同級生と罪悪感
「も、もうこんな時間だと? お、おかしい、計画が狂った。適切な運動の時間と勉強の時間を……、いや、そんな事よりも白百合をこんな遅くまで引き止めて」
「草太君、まだ9時だから大丈夫だよ。ちゃんとお母さんにも連絡したし、もう帰るから大丈夫」
罪悪感というものが湧き上がってきた。勉強しなかった、運動しなかった、ゲームという娯楽で時間を潰してしまった。
「すっごく楽しかったね。ドラクマ2さ、実は前にやってすぐにやめちゃったんだ。一人だと面白くなくて……。誰かと一緒にやるから面白いんだね。草太君、無駄な時間なんてないんだよ」
「無駄な時間は、存在しない……。白百合はたまに深い事を言うな」
「いやいや、草太君ほどじゃないよ!?」
身支度を整え、マンションを出る。季節は春だが、まだまだ寒い時期だ。
これから本格的に高校生活が始まり、色々な行事が待っている。
白百合が身震いさせた。
コートを着ていないから少し寒いのであろう。マンションが立ち並ぶこの場所は風も強い。
ゲームの余韻が冷めず、俺達の話は盛り上がりながら夜道を歩く。10分ほど歩いた頃だろうか。
「ここで大丈夫だよ。あっ、私の家、あそこだからね」
「そんなに近かったのか。……俺は白百合の家の住所さえ知らなかった。
「別に良いんでしょ? それが普通だよ。うん、お母さん心配するからもう行くね! 今日はありがとう」
「俺の方こそありがとう、また、明日学校で」
白百合の姿が見えなくなるまで手を振る。
そして、俺は一人となった。
その場から動けなかった。
無性に寂しさを感じられた。名残惜しかった。白百合ともっと一緒にいたいと思えた。
心にぽっかりと穴が空く感覚。
……白百合と遊んだゲーム……また遊びたいな。
「……それにしても妙にうまいと思ったら経験者だったのか。足を引っ張ってばかりだったな。次までにもっと努力して――、いや、これはゲームだ。努力を履き違えては駄目だ。……ゲームは楽しまなきゃ駄目なんだ」
何か大切な事を思い出したような気がした。
浮かび上がってきたのは『平塚』と『関口』の姿だった。
「……なぜだ?」
平塚を見ても何も思わない。だが、子どもの頃の俺は平塚をずっと見つめていた。初恋の女の子。同じ高校ながら一度も会ったことがない。
元気にしているのだろうか?
どうでもいい。
そう思うのは簡単だ。今まで全く考えもしなかった人物を思い出す。それには何か理由があるはずだ。
「たまにはアイスを買って帰るか」
マンションに併設されたコンビニへと向かう事にした。
「えっ? なんで……、わ、わたし、寝間着で、えっ? 嘘、冗談でしょ?」
ちゃんちゃんこ姿がよく似合う関口がアイスコーナーで真剣な顔をして悩んでいた。
初めは気にせずアイスを買おうと思った。同じマンションに住んでいるだけで、たまたまコンビニであった。その程度に認識。
――友達じゃない。
俺は何度も関口に伝えた言葉。実際、今もそう思っている。友達ではなく、ただの同級生。それ以上でもそれ以下でもない。
好きでもなく、嫌いでもなく、人生に置いてあまり関わる事のない人。
なにかの拍子で、もう二度と会わなくなる。それが俺と関口の関係だ。
まともに言葉を交わしたのは卒業式の帰り道。
そういえば、あれは何だったんだろうか?
