僕が先に好きだったのに

 

 過去の過ちは経験として糧となりえる。

 反省はしても後悔するのは時間の無駄だ。


 過去を悔やむなら現況を変えるべく精一杯努力するのみだ。

 それが俺の中学時代。走馬灯の後悔、それを上書きするように努力を積み重ねた。


 ……思い出を振り返る、か。

 それも悪くないんだろうな。





 誰もいない家、俺は白百合と電話をしていた。


「――というわけなんだ」


「……そっか、関口さんちゃんと言えたんだね。でもね、草太君、それは私に言っちゃ駄目でしょ!」


 無性に誰かと話をしたかった。俺はスマホを握りしめ、一時間ほど悩んだ末、白百合に電話をした。

 ルーティーンとはかけ離れた突発的な行動。

 それは今日の遠足もそうだ。


「普通に考えればそうだな。だが、白百合なら言っても構わないと思えた。というよりも遠足を通して、中学の時の白百合の行動も振り返る事ができた」


 遠足……、悪くなかったな。高校の行事は出てみようと思えた。


「は、恥ずかしいよ草太君!? 中学の頃は友達も少なくて、や、今も少ないけど……、と、とにかく、関口さんは大丈夫そうなんだよね? 明日教室で話しかけてもいいかな?」


「多分大丈夫だ。その時は俺も同行する」


「……何か草太君、高校になってから少し変わったね」


「そうか? 俺はいつもどおり変わらない。何にせよ、話を聞いてくれてありがとう、部長」


「……草太君さ、私の事、白百合って呼ぶ時と部長って呼ぶ時があるよね? なんで?」


「わからん、部長と呼びたいと時がたまにあるんだ、気にするな。……それより、少し遅くなったな、もう今日は電話を切ろう」


「うん、また明日ね! お休み!」


 少しの沈黙の後、俺は電話を切った。友人と電話をする事は滅多にない。電話を切るタイミングがよくわからなかった。それに、会って話す時とはまた違った感覚を覚える。


 あの夜と一緒だ。名残惜しい、と思える瞬間だった。



「さて」


 俺は電話をしながら、『ノート』に記していた。

 それは俺の小学校の頃の記憶の出来事、走馬灯後の中学の生活。

 思春期という子供にとって必要なものを全てすっ飛ばして大人になってしまった俺。


 どちらの俺も俺だ。


『走馬灯』は走馬灯だ。はっきりとした記憶をとどめているわけではない。

 例えば、俺は誰かと結婚した。一瞬だけ、それが関口に思えたが本当にそうだったかわからない。


 死ぬまでの思い出。もしかして、俺はもう死んでいるのか?


「……そんなわけない。栄養補給をするか」


 異常なほどの食事量。

 成人男性の消費量の二倍摂取しなければ身体がうまく動かなくなる。


 俺は予め作っておいた中華粥を食べながら勉強をするのであった。


 深夜に帰ってきた気配がする母。気にせず眠る俺。

 朝起きると、その日は珍しく夢を見た。





 ***






「ねえねえ、あの人って芸能科?」

「なんか雑誌で見たことあるかも……、YAMADAじゃないかな」

「私知ってるよ! モデルはやめちゃって、今は舞台役者さんしてるって!」

「ふーん、結構イケてるじゃん。うちの学校イケメン多いけど、全然知らなかったじゃん」

「ほらほら、モデルのSASHOと話してる」

「もしかしてカップル? 超お似合いなんだけど」

「あっ、YAMADA、こっち見た……。……ねえ、マジで今日まで誰も気が付かなかったの? オーラ凄いわよ」

「あれってカップルじゃないよ絶対! わかる、私にはわかる! 女豹として名高い沙粧さんがブルってるよ!」




 朝の登校時間、校門の前。俺は校門に立って待っていた。

 生徒たちの声が遠くから聞こえてくる。

 こちらを見ているようなので、笑顔で手を振る。

 返事をしてくれる生徒もいれば、無視して立ち去る生徒もいる。


 挨拶は気持ちの良いものだ。心を清々しくさせてくれる。


 そういえば夢の詳細は少ししか覚えていない。

 普通の高校生活を送っていたように思えた。努力をしなければいけないとまだ気づいていない俺。

 何度も何度も失敗を繰り返し、バイト先では怒られ、家ではバカにされ、学校でも同級生からバカにされ、それでも一部の友人と愚痴を言いながら普通の高校生活を送っていた。


 それでも俺は笑っていた。何が楽しいのかわからないけど笑っていた。


 少し、羨ましく思えた。

 だから、俺は努力の方向性を変える選択肢を選ぶ。


 中学の時も、高校に入学してからも、俺は目立たないようにトラブルが起こらないように過ごそうとしていた。


 悪い噂があったとしても、否定しなかった。それ以上の問題が起こらなければどうでも良かった。


 だが、関口が傷ついた姿を見て、嫌な気持ちになった。もしも、それが白百合だったら? 



