童心の情景
優子が去る。哀愁が漂うその背中、なんだか、懐かしい思い出が蘇る。
小学校の頃、遊び半分で上級生に追いかけ回された時、優子が上級生たちを殴った。
気がつけば俺はおんぶされていた。
『あんた弱いんだから何かあったら私に言いなさいよ! あんたはお姉ちゃんの家族なんだから』
……ただ、思い出しただけだ。そんな事が何度か会っただけだ。
それ以上、何も、思わない……。たった数度の出来事で感情が変わるわけでもない。
俺は何かを飲み込むように息を飲んだ。気がつくと、口に中が血の味がしていた。歯が痛くないくらい食いしばっていた。
気持ちを入れ替える。
「……みんな騒がしくて悪かった。気にせずご飯を食べてくれ」
コクリと頷く生徒もいれば、手を挙げる生徒もいる。静かだった教室が元の喧騒さを取り戻していくのであった。
俺は自席に座り考える。
白百合たち、待っているだろうな。とりあえず時間も経ってしまったから行くだけ行って――
入口に向かおうとしたら、教室を覗き込んでいる白百合と目があった。
「ひゃっ」
「白百合?」
俺は白百合が変な噂に巻き込まれないように教室に来ない方がいい、と伝えていた。
白百合はお願いを絶対に守ってくれる、
そもそも白百合は人見知りだ。数人の女友達と、元漫研の俺としか喋っていない。
白百合は「んっ」と気合を入れて教室の中に入ってきた。クラスメイトの視線が白百合へと向かう。
手足が一緒に動いている。あれは緊張しているんだな。
見てられなくて俺は白百合の元へ駆け寄ろうとした、が、白百合は手で制した。
白百合はまず、時任の元へと向かった。
「と、と、と、時任さん、こんちわ……」
「おっす! 白百合さんじゃん! 珍しいね、うちの教室に来るの。ていうか、顔青いけど大丈夫?」
「う、うん、知らない教室はちょっと、緊張するんだ……。で、でも、時任さんにも会いたかったし」
「へへ、ありがとね。今日も肌真っ白で可愛いよ!」
「は、恥ずかしいよ、わたし、行ってくるね」
白百合が改めてこちらの方に向かってきた。
その表情は固い。
――俺達は高校生であり、まだ子供だ。例えば女子が男子を訪ねに教室に来たら周りからどう思われる? これが中学だったらからかわれていただろう。
なるべく、白百合には負担をかけたくなかった。たまに会って喋ってくれるだけで、十分であった。
「やべ……、あんな子いたんだ……」
「芸能科? とんでもない美少女だ」
「心音ちゃんとよくいる子でしょ。てっきりそっち系かと思ってたけど」
「え、一年C組でしょ? おとなしい子だから知らない人は知らないかもね」
「山田と知り合いなのか?」
「……おい、飯くおうぜ」
自分の事を喋っている生徒たちの事は気にならない、しかし、友人の事を言われていると非常に気になってしまう。
自分がどんなに悪い事を言われてもどうでもいい。子供はそういうモノだと理解している。
……少し、気持ちが不安定だな。
そんな事を考えていると白百合が俺の元へとたどり着いた。
「……草太君、今日はここでご飯食べるね。心音ちゃんはマネージャーさんに呼ばれて今日は早退しちゃったから」
さっきとは違い、有無を言わさない口調。
「だが、ここだと、その……」
「噂の事、話したんでしょ? なら、大丈夫。……私も勇気、出したんだもん。ね、ね、ご飯食べよ。お姉さんとの事は聞いちゃったけど、今は何も言わないよ」
「わかった、遅くなるから食べるか」
俺は弁当重を取り出す。なんだか不思議な感覚だ。中学の時はずっと教室で一人で食べていた。それが当たり前だった。高校になってからは必ず誰かと食べている。
三段に分かれた弁当重を机に広げる。
何故かクラスメイトの視線が弁当重に注がれる? なぜだ? 俺の渾身の弁当だぞ。
白百合も弁当箱を開ける。
「……相変わらず少食だな。もし良かったら俺の弁当もつまんでくれ」
