OP2 《屑鉄の橋》

 八九寺 十郎はちくじ じゅうろうは、事務所のドアが開き、その影響でウィスキーの瓶が落ちて割れて中身が飛び散り悲鳴が上がる音で、目を覚ました。


「……っるせぇな、誰だ」

「って八九寺さぁん! まぁたソファで寝てるんスか!?!?」

「………………」


 八九寺は、すぐに侵入者が誰か理解する。

 甲高い悲鳴。

 酒で部屋を散らかしていることへの苦言よりも先に、ソファで寝ている自分のことを気遣うような台詞を吐く人間。

 八九寺の周辺で、そんな善性を持った女は一人しかいない。


「……………………谷口か」

「? あ、はい! R担の谷口です! しゃーっス!」


 八九寺は渋々ソファから身を起こし、侵入者を見た。

 ぶかぶかの、ドラマから出てきた刑事みたいなカーキ色のコート姿。

 雑に敬礼する、柔道で鍛えてはいるが太くはない女の腕。

 バカっぽく開けられた口には、八重歯が覗いている。

 伸ばすだけ伸ばしてある黒い長髪がだらしない。


 谷口まゆり。

 職業は、刑事。

 八九寺に仕事を持ってくる人間の中で、数少ないマトモな奴だった。


「…………誰が死んだ?」


 八九寺は二日酔いの頭を振りながら、直球に尋ねる。

 谷口もさして考える様子はなく、事務所のカーテンを開け放ちながら答えた。


「身元不明ッス! ただ獣化種キュマイラの症状がありました!」

「…………場所」

「雪ヶ峰神社の境内ッス!」

「おい。ここから徒歩十分じゃねぇか」

「だから八九寺さんを訪ねたんスよ~!!」


 開け放たれたカーテンから、容赦ない冬の日光が突き刺さる。

 埃が舞う事務所の中で、谷口は笑顔で八九寺に向かう。




「ついにりましたか? “錆び時計シンデレラ”さん」

「……やってねぇよ。つかそのコードネームで呼ぶの辞めろ」




 ならよかった、と谷口が目を細める。

 八九寺は聞いてねえなこいつと思いながらも、ソファの傍に投げ出してあったジャケットを羽織った。

 谷口にバレないよう、胸ポケットを確認する。

 スキットルにはまだ中身が入っていた。


「だって八九寺さん侵蝕やばいじゃないスか~ 一応重要監視対象ッスし」

「行くぞ。案内しろ」

「わぁ準備はやい。風呂ぐらい入ったらどうッスか?」

「……チッ」

「舌打ちコワイッスよ~」


 へらへらと笑う谷口を一瞥し、八九寺はスキットルを傾けた。


「あっそれま…………た………………………の……――――――――」


 谷口の言葉が間延びしていく。

 宙を舞う埃の動きが、八九寺の動きと関係なく、停滞していく。

 全ての動作がゆっくりになり。


 まるで、八九寺以外の時間が止まっているかのような、光景。



 八九寺がそれを気にすることはない。

 彼の朝帝王の時間は、いつもと変わらぬ景色を見せていた。



 手早くシャワーを済ませ、着替え、冷蔵庫の中の食パンを一枚齧り、缶コーヒーを開け、酒を飲んでから、八九寺はスキットルの蓋を締めた。



「―――……んでんじゃないッスよ! 今侵蝕やばいって言われ……

 あー!!

 早速! マジで! 症状エフェクト使ってるし!!!!」

「うるせえぞ谷口」

「うるさくもなるッスよぉ!?」


 頬を膨らます谷口の甲高い声に、八九寺は面倒くさそうに耳を塞いだ。

 八九寺の事務所は雑居ビルの二階である。

 あまり騒ぎすぎると、一階の中華料理のベトナム人に叱られるのだった。


「…………いそげよ谷口」

「いやまぁ急ぎますけど! アンタは自分の侵蝕をもちっと」


 八九寺は谷口の目を見た。



「お前。またUGNにヤマ取られてぇのか?」

「……ッスね」



 谷口はひどくすんなりと、八九寺の言葉を受け入れる。

 UGN。

 八九寺が所属する公安警察特殊犯罪調査室R担とは、ある意味でライバル関係にある……いわゆる、秘密結社の名前。


 世間はUGNを正義の味方だとか日常の守護者だとか呼んでいる。

 八九寺も、それを否定する気はない。

 ただ。

 同じ呼ばれ方なら、八九寺は個人的な理由で警視庁R課を支持すると決めていた。


 R課も、UGNも、つまるところ目的は変わらない。


「さっさと犯人ホシを見つける」

「ッス」

「そんで潰す」

「……や、潰すのはアタシらがやるんで八九寺さんは……」

「そんで、また何事もなかったように酒飲む。そんだけしてりゃあ良いんだろ?」


 八九寺は口の中で言葉をもてあそんだ。

 『昨日と同じ今日。今日と同じ明日』。

 どこかで誰かが踏んだリズムは、彼らの求める日常とやらを、これ以上なく正確に写していた。



「俺みてぇな感染者オーヴァードが増えたら終わりなんだよ……オイ、鍵とってくれ」

「近いんスから歩きましょうよぉ」

「俺ァ腰が悪いの」





 十二月二十日。

 刑事、谷口まゆりが死んだ日。

 その朝は、いつもの朝と変わらぬ光景からはじまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る