寂しい初恋の芽生え
「環境が悪かったら変える努力をしろ」
早朝の学校の図書室。
カバンから真新しいノートを取り出す。走馬灯によぎった経験を可能な限り書き記す。
なぜだろう、俺は本当のこの経験をしたように思える。
昨日までの俺の感覚じゃない。子供という視点ではなく、人生を経験した大人としての思考で物事を考えるようになった。
朝の図書室には誰もいない。絶好のスポットだ。
大人の感覚になったからと言って、俺の能力が向上したわけじゃない。
未だに成績は悪く、運動も出来ない生徒だ。
「……今の俺は学生だ。ならまずは勉強をしよう。運動も大事だ。精神性を養える」
ノートに記すにはこれからの計画。
環境が悪いなら自分で行動して変えるしか無い。
「毎日、朝と放課後、図書室で勉強する。部活はほぼ帰宅部の文化系だ」
家は正直勉強できる環境ではない。姉貴に妨害され、母からも無意識な妨害を受ける。この中学は何かしらの部活には入らなければいけない。そもそもこの学校の男子の中では運動部に入るという『流行り』がある。
流行りに乗ることは重要だが、現状の俺には関係ない。無視されていてすでに他の生徒と交流がない。
無駄な交流が増えれば面倒事が増えるだけだから好都合。
「次に運動……、この年で筋トレをしすぎると背が伸びない。適度な運動……、とりあえず浜を走ろう」
図書室で勉強して家に帰ってからランニングすれば、姉貴とも顔を合わさずすむ。
ルーティーンを変えてしまえばいい。
本来ならどこかのジムにでも通いたい。運動レベルが段違いで変わる。
しかしそんな金は中学生にはない。
……中学生でも出来るアルバイトをして、いつかジムに通える金を作ろう。
中学生でも出来るバイトか……。何があるか調べてみよう。
「金稼ぎは後で考えるとして……。趣味を楽しむのは心の安定に繋がる。休み時間は本を読もう」
走馬灯の俺は本や映画が大好きだったようだ。それに小説を書いたり、イラストを書いたりしていた。……何事も経験だ。色々な事にチャレンジしてみよう。
ゴワゴワの髪を触る。
……もう少しちゃんとした格好をしよう。カットモデルを使えばただで髪を切ってもらえる。洋服は古着屋で買い揃えよう。母が服を買おうとする前に交渉する必要がある。流石に☆マークが付いたタンクトップは恥ずかしくて着れない……。
中学生は思春期だからお洒落に目覚めたとでも思われるだろう。
チャイムが鳴る。
当面の目標は設定した。あとは行動のみだ。
「おっす! 部活決めた! サッカー部入ろうな!」
「バスケ部だろ」
「いやいや野球がいいって」
「おい、バカ草太が来たぞ。そろそろ話してあげてもいいんじゃね?」
「まあそのうち誰かが話すだろ」
――確かにこの状況は中学生の心には厳しいだろうな。親しかったクラスメイトからいきなり無視される。
……正直、どうでもいい。逆に話しかけられないなら、面倒事が起こらないから大歓迎だ。
社会に出たらもっと辛い事が沢山ある。
俺は要領が悪い。塾にも行ける環境じゃない。ちゃんと授業を受けて、人一倍勉強しなきゃいけない。
やることは山積みだ。
子供の頃の力関係なんて、大人になればどうでもいい……。だが、大人になっても忘れない傷も存在する。あのままの俺だったら卑屈な性格になり、周りのせいにして、大人になってから自分の努力不足を嘆く羽目になる。
これは憶測じゃない、経験だ。
この現実的な世界で生き抜くためには努力が必要だ。
それが実らなくても、実ったのしても、ひたすら懸命に生き抜く必要がある。
だから――
雑音はもう気にしないんだ。
****
「バカ草太っ、あんたなんでメッセージ返さないのよ! えっ? スマホ壊れた? ……あっそ、ていうか、遠足同じ班にしてあげた私に感謝しなさいよ」
「あっ、草太君、今日はよろしくね、えへへ。スマホ壊れちゃったんだ? 可哀想だね〜」
俺の頭がおかしくなってから1ヶ月後、今日は遠足だ。
今の俺にとってスマホは重要なディバイスだ。本を読めたり動画を見ることが出来る。学校に持ってくる事はない。これ以上壊したくないし、無くしたくないからだ。
俺達はバスで都心にある水族館へと向かったのであった。
関口が適当に書いた俺の班は、関口、平塚、それにバレー部の女子たちがいる班だった。
おかしなものだ。無視していたのに、まるで今までの事がなかったかのように振る舞う。
バスの中ではみんなはしゃいでいた。俺は本を読んで過ごしていた。
この2人も俺と一切喋らず、他のクラスメイトとはしゃいでいた。
現地に着いて、班で分かれたら話しかけてきた。
「……俺はあっちで休んでる。時間になったら集合場所に向かう」
「え、ええ!? 駄目でしょ。あんたも一緒に回らなきゃ遠足じゃないじゃん」
「うん、あのさ、私はもうあの事気にしてないからさ。みんなで仲良くしよ? 風間君もみんなも冗談だってわかってるし」
「うん、中々きっかけがなかったもんね! ほら、これで仲直り!」
関口が俺と握手してきた。なぜこんなにも満面の笑みを浮かべる?
