やり直しの卒業


 

 怒りというものは持続性が低い。悲しみというものは持続性が高い。

 恋心は……わからない。


 何にせよ、時間が全てを忘れさせてくれる。


 もう忘れてしまったが、初恋の思い出。平塚をずっと見続けていた俺。

 今思えば、あれは子供にとって成長のための通過点であったのかも知れない。

 一瞬で消えてしまった思い出。それは本当に正解だったのだろうか?



 関口はごく普通の女の子だ。

 中学の時はクラスで友達も多く、笑顔がたえない女の子。環境が変われば心も変質する。

 そんな関口と二人きりで観光地を歩く。

 制服姿の学生が多いから気にすることはない。



「鎌倉に来るのって超久しぶり、平日だと人が少ないんだね。北鎌倉って初めて降りたかも」


「北鎌倉から主要な観光地を巡り、裏山から八幡宮を目標にして、小町通りで昼休憩、そして長谷まで歩いて紫陽花寺へ向かい、のち江ノ電で江の島、水族館を見学して、江の島神社でお参りして帰ろう」


「……やばっ。超歩くね」


「ほどほどだ。他の寄りたい所があったら言ってくれ。さあ行くぞ」


 学校をサボった後ろめたさがあるのか、初めは関口は静かだった。少しずつ話していく内に関口の口が軽くなっていく。


 中学校の遠足、近所の観光地が多かった。

 俺は遠足というものは時間の無駄だと思っていた。班を組んだとしても、どこか静かな場所で本を読んで過ごす。


 それでいいと思っていた。


 今思えば、遠足というものを学業に組み込むのには理由があるのだろう。集団行動の練習であったり、違う環境に生徒を置いてコミュニケーションの活性化を図る。


 小学校の頃は遠足が楽しみで楽しみで仕方なかった。

 実際の遠足よりも、きっと待っている時間が楽しかったんだろうな。


 そんな気持ちは『走馬灯』により、感じる事ができなくなっていた。


 北鎌倉を歩く。気がつくと、関口が遅れて歩いていた。


「……? そうか、女子と男子では歩幅が違う。すまない、関口の事を気にしていなかった」


「はぁ、はぁ……、ううん、大丈夫、普通に歩いてちょうだい」


 汗が滝のように流れている。きっと運動不足なのだろう。それに……、マンションで見た時思ったが、とてもやつれている。


 俺は息を吐く。

 気持ちを切り替える。一人で行動するのは慣れている。2人で行動するのは慣れていない。

 白百合や心音とは特定の場所でしか会っていなかった。


「ゆっくり行こう。俺もたまにはゆっくりしないと疲労が溜まってしまうからな」


「あ、ありがとう。あ、あのさ、遠足、中学の頃、草太は遠足楽しくなかったよね? わたしたちの無視のせいで……」


 歩きながら俺は考える。


「正直言っていいか? 遠足だけじゃない、俺は何かをして楽しいと思った事はない。ただの凡人である俺は努力をする、という選択肢しかなかった」


「……凡人? ど、努力? で、でも、草太はモデルしたり、たくさん賞取ったり……」


「それは結果であって、俺の基礎ベースは大した事ではない。上を見たらもっとすごい人間は沢山いる。だから、努力が足りないと思っていた」


 努力をすればするほど、心が研ぎ澄まされる。身体も心も強くなれた。

 その結果、子供の心を捨ててしまった。


「……もう昔の事だ。どうでもいい。無視されていたのも昔の事だ」


 人は一人では生きられない。それを十分理解していたが、人の心が一番難しい。


「だから――」


「あっ、見てみて、あそこの境内に猫ちゃんがいるっしょ! ちょ、草太、早く早く!! ねえ、噛まれないかな? うわぁ、超ブサカワじゃん……癒やされるわ〜。ちょっと草太に似てる?」