「うん、ありがと。草太君の料理美味しいもんね。草太くんこそ相変わらずの量だね……」
「そうか? よく食べて、よく運動して、適切な睡眠を取る。健康的な生活を心がけている。生活習慣病は怖いからな」
教室の隅っこの方から誰かが声を上げた。時任だ。
「いやいや、尋常じゃない量でしょ!? え、なに? 山田って格闘家にでもなるの? フードファイターじゃん!」
「あかねっち、フードファイターは格闘家じゃねえっす」
俺は首をかしげる。俺にとって適正な量だ。これくらい食べないと力が出ないんだ。多分、人の二倍は食べているだろう。だが、それ以上に身体の消費が激しいんだ。
「気にしないでおこう」
「う、うん、私も視線が気になるからちょっと食べづらいかも……」
「なら教室を出るか?」
「ううん、私、もう決めたから。いつもみたいにおしゃべりしよ!」
その後、俺達は漫画の話や映画の話、アニメや夏コミの話で盛り上がった。
いつの間にか白百合は周りの目を気にしなくなっていた。俺も周りの声が気にならない。
「ねえねえ草太君ってなんでゲームはしなくなったの? 小学校の頃はゲーム好きだったよね?」
「ゲームか……。そういえばやらなくなったな。漫画やアニメは普通に観るんだがな」
「確か『ドラクマセブン』をやり込んでたよね? 私もやろうと思ったけど結構難しいし、UIとシステムが古臭いからちょっとね……」
「流石部長、手厳しいな。……『ドラクマセブン』、子どもの頃の俺が好きだったゲーム……」
「草太君?」
胸がドキドキしたんだ。気になる女の子から話しかけられて、取り柄のない自分の得意な事で。放課後が楽しみだったんだ。もしかしたら関口は俺の事が好きかも知れない、って思ってしまったんだ。
バカな子供の感情。
そんな物は捨てた。ゲームもいつしかやらなくなってしまった。
身体の中の何かが急速に動き出す。
感情が目まぐるしく回り始める。
好きっていう感情が今は理解できない。だが、俺は経験していた。
あの平塚との事件、立ち向かう白百合を見て、俺は衝撃を受けた。
あの時の感情は何だったんだろう?
「えっと、えいっ! 見つめすぎるの禁止! ちゃんと自分の容姿を理解しなさい!」
白百合が俺の頭を軽くチョップする。何かのアニメで見たような仕草だ。
頬を膨らます白百合。
あの時とは雰囲気も格好も全然違う。なのに、懐かしさを感じられる。
チョップする手を止めた。
「……放課後、ゲーム、してみないか? ドラクマセブン2が配信されたんだよな。……久しぶりにゲーム、してみたい」
「え? う、うん、いいけど……。草太君……手、離してよ!? 恥ずかしいよぉ!!」
気持ちを切り替える。
「白百合、何を身悶えているんだ。早くご飯を食べないと休憩が終わってしまうぞ」
「草太君のバカっ! 乙女心を弄ばないでよ」
弄んだつもりはない。……ただ、何かわかりそうな気がしただけなんだ――
***
「お、お邪魔します……」
「誰もいないから気にしないでくれ。引っ越したばかりだから荷物が少ないが」
「うん、そ、それじゃ」
私、白百合は突然の展開で驚いていた。
草太君が自発的にどこかへ行こう、なんて言うのは初めて。しかもそれが家だなんて思いもしなかった……。
私達は仲が良さそうに見えるけど、実はドライな関係。
……もちろん、私は草太君の事が大事。小学校の頃から気になってる人だもん。
中学の頃は週に一回の部活が楽しみだった。もしかして月曜日以外も部室に来てくれるかと思って、扉をよく見ていた。
月曜日以外に来たことは一度も無かった。
「ダウンロードするまでお茶でも入れよう。適当に寛いでくれ。週末に買っておいたカステラがあるはずだ」
「うん」
何もない居間。草太君の部屋はさっき案内されたけど、ベッドしかなかった。
がらんとして空間が広く感じる。冷たいフローリング、チリ一つない掃除された床。
何かを変えたくて、私はあの手紙を出した。この気持ちが恋愛かどうかよくわからない。子どもの頃の草太君への気持ちは今も変わらない。
