第三章『化けの皮が剥がれた世界』

血まみれのクリスマス・イヴ/人ならざるもの

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 朝比奈栞とハジメのデートの日がやってきた。 

 寒さの増す中、二人は一緒に街中を歩く。

 今年は記録的な寒さで、気温はもう氷点下を下回っている。

 手袋をつけている朝比奈栞は、白い息を吐いた。

 

「すっかりもう冬だね」

「うん」


 朝比奈栞とハジメは、それぞれコートを羽織っていた。雪がちらつきはじめ、朝比奈栞のコートの肩に少し雪がつもる。ハジメがそれを軽く払ってやると、朝比奈栞は「ありがと」とはにかんだ。

 二人は最寄りのカフェに入り、温かい飲み物を注文することにした。彼らはそれぞれメニュー表を見ながら好きな飲み物を頼んだ。朝比奈栞はカフェオレ、ハジメは大人ぶってブラックコーヒーを頼んだ。

 それをみた朝比奈栞は、目を輝かせて笑う。


「ブラックコーヒー飲めるんだ。すごいね」

 すると、ハジメは、「……格好つけて頼んだ。本当は甘いのが好きなんだ」と照れたようにはにかむ。


 ハジメは、精一杯のクールな表情でブラックコーヒーを一口飲む。しかしすぐにすごく苦そうな顔をした。それを見た朝比奈栞は、微笑ましくなってつい笑ってしまった。


「あたしも苦いの飲めないよ」

「ありがとう。でも……格好良くなりたいんだよ。この間身体計測受けたけど、身長も全然伸びてねえし。せめて、振る舞いだけでもさ……」

 

 そう言いながら、痩せ我慢してブラックコーヒーをちびちび飲んでいるハジメの表情を、朝比奈栞は飽きずに見詰めていた。


(ハジメくんは、今のままでも、充分格好良いよ。変身ヒーローじゃないのに、怖い怪人相手にひるまないで立ち向かえる男の子なんていないよ……)


 そう朝比奈栞は思ったが、恥ずかしくて口に出せずにいた。

 その代わりに、朝比奈栞は、そっと紙袋を差し出した。 


「ハジメくん、これ。あたしが作ったの。クリスマスプレゼント……」


 朝比奈栞は、耳まで赤くなりながら、彼にプレゼントの包みを差し出す。ラッピングにも凝って、シックなリボンも付いている紙袋。

 

「ありがとう。開けていいか?」

 

 そうハジメが尋ねると、こくこくと朝比奈栞は頷く。

 ハジメは、丁寧にプレゼントの封を開けていく。プレゼントの中身は、真っ赤なマフラーだった。ハジメは、早速マフラーを巻いて見せてくれた。手編みの赤いマフラーは、ハジメによく似合っている。


「ありがとう。すげえ、うれしいよ」


 照れながらもハジメは受け取り、首に巻いたマフラーを撫でた。近くで見ると、少し網目が粗い部分があったが、一生懸命手編みしてくれたのだろうと思うと、喜びもひとしおだった。


 嬉しそうなハジメを見て、朝比奈栞も微笑む。

 ハジメは照れながらも、小さな包み紙を朝比奈栞に渡した。


「これ……お返しってわけじゃねえんだけど……」

「えっ!?」


 小さな包み紙の中には、ピンクの花の飾りがついた可愛らしいブレスレットが入っていた。 


「この間、雑貨屋で見かけて……似合いそうだなって思って……」


 ハジメは、はにかんで少し俯いた。


「小さいやつでごめんな」

「ううん。嬉しい……!」


 朝比奈栞は、早速ブレスレットを装着した。


「……えへへ。似合う?」

「うん。似合う」


 近くで顔を見合わせた二人は、顔を赤くして互いに俯いた。

 そんな二人の様子を、月森奏はサングラスとマスクという怪しい出で立ちに変装しながらこっそり見守っていた。


(いけ〜! くっつけや〜!)


 その姿はさながら推し球団を応援している熱心なファンのようであった。


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 カフェで温かい飲み物を飲み終わった二人は、なんとなく朱桜公園のベンチへと足を向けて、腰掛けた。

 そこは、二人が初めて出会った場所だった。

 

「もうあれから一年近く経つんだね。あっという間だったなあ……」

「そうだな……」


 ハジメは、怒涛の一年間の始まりになった出来事を思い返す。記憶を失い、行く宛もなく困っていた彼のことを、朝比奈栞がヒーロー協会に通報して助けてくれたのが、二人の出会いだった。 