 …………やはり関口は関口だ。


 少し意地悪で明るくて活発な少女。

 今でも変わらない……と、思える様子だが、違う。


 何故かわからないが、関口が無理をしているのが理解した。

 気を使われている。昔みたいな感じで喋ろうと『努力』している。


 現在だけが全てだと思っている俺は過去の事なんでどうでもいい。

 だが、そうだな、昔みたいに……。







 北鎌倉から八幡宮、途中で幼稚園の前にある池の横のベンチで休む。


「小学校の頃さ、ここで亀探さなかった? レア亀? ていうか、昔は鯉がもっといたよね?」


「ああ、関口が俺の背中を押そうとして先生に怒られていたな」


「草太だって禁止の橋を渡ろうとしてすっごく怒られてたじゃん!」


「……否定できないな。男はアレに立ち向かいたくなるものなんだ……、とんだクソガキだな」


「ぷっ、自分の事クソガキって、なんか変なの」




 小町通りを歩く、外国人観光客でひしめき合っている。


「うわぁ、あのお店無くなっちゃったんだ。ていうか、お煎餅屋さんはずっとあるね」


「小町通りのテナント料はとても高い。中通りで大体坪当たり5万円だ。という事はそれ相応の売上が必要だ。地元の人は少し離れたお店に行く。非常に商戦が難しい場所だ」


「ん、よくわかんないね! 草太、草太、犬カフェがあるよ! 行ってみたいけど……時間無いよね……」


「犬カフェ……、悪くないな。いや、これも勉強だ。絶対に行かなければならない」


「ちょ、草太引っ張らないでよ! 落ち着いて、あそこで受付しよ」




 鎌倉の駅の反対側の商店街を歩き、長谷へと目指す。


「グーグルマップだと……これ、距離やばいね……」


「たった数キロだ。小学校の頃の関口についてでも話せばすぐに着く」


「ちょ、私って意外と普通の小学生だったじゃん」


「いや……、男子と一緒に遊んでたのは関口くらいだぞ。しかも悪ガキでどちらかと言うとガキ大将だったじゃないか。俺はその輪の中には入っていなかったがな」


「あっ、そうだよね、草太って大人しかったもんね。ゲームと漫画が好きな男子って印象だった」


「交わらない俺達がこの道を歩いているのも不思議なものだ」


「……なんかおじさんっぽくなったよね、草太」




 サクラが満開の紫陽花寺。紫陽花が咲くのは6月。

 匂いが子どもの頃の記憶を刺激する。


「サクラ、綺麗だね……、私達、もう高校生なんだよね……」


「日本の良いところは季節が巡る事だ。梅雨になれば違った風景が見られる。季節が巡って変わるのも俺達と一緒みたいだな」


「わたしたちも?」


「ああ、去年と同じ時期の自分を思い返せ。……その時の自分と今の自分を比べろ。そうすると、自分がどれだけ変わったかわかる」


「…………んっ、修学旅行の前で浮かれてた。受験勉強の準備してなくて、あとで真っ青になったね。そっか、もう一年過ぎたんだ……」


「過去は振り返るものではない。比べるものだ」


「……え〜、振り返ってもいいと思うよ。……だってさ、草太と一緒にいた思い出、今日で沢山思い出したもん」


「なるほど、それも……いいかも知れないな」




 江ノ電では関口が寝てしまった。歩き慣れていないのか疲れてしまったんだろう。

 頭がフラフラと左右に揺れる。俺は関口の隣の人に迷惑がかからないように、関口の頭を自分の肩に乗せた。


 ――軽いな。


 そのまま江の島まで江ノ電は走る。途中、七里ヶ浜を超えると海が広がる。

 観光客の感嘆の声が車内に聞こえる。

 地元民にとって日常的な光景。何も感情に響かない。


 なのに、今日は少しだけ違った。


「綺麗、だな」





 ***





「だから私そこで言ったの! 『あんたバカ? 奈々子はそんな子じゃないよ!』って。……あっ、ご、ごめん、私の話しなんて面白くないよね」


「中々興味深い。風間と吉田、平塚との間にそんな出来事があったとは」


 水族館を見学し、江の島を巡り、そして、俺達は浜辺で缶ジュース片手に座っていた。

 夕暮れ時、日がすぐに落ちるだろう。


 関口は色々な事を喋ってくれた。それは小学校の頃の思い出であったり、中学の頃に起きた事件であったり、家の事であったり――。


 今の事は一切喋らない。