今までどれほど人の心を傷つけてきたか理解していないんだ。仕方ない、それが子供だから……。
「……本当に気にしないでくれ。他のクラスメイトの班と合流でもして楽しんでくれ」
「ちょ、なにその喋り方? なんか調子狂うわね……。あんたバカ草太なんだからバカみたいに笑ってればいいのよ」
そういえば、昔の俺はよく笑ってたな。笑うと人間関係が円滑に進むって本能で理解していたんだろう。
なんだろう、どうやって笑えばいいんだっけ? イマイチ覚えていない。
「そうだな、俺はお前らと違ってバカだから、勉強しなきゃいけないんだ」
心が死んでいるのとは違う、諦めに近い感情。人と人はわかりあえない。なら関わらなければ何も起こらない。
そういえば、久しぶりに平塚の顔を見たような気がする。
俺はこの子に恋をしていたんだな。遠い遠い過去みたいに思える。
「草太君、せっかくだから思い出、作ろうよ! えへへ、きっと楽しいよ!」
……きっとこの嘘くさい笑顔が大好きだったんだな。女の子の顔しか見ていなかった以前の俺。
――そいつはもういない。それに、この子は俺の事を見ていない。あざとい女子と関わると人生の終焉を迎える……。これは経験だ。
「おーい、関口!! 俺達と一緒に回ろうぜ!」
風間たちの班が関口に駆け寄る。俺の方は見向きもしない。
「はぁ〜、お前ら自分たちの班で回れよ。ていうか、草太と仲直りしろよ」
「そうだよ〜、柾君がみんなに言えばまた仲良くなれるよ」
「マジで? うーん、どうしよっかな。ていうか、このさきにマンボーがいるんだよ。見に行こうぜ!」
人は集団になると心の仮面が変化する。流れに身を任せた方が楽だ。
取り残される俺、先に進む関口班と柾班。
きっちり引かれた壁。
それは中学生にとってはとてつもなく大きな壁。今の俺にとって……どうでもいい壁だ。
****
クラスで立ち位置が一度決まると戻る事はない。誰もかれも流されるからだ。
夏が過ぎ、冬になり、それでも俺はクラスで一人ぼっちであった。
お陰でルーティーンが順調に進んでいる。
勉強する習慣というものができ、1と2しかなかった偏差値は4と5に変わった。
身体を限界まで酷使する運動も段々とレベルアップしている。
ジムはボクシングにした。何かあった時のために自衛は必要だ、それに、俺はボクシングが好きらしい。
街から離れたボクシングジムは同級生に会うことはない。
土日はバイトで時間が潰れた。これなら家にいる時間も少なくて済む。
バイト先を見つけられたのは運が良かった。母親だけに話して同意を得て、制限がありつつも金が稼ぐことができる。
小説も書き始めた。ウェブでロイヤリティというものがあり、月に数千円をコンスタントに稼ぐ事が出来る。中学生にとっては大きな収入だ。
学校以外でも知り合いが増えてきた。
大人以外とはなるべく距離を保つようにしている。
子どもの距離感は危険だ。すぐに仲良くなって、すぐに喧嘩して、トラブルに巻き込まれる。
油断しては駄目だ。心を許した瞬間に崩れ落ちる。何度も何度も経験した事だ。
「草太、あんた最近何してんだよ。学校でも友達いないって聞いたぞ。いじめられてるのか?」
姉貴の
全ての事柄が自分が正しいと信じている女の子。
顔を合わせると罵倒と暴力しかしてこない。
最近は顔を合わせることも少ない。二歳年上の姉は高校受験の真っ只中だ。
母は自分では気がついていないが、俺と姉貴を比べている。俺を見下している発言を普通にする。
この家族では普通の事なんだ。