「朝比奈さんが、助けを呼んでくれたから。今こうして、生活できてるんだ。ありがとな」

「どういたしまして」


二人は顔を見合わせて微笑みあった。 


「ねえ、ハジメくん」

「なんだ?」


 朝比奈栞は、小首を傾げて問いかける。


「そろそろ……『朝比奈さん』じゃなくて、下の名前で呼んでほしいな」

「!」


 その言葉を聞いたハジメは、顔を赤くして照れていた。


「……月森さんにめちゃくちゃ茶化されそうだな」

「そうかも。でも……呼んでほしいの」


 ハジメは、しばらく沈黙した後に、とても小さな声で呟いた。


「…………栞」


その小さな声は、それでも、朝比奈栞の耳に届いた。


「うん」


 朝比奈栞は返事をする。ただ名前を呼ばれて返事をする、ただそれだけのやり取りが、幸せで仕方がなかった。ハジメと朝比奈栞は、視線を絡め合う。言葉がなくても、お互いの考えていることが何となく伝わってきた。

 朝比奈栞は、そっと手を伸ばす。その手を、ハジメは優しく掴んだ。

 雪がちらつき、降り積もるなか、二人はただ手を繋いで、そっと寄り添っていた。 


 朝比奈栞は、耳まで赤くなりながら、決死の覚悟を固めようとしていた。この日は、クリスマス・イヴ。思いを伝えるなら、この日以外ないととも言える絶好のチャンス。

 彼女は、何度も深呼吸している。手に汗をかいて、ハジメに嫌がられないか心配するほどに緊張していた。


(大丈夫……大丈夫……きっと、受け止めてもらえる……だめでも、ちゃんと返事はくれる……きっと……!)


 そう勇気を振り絞って、朝比奈栞は顔を上げて、ハジメの赤い瞳を見つめた。それをみたハジメも、彼女のことを見つめ返す。

 

「あたし、ハジメくんのことが……!」


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 朝比奈栞が、朱桜公園で、ハジメに告白しようとした刹那。 

 彼らの前に、牛型怪人アルカイドが音もなく現れる。


「……よお、エセヒーロー。それに、司令官サマ。恨みはねェが、いっぺん死ね。ここで死ねたなら、多分、そっちのほうがテメェも楽だろうからなァ」


 俄に戦闘態勢を取ろうとする二人と、影で見守っていた月森奏。しかし、牛型怪人アルカイドは、今まで見せたことのない素早い動きで手刀を繰り出して、ハジメの腹部を貫く。

 雪の降る朱桜公園に、血の赤が落ちた。


「――え?」


 朝比奈栞は、一瞬、何が起きたのかわからなかった。

 反応する暇も、与えられなかった。

 牛型怪人アルカイドに腹部を貫かれて、ハジメの腹部に大きな穴が空いていた。

 映画や漫画で見るような、現実味のない致命傷。

 内臓まで壊されていることが一目でわかる、あふれるような血の色。ハジメは、血を吐いて倒れた。


「あ……」


 ハジメは、一目でわかるほどの致命傷を負っている。朝比奈栞は、回らない頭で、咄嗟に回復魔法をかけるが、上手くいかない。回復魔法は万能ではなく、致命傷を治すほどの能力はない。


(ハジメくんが……死ぬ。死ぬ……?)


 つい先程まで、はにかんだ笑顔を浮かべていたはずのハジメは、大量の血を流して、助かるはずもない出血量で、倒れ伏している。


(回復魔法を――……、――効かない――こんな大きな傷を塞ぐ魔法なんて、ない……)


 朝比奈栞は、ハジメの命が尽きてしまうことを察して、絶望に打ちひしがれた。

 月森奏は、絶叫を上げながら変身し、牛型怪人アルカイドに攻撃を仕掛ける。


「お前、お前、お前、何を――何を――!」


 雪の降る朱桜公園に、少女の激昂した叫びがこだました。


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「う……」

 

 しかし、ハジメは、腹に大穴が貫通した状態でも動いて、体を起こそうとしていた。人間なら即死してもおかしくないほどの大怪我のはずなのに。


「ハジメくん! しっかりして、ハジメく……」


 意識を取り戻した彼に呼びかけていた朝比奈栞は、目の前の光景を見て絶句し――二の句が継げなくなった。


「栞……? おれ……何が……?」


 ハジメは、目を覚まして、朝比奈栞の視線をたどって、自分の腹部を見下ろしてしまった。

 そこには、見たことを後悔するようなおぞましい光景が広がっていた。まるで、ウジ虫がうごめくように、這いずるように。内臓。脂肪。筋繊維。皮膚。ハジメの肉体を構成する一つ一つが、再生していっている。彼の腹部に空いていたはずの大きな穴が、ひとりでに塞がっていっているのだ。


「なんっ……なんだこれっ……!」


 ハジメは、自分の体に起きている不気味な光景を見てしまい、悲鳴をあげた。それを、朝比奈栞や月森奏も目をそらすことができずにみていた。

 朝比奈栞と、月森奏と、そしてハジメの眼前で、ハジメの腹に空いたはずの大きな穴が蠢くように塞がっていく。『再生』というには、あまりにも冒涜的で忌まわしい光景。


 ――それは、あまりにも、異様で、不気味な光景だった。


 月森奏は顔をこわばらせながら辛うじて作った笑顔で、「し、栞ちゃん、ものごっつい回復魔法掛