2.ベビーシッター、クソ焦る

 労働、労働。死ぬまで労働。本当に嫌な時間だ。人生の大半の時間が注ぎ込まれる物を良い物と置き換えない、またはそうだと思い込ませなければならない現実が嫌だ。


 しかし、鬱憤を飛ばす時間は人生の中に組み込まれている。そう、舞菜ちゃんだ。彼女が居るだけで空気が清くなり、俺のストレスは全て塵となりゴミ収集車が運んでくれる。


 今日は珍しく早めに帰れたので、狭いワンルームで虚しげに放置されている布団に寝っ転がってスマホをいじる。今日のニュースは対して面白くもない。


 扉が開き、鈴を転がした舌たらずの声がする。合鍵を渡してあるので、堂々と彼女は入ってくる。


「田外さぁん、いる?」

「いるよ」

「今日は残業コースじゃなかったんだ」

「たまにホワイトになるんだよな。常にブラックなのにな」

「あはは、もう何色か分かんないじゃん」


 立ち上がり、テーブルの前に座る彼女を見る。相変わらず制服姿が可愛い。俺が高校生の時とは変わって靴下が異様に短いので丁度良い太さの生足がこちらを見ている。


「もう高校二年生か。人生の中で二番目に楽しい時期だな」

「一番目はなに?」

「大学生だよ。就活を除けば最高の時期」


 一応大学は卒業したが、所詮有名大学と比べると塵芥にも満たないカスな大学だ。あの時に遊んでいた同級生は今頃、家庭やら結婚やらで忙しいんだろうな。考えただけでも胃痛がしてくる。


「四年の卒業間近で内定もらったんだっけ?」

「やめろ、それは俺に効く」

「あっ! てかさてかさ? 最近見始めたアニメなんだけどちょー面白いの。全部見ちゃったもん」


 机にあるリモコンを取り、勝手に画面をつける。もう桜が綺麗に咲く時期だからだろうか、学園物やスポーツ物のアニメ作品が多い。


 また、彼女が選んだアニメは今期の覇権アニメであり、気になっていた作品だ。見る気が全て労働に奪われるので見ていなかったが、彼女の反応からして面白いのだろう。


 しかし、確かこの作品は地上波では放送が遅れているはず。なのに全部見たというのは……俺はため息をついた。


「また俺のサブスク勝手に見てるのか?」

「いいじゃん。使わない方がもったいないでしょ? これもSDGsじゃん」

「持続可能の部分なんかねぇよ」


 彼女の横顔は不思議だ。正面から見れば丸い頬と血色の良い唇が愛想を強調させ、可愛らしいという印象があるのに、横を向くと、一本杉のように通った鼻筋と目の周りに生えたまつ毛のせいで、どことなく浮世離れしている。


 大人のようだと書くのは変だが、今日はより一層冷たく見えた。


「今日、学校で何かあったのか」


 隠されていた片方の目と目が合った。


「…は、え?」


 子供の時から分かりやすいやつだ。顔色がコロコロ変わっていく。こういう場合は大抵人間関係がダメになっている。こんなに容姿に恵まれていても、上手くいかないことはあるんだな。


