赤の他人の同情


「ごめんね、草太。お母さんのわがままで離婚しちゃって……。でも、もう限界だったのよね」


「今度からは事前に相談してくれると助かります。お金の事は心配しないでください」


「お金ならあるわよ」


「え?」


 母は思いの外、理知的で理性的であった。離婚の準備は前々から進めていたらしい。

 自分だけの口座というのもあり、父に内緒で投資をして資金をかなり溜め込んでいた。


 次に住むマンションの契約も済ませていた。


 学校にいる時に電話をもらい、即承諾し、早退をし、父と三人で話し合い、家を出る準備に取り掛かった。電撃的なスピード離婚だ……。

 母が昔働いていた投資会社に再就職も決まっている。それに母は美人で性格も天然であるが魅力的に見えるだろう。すぐに再婚相手が見つかりそうだ。


 俺の貯蓄もある。当面は問題なく暮らしていける。後は粛々と書類の手続きを進めるだけだ。


「あら? お母さんだって元は伝説の投資ウーマンだったのよ? 子供はお金の心配しちゃ駄目よ。さっ、バリバリ働くわよ〜。あなたも好きに生きなさい」


 天然に見える母だが、非常にドライな性格をしている。多分、俺の根底にある性格は母に似たのかも知れない。

 母は姉貴の優子の事はもう娘だと思っていない。切り替えが早い。多分、母親としては最低の部類に入るが別に構わない。俺はまだ子供だ。親権の問題で親が必要だ。父親に付いていく選択肢はなかった。


「あ、ああ……」


「草太には迷惑かけたわね……。お母さん、仕事以外てんで駄目だから……。子育ても家事もうまく出来ないし……、優子ばっかり世話焼いてね……」


 母は母なりに優子と俺の関係に思うことがあったのだろう。だから今まで俺がジムに通ってもモデル活動しても、誰にも言わずに応援してくれたんだ。


 正直、離婚してくれて良かった。これで家族という縁は切れる。優子と父と接する必要も無くなる。


「さっ、今日は仕事に行ってくるわね〜。あっ、お母さん、仕事大好きだから、ほとんど家にいないからご飯の準備とかしなくていいわよ〜。お弁当も作れないわよ」


「それは別にいいです……。あの今日は休日で……」


「ふふ、いいのよ。好きな事だから。じゃあね〜、あっ、女の子連れ込んじゃ駄目よ〜」


 母は嬉しそうに出ていった。引っ張り出してきた型遅れのスーツが似合っている。

 

 とりあえず掃除でもするか……。





 掃除も終わり、マンションの備品を買いに街へと出る。休日にゆっくり過ごせるのも久しぶりだ。

 中学の時はずっと仕事が入っていた。

 高校になって心音の事務所に入り、仕事内容と量を調整する事にした。


 心音は現在も精力的にアイドルの仕事を続けている。

 うちの高校は心音みたいな学生のために芸能科みたいなクラスもあるから、心音は出席日数なども気にしなくていい。


 俺は部長と一緒で普通科だ。


 白百合部長は今年は漫画に挑戦するようだ。今から夏に向けて準備をしている。手伝うと言ったら『う、売り子してくれるの!? ならコスプレしよっか……。大丈夫、ちゃんと準備しておくから!』との事だ。


 その場では了承したが、果たして俺がコスプレをしてもいいものなのか……? モデルの仕事と変わらないか。



 あらかた買い物を終え、大きな荷物は配送の手配をし、カフェのテラスでお茶をしていると声をかけれらた。


「そ、草太君? 珍しいね、街で会うなんて……」


「おお、部長か。ちょうどコスプレについて考えていた所なんだ。まあ座ってくれ。あっ、もし良かったら無料クーポンを持っているんだ。使ってくれ」


「う、うん、そ、それじゃあ……」


 お出かけ中の部長とばったりあってしまった。……部長は中学の頃に比べて随分と雰囲気が変わった。うちの事務所に所属していてもおかしくない。女性の変化は季節のように気がつくとすぐに変わってしまう。


