独りよがりの愛情


 暴力事件を起こした生徒。

 それが高校生生活一週間が経った俺の印象だ。



 元々は東京の高校に入るつもりだった。アルバイトで貯めたお金で学費を払い、寮に入る予定だった。


 だが、自分自身の考え方もあの事件以来変わった。

 中学の時の俺は、努力する事によって結果を求め、心の何処かで周囲から称賛を求めようと思っていたのかも知れない。


 ――何か賞をもらっても心に響かなかった。


 普通の女の子、白百合部長が平塚の前に立った時、俺の全身に鳥肌が立ったんだ。

 感情をむき出しにして平塚と対話する部長。走馬灯でも経験した事のなかった衝撃。


 俺は人の感情というものに興味が出た。



 俺は先生に暴力行為をした事を報告した。ケジメでもある。

 風間と平塚が『違うんです、俺達が悪いんです』と先生に報告したようだが、事実俺は風間に暴力を振るった。


 一区切りとしてちょうどよい機会だと思った。

 停学、謹慎といった処分はなく、反省文だけで終わったが、人生を振り返る事が出来た。原稿用紙5枚でいいと言われた反省文も気がつけば100枚を超えていた。


 あの日以降、クラスの雰囲気はぎくしゃくしていたが、幸い高校受験シーズンだ。誰もが自分との戦いに精一杯だ。

 クラスメイトで俺に無視した事を謝ってくれた生徒もいるし、そのまま無視をし続けている生徒もいる。


 俺があの時、強い言葉を使ったのは理由がある。

 もしも、あのまま甘やかしていたら、必要以上の暴力でトラウマを与えたら、平塚の人生が壊れていたと思う。


 これは憶測じゃない、経験だ。

 性格がネジ曲がって男遊び、わがままが激しくなり、大学生になるとホスト狂いになり借金の山が出来る、そして夜の色街に立つ。……そんな未来が一瞬見えたんだ。


 ほんのちょっとした出来事で人は変わってしまう。良い方向にも悪い方向にも。


 卒業式の日、俺はクラスメイトからお別れ会を誘われたが、丁重に断った。部長と部室で2人でささやかながら宴を催し、なぜか心音が俺の知り合いの女の子とやってきて……、随分と賑やかなお別れ会となったのだ。


 みんなとお別れして、一人で家に向かうと途中で関口の姿が見えた。何もない道路、ずっと立っていたのか、関口は寒そうに身体を震わせていた。


『あ、あははっ、草太、卒業おめでとう。……そ、それだけ言いたかったんだ。じゃあね』


 極度の緊張状態で声が上ずっていた。なぜ泣いていたのかわからない。そういえば、関口は修学旅行のお土産を持ってきたんだ。謝罪の手紙を中に入れて……。お菓子は全て姉貴に食われたが……。


 誰もいない時に口頭で謝罪された事もあった。

『友達ではないから特に気にするな』と答えたような気がした。


 それだけ言って、走り去っていく関口の後ろ姿。彼女が心の内に何かを隠しているのは知ってる。それが何かは俺は知らない。

 それでも彼女の後ろ姿は以前とは違う。何が違うか説明できない。


『人の心は難しいな。……凡人の俺は努力するだけだ』





 *****






「行ってきます」


「あらあら、早いわね。優子と同じ高校なんだから一緒に行けばいいのに〜」


「いえ、結構です。俺を見送るより、親父の『早期退職してパン屋になる』という計画をどうにか止めてください」


「はぁ……、ほんと困ったわね……。草太のアルバイトのお金あてにしちゃってるし……。はぁ……、ねえ草太、そのお金、お母さんがちゃんと貯めてるわよ」


「いえ、使ってください。それでは行ってきます」


「はーい! 高校生活楽しんでね〜、今度はお友達作ってね〜! あっ、もしかしたら今日、草太に連絡するかも知れないから電話に出てね」


「了解です」


 遠くない未来、多分この家庭は崩壊するだろう。

 俺は知っている、父親が俺の金を使っている事を。母は今朝それに気がついた。金の切れ目は縁の切れ目だ。


 俺が事務所をやめた時、父親は口を空けて呆けていた。

 毎月振り込んでいる俺の金を当てにしていたんだ。


 姉貴は大学に行かずに専門学校に入るみたいだ。

 高校3年を思いっきり楽しむみたいだ。





 後ろから走ってくる足音が聞こえてきた。


「はぁはぁ……、ちょっと待ちなさいよ、あんた! お、同じ学校なら一緒に行くわよ!」


 振り向くと姉貴が髪を梳かしながら息を整えていた。

 俺は気にせず先に進む。


「俺と一緒だと面倒だぞ」


「はっ? 草太のくせに口答えしないでよ。てか、マジでお前のお陰で私までいじられてるじゃない。まあ私は寛大だから許してやるよ。あっ、お父さんからお小遣いもらったから何か買ってく?」