 ――人は怒らなければいけない時がある。それが自分の事ではなくても。



「ちょちょちょ、山田!? 君は何してるの? なんで仕事モードになってるのよ!? ここって撮影所じゃないわよ!」


 中学生の頃の隣のクラスの沙粧妙子。仕事で数回喋った程度の仲。

 その関係は仕事だけの繋がり。

 現在、心音と同じクラスの沙粧。


「ちょうど良い、沙粧、聞きたい事がある」


「え、嫌よ。面倒な事に関わりたくないわよ。というか、ほら、生徒が見てるから普通に戻りなよ……」


「関口の事だ」


「話し聞いてないし……、はぁ、関口? あいつ変な噂あるみたいね。そのせいで女子から嫌がらせ受けてるらしいし。でも、吉田が気にしてるらしいよ」


「吉田悟、山崎聖、その2人が関口に優しくしている、という認識であっているか?」


「ええ、そうよ。ていうか、吉田は関口の事ずっと好きだったでしょ? だから無視が無くなるように動いてるみたいだけど……。なんか、ね。もう行っていい?」


「沙粧、ありがとう」


「っ!? 君は仕事モードやめろって!? 今、この場でどれだけ被害者を出すつもりなのよ……。抑えてない君が撮影の時にどれだけ女優とアイドルを虜にさせたか……」


「……真面目に仕事していただけだ」


「あっそ、知らないから!」


 沙粧はプンプン怒りながら去っていった。







 そして、遠くから歩いてくる関口の姿が見えた。

 誰かと一緒に歩いていた。吉田悟、中学の時俺の前の席であった男子生徒。


 俺は2人を観察する。

 吉田の距離感は妙に近い。その姿はまるで関口を自分の恋人のように振る舞う。


 元々カッコよかった吉田は高校になって派手になった。中学の時に付き合っていた女子とは別れたようだ。

 夜遊びも多い、と聞いている。


 もしも、本当に、吉田が善意だけで関口の事を気にかけてくれているなら……それで良かった。


 関口の表情は吉田と違い、曇っていた。


「よ、吉田、ちょっと近いって! もう少し離れてよ……。それに私に構わなくていいよ。彼女いるんでしょ?」


「いやさ、マジで別れたんだって。ていうかさ、今日は昼休み一緒に飯食おうぜ。山崎も一緒だからさ!」


「いいよ、山崎君はちょっと苦手だから」


「なら俺と二人っきりで飯食おうぜ。ていうかさ、お前今一人だろ? 俺すげー心配なんだよ」


「……ううん、本当に、吉田っ、お節介焼かなくていいからさ」


「……だよなー、山崎ってあいつ強面だもんな。じゃあ今日の放課後カラオケ行こうぜ。――おっ、山田がいるじゃん、おーい山田!! なんか久しぶりだな。……うお、超眩しいんだけど、なにこれ?」


 俺の前で止まる2人。


 関口はカバンで吉田との壁を作っている。

 本当にこれがただの恋愛感情だけなら俺はどうでも良かった。


 吉田の恋愛事情など興味もない。


 関口が小走りでこちらにやってきた。

 小さな舌打ちが吉田から聞こえてきた。


「おはよっ、なんか、照れちゃうな……。うしっ、今日は頑張って教室に行くもんね! あっ、白百合さんとメッセージしたんだよ。今日は白百合さんとご飯食べるんだ」


「おはよう、関口。その件は白百合から聞いている。俺も今日はクラスメイトと昼食を食べようと思っている」


「えっ? あのわんこ友達の時任さんって人と?」


「ああ、まだ言ってないがきっと大丈夫だろう」


「わぁ、なんか昔みたいに適当な感じが出てきたね。口調はおっさん臭いけどさ」


「教室まで着いてく。下駄箱……見るの怖いだろ。2人なら大丈夫だ」


「んっ、ありがと」



 俺達はそのまま昇降口へと向かおうとした、が――


「ちょいちょいちょいっ!? 俺の事は無視かよ? 山田〜、お前そんなに冷てえ奴じゃなかっただろ? ほら、ガキの頃ゲーム貸したじゃん」


 吉田が馴れ馴れしく俺の肩に手を置く。


「みんなが無視しても、ほら、俺話してやったじゃん。覚えてねえ? 運動会の時にさ。な、俺達友達だったじゃねえか。高校でも仲良くしようぜ! ていうか、お前関口と仲いいのかよ? 知らなかったぜ。……なんだよ、てめえ無視すんなよ。あれか、ガキの頃の無視がムカついたのかよ。はぁ、俺謝ったじゃねえか、小せえ男だな」