 部長は少し目を泳がせながらも飲み物を買いに行った。

 戻って来る時、白百合の足がなぜかプルプルと震えていた。それでもゆっくりと俺の席へと向かってくる。


 部長がトレーを置こうとした瞬間――


「わふんっ!」

「ふぎゃっ!?!?」


 犬の鳴き声、驚く白百合、宙に舞うトレー、木の葉を掴む感覚のジャブでトレーを掴み、右手は態勢を崩した白百合の腰に手を添える。


 トレーをそっとテーブルに置く。そのまま椅子を引いて白百合を座らせる。


「悪い、緊急事態だった。大丈夫か……白百合?」


「近い……、顔、近い……、はっ!? だ、大丈夫だよ。そ、それよりも、このワンちゃん……」


 俺達の前に座っている小さなわんこ。リードと首輪が付いている。辺りを見渡しても飼い主の気配はない。


「飼い主はどうした?」


「……わふん……、クーン……」


 多分、しつけが出来ているわんこなのだろう。前足を俺の付けて何かを訴えかけている。必要以上に接してこない。それでも何か必死さが伝わってきた。

 リードを咥えて、俺の手に持ってくる。足でお願いしてくる。


「草太君、私も一緒に行くよ。コーヒーはいつでも飲めるもんね」

「……判断が早くて助かる。この子にとって緊急事態のようだ」


 俺はリードを手にもった。

 わんこが小走りで走り始めた。




 *****





 近くのクラブの前でわんこが止まった。まだ営業時間前のはずだ。

 わんこが入口をカリカリと前足でひっかく。


「草太君、ここってクラブだよね? ふ、不良のたまり場だよね……」


「不良とは限らない。……白百合はここで待っててくれ」


「うん、何が起こるかわからないからすぐに警察呼べる準備しておくね」


 流石だ、部長との会話はとてもスムーズで心地よいものがある。

 それにしても、わんこがここに来たって事は飼い主がいるはずだ。

 このわんこの様子を見ると、彼もしくは彼女はトラブルに巻き込まれたのだろう。


 鍵はかかっていない。

「わふん?」

 わんこが勝手に行動しないように抱きかかえる。身体が震えている、怖かったんだろう。


 わんこを優しくなでながら俺はクラブの中へと入っていった。





「いやさ、ごめんね〜。ぶっちゃけお姉さんと話したかっただけなんだよ」

「そうそう、マジでごめんって。犬を怖がらせるつもりなかったんだよね」

「でもさ、この腕見てよ。血が出ちゃってるよ。これ、どうしてくれるの?」

「まっ、水に流して一緒に犬を探しに行こうぜ!」


 金髪の少女が椅子に座っていた。

 三人の男は強面な格好だ。白百合を連れてこなくて良かった。


「……す、すいません。あの、『チワ助』が心配で、あの子、迷子になったら……、その病院代は払います……」


「いやさ、驚かせた俺達も悪かったけどさ、一緒に探しに行くって! な、な、いいだろ? ほら、行こうぜ! 俺はケン、ここいらでは有名なんだぜ!」


 三人の中のリーダー格の男。この場の空気を支配している。



 俺は壁をどんどんと拳で二回叩く。

 ノックは礼儀だ。どんな時も必要だ。


「失礼、この子の飼い主がここにいないか?」

「わふん!!」


 今に飛び出しそうになるわんこを優しく抑える。


 男たちが威圧的な睨みを効かせながら立ち上がる……が、なぜかリーダー格の男が固まっていた。

 なんにせよ好都合だ。金髪の女の子が「あっ」と声を上げた。


「君のわんこか……」


「チワ助!! 良かった……、あの、ありがとうございます……」


 俺はわんこを彼女に渡す。……この子は気がついていないのか? 確かにこのクラブの中は薄暗いが……。