気になっている男の子。よくわからないまま書いてしまった手紙。
結果、傷ついたけど、何かが変われたと思う。
草太君は努力の人だ。ずっとずっと、努力していた。結果も伴って、色んな賞を取ったけど……。
『大した賞じゃない。そろそろ時間だ。また来週』
決まった時間に必ず帰宅する。私と話すのは部室だけ。高校生になって昼休みや放課後話すようになった。だけど、それはルーティーンのように草太君の中で決められたイベント。
心音ちゃんは言ってた。
『草たんは早く大人になりすぎちゃった男の子だよ、背伸びじゃなくてさ。芸能界で一杯見たよ、そういう子役の子たち。自制心っていうのかな。草たんはだから演技もすごいんだよ。大人の仮面、持ってるから』
心音ちゃんは明るそうに見えてとても大人びている。その心音ちゃんが草太君はもっともっとドライで大人だと思っている。心音ちゃんはその関係性が楽で心地よいみたいだけど。
「ねえ、草太君」
少し離れたダイニングにいる草太君に話しかけた。
「どうした?」
「あのさ、私達って友達だよね」
「ああ、白百合とは友人関係を結んでいる。カフェオレ出来た。砂糖は6gでいいんだな」
感情がこもらない声はまるでロボットみたい。
「うん」
コーヒーを運ぶ草太君。
スタイルが良くてカッコよくて優しい。
ドライで人と距離を取って、誰も信用していない。努力する、という事だけを人生だと思っている。
年間でスケジューリングを組んでいて、私とのコミケはちゃんとスケジュールを空けてくれている。
感情を見せてくれた事がほとんどない。怒っている時は平塚さんの時だけ。あれは人として間違っている事をした子供を叱っているみたいだった。
悲しんだり、苦しんだり、笑ったり……、見たことがないんだよ……。
そんな草太君が……ゲームの話をした時、雰囲気が変わったんだ。
少し照れているようで、感情が表に出てて、なんだか昔の草太君みたいで嬉しかった。
……そういえば、草太君なんかそわそわしてる? もしかしてゲームするのが楽しみなのかな?
ダウンロードの画面を何度も見ている。
そんな姿が、まるで子供みたいで――
「もう少しだから待ちなさいね」
「……白百合、その口調はお母さんみたいだぞ。別に、俺はゲームなんて」
「はいはい、ほら、私のはダウンロード出来ているよ。歩いている時にしたんだもんね」
「ず、ずるいぞ白百合。……仕方ない、先にやっててくれ。確か友人とパーティーが組めるRPGに進化したんだよな。最強キャラはやはり水着の気になるあの子なのだろうか? 猫耳獣人も強いと書いてあった。……どうした? 始めないのか?」
何がきっかけかは私にはわからない。子供の頃の草太君の面影と重なる。
『お前一人なのかよ。ん? おおぉ、お前そのゲームしてんのかよ! 俺もしてるぜ! なんだよ、その漫画も好きなのかよ! うおぉ最高だぜ』
『で、こうなって、こうやって、おっ、白百合すげえじゃん。えっ、塾の時間……、そっか、なら仕方ねえな。また一緒に遊ぼうぜ! すげえ楽しかったぞ。はぁ、家帰りたくねえな。ていうかさ、大人になったらゲームやり放題だよな!』
小学校、たった数回だけの接点。地味で男子と全然喋らない私、キモがられてバイキン扱いされた事もある。
草太君だけは違った。人として私を見てくれた。
草太君の事がずっと心に残っていた。
「草太君、笑ってるよ……ゲーム、やろっか」
こみ上げてくるものを抑える。涙が出そうになるけど、私も笑わないと駄目。
あの頃の続きみたいに――
「あの頃の続きみたいだな」
草太君の声と重なる私の想い――。私は、
「やっと、遊んでくれたね。ほら、ダウンロード出来たみたいだよ」
この時間がずっと続けばいいと思った、
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