関口は何故か逃げようとした。いや、それは駄目だ。万引きは犯罪だ。
関口の手を掴む。店員さんが怪訝な視線を送る。
「会計するか商品を置くんだ」
「あっ、アイス、アイス……、あの、手、……、う、うぅ……」
手にはアイスと、このマンションの鍵を持っていた。ということは、やはりここに住んでいるんだ。
関口は片手で自分の顔を覆っている。俺に顔を見られたくないようだ。
様子がおかしかった。関口はもっと明るくて活発な感じだったと思う。
関口が手に持ったアイスを急いで商品棚に戻して、コンビニからつながっているマンションの出入り口へと向かった。
妙にフラフラしている、そこかしこに身体をぶつけている。パニック状態に近い。
なんだか、久しぶりに頭がモヤモヤしていた。
「関口、俺も同じマンションだ。扉を閉めないでくれ」
「ま、また明日ねっ! お、お休みなさい」
……都合が悪いのならしかたない。少し話しをしてみたかったのだが。
「どうやら俺はしつこいみたいだ。関口、昨日はなぜ逃げたんだ?」
「ひぃ!? ちょ、なんで同じエレベーターなの!?」
簡単な事だ。関口が朝俺に挨拶にくる時間、足の速さ、様々な要因を考慮してイメージして、当たりを付けた。
まさか全く同じエレベーターになるとは思わなかったが。
……俺は24階、関口は12階、扉が開いた時の関口の顔は非常に興味深いものだった。
「結構早い時間に登校しているんだな。少し歩きながら話さないか?」
「……い、いいの? 私、その、友達じゃないし……」
「元同級生が話すのは普通な事だ」
昨日は思わず白百合にメッセージを送ってしまった。関口が同じマンションだと伝えたら『知らなかったの!? 普通にあそこから通学してるよ』との事だ。
逃げるように避けられた事、今日は関口と話してみようかと思う、と白百合に全部伝えた。
『私も一緒にいようか?』
『……流れによっては合流して欲しい。後ほど連絡する』
やはり、部長とは話が早い。関口と俺の関係は微妙だ。
自分でも関口に対してどう思っているのかよくわからない。俺は関口に対して過去のことはあったが、それ以上何もない。
何か俺が選択肢を間違えた事をしたんじゃないか、と思っていた。
一階に着く。関口が先に出る。俺もその後を追う。少し足が速い。通常の関口のペースじゃない。俺と話す気がない。いや、表情が違う。
マンションに出る前に、俺は関口の手を掴む。そして、ロビーのソファーに座らせた。
「……察するに、俺と一緒にいるところを生徒たちに見られなくないようだ。ここならあの高校の生徒はほとんどいないはずだ」
「あ、う、うん」
対面だと少し遠いソファー。俺達は横並びに座る。
俺が聞きたい事。それは――
「関口、中学卒業式の日、俺に何を伝えたかったんだ? ずっと待っててくれたんだよな?」
関口は目を見開いて驚いていた。
「そ、それ聞くの? えっ、マジでわからなかった? ……そ、そうだよね。……でも、私には資格なんてないし……、嫌われてるし」
「すまん、自分で完結していてもそれは他人にはわからないものだ。嫌われているっていうのは、今のクラスの噂のせいか?」
「……え、っと、それもあるけど……、山田君、私の事、嫌いだよね」
俺は首を傾げた。
特に嫌いでも好きでもない。興味が無かった。
そう言おうと思ったが、口を閉じた。多分、この返答は駄目だ。白百合が鬼の形相をして説教している姿が思い浮かんだ。
なんだがおかしくなって笑ってしまった。
「確かに、俺と関口の関係は複雑に見える。あの頃の無視は辛かった。だが、関口はいち早く声を来たり、メッセージで色々状況を教えてくれようとしたじゃないか。ただ、俺が努力不足を悟っただけなんだよ。誰も嫌っていない、ただただ、友達がいなかっただけなんだよ」
「……友達が、いない……」
「ああ、関口とは友達じゃない、と言ったが、あれは俺には誰も友達がいない、って言う意味なんだ」
少しの沈黙。
「あ、あのさ、私、山田君に謝ったけど、さ。実際、自分が、無視されて、初めて気持ちがわかったんだ」
白百合から聞いている。現在、関口が教室の女子から無視されている事を。話しかけようとした白百合は関口から「巻き込んじゃうからいいよ。落ち着いたら話そうね」と言われたらしい。