 ……俺の金からだろうな。姉は家の事情を一切知らない。父親から溺愛されている。お節介焼きで口うるさい母の事は邪険に扱う。


「いや、今朝プロテインを飲んだから必要ない」


「……あっそ……、え、っと、友達できた?」


「俺の噂を知ってるだろ? クラスでは友達はいない」


「……う、うん……、その、な、何かあったらお姉ちゃんに言えよ! 家族なんだからな!」


 俺は返事をしない、いや出来なかった。家族というものは絶対ではない。それを理解しているからだ。


 姉は気まずくなったのか、友達を見つけると走り去っていった。






 ――さて、喫茶店で時間を潰すか。


 始業まで時間がある。現状を確認する。ノートを開く。

 高校生活一週間が経った。


 東京の高校に行くのをやめた俺は近場の高校に入学することにした。

 父親が姉に懇願されて、父親から姉と同じ学校に通うように命令された。


 もちろんそれを跳ね除ける事は可能だった。だが、色々な要素が重なり、俺はその高校に入っていいと思えた。


 高校には、平塚、関口、白百合、悟、などの前の中学からの入学者が多い。

 まるで中学の延長のようだが、主要人物であった風間はサッカー推薦のため、県外の高校に入学した。


 ほどほどに成績が良い学校。特に勉強する必要がないが、努力は怠らない。

 入試も全力で取り組んだ。


 俺が事務所を辞めて、ボクシングジムも辞めると、妙な噂が流れた。


『今年の新入生にはとんでもない暴力男がいる』


 どうやら高校の新入生のネットの掲示板に書き込まれていたらしい。

 ほんのちょっとの真実を混ぜ込んだ嘘。


 小さな悪意は膨れ上がり、大きな刃となって俺に襲いかかる。


 入学式の日の朝、電車で痴漢されていた女の子を助けた。

 話が二転三転して、俺が痴漢した、という噂に変換されていた。


 街でカツアゲされている中学生を助けた。殴りかかられたから制圧したが、顔が少しだけ腫れてしまった。

 喧嘩に明け暮れているという噂が流れた。


 姉貴に暴力を振るっているという噂もある。


 モデルをしていたから女をとっかえひっかえしているという噂もある。


 入学して教室に入ると、雰囲気がおかしかった。俺だけ誰からも視線を合わせられなかった。

 この空気感はよく知っている。といっても、中学生ではない、高校生だ。

 邪険にされるわけでもなく、必要以上に無視されるわけでもなく、ただ、トラブルを起こす人間と関わりたくないだけ、という空気感だ。


 同じグループにいれると面倒、痴漢の噂の男と話したくない、暴力事件を起こしたから怖い。こんな所だろう。




「コーヒーおまたせしました!」


「どうもありがとう」


 コーヒーを一口飲む。……なんてことはない。俺は普段通りに生活するだけだ。

 ボクシングジムを辞めたからと言って運動を辞めたわけではない。

 事務所を辞めたからといって、仕事を辞めたわけじゃない。


 普通のジムで今度は筋力強化を試みている。高校の勉強の進みは遅いが、更に勉強意欲が湧いている。

 モデルは辞めたが、心音の事務所に入り新しい仕事している。

 イラストも小説も楽しく書いている。今年には何か出せそうだ。


 自分のクラスでは友人はいない。

 だが、あの学校には中学時代に知り合った友人たちがいるんだ。


 アイドルの清流心音、ボクシングジムの娘立川團子たちかわだんこ、元漫研部長の白百合小百合。


 それに関口が何故か毎朝俺のクラスに来て挨拶をしてくれた。

 特に喋りかけてくる事はない。手を振るだけだ。


 悪い噂が無くなるまで辞めた方がいい、と伝えたが、笑っているだけだった。


 関口と同じクラスの部長に聞くと、『関口さん、なんか悪い噂が出ててね……、』とのことだ。


 学校生活って本当に難しいな……。



「ならば努力するだけだ」



 コーヒーを飲み干す。

 俺は友達が誰もいない教室へと向かう事にした――






 ****





「はぁ……、なんかつまんないな……」


 放課後、公園で一人スマホをいじる。


 私、山田優子は弟がいる。子どもの頃はバカでアホで私がいなきゃどうしようもない弟。

 まあバカほど可愛いって言うしね。

 弟と比べて私は人気もあって顔も良くて頭も良かった。それが優越感だった。


 お父さんは私を溺愛している。お母さんはちょっと苦手かな。


 いつからかな……、弟と喋らなくなった。

 部屋は同じなのに、私が寝るまで弟は部屋に入ってこない。私が起きる前に部屋を出ていく。

 共同の部屋なのに私物が少ししかない。

 自分の洗濯物は自分でして、弁当だって自分で作って、お母さんの家事の手伝いもする。


 バカで笑っていたら可愛かったけど、もう何年も笑っている姿を見ていない。