だが、俺は養ってもらっている。……だから、仕方ない事だと今は我慢するしかなかった。
「色々忙しくてね。姉貴に迷惑かけないよ。ちゃんと毎日学校に通ってるから別にいじめられてないよ」
ランニングをしに行くために靴を履く。
「ま、待てよ。なんか生意気だぞ……。勉強してるのか? 勉強しなきゃ落ちこぼれになるぞ。お前はバカなんだから。それになんで家族旅行に行かなかったんだ?」
父は俺に無関心だ。家族旅行に行っても何も楽しい事はない。なら行く必要もない。
「……色々用事があったからだよ。もういい? 遅くなるから出るよ」
「あ……、私は心配してるんだぞ!」
姉貴が俺の頭を叩く。痛い。
多分、この人は暴力の痛みを理解していない。たった二歳しか離れていない。それでも子供にとっては暴力の痛みはとても重たいものなのだ。
反応を見るのが面白い。多分、理由はこんな所だろう。
物理的な痛みに耐えるなんて楽な事だ。
「じゃあね」
「あ……、いや、これは……」
俺は何事もなく走りに向かった。
*****
「はぁはぁ……はぁはぁ……」
冬のマラソン大会。男女分かれて、クラスから10人選抜してリレー形式で順位を競う。選抜から余った者は最後に一斉にマラソンコースを走る。
「はぁはぁ、はぁはぁ――」
もちろん俺は余り者だ。
余った者の中には運動が出来る生徒がたくさんいる。リレーを走るのがカッコ悪い。リレーをしたくない、理由は様々だ。
もちろん、マラソンが嫌で歩く生徒もたくさんいる。
俺は……なるべく何事も真剣に向き合いたいんだ。退屈な授業も新しい事を発見する時もある。美術も体育も家庭科も人生の糧になりそうな事が多い。
「頑張れー!!」
「先頭集団だぞ! このまま突っ切れ!!」
「あれって山田さん家の息子さん?」
マラソンコースに立っている大人たち。子どもの事情を知らない大人は俺にさえ応援の声をかける。
走ると無心になれる。
だから、俺は走るのが好きだ。
坂を登り、下り、平地を駆ける――
前には誰もいない。そんな事はどうでもいい。自分の限界と闘うだけ。
ゴール地点を過ぎても俺は走り続けた。そして、そのまま誰もいない教室に向かい、帰り支度をするのであった。
****
「はぁ〜、マラソン超だるかったね」
私、関口は最近なんかモヤモヤする。
友達は多い、男子とも仲が良い。たまに告白だってされる。ぶっちゃけ楽しい学校生活を送れていると思う。
「えへへ、私は遅いから足が速い人が羨ましいよ。男子チームが一年で一位になって良かったね」
「うん、そうだね」
奈々子と私は比較的仲が良い友達……。といっても、クラスメイトじゃなかったら話さなかったと思う。奈々子ってあざといから何か一歩引いちゃうんだよね。
それでも可愛いから一緒にいるだけでクラスでいい立ち位置になれるし。
「あれれ? 何か一斉スタートのマラソンが盛り上がってるよ?」
アナウンス部の声がグラウンドに響く。
『マラソンリレーも終わり、残った生徒でのマラソン。今回は陸上部や運動部の生徒がかなり出場しています。現在、トップ集団は陸上部とサッカー部と……、えっと……一年生の文化部の男子が健闘しています!』
「そういえばバカ草太も余り者マラソンだったね。どうせ歩いてるでしょ。小学校の頃もそうだったもん」
「関口さんって草太君の事気にかけてるけど、好きなの?」
私が草太の事を好き? いやいや、あり得ないわ……。
そりゃ顔は悪くない方だよ、背も高いし。でも、姿勢も悪いし頭も悪いし運動も出来ないし、
好きになる要素皆無でしょ。取り柄は優しい所だけ?
