間章 小学校の記憶


 山田草太、小学6年。


 誰もいない教室、一人でスマホゲームをプレイする。

 家が嫌だから登校時間はすごく早い。誰もいない学校は何か好きなんだよな。

 自分だけの空間っていう特別な感じがする。


 同級生はみんな大体決まった時間に登校している。

 もう少ししたら女子のグループがやってくる。

 俺はクラスで自分の立ち位置を理解している。中の下。特別、運動もできるわけでもなく、勉強はもっと苦手だ。

 好きな物はゲームや漫画。


 同じような趣味の男子と話す事が多い。


 その日はなんだかおかしかった。誰も同級生が来なかった。

 始業の鐘が鳴っても誰も来ない。

 すごく焦った。自分だけ取り残された感覚。


 仕方なく俺は自分の席で待つ。そのうち、廊下が騒がしくなった。


 女子の姿が見えた。心臓がドキリと跳ね上がる。


「あれれ? 草太君、今朝は合唱コンクールの練習だよ? あっ、サボったんだな」


 平塚奈々子。俺の大好きな女の子。

 合唱コンクールの事なんてすっかり忘れていた……、くそ、またバカにされる。


「べ、別に知ってたよ。ていうか、平塚って受験するの?」


 脈絡のない会話、うまく喋れない……。


「ん? 受験はしようと思ったけど、ママがしなくていいよ〜って言ってくれたからしないよ」


「そ、そっか……、なんだよ、また一緒の中学かよ」


「むぅ、私と一緒は嫌なの? 私は別に嫌じゃないよ。だってゲーム貸してくれるもんね、あっ、関口ちゃん、草太君がまたサボったよ」


「え、違う違う、バカ草太はバカだから絶対忘れてただけ〜。ていうか、あんたがいなかったから先生怒ってたよ」


「や、やべ、ど、どうしよう……」


 その時、吉田がやってきて俺の頭を叩いた。


「おい、バカ草太、お前また忘れやがったな。ていうか、放課後お前んち行っていいか? ゲームやろうぜ」


「はっ? うちは無理だろ。ほら、姉貴が……」


「マジで草太って弱虫だよな。姉ちゃんにビクビクしてさ」


「うっせーな」


 関口と平塚が女子のグループの輪の中に移動していた。

 吉田は散々俺をからかった後、違う男子の所へと向かった。




 そして、昼休み。

 俺は一人でベランダで景色を見ていた。教室には女子しかいない。気まずくて話すことはない。俺を見て笑っているような気がしたからだ。

 男子生徒のほぼ全員はグラウンドでサッカーをしていた。

 女子も数人混じっている。


 ……流行りってあるんだよな。正直、サッカーは嫌いだからやりたくないし、今更混ざる事もできないし……。


 することがない。

 手持ち無沙汰。


 昔はあんまり意識してなかったけど、疎外感ってものを感じるんだよな。

 外を見てもつまらないのに、ベランダから景色を見ている。


 この流行りもすぐに終わるはずだ。それまではこうして時間を潰していればいい。

 でも、なんか寂しいんだよ。


 一人でいると色んな事を考えてしまう。あの家でどうやって姉貴と父さんに会わなくて済むように過ごすか。

 どうすれば頭が良くなるか。

 どうすれば足が速くなるのか。

 どうすれば……、平塚と喋れるのか。


 ……こうして一人でいると、なんだか大人になれた気分がする。実際、頭の中で色んな計画を立てる時がある。

 例えば、俺はバカだから高校は適当な所だ。大学は入らなくていい。専門学校なら誰でも入れるって聞いた。ゲームの専門学校に通って、将来はゲームを作りたい。


 いつか彼女が出来て……、あれ? 彼女って出来たとしても何するんだ? ……一緒に学校を登校したり……、デートしたり……、それって面白いのか?


 友達と一緒にいる時はこんな事を考えない。

 一人でいる時、何かすごく考えちゃうんだよな。

 心が冷めるっていうか、現時点での俺の能力だと限界が見えるっていうか。


「……ん? 白百合?」


 ベランダの隅っこに白百合が座っていた。あんまり喋った事がない大人しい女子。男子からは人気が無い。猫背でアトピーだからだ。

 別に肌が弱いだけで仕方ねえだろ。ったく、マジでガキなんだからよ。


 この世界は嫌な事が多い。クソガキが多すぎるんだ。

 なんで冗談でいじめようとするんだ? なんで冗談でカバンを隠すんだ? なんで身体が弱いからってバカにするんだ? 


 ……早く大人になりてえな。



 ――ん? あ、あれは!?


