不器用な青春


 人生には分岐点というものが存在している。

 その選択肢次第で生き方が変わっていく。


「ねえ、山田君、これ見てよ〜。チワ助超可愛いでしょ? 飼い主に似てるんだよね!」


「そ、そうか、その時任、あまり俺に関わると……」


「え、なに? そんなのどうでもいいよ。私が喋りたくて喋っているだけだから関係ないじゃん」


 週明け、俺よりも早く起きて仕事に出ていった母。

 俺は日課の運動と勉強をこなし学校へと向かった。

 いつもどおりの日常だ。そこに何かが入り込む余地はない。


 俺が教室に入ると時任がグループからこっそり抜けて俺の席までやってきた。

 そして、チワ助の写真を見せながらずっと喋り続ける。

 教室のクラスメイトたちは意識して俺達を気にしないようにしていた。


「俺の悪い噂を知ってるだろ。時任まで面倒事に巻き込ま――」


「はぁ、あんたと私はすでにわんこ友達になってのよ。山田、人生は長いようで短いんだよ? なら限りある時間の中で楽しく過ごさなくちゃ! 面倒事、上等だよ。噂なんて中学生の子供じゃないんだからすぐになくなるじゃん!」


「わんこ友達……、いや、俺達は赤の他人で……」


「違う、もう関わったから他人じゃない」


 時任の言葉は思いの外――鋭かった。


 ……楽しく過ごす、か。あまり考えた事が無かった。学校は勉強する場所であり、社会に出る準備をする場所としか認識していなかった。


 もしかしたら、俺は『走馬灯』により子供の心を失っていたのだろうか。


「ていうかさ、白百合さんと付き合ってるの? 超お似合いだったんだけど」


「付き合ってはない、大切な友人だ。恋愛は興味ない」


「はぁ〜〜、高校生のトークなんてほとんど恋愛でしょ!? ちょ、好きな子とかいないの?」


「……いない」


「ねえねえ、私が山田に一目惚れしたっていったら嬉しい?」


「いや、そんな感情は君から読み取れない。そうだとしてもありがとう、としか言えない」


「はぁ……、パパと同じじゃん……、空気感が……」


 俺は大人の感覚になってしまったが故に、恋心というものを全く理解していない。どんなものかさえ、覚えていない。

 ましてや、同学生に対して恋慕を抱くことが難しい。それは大人が子供に抱く感情と似ているのだろう。


 ……そういえば、俺は平塚に恋をしていたんだな。

 遥か遠い過去のように思えた。


「若いんだから恋愛しなきゃ駄目だよ! 別に二次元でもアイドルでも何でもいいけど、好きなモノって人生を豊かにしてくれるんだよ。ほら、私のチワ助を見てよ! あっ、やば、そろそろグループに戻るね」


 時任は自然な様子で元のグループに戻る。何事も無かったかのようにグループに混じって会話を楽しんでいる。


 俺には無い『熱』が時任には存在していた。白百合もそうだ、心音からも同じような熱を感じる。


 ……ただ努力しただけの俺と何が違うんだ?


 俺は、無機的だ。


 無視されたとしてもどうでもいいと思っている。

 平塚との事件もすでに過去の事だと思っている。

 悪い噂が流れたとしてもどうでもいいと思っている。

 白百合や心音は素晴らしい友人だ。2人の成長を見守りたい。それ以上の感情は何もない。

 時任は少し話した程度の仲で赤の他人に近い。


 肉親であった姉貴の事は忘れていた。忘れたいんだ、あの存在は。

 多分、子供の頃に暴力を受けた人間だけがわかるだろう。

 当人は忘れても受けた傷はずっとずっとずっと心に残るんだ。


 だから俺はボクシングを選択した。トラウマを克服するために。


 努力をすれば何かが変わると思った。


 結果、大人としての感覚が更に強くなるだけであった。





 ……やはり俺はこの高校に入って良かったと思えた。つながりを全て消して、楽な道を選ばなかった。


 もしかしたら、ここが俺の分岐点かも知れない

 中学の頃に、白百合から感じた感情がわかるかも知れない。

 関口が隠している感情の正体がわかるのかも知れない。


 ……今のこの状況、中学の頃と一緒だ。多少はマシだと言っても俺が行動しなければ変わらない。

 声をかけてくれた時任、心配してくれている白百合、関口だってもしかしたら元同級生として俺を気にかけているのかも知れない。


『走馬灯』


 俺を大人の精神に結びつけてくれたもの。その反面、俺を守りに入らせた存在。


 行動しなければ変わらない。俺はずっと今のままだ。それでいいのか? 