 家族旅行でなら沢山話せると思った。友達がいないって陸上部の後輩に聞いたから、私が悩みを聞いてあげればいいと思った。


『あのさ、殴るのはやめて。仕事に支障が出るから』


 いつものようにじゃれ合おうとした。強い力で私の手を掴まれた。正直少し怖かった。それに手が痛かった……。

 ただ、じゃれ合ってただけなのになんで怒っているかわからなかった。


 この時から弟との関係に焦燥感を覚えた。


 それにバイトってなに? 私全然知らなかったし、お父さんも知らないし、お母さんは教えてくれないし……。


 弟はどんどん背が高くなり、勉強も出来るようになった。

 中学の時はボクシングで何かの賞を取った。


『ふーん、それってすごいの? ていうか、私のおかげで強くなれたから感謝しないさいよ』


『……そうだね』


 冷めた目で見られると自分が悪いことをしたみたいで怖かった。

 そんな時は少しだけ弟との関係を振り返る時もある。

 もしかして、私、DVみたいな事してたのかな、って。


 ……でも結論はいつも一緒。そんな事はない、私は弟が大好きだから! 弟も私の事が大好きなはず! だって家族だもん。


 だから、弟が一緒の高校になれて嬉しかった。

 一年間だけだけど、一緒に学校に通って、一緒に御飯食べて、クラスメイトに弟を紹介して……、そんな事を考えていた。


 なのに――


『うわ、お前の弟って暴力男で噂じゃん』

『ゆーこの弟痴漢したの? マジ最悪じゃん』

『まあ優子は関係ないけど、一緒に住んでてキモくない?』


『だ、だよね……。マジキモいんだよ、あいつ。バカだしさ』


 私、流されちゃった。だってクラスの空気読まないと無理でしょ? 仕方ないよ。家とは違うんだから横暴な態度なんて出来ない。気が強いのは家の中だけ。学校ではいつも調子に乗って失敗しちゃう……。


 大丈夫、中学の時みたいに、段々周りの弟の良さをわかってくれる。

 それまで我慢すればいい。





 スマホを閉じて家に帰ろうとした。

 きっと草太も帰ってると思う。うん、やっぱり可愛い弟だから私だけは優しくしなきゃ! 明日も一緒に学校に登校しよ!


 これが家族の愛情なんだろうな……。なんで伝わんないのかな〜。

 私はそんな事を思いながら帰路につく。






「えっ? り、離婚? 出ていった? 草太も? え、どういう事?」


「ああ、そうだ。もうあいつらとはやっていけない。大丈夫だ優子、俺がパン屋を開いて大儲けする」


「ま、まって、よくわかんないんだけど……」


 家に帰るとお父さんが居間で一人立っていた。背中がすごく寂しそうだった。電気も付いていない。居間も荒れている。お母さんは? 草太は?


「全く、俺がどれだけ金を稼いできたと思っているんだ。家長の俺の言う事に反論するなんて……、くそっ!! 思い出してもむかつく……」


「お、お父さん、ねえ、ご飯たべて落ち着こ? え、えっと……」


 台所を見てもご飯の用意はされていなかった。お母さんの気配はない……。私もお父さんもご飯なんて作れない。


「……ウーバーでも頼む。いいか、これからは俺達2人で生きていくんだ。草太はあいつに付いていった。優子は俺のそばにいるよな? ……どれだけお小遣いを渡したと思っている」


「え、あ……う、うん」


 頭が真っ白になった。

 草太が、この家に、もういない? お母さんと出ていった? 私はお父さんと住むの? 


 で、でも、草太の荷物は? どこに行ったの? 



 私は2階へ駆け上がった。

 部屋を開けるとそこには草太の荷物が何もなかった。


 私は、床にへたり込んだ……。




「な、なんで、家族だよ……、わたし、草太のお姉ちゃんだよ……、嫌だよ、一緒にいたいよ……、子どもの頃、暴力ふるってごめんって、言いたかったよ……」


 この時、私の頭がフラッシュした――

 今までの私の人生が『走馬灯』のように脳裏によぎる。頭が瞬間的に冴えわたる。

 草太にした行動を自分に当てはめる。


 それは、すごく嫌で、怖くて、悲しくて――


 胸が締め付けられる。


 自分でもなんで今、この瞬間に理解したかわからない。けど、草太、私の事好きじゃなかったんだ。だから、冷たかったんだ。


 私は……、ずっと、草太のこと、大好きな弟で……。





「もう、お姉ちゃん、じゃ、ない……んだ……」





 痛む胸を抑えて、制服にシワが寄る……。心の奥が痛いから何の意味も持たない。

 なんで今理解しちゃったの? 知らないままだったら、辛くなかったのに……。


 今までの人生を後悔した瞬間だった。

 嗚咽が止まらなかった。

 子供みたいわんわんと泣いてしまった――











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