第22話 俺に無い物

 昼休みが終わる5分前。泰晴達が帰って行った後も俺は冬奈に手を握られていた。


 これでは教室に戻ろうと思っても戻れない。でも握られているとなんか嬉しい。みんな、わからない、この気持ち?


 だってさ、聞いて? 俺が手を離そうとすると泣きそうな顔になるんだよ? 無理じゃ無い? 俺はあの顔を見た上で離せるほど鬼畜では無いよ?


 そのまま5分ほど経ち、昼休み終了のチャイムが鳴る。俺がもう諦めの感情で心が支配されていると、俺の左手にさっきまで無かった感覚が伝わって来た。


 「う〜ん……ここは……?」


 女神様のお目覚めである。日頃から疲労が溜まっていたからか? 結構寝たな。


 ……あ、この握ってる手、なんて説明しようかな……。……いや、俺かなりやばいんじゃね?!


 俺の焦りなんて露も知らず、冬奈の意識はどんどんと覚醒していく。


 「ここは……保健室かしら……。……あれ、翔梨? なんで……え?」


 俺の顔を見て困惑した後、冬奈が俺の左手と自分の右手をロックオン。脳の処理が追いつかないご様子です。


 「なな、なんで翔梨は私の手を握っているの?!」


 「ま、待て、誤解だ! いや、最初は俺かもしれないがそれは最初の話でその少し後からは冬奈が——」


 「最初は貴方からなの……?」


 「……それは」


 「……それは?」


 聞いて良いのか? 冬奈にとって辛い事なんじゃ無いか? ここは適当に誤魔化した方が——


 「大丈夫よ。言って」


 「……わかった」


 心を読んで俺の気持ちを知っての発言だろう。そしてその覚悟が宿った美しい瞳。その瞳で見つめられたら、俺は弱い。


 「泣いていたんだ、冬奈」


 「え……泣いていた?」


 「ああ。お父様、お母様って呟きながら……」


 「……そう」


 その俺の言葉に、冬奈は俯いた。そして、俯いたまま、その言葉を吐き出した。


 「お父様は、今どこにいるかわからないわ」


 「ッ!」


 「居なくなったのは……小学生くらいだったかしら。原因は……確かお父様とお母様の大喧嘩だったような? あまり記憶が鮮明では無いのだけど……」


 冬奈は言葉を紡ぎながら辛さに顔を歪めさせる。冬奈の父親は生きているのか……?


 「そして、お母様は——うッ!!」


 突然冬奈が頭を抱える。なんだ、頭痛か?


 「頭が……! え……? おかあ……おカ……あ……さま……?」


 「冬奈? 大丈夫か?」


 「……ええ、大丈夫よ……。ごめんなさい、急に」


 「俺は問題無いが……本当に大丈夫か?」


 「ええ、問題無いわ……大丈夫……大丈夫……」


 まるで自分に言い聞かせるように冬奈は話す。急に頭痛……? まだ疲労が完全に回復していないのか……?


 「……ごめんなさい。もう大丈夫よ。続きを話すわ」


 少し落ち着いたのか、冬奈はそのまま言葉を続ける。


 「お母様はかなり厳しく、優しい人だった。将来会社を継ぐからと私に色々な教育を施した。でも、私が賞を貰ったりすると優しく褒めてくれた。そんなお母様が大好きだった。そして、お母様は私にかなり期待していた。その理由は多分、お父様が天才と言われるほどの人だったから」


 「……」


 「お父様は1人で会社を軌道に乗せ、大企業と言われるほどに大きくさせた。それだけで無く、お父様はなんでも出来た。人間なのかと疑うくらいに。だから、その血を継いでいる私に期待がかかるのは当然と言えるかもしれないわね」


 人間なのか。その言葉に、俺の心臓が跳ねた。もしかしたら、冬奈の父親も俺と同じなのか……?


 「周りの人達は私を天才、優秀なんて持て囃すけど、それは違う。そう言う人達はお父様を知らないだけ。お父様を知れば、みんなそんな事は言えなくなる。私は何も凄く無い」


 「私は努力した。お父様とお母様に、いえ、お母様にまた褒めてもらう為に色々な時間を削って、努力した。でもね——」


 「私は、お父様のような天才じゃなかった」


 その時の冬奈の顔は、あまりにも痛々しかった。言葉では言い表せないほどの苦痛と絶望が込められていた。


 「ある日を境に、お母様は私に冷たい目を向けるようになった。理由はわからないけど、その時の私は出来が良くないと理解したからだと思った。だから私は更に努力をした。あの優しいお母様にまた褒めて貰いたかったから」


 「私はまたお母様に見て欲しかった。凄いねって、偉いねって、褒めてもらいたかった。そして、お父様がいなくなった理由はわからないけど、私が優秀になったら帰って来てくれるかもって思ったの」


 「まあ、どちらも叶わなかったし、今も努力しているけどお母様に褒められることはもう無いのはわかっているわ」


 ……俺は、期待から逃げた。あいつらからの期待と言う名の圧はあまりにも大きかった。


 俺は大嫌いだった。あいつらからのあの眼差しが。


 俺を利用するだけ利用し、壊れたら捨てる。そんな魂胆が見え見えなクズ共の眼差しが。


 でも、冬奈は逃げなかった。優秀な父の圧は母親からの期待に折れず、どんなに辛い思いをしようとも諦めなかった。


 「冬奈は凄い人だよ」


 そんな人が凄く無いって?


 「……さっきの話を聞いてそれを言うの?」


 そんなの——認められるわけないだろ!


 「ああ、冬奈は凄い。期待に押し潰されず、逃げずに行動した。


 次の瞬間、冬奈の顔は険しくなり、声を荒げた。

 

 「でも、私は何も成し遂げられなかった! 父を越えられず! 母の期待にも答えられず! 挙げ句の果てにお母様の顔を恐怖に染め上げた!」


 恐怖に染め上げた……? そんな事、今まで1度も行ってなかったはず……。それに、さっき褒められる事は無いと確定しているような発言……。たまに違和感がある……例えば、まるで母がもうこの世に居ないような。

 

 「貴方に、この気持ちがわかるの?! 期待に答えられず、なのに化け物を見るような目で見られた私の気持ちが!」


 「わからない」


 俺は、持ってしまったから。冬奈に無い物を俺の意思では無く、強制的に持たされてしまったから。……でも——


 「なら、そんな事いわな——」


 「でも、大きすぎる期待を向けられる気持ちも、それに答える為に背負う苦痛や辛さは、誰よりもわかる」


 「ッ!!」


 俺は今、笑っているのだろうか? それとも、悲しんでいるのか、それとも泣いているのだろうか?


 「だって俺はそれに耐えられず、逃げてしまったから」

 





 

 


 

 


 


 


 


 

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