 恋愛に失敗した、結婚に失敗した、人生に失敗した、それでも走馬灯の俺は笑っている時があった。




 ――俺は、最後にいつ笑ったんだ? 




 無意識のうちに俺は立ち上がった。

 息を吐く。これまでの人生を振り返る。


 ……やっぱり、努力が足りないんだな。


 分岐点だ。ここが始まりだ。


 俺は教壇へと歩く。クラスメイトからの視線を感じる。生徒たちの名前は全員覚えている。高校生活におけるただの他人、という認識で過ごすつもりだった。


 同じクラスメイトである時任と知り合った。


 俺は今まで仲が良かった白百合にさえ、壁があったんだろう。

 自分を傷つけたくない壁。走馬灯で感じた裏切りを友だちから受けたくなかった。


 表面でしか他人を見ていない。汚い大人みたいな男だ。


 教壇をコツコツと二回叩く。儀式じみたそれは、俺の心を落ち着かせる。



「……俺は……山田草太だ。――悪いが俺の話を聞いてくれ」


 腹から声を出す。教室にいる全員に届く言葉。

 言葉に力を込める。


 教室は静かになり生徒たちは俺を見ている。

 俺は停滞していたんだ。それで良しとしていたんだ。大人の感覚に頼り切って、自ら壁を作っていたんだ。

 噂を否定するのも面倒だった。それでいいと思っていた。


 ――違う、それでは駄目だったんだ。


 ――否定しろ


「噂は歪曲されて伝わっている。確かに俺は中学生の時、暴力事件を起こした。それを言い訳するつもりはない。詳細は中学の時に作った報告書がある、学校側に提出したもので、当事者全員と学校側のサインがある。それを見て判断してくれ。――それ以外の噂は全て事実無根だ」


 首をかしげている生徒もいる。話を聞いてくれている生徒もいる。つまらなそうにしている生徒もいる。何か起こるか期待している生徒もいる。


 ただ、声に感情を乗せた。俺の今の気持ちを――


「もう一度言うが、噂を否定する。痴漢もしていない。元姉にも暴力を振るっていない。女遊びなど全くしたことがない。むしろどうすれば好きな人が出来るか悩んでいるくらいだ」


 時任が「ぷっ」と笑っていた。

 俺はそれを見て……心が落ち着いたような気がした。


 大人の仮面が緩むのを感じる。


「――今更だが、みんなこの一年間同じ教室でよろしく頼む。趣味は努力することだ。それ以外に取り柄がない俺だけど……」


 何かが変わると期待したわけじゃない。

 これは、俺の気持ちを意思表示しただけだ。



 環境を変えるには――自分が変わらなければならない。


 自然と口元がほころんだ。


「みんな、これからよろしく」


 静かな教室、俺は自分の席に戻る。

 今はそれでいい。

 きっと何か変わるはずだ。


 大人としてではなく――子供の心を取り戻しながら――。



「それが、俺の青春なんだ――」



 誰にも聞こえない声で呟いた。自分に言い聞かせるように。




 ******




 学校掲示板1年A組。


『なあ、山田の噂ってどう思う?』


『ぶっちゃけ嫉妬だろうな。今まで本人も否定しなかったし、わかんなかったけどさ』


『山田と同じ中学の奴に聞いたんだよ。暴力事件って言ってもラブレター盗られてブチ切れて胸ぐら掴んだらしいぞ。山田が持ってた書類見せてもらったけどまんまその通りだったわ』