 俺達は顔をあわせた事がある仲だ。

 高校の同じクラス。彼女は時任茜ときとうあかね、地毛を金髪だと言い張る少し勝ち気な女の子だ。


「チワ助……この人連れてきてくれたんだ……ありがとう、私を助けてくれて」


「ちっ……、おいおいおい、お前誰だよ? ケン君の怪我、どうすんだよ? 俺達は紳士的な対応してんだろ? ちゃんと犬も探そうと思ってたよ!? 考えてもみろよ。無理やり触ったりしてねえだろ? ……普通ならこの状況どうなんだ? な、な! 俺達はモテねえんだよ……、本当に女子と喋りたいだけなんだよ……切実なんだよ……」


 ケン君と呼ばれたリーダー格の彼の腕はちょっとだけ擦り傷があった。


「バカっ、やめろっ!! そいつは山田くんの連れだろ? 絶対関わるんじゃねえ……。優しそうに見えて容赦ねえぞ」


「え……、山田くんって、神埼さんとやり合ったあの山田くん? マジ?」


 リーダー格の男が時任に威圧をかけていた男の頭を殴る。その時、入口から誰かが入ってきた――




「ん? なんか騒がしいな……。――おう、草太じゃねえか。うわぁ、中学以来だな。超久しぶりじゃん。ボクシング辞めちまったんだよな……。ていうか、これどうしたんだ?」


「どうやらこの子がナンパされて連れ込まれたようだ」


「……はっ、マジか。……くそ、面倒起こすんじゃねえよ」


「う、うっす……、す、すいません……」


 ボクシングジムの同期であり、プロを目指している男、神埼俊樹かんざきとしき

 よくスパーリングをした仲だ。

 一度だけ本気で怒ったことがある。俺よりも才能がある神埼がボクシングをやめようとして、半グレへ入ろうとした時だ。


「久しぶりだな。神埼、活躍は聞いているよ。あんまり問題起こすなよ」


「うっせ、俺がいないとコイツら無茶するから監視してんだよ。ていうか、今度試合観に来いよ」


「了解だ。もう帰っていいか?」


「ああ、こいつらは後で説教だ、じゃあな」


 そう言って神埼は笑顔で俺を抱きしめてきた。こいつとは色々あった。それも全て俺の経験へと変わった。

 努力では勝てない人間がいる、という事を再認識できた男だ。


 そして、俺とわんこと時任はクラブを出るのであった。



 ******



「……ちょ、超怖かった……。マジでビビるじゃん……。えっと、お兄さん、本当にありがとうっ! うわっ、ちょ、まって、超かっこいい雰囲気するじゃん!? てか、チワ助と仲良く出来るって超すごい。あたし以外だと超大暴れするのに」


 俺達は街に戻り適当なベンチに座って落ち着くことにした。


 俺は部長と顔をあわせる。多分考えている事は一緒だ。部長はなぜか俺のクラスメイトを全員把握している。時任が同じ俺と同じクラスなのに俺に気がついていない事を。


「……時任茜、ちょっとツンデレ気質のギャル属性。……SSランクの要注意人物。……特技は天然な明るさと可愛さ、、趣味は漫画……」


「し、白百合?」


「う、ううん、気にしないで! わ、私だって努力してるもん!」


「ああ、俺は白百合が頑張っている事は知っている。……時任、君は俺の事がわからないのか?」


「えっ、なんで名前わかるの? うちら知り合いなの? チワ助ちゃん、このイケメンお兄さんの事わかりまちゅか〜」


 わんこと戯れて何か恥ずかしさを隠しているようだ。……わからないならそれでも構わない。

 白百合が首を振った。


「駄目、ちゃんと草太君の事見なさいよ。時任さん」


「ふえ、ちょっ、あんたも超美人じゃね? うわぁ、肌真っ白、紫式部? 顔ちっさ……。いいな、私お尻がおっきいし、顔でかいし……」


 時任さんは白百合に顔を近づけていた。……視力が悪いのか?