「おい、それって『特攻の拓哉』じゃねえか! うわ、みんなジャンプスばっかりでマガズン読めねえんだよな。それ、超面白いよな!」


「え……? 山田君? 私に話しかけてるの?」


「おう、ていうかわりい。読んでる所邪魔しちゃってよ」


「ううん、これ何回も読んでいるから大丈夫だよ。……えっと、マガズン好きなの?」


「ああ、金田二とかも面白えもんな。ていうかさ、白百合って漫画好きなのか?」


 俺達はそのまま話し込んだ。

 好きな事を喋れるってすごく嬉しい気持ちになれる。


 でも、それは数十分で終わる。

 サッカーを終えた男子が帰ってきた。


 白百合は何も言わずに教室の中へ入ってしまった。多分、面倒事に巻き込まれたくないんだよな。


 目ざといやつはどこにでもいる。

 教室に入るなり、俺の所へくる男子生徒。


「なんか今、お前白百合と話してなかった? なに? 好きなの?」


「べ、別に違えよ。漫画、読ませてもらっただけだよ」


「うわぁ、白百合ってキモいのによくお前平気だよな〜」


 ……学校にいると、こういう場面が多い。そういう時、俺は何か強いストレスを感じる。嫌な気持ちを抑え、拳を握りしめる。我慢するんだ。


「別にいいだろ」


「あっ、やっぱ白百合とデキてんだ。みんなに言ってやろ!! お〜いっ」


「ち、違えよ、俺は別に好きな人が――」


 俺がそう言った瞬間、男子も女子も関係なく群がってきた。


「草太、好きな人だれだよ、教えろよ」

「ていうか、バカ草太に好かれるって超可哀想……」

「だれだれ? 教えろよ」

「バカ草太には白百合がお似合いじゃね?」

「こいついつも平塚の事見てるから平塚が好きなんだろ。なあそうだろ?」


 まただ、拳を握りしめて我慢する。笑っていれば、笑ってごまかしていれ時間が解決してくれるんだ。


「え、私、バカ草太って結構イケてると思うけど? ほら、顔は悪くないじゃん。バカだけど」


 関口のあっけらかんとした言葉。拳の力が少し弱まった。

 そこからは覚えていない。

 ただ、白百合には悪い事をしたと思った。


 早く、大人になりたいと思った。





 放課後になると、生徒たちは仲の良い友達と一緒に帰る。

 俺はいつも一人で登下校していた。それが普通だと思っていた。

 でも、最近になって、もしかしてそれって寂しい事なんじゃないかって思い始めた。


 ……でも、面倒だし、一緒に帰るって約束しなきゃいけないじゃん。


 高学年になって周りの目を気にするようになってしまった。正直、周りの目なんて気にしたくない。なのに、気になってしまう。

 バカと言われて、ごまかすように笑ってしまうのが嫌だ。


 誰もいなくなるまで席で一人待つ。

 何かしてるふりをする。バカだからそんな事しか思いつかない。


 ……今日はどこで時間潰そうかな。


 人気がいなくなった校舎を彷徨った。



 ふと、空き教室を見たら誰かいた。

 白百合だ。スマホゲームをしている……。あれ? 横に置いてある漫画はマガズン連載中のちょっとエッチな『ボーイズ・ビー』。

 もしかして――

 俺は空き教室の扉をノックして入る。


「お前一人なのかよ。ん? おおぉ、お前そのゲームしてんのかよ! 俺もしてるぜ! なんだよ、その漫画も好きなのかよ! うおぉ最高だぜ」


 たまたま気がついたふりをする。実は教室に入っていいかすごく悩んだ。扉の前で二十分立っていた。


「あっ、山田君」


「こ、ここなら誰もいねえもんな! なあ、俺もいていいか?」


「う、うん、いいよ」


 そして、俺達はゲームを一緒にしたり漫画の話をしたんだ。

 時間が過ぎるのが早い。時計を何度も見てしまう。帰りたくない。一緒にいたい。


「で、こうなって、こうやって、おっ、白百合すげえじゃん」


 白百合も何度も時計を見ていた。そして、終わりの時が来る。


「……山田君、ごめん、そろそろ塾に行かなきゃ……」


「えっ、塾の時間……、そっか、なら仕方ねえな。また一緒に遊ぼうぜ! すげえ楽しかったぞ。はぁ、家帰りたくねえな。ていうかさ、大人になったらゲームやり放題だよな!」