『でもさ、正直山田って何考えてるかわからなくて怖かったよな。なんか人じゃねっていうか、完璧過ぎるっていうか』


『うんうん、同年代に見えないし』


『今日は人間臭かったな。てか、元モデルでボクシングも中学王者だし、頭もいいんだろ? 俺、ぜってー話せねえよ……』


『イケメン過ぎて話しかけられない……』


『わかる〜、あの笑顔は反則でしょ』


『てっきり見下されていると思ってたじゃん。俺達とは違うっていうオーラがすごかったから。でも実際どうなんだろ?』


『それこそ話さなきゃわからねえな〜』


『誰か話しかけろよ』


『そういや、噂って誰から聞いた?』


『私は山崎君って人から』


『俺もそのチャラ男からだ』


『もしかしてとんだ嘘つき野郎?』


『ちょ、まって、何か山田の姉が教室に来てる! 修羅場ってるぞ』


『え……、なんか、重すぎる話ししてない……』


『山田、怖えよ……』


『俺達、どうすりゃいいんだよ』




 ****




 その後、教室に劇的な変化があるわけではない。それでも教室の空気というものが変わったような気がした。


 俺自身の気持ちはとてもフラットなものになれた。

 徐々に馴染んでいけばいい。ちゃんと行事にも参加して、友好関係を築いていければいい、そう思っていた。


 昼食の時間、今日は白百合と2人で食べる予定だ。

 弁当を持って教室を出ようとしたら――


「……草太、来ちゃった、ごめんね」


「いえ、特に気にしないでください、優子さん。もう俺達は家族じゃありません」


「うん、……、私、何も考えずに暴力ふるって……、それに小学校の頃、勉強を強要したり……意味わからないルール作ったり……、本当にごめんなさい。最後にお別れ言いたくて」


 小学校の頃の草太の気持ち。

 それが急速に浮かび上がる。大人の俺の心を蝕む――


『あんたこれから毎日アイデアノート書きなさいよ。私を楽しませるリストだからね。ちゃんと考えなさいよ!』


『はっ? サッカー嫌いだからやりたくない? 男子ならサッカーでしょ! この軟弱者っ』


『あんただけ居残りテスト? はぁ、あんたこれから毎日3時間勉強しなさいよ。ちゃんと報告してね』


 子どもの気まぐれだとしても、あの頃の俺には……とても辛くて苦しくて、家に帰りたくなかった。


『草太君、その顔どうしたんだ? 超腫れてるじゃん』


 優子が癇癪を起こして本気で殴られた時だ。氷で冷やしても頬に大きな大きな腫れが出来た。

 泣きたくないのに涙が出たんだ。優子は父と母に怒られたが、次の日には忘れていた。


『何か、武勇伝になるからかっこいいじゃん』


 言葉も出なかった。


 なんで、今、この教室に来たんだ? 

 なんで、今、謝るんだ?

 なんで、もっと早く気がついてくれなかったんだ?


 急速に心が冷え込む。大人の心が子どもの草太の心を封じ込める。


「気にしないでください。もう、俺達は家族じゃありません。父と楽しく過ごしてください」


「草太……、一度だけ聞くけど、もう家族に、戻れない、よね? ……お姉ちゃ」


「俺に、お姉ちゃんなんて存在しない。優子さん、ここは下級生の教室です。早く出ていってください」


 その時、優子の表情に変化が出た。

 何かを悟った顔。


 それは今まで見たことが無かった。なんだこの表情は? まるで走馬灯の後の俺のようで――

 子どもの顔の優子じゃない、人生の苦痛を耐え忍んだ大人の表情であった。


「……うん、わかった。草……山田君。迷惑かけてごめんね。……元気でね」


 優子が教室を出ていこうとした。この対応が間違ってはいない。


 わからない、なぜ、俺は、今――





 優子の手を掴んだんだ?





「待て、父の言う事を聞くな。自分で自分の人生を考えろ。素人のパン屋がどうにかなると思うか? 絶対に手伝うと言っては駄目だ。それに今ならまだ貯蓄がある、父がパン屋を開く前に、専門学校の学費を一括で払い、寮費も払い、金の心配を無くしてから家を出るんだ。母親は怪物だ。絶対に当てにするな、あれは冷徹な大人じゃないと太刀打ちできない。優子が自立しないと――」


 俺は何を言っているんだ? 

 あんなに嫌っていた優子に対して……。見捨てる事は出来ないのか?


 優子はこくりと頷いた。



「……心配してくれて、ありがと……。んっ、わかった」


「あっ……っ」


 ――何かあったら、俺に頼れ……。その言葉が出そうになった。


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