「ふんっ」「わふんっ」


 白百合が時任の顔を俺に無理やり向けた。わんこも嬉しそうに鳴いていた。


「ちょ、まって、メガネするから、イケメンでも恥ずかしがらずにちゃんと見るから! ……はい、メガネしたよ。ブサイクになるから嫌なのよね……。え、え、えええ!?!?!? 山田……、もしや君は山田じゃないか。お、同じクラスの山田じゃないか!!」



 ***



 そこから俺達はカフェに入り直した。

 テラス席で3人と一匹でおしゃべりに興じる。

 時任はお礼と言って飲み物を奢ってくれた。こういう時は素直に受け取った方が後腐れがない。


「チワ助が山田たちを呼んでくれたんだよね……。マジでありがとう。ていうかさ、山田って教室と雰囲気違くない? 教室だと大人しく本を読んでるよね? 誰とも話さないし」


「……時任さんは山田君の噂を知らないのかしら?」


「……うん、知ってる、聞いたことある。ぶっちゃけ教室の山田は怖い印象だった。というか、男子全員怖いんだけど……」


 時任は非常に気まずそう顔をしていた。

 ここは学校ではない、だからこんな風に喋れるのだろうな。見た目的に派手な時任は友達が多いはずだ。


 高校になって同級生になっただけの関係。

 今、話しているからといっても、『赤の他人』と変わらない。


「正直に言っても構わない」


「まずさ、痴漢したって言う噂がやばいじゃん。それに暴力事件起こしたでしょ? 身体もでかいし、何かあったら殴られると思う生徒もいるじゃん。女遊びもひどいって……」


「草太君はそんな人じゃないよ」


「うん、こうやって話すと全然印象が違う。やっぱ噂は噂なんだな、って実感出来たわ。ごめんね、山田、よく知ろうともしないで」


「いや、それが普通だ。接点がないクラスメイトの事なんて深掘りしないだろう」


「……なんか年寄り臭いね」


 やはり、思った以上に噂の根っこが深い。そろそろ対策をした方がいいが、噂に即効性の特効薬などない。

 地道に人間として当たり前の事をして、誠実に生きるのが一番だ。


「それよりもチワ助を触ってもいいか? わんこと遊ぶのが初めてで興味があるんだ」


「うん、山田なら大丈夫だよ! うわぁ、すっごく懐いてるね、あははっ」


 俺はリードを片手にチワ助と遊ぶのであった。





 ****




 二人っきりの女子。


「……あのさ、白百合さん。山田って中学の頃も無視されてたんでしょ? 噂で聞いた事あるんだ」


「うん、それは本当。私、同じクラスだったから」


「あいつさ、今日話して思ったんだけどさ、超いいヤツじゃん。なんで無視されたかわかんないじゃん」


「……些細な冗談と小さな悪意。難しいよね、あの頃のわたしたちって子供だもんね」


「でもさ、今も、教室で一人なんだよ。ぶっちゃけ、そんなに気にしてなかった。男子と喋らないから、その内の一人って感じだった。でもさ、一人って寂しいよ……」


「時任さんはね、多分優しい女の子なんだね」


「ねえ、どうにかならないかな? 私、教室で話しかけて良いのかな?」


「……多分、草太君がそれを止めると思うよ。草太君、あなたにまで被害が及ばないように立ち回ると思う。……大人過ぎるんだよ草太君は」


「そんなの……、だって、あいつっ! すっごくいい奴じゃん!」


 時任は唇を噛み締める。

 悔しさと悲しさと罪悪感で胸が一杯になる。

 全然知らなかった。理解していなかった。気にもしていなかった。


 だって、高校にもなってクラスでハブられてるんだよ? それも謂れのない噂で……。


 それなのに、山田は全然普通の顔している。

 今もチワ助と楽しそうに遊んでいる。


 なんで、わたしたちって、他人の事、知ろうとしないんだろ……。



「山田……わたし……、悲しいよ……」





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