興味が無かったから、どの程度の被害かわからなかった。
……そう、興味が無かったんだ。俺は自分自身を鍛えて、勉強して、努力する事しか頭になかった。
「……俺は殻に閉じこもった。自分が努力して、周りなんて気にしなればいい、と。だが、そのやり方は得策じゃない」
何故なら、普通の子供では心が傷つくからだ。大人の精神力があってこそ、出来た行動。
「うん、私には無理だった。実はね、毎日、山田君の顔を見るとね、元気が出るから行ってたんだ」
「それは光栄だ」
しかし、先日から来なくなっていた。
その事を指摘すると――
「うん、私がさ、山田君のいつも見てるから『好きなんでしょ?』ってからかわれてね。山田君に迷惑かけると思ってもう行かない事にしたんだ」
「関口……」
「大丈夫、高校入ってまだちょっとしか経ってないよ。これからきっと楽しく、なって、行事も、参加して……、それで、それで……」
関口は泣いていない。
いや、もう泣けないんだ。
自分では自覚していないが、急速に大人になってしまったんだ。
それは、悲しい事だ……。
俺は質問をした。
「関口は俺の事が好きだったのか? それは冗談ではなく本当なのか?」
コクリと頷く。
「うん……、いつ好きになったかわかんない。いつの間にか好きになって、後悔して、泣いて、喚いて、それでも目で追っていて、満足に告白もできないし、胸が苦しいし……、嫌われてると思ってて、多分、『初恋』なんだよ。今でもそう――」
「……そうか、今の俺は関口に対して、恋心を抱いていない。その気持ちに対してコメント出来ないが……」
告白というものを何度か受けた事がある。
定型文というものを作り、機械的にその言葉を返しただけだ。
まさか、関口が俺の事に恋慕を抱いていたとは思わなかった。
と、その時『走馬灯』が脳裏に駆け巡る――俺であって、俺ではない人生、無限にある選択肢の数々――
貧乏な俺と関口、子供を抱えている、俺達は楽しそうに笑っていた。苦しくても笑っていた。
未来の可能性の一つ。脳裏から消え去る――
「………………」
「や、山田君?」
関口の今の状況、やつれ具合、腕の傷跡、精神状態、限界だ。
俺は関口を見て、『同情』というものをした。
にわかに驚きだ。そんな感情一切浮かぶことの無かった俺が……。
「別に草太で構わない、関口はそう呼んでいただろ? しかし、無視はひどいな……モラルが足りない」
「わ、私だって、してたから……」
「過去は過去、現状の話とは違う。それにひどい噂も出ている。……それは許されない事だ。……潰すか」
――なんだろう、胸の奥がイライラする。平塚の時とは違う怒りというものがこみ上げてきた。謂れのない噂、それは流布しているのは許され難い事だ。
「や、山田君?」
気持ちを切り替える。
「……とりあえず白百合に報告するか。……関口、そういえば俺は中学の時に全く行事に参加しなかったんだ。……今日はいい天気だ。学校に行くのは惜しい。今から遠足に行くぞ」
「え……? ええぇ!?!?」
「別に俺が関口に恋して無くても、友達になるのは構わないだろ」
元小学校の同級生、気になっていた女の子。
元中学の同級生。俺を無視していたけど、気にしていたんだ。
友達じゃない、と俺は思っていた。
その言葉は人を傷つけたんだ。
だったら、また友達になればいい。俺達は、『子供』なんだから。
「学校に行って辛い思いするなら、今日は行くな。俺が学校に連絡しておく。後で白百合も合流するぞ。心音は東京だから無理だが……む、俺には全く友達がいないな。……時任とはわんこ友達だ。白百合経由で聞いてみよう。元気な時任となら相性がいいだろう」
関口は何も言わなった、いや、何も言えなかった。
枯れ果てた涙が流れ落ちる。
関口は子供のように泣きじゃくる。
「泣くな、力を溜めろ。お前を苦しめた人間に負けるな。泣いても喚いても……時間は過ぎていくんだ。なら、有意義な時間を過ごせ」
俺は立ち上がって大人のように学校に連絡をした。
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