「バ先で嫌な事でもあったか、また嫉妬されて嫌がらせでも受けたか。どっちだろうな」

「……わかるんだね」

「もう何年ベビーシッターやってると思ってんだよ」


 ベビーシッター、板についてしまった。コイツは俺の事を女友達のような存在としか思ってないんだろうな。俺がどんなに拗らせてるのか知らないんだろうな。


 そんな汚い考えが脳を巡ってしまい、皮肉交じりな事を言ってしまった。


 すると舞菜はリモコンを乱雑にテーブルに置いて、いきなり立ち上がった。そしてこの薄いマンションの壁をご近所トラブルの原因が突き刺さる。


「子供扱いしないで!」


 ここまで怒りの感情に身を任せているのは数年ぶりだろうか。

 これ以上大きな声を出されると隣の人間から真の意味での壁ドンか、リア凸を喰らう羽目になるだろう。


 冷静に対処しなければならない。こういう時は謝罪が一番効く。


「ごめん」


 目を見て謝ると、高校生は俺の前に座り込んだ。あんなに真っ赤になって怒っていたのが、今では真っ青になっている。血の巡りがサウナで整えられた以上に良いんだろう。


「違うの、ごめん。本当に違うの。田外さんはマイとずっと一緒に居てくれるって約束してくれた…から。あの…ね、落ち着いて聞いて欲しいの」


 こう言われると下世話な考えがポンポンと出てくる。


 三ヶ月前に彼氏と付き合ったという報告を聞いた時は吐き気がしたが、もしかしてその彼氏に妊娠させられた。または友人から悪質なストーカー被害を受けている。もしくはネットで知り合った奴に何らかの性被害または犯罪の加担をさせられた……嫌な妄想は頭にこびり付く。


 幸せな記憶なんてすぐに忘れるのに。これだから厭世観持ちは嫌なんだ。


 時間が長く感じる。そして意志を固めた舞菜は胸を抑えて、やけくそになって話した。


「マイ、林切ハヤギリ舞菜は……魔法少女パーフェクトカラーズに選ばれたの!」


 ここまで綺麗に予想外を行くとは。いや犯罪関連や人生転落案件ではなかった事は良しとしよう。しかし、まさかこんな事を報告されるとはベビーシッター失格か。おいおい、自殺観念はあるが、老婆に食われるほど落ちぶれちゃいないぞ。


「舞菜ちゃんが…魔法少女?」


 それから吹っ切れたのか、彼女はアニメイトの流行りの作品コーナーに居る垢抜けない女子中学生のように饒舌になった。


「いきなりパーフェクトカラーズの社長のレインボー太郎がスカウトしに来て…マイ、今の情勢とか分からないけど人のためなら頑張ろってなって…それで、オッケーしたの」


 社長の名前、面白すぎるだろ。確かネコのような見た目をしていたような気がするが、そんな名前だったとは。


 パーフェクトカラーズ。略してパフェカラは十五年前に現れた怪物や悪の組織を倒す目的で作られた企業であり政府公認の軍みたいなものだ。基本的にメンバーは可愛い女の子しかいない。


 そういえば舞菜はパフェカラが好きで、特にパフェムーントレンドのグッズをよく集めていた事を思い出した。彼女の通学用のカバンにも彼女のストラップや缶バッチが付いているし、スマホのケースにもシールが挟まれている。


 ベビーシッターが出来ることと言えば、これだろう。


「ちょ、ちょっと、え? 待ってくれ。待て。マジで待ってくれ。それちゃんとご両親に言ったか?」


 慌てることだ。


「言ったら契約違反だからダメだって」

「じゃあベビーシッターにも言っちゃダメなんじゃないかなぁ!?」

「いやぁ、大丈夫でしょ」

「たまに楽観的になるのやめろマジで!」


 パフェカラの規約や契約内容はよく知らないが、こうやって十歳も上の男と会ってる時点で俺は消されないか。ガチ恋オタクから夜道で刺されないだろうか。


「最近パフェカラの話題やけに避けるなと思ったらそういうことか…あぁ、怪我はしないと思うが、ああいうのって人気商売だろ?」


 パフェカラの変身技術は凄まじく、魔法少女だからか、例え怪物側からどんな攻撃を受けても血は流れない。


 しかし問題は後者の方だ。パフェカラは実力や人気がないメンバーはすぐにお蔵入りさせる。一番活躍が長かったのはパフェムーントレンドで八年ぐらいか。あれから七年ぐらい経つが、大体のメンバーは平均して二、三年で引退するんだよな。


「ちなみに最近出てきたパフェミステリアスはマイだよ」

「あぁー確かに面影が少し……そういう事を聞きたいわけじゃない。あのなぁ…あのなぁ…ほんとさぁ…」


 今年から出てきた新メンバーのパフェミステリアスが彼女だったとは思いもしなかった。にしても魔法少女の変身技術は凄い。面影はあるものの全くの別人に見える。だからこそ現実では絶対に会わないのだろう。


 今後の事を考えると胃痛がするのは当たり前だが、今度は目眩も追加された。スッキリした舞菜とは裏腹に俺はパフェカラの規約について調べなくてはならない。

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