 関口が一歩後ずさる。

 多分、この子は何かを感じ取っていたんだ。勘がいいんだろう。




「吉田悟、俺はお前と友達でもなんでもない。むしろお前の冗談のお陰で無視されたからな……。それのどこに友達の要素がある?」


「そ、草太っ!?」


 横から聞こえてくる関口の声。

 俺の舞台用の声。

 昇降口周辺にいる全ての生徒に響く声。


 あの事件、平塚とのいざこざ。あの時、自分だけ他人事だと思っている吉田。

 弱い自分を隠すように怒気を孕む声。


「はっ? てめ――」




 ――人間には怒らなければならない時がある。友達がクズの所業の餌食になるのを放っておけない。



「駄目だ、お前に怒っても響かない、そんなのどうでもいい。俺はただ、事実のみを話す。こっちへ来い」



「――おい、山」



 関口が少し震えているのがわかる、俺は片手を関口に差し出す。

 白百合ならすぐに理解してくれる。「……手を握れ」。


 震える関口の手と俺の手が繋がる。力を込めて安心させる。

 関口は俺に引かれて歩く。吉田も渋々と着いてきた。



 中庭。

 比較的生徒の目が少ない場所。

 誰もいないベンチの前。


「噂は子供だから仕方ない事だ。――なら元凶を叩けばいい。1年C組、吉田悟。お前は関口の悪い噂を流した。関口を孤立させるために、弱っている関口に付け込んで、好意をもたれるように……、そして、山崎と仲間たちと結託して、自分の家に連れ込もうとした事を」



 関口が知らない情報、俺は中学時代の人脈を使い情報をかき集めた。


 関口の手が一瞬だけ強くなる。『大丈夫だ』俺は返事をするように手を握り返す。


「は、はぁ〜、お前何いってんだよ!! ふざけんじゃねえぞ!! なんだこれ? てめえは自分が有名だから俺に罪を被せんのか?? ああ、確かに俺は関口が好きだ!! そんな汚え手段つかって――」


 嘘を付く人間特有の表情。頭の中でセリフを考えている。眼球の動きが忙しない。こんな奴は社会に沢山いた。



 俺は大きく息を吸う。

 心の温度が氷点下へと変わる――


「…………」


「な、なんだてめえ、そんな、目で見るんじゃねえよ!?」


「平塚……、頼んだ」


 逃げ道が無い正論、心も身体も傷つける暴力、響かない説得。

 人と対峙する時は非常に難しい問題がある。怒りに任せては駄目だ。それこそ吉田を殺しかねない。


 中庭の奥に座っていた平塚がやってきた。


 高校生になった平塚はすっかり変わってしまった。漫画とアニメに傾倒し、コスプレイヤーとして確固たる地位を築き、新進気鋭のインフルエンサーになっていた。


 中学卒業後の春休みに出会った彼氏……のお陰で、平塚は非常にまともな人間に変わっていた。


「やっ、おはよう。えへへ、私ね、彼氏から山崎たちのやってること全部聞いたんだ。……超最低だよね。ほら、ちゃんと録音もあるよ。一昨日の夜はびっくりしたよ、まさか草太君から連絡あるなんて思わなかったよ。しかも私の彼氏の友達だし! ふわわ、おかげで超眠いよ」


 遠足の前日に俺は事前に手を打っておいた。その結果、平塚との連絡に繋がる……。


 平塚はベンチに座ってスマホを弄る。声が聞こえてきた。

 山崎が仲間に向かって吉田の事を話している所を。


 吉田はそれを聞いて固まっていた。


「ち、違えよ……、俺は、俺が先に関口が好きだったんだ!! 小学校の頃から好きだったんだよ!! なんで、いつもお前ばっか見てんだよ!! なんで俺の方を向いてくれねえんだよ……。俺は、ただ、関口が好きで……」


「独りよがりの恋なんてドブに捨ててしまえ。吉田、お前は人の心がわからない人間のクズだ。……だが、俺は事実を伝えただけだ。関口……、お前はどうしたい?」


 関口はコクリと頷く。

 手は握られたままだ。

 声に力がこもっていた。



「……えっと、吉田はただの同級生としか見てないんだ。ごめんなさい、吉田とは付き合えないよ。……あとね、噂流されたのは悲しくてショックだけど、これ以上はもういいよ。ねえ山田、行こ! 私ね、クラスのみんなに噂は嘘だって伝えてみるんだ」


「う、嘘だろ? 俺、ずっと好きで……」


「絶対無理でしょ。自分でもわかるでしょ?」


「……くそっ、なんだよ、これ……、くそ、くそっ……」


 吉田はその場で力無くうなだれてしまった。



 関口との手は握ったまま。何故なら関口の手はまだ震えていたからだ。

 こんなトラブルは学生にとって滅多にない事だ。

 怖くて仕方ない。それが普通な事だ。


 だから俺は――


「関口の教室で噂の説明の時間を考えると急いだ方がいい。向かおう」


「う、うん、あれ? 手、繋いだまま……」


「……震えが止まるまで構わない。行くぞ」


 そのまま手を繋いで校舎へと入るのであった――



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