……まあ私の事気になってるのは知ってるけどさ。
「ていうか、草太って奈々子の事が好きなんじゃないの? 私のタイプじゃないな〜」
「ていっ! 関口っ! ガールズトークしてる?」
後ろから誰かに抱きつかれた。
一年生なのに妙に色気があって超美人さん。クラスは違うけど塾が一緒だからよく話す関係だ。少し変わった立ち位置で、学校をよく休む。モデルをしているみたいだ。
「あっ、妙子ちゃん、お疲れ様〜」
「おい妙子離れろよ……、ったく、重たいんだよ」
「いやいや、私超軽いっしょ。てか、草太の話ししてたの? あいつ最近人気あるんだぜ」
え? 草太が人気ある? ちょっと意味がわからないんだけど。
「ん? そっか、同じクラスだとわかんないか。あいつハブられてるもんね。てかさ、身だしなみもお洒落だし、姿勢もいいし、背が高いし、落ち着いている。それに成績もいいし、運動も出来る。この前なんかうちのクラスの女子が街でナンパに困っている所を助けられたらしいよ。学校でも困ってる生徒を助けてるしさ、男女関係なく。てかさ、モテる要素しかないでしょ?」
「えっと……、誰の話してんの? 柾の事?」
「……はぁ、マジで男の見る目ないよね、関口。まあ中学生はそんなもんだよね」
沙粧はモデルをやってるから大人びている。それが何かむかつく……。
「マジで意味分かんないんだけど」
奈々子がポカンとした顔で校門の方を見ていた。
それと同時にアナウンスの声が激しくなる。
『な、なんと、並み居る運動部を抑えて一年生の男子生徒が一位を独走しています! これは今までであり得ない展開です! 快挙です! 男子生徒はそのままゴールしました!!』
「え、草太君? 優勝したの? 運動出来ないんじゃなかったの?」
沸き立つ生徒たち。一年A組を除いて。
私達は何が起こったかよく理解出来ていなかった。
……えっと、よくわかんないけど良かったのかな?
なんだ、草太、特技あったじゃん。なら後でお祝いしてあげよっと!
あっ、そういえばゲームの事聞こうと思ってたのに、あいつハブられちゃったんだよね。
草太が人気あるって信じられないけど……、たまには一緒に帰ってみようかな。
***
教室に行くと草太がノートに何かを書いていた。
そういえば草太の顔をちゃんと見るのは久しぶりだ。
ふと、草太が笑顔を浮かべた。
それも一瞬、真面目な表情へと戻る。
え、なに、これ? 心臓が跳ね上がったような気がした。うん、きっと気の所為。私がバカ草太を見て『ちょっといいな』なんて思うはずない。
それでも、草太の笑顔を見るのは久しぶりで、こみ上げてくる嬉しさが抑えられなかった。
私は何かを紛らわすように、おちゃらけて草太に話しかける。
草太の温度が変わったような気がした。自分の心が急速にしぼんでいくような感覚に陥る。
「よっ、バカ草太! 優勝おめでとう!」
「……関口か。俺に話しかけると面倒に巻き込まれるからやめた方がいい」
あっ、そっか、私達草太のこと無視していたんだ。
でもあれは冗談だし……。私は無視なんてしたくなかったし。
心臓の鼓動がどんどん早くなる。なんで?
草太が立ち上がった。
あっ……、背、伸びたんだ。
なんだかモデルみたいな立ち姿。不覚にもカッコよく思えちゃった。
「いやいや、人が心配してあげてんのにその態度はむかつくでしょー。てかさ、バカ草太にしてはマラソン頑張ったじゃん」
「…………」
返事が返ってこない。鼓動が止まらない。何か間違えたか焦ってしまう。
ドタバタと足音が聞こえてきた。クラスメイトがHRのために戻ってきたんだ。
草太がため息を吐いた。そんな仕草がとても自然でカッコよかった。
「……関口の友達が来るぞ。もう話しかけるな」
「え、え、っと……、で、でも、私達も、友達……じゃん。ほら、今日は一緒に帰ろ? えっと、あのさ、ゲームの話聞きたいし!」
草太が不思議そうに首をかしげていた。
本当に意味がわからない様子。私、何か間違えた?
だって、草太は同じ小学校で一緒にバカな事ばっかやって……、だから……。
「…………友達? 俺と関口は友達なのか?」
身体が強張って動けなかった。嫌な汗が脇から流れる。
草太の声には何も感情が乗っかっていなかった。
「べ、別に、あんたと友達じゃないもんね……、あ、あははっ、ならさ――」
心がぐちゃぐちゃでうまく喋れない。何なの、この気持ち? 嬉しいのに悲しくて、寂しくて、ドスンと重たいものが胸の奥に広がる。
それっきり草太から返事はなかった。教室にクラスメイトたちが入ってくる。みんな草太を無視する。少しだけ今までの空気と違っている。
私は……ただ流されて、自分の席に座って女子友達と会話をする。
みんな草太の事を見ているけど、話しかけない。
ただ、すごく気にしているのがわかる。
HR中、私はずっと草太の背中を見ていた。
これって何なの? 私、草太と少しおしゃべりできて嬉しいの? ……なんかふわふわする。
HRが終わって、草太の元へ駆け寄ろうとしたけど、草太はどこかへ行ってしまった。まただ、その表情に見惚れてしまった。
――友達じゃない……。
さっきの草太の冷たい顔が私の心を締め付けた。
その瞬間、私は、『初恋』という言葉が脳裏に浮かんだ――
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