 白百合は先に出ていった。……俺と一緒にいるのを見られたらまたからかわれるもんな。

 そんな事を思うと楽しかった気持ちが急速にしぼむ。


 本当に何なんだよ、学校ってよ……。


 俺も家に帰る事にした。




 それ以来、俺は放課後空き教室を見るのが日課になっていた。

 もしかしたら白百合がいるかも知れない。そんな期待を胸に。

 ……教室では喋れない。あいつに迷惑がかかる。



 季節が過ぎ、男子の流行りがサッカーからチャンバラに変わった。段ボールで武器を作り、振り回す。

 今度は俺も参加することが出来た。


「おい、バカ草太! 俺の剣を喰らえ!!」


「痛えな! この野郎!!」


 吉田は俺を集中して攻撃をしてくる。ふと疑問に思えた。俺は上級生絡まれた事がある。その時、姉貴が助けてくれたが、その前に何度も殴られた。

 全然痛くなかった。


 今、吉田の攻撃も顔に当たったり、腹に当たっているが全然痛くない。もちろん段ボールだからだと思っていた。

 軽く腹にやり返した。


 その瞬間、吉田の様子が変わった。

 涙を堪えていた。痛みに耐えていた。何が起きたかわからなかった。


「バカ草太!! 本気でやるなよ……。うわぁぁっ!!」


 泣きながら俺に殴りかかる吉田。クラスメイトたちは遠巻きに俺達を見ている。

 吉田は何度も俺の顔を殴る。嫌だった、痛くないのに、心が痛かった。


「やめろよ、吉田! わ、悪かったって……やめろよ……痛いよ……」


 我慢の限界が訪れた。初めてだ。誰かを殴るって想像した事はある。だけど、自制心の限界を迎えてしまった。


「やめろよ、やめろって言ってんだろっ!!」


 初めて人を殴った。すごく嫌な気持ちだったけど、抑えられなかった。


「やめろよ、やめろよ!!」


 気がつくと吉田は大泣きして膝を付いていた。

 その姿を見て、俺はどうしていいかわからなくなった。


「あちゃ〜、山田やり過ぎだっての。……お前が悪いと思うぜ」

「うん、俺もお前が悪いと思うわ。だってやり過ぎだろ?」

「吉田泣いてるじゃん。山田、力だけは強いんだからさ」


 一瞬思考が停止した。顔面を殴られた俺が……やり返しただけの俺が……悪者にされている。


 その時、この世界の理不尽さを思い知った。だが、今日だけじゃない。こんな事は沢山あったじゃないか。


「とりあえず吉田立てよ。山田、一発殴られろよ。それでおあいこだ」


「ひぐっ、ひっぐっ……」


 吉田はこくりと頷く。男子たちが俺の身体を押さえる。抵抗はしない。人生とはこういうものだ。


 吉田は助走をつけて俺の腹を殴りつけた。俺は痛いふりをする……。


 痛くないのに、心が痛くて、涙が出てきた……。




 その後、吉田と俺は一ヶ月程度口を聞かなかった。いつしか、元のように話すようになったが、理由は覚えていない。


 教室は変わらない。

 俺は平塚が好きで、関口の事が少し気になる。相変わらず一人で帰宅する。仲の良い友だちはいない。

 勉強が嫌いで成績も良くない。


 なのに、意味もなく人生について考えてしまう。

 この先の社会について考えてしまう。

 バカなのに。



 多分、俺の人生はずっとこんな感じだ。




 ****



 だから――

 走って、転んで、走馬灯が駆け巡って――

 中学一年の春。


 大人の心を持った俺は、無視されて一人ぼっちでも全然苦しくなかった。


 いつも通り一人で帰ろうとしたが、何故か校舎を巡りたくなった。


 誰もいない空き教室。

 ほんの少しだけ白百合の事を思い出した。


 ガタンッ、という音と、乱れた呼吸音。


「はぁはぁ……、さ、さがし、ちゃった……」


 俺が冗談を受けても、笑いものにされても、無視されても、笑わなかった生徒。


 白百合の足は震えていた。非常に緊張している。

 どうしてここにいるか理解できなかった。




「ね、ねえ、山田君、ま、漫画好きでしょ? あ、あ、あ、あのさ、漫研なら、漫画も読めるし、ほら、山田君絵もうまいし、その……、きょ、教室じゃないから、話、できる……よ」


「いや、それは白百合に迷惑をかける」


「……迷惑、なんか、じゃないっ、もんっ! だって、だって、あんなの、悲しいよ……。山田君、私、気持ち悪いから嫌かも知れないけど……」


 俺は白百合の言葉を遮った。


「気持ち悪いわけなんかない。善意の気持ちが溢れているだろ、白百合には。……他の生徒が面倒だろ」


 白百合は首を振る。



「ううん、そんなの、どうでもいいよ」



 この時、心に何か刺さった気がした。あの時の続き――

 俺は気がついたらコクリと頷いていた――


 

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