にサ、マンガでもいいと思うよ。

その人と比べてどうかって」


「ウ〜ン…」


たぶんハズミにはわからない。

さっきハズミが、どっちを選ぶか悩んだ迷いと、

わたしの迷いは、全く別なものなのだ。


言うならばハズミには、

確かな 恋の木があるのに対し

わたしの場合は、

空想に水をやっているようなものだ。


ドンと、机にこぶしが落ちる。

ハズミが、迷える友に、活を入れる。


「ひろぉっ、こうゆうのはネェ、

頭で考えちゃダメ! 直感で決めるの」


「直感…」


「そう。 ハートよハート。

ハートが動いたか!」


「動いたか…」


ふむ。そうかもしれない 。


ひろは胸に手をあてると、

ハートを探るふうに目をつむった。


そうだ。 理屈にとらわれてはいけない 。

大事なのは心の声。


わたしは、雪村にココロ動いたか…動いたか…

動いたか…。


「ウ〜〜……よくわからない」


「そんなはずないっ。

ちゃんと心に耳をすまして!」


ぴしゃりと返され、もう一度トライする。

海の底に潜るごとく、自分の本心を見つけよう。


わたしはココロが……。


「どう?」


えっと…動いたか?


「…よく…わからない」


仕方なく、正直に言う。


するとハズミは、

「まあ そうでしょうね」と あっさり 答えた。


ひろがエエッと目をむくと


「 アタシだって元木を好きになる前に

元木に心動くかどうかなんて

わからないもんね」と言ってのけた。


「そうなのっ?」

好きにならないと、

好きかどうか…わからないなんて!


ハズミがさらに言う。

「それに、心動いたとしても

ちょっとぐらいじゃ

気の迷いかもしれないし」


「エエッ、そうなのっ?」

じゃあ…じゃあ…直感なんて信用できない?


ハズミが、ほおのはしまで歯を見せて

ニヤニヤしている。

これはどうやら、 からかわれたらしい。


ひろは口を一文字に結び

げんこつでハズミのこめかみをガッチリ挟むと

グリグリの刑にしてやった。


「いでででっ…ごめ、ごめっ……

ア、ギ、ギ、ごめんって〜〜〜!」


「 もうっ、真剣にやっちゃったじゃないの!」


フンッと言って げんこつを放す。

ハズミが痛そうに涙をぬぐう。

そして 急に 弱々しく、

心臓あたりに手をあてたので

何事かとあわててひろが様子をうかがうと


「…ヨク…ワカラナイ」


と、さっきの 口マネをした。


引っ込めた げんこつを

再びハズミのこめかみにやる。

そして しつこい 悪ふざけに

もう一度お仕置きをした。


  🟤  🔵


この話題は、いったんそこで終わったが

あとでハズミが「ひろの答えを

まだ聞いていない」と思い出した。


問いはまた、ひろの前に戻ったわけだが

そもそもこの問題は、ひろにとっても

まさに身に迫ったの話である。


ここは あやふやにせず

ちゃんと答えを出しておきたい。


選択肢を頭に並べてみる。


1つ1つの良し悪しも、もちろん考え…

納得できるものを選んだ結果、

たどり着いた答えは

割とシンプルで心地よいものだった。


「とりあえず断って…

好きになったら、付き合う!」


そう答えを出すと、

ハズミは「ホハッ」と声を上げ

「いかにもらしい…」と

まるい目でつぶやいた。


  🟤  🔵


今日一日はそれで終わり

ハズミとひろは、校門で別れた。


雲の切れ間から太陽が出て

残る雪は水と氷の中間だ。


アスファルトに溶けた雪を

グシャリ、グシャリと踏んで歩く。


帰り道をひとりゆきながら

ひろはいつものように

スカートのポケットに右手を入れた。


触れた指先で、

中のものをコロコロ かきまわす。


中学にあがって制服を着るようになってから

ひろは 右ポケットに

ある秘密のものを隠し持っている。

ビー玉より少し大きい、数個の球体。


自動車がくずれた雪を踏んでいく。

通りをゆく制服が、それぞれの道に別れていき

やがて人気がなくなると

ひろは慣れた目つきで、あたりをうかがった。


その慎重さで、今までバレたことはない。

球体のひとつを 手に忍ばせる。

…さて、何色でしょう。


外へ 取りだし、 手をひろげる。

現れた銀の色に、ひろの顔が輝く。


五色あるうち、ひろは今

銀の色がいちばん気に入っている。


この白に近い銀の色合いは

ほかの色とは全然ちがった美しさがある。

高潔な感じがする。


「フフ…、 前までこの色

ちっとも好きじゃなかったんだけどな」


陽を浴びた球体は、手のひらでころがるたび

キラキラ光る。

宝石みたい。

とはいえ…コレ、中身はチョコなのだ。

この色は白というか、

銀紙 そのままという感じ。


ちなみにコレ…学校前の駄菓子屋で、

『チョコレートボール』という名で置いてある。


コレをわたしは『チョコロ』と呼び

秘密の相棒にしている。


銀紙をむいて、口に収める。

甘い香りがフワッと口にひろがって

この一口が、最高だとおもう。


コチコチのチョコは、

舌の上で しばらくころがり、ゆっくり溶けて、

甘いチョコレートクリームになった。


住宅に囲まれた 静かな路地を

自分ひとりの、足音だけが響く。


さてさて…… 今のところ 雪村の秘密は

私の胸に収まったままだ。


このまま 知らぬ顔で

忘れてやってもいいような。

ハズミには全部、言っちゃいたいような。


秘密はまだ、手の中にあり、

それは出たがってもいるし

隠れたがってもいるのだ。


道沿いのブロック塀に

雪が こんもり 乗っかっている。


「…ややっ、ここはピカピカの

まっさら じゃないか」


塀に続く白い道に誘われて

ひろは指にそこを歩かせた。


庭の松から驚いた雀が、

ヂュヂュッと鳴いて、飛んでった。


歩く指が、ボッコ、ボッコと、穴ボコを作る。

沈む足を、引き抜き 進む。

まるで雪の中を、こいでいる感じ。

こいだ 形が、そのまま残る。

…フフッ、こびとが通った跡みたい。


ひとつの汚れもない、

まっさらな 雪を進みながら

頭にまた、雪村のことが浮かんだ。


やはり 盗み聞いたものでありながら…

それを恥ともおもわず、

だれかに簡単に話してしまうというのは

品ない行為じゃないだろうか?


とはいえ 雪村は、

隣の席まで近づいてきているわけで…。


このような状態にあることは

ハズミにも知っておいてもらいたい

ともおもった。


ここはハズミと共同戦線を張り

今後に備えておくべきか…。


やがて こびとの道も 途絶えると

ひろは赤くなった指先を

ポケットにしまい 温めた。


空をあおぎ、 息を 吸い込む。


わたしがハズミにしゃべっても

それを 雪村に知られることは、たぶんない。

秘密が外にもれることも、きっとない。


ポケットのなか、あったまった指先で

チョコロに触れる。


空の高いところを、一羽の鳥が、飛んでいく。


それをジッと見つめていると、

この体もここから離れ、

あの鳥と一緒になったみたいに 、空を行ける。


ああ…もしポケットの秘密が

誰かに暴かれるようなことがあったら!


わたしだけのチョコロの魔法も

呪文が解けるように消えてしまうだろうな。



❄️ ⛄ ❄️ ⛄ ❄️ ⛄ ❄️ ⛄ ❄️ ⛄

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