「うん……、あっ、そろそろ遅くなっちゃうよね? 草太、運動とかしてるんだもんね。もう帰る?」


 一応、この後白百合と時任と合流して、関口も交えてご飯を食べようと思っていた。

 その前にやることがある。


 今日、関口と過ごして、俺は過去というものを振り返る事が出来た。

 走馬灯が起きてから一切思い出さなかった『思い出』。

 それは俺にとって必要なくなったもの。


 少しだけ心臓の鼓動が早くなる。

 俺は、普通の子供だったんだな。


「関口っ」


「ん? ……草太?」


 何も言わず関口を見つめる。多分、白百合ならそれで通じたのかも知れない。こんな時に白百合の事を考えるなんて不謹慎だと思う。




「卒業式の時、俺に言いたかった言葉をちゃんと言ってくれ」




 空気が変わる。今、この瞬間だけ、俺達はあの場所に戻れている。

 白百合と心音とのお別れ会帰りの俺、ずっと道で待っていた関口。





 関口は息を飲む。目を閉じて大きく深呼吸をした。

 再び目を開けた時の関口は――、なるほど、これが人が変わる瞬間か。

 思い出を通して、思い出によって。


 関口からの恋慕はすでに聞いて知っている。だが、違うんだ。そうじゃないんだ。

 過去の後悔は自分でなきゃ向き合えない。


 関口が自分の胸に手を置く。そして、ゆっくりと俺に語りかけた。


「草太、卒業おめでとう。……そ、それだけ言いたかったんだ。……ううん、それだけじゃない。私、草太の事が……大好き、ずっとずっと大好きだった。中学卒業して、同じ高校になって……、私、草太と付き合いたい」




 言葉には力が宿る。俺はそう思っている。それは平塚と向き合った白百合であり、今の関口でもある。

 なら、俺も真剣に向き合うんだ。


 大人としてではない、中学の、あの、草太の延長として――

 


「……その言葉は嬉しい。すごく嬉しい。でもさ、俺、本当はあの日、関口とゲーム一緒にしたかった。……すごく悲しかっただ、関口が流されて俺を無視して。……だから、付き合えないよ。俺、バカだからあの時の気持ちが忘れられなかったんだよ。……ごめんね、関口」




 関口を傷つける行動だと思った。それでも、俺は関口からあの時言おうとした言葉をちゃんと聞きたくて、返事をしたくて……。

 ふと、関口の表情が笑みに変わる?

 なんだ、その表情は?



「そっか、まっ、仕方ないね! えへへ、まだ告白一回目だから、今回は勘弁してあげるわよ! もっと良い女になって次は頑張るからね……。草太、本当に、ごめんね……、わたし、弱くて……」


「関、口?」


「草太はね……超かっこいいんだよ。別に顔なんかじゃない。だって見慣れてるもん。初恋って実らないもんね……。ひぐっ……、好きだったもん、すっごく好きだったもん……、私の方がバカだよ……、ひぐっ……ぐっ……」


 笑ったと思った関口は静かに泣いていた。俺はその横で静かに佇む。

 日が暮れる。暗くなる。


 それでも、俺は関口のそばにいた。





 ******




「今日はありがと! すごく楽しかったよ」


「ああ、またこんな日を作ればいい」


「違うの、今日、この時間、あの場所だったから、特別だったんだよ。同じ日なんてきっと来ないよ」


「中々深い言葉だ。……一人で帰れるか?」


「うん、じゃあね!」





 泣き止んだ関口は魂が吹き込まれたような感じであった。

 後悔を自分で乗り越えた瞬間。


 人が変わる瞬間、それは悲しい事でも楽しい事でも起こり得る。


 結局、白百合と時任との合流は、関口の状態を見て取りやめたが、この遠足は良い結果を残せただろう。俺にとっても。


 心の奥がキレイになってような気がした。人との関わりでこんなにも自分が変われるとは思いもしなかった。





 だから――


 友達として、俺は全力を尽くそう。そう思えた瞬間だ。


 関口と過ごした温かい熱が冷める。

 心は空虚に、頭は冷静に、最善の努力を怠らない普段の俺に――



 一つだけいつもと違う感情が乗っている。



 それは友達としての『友情』であり、友達が傷つけられた『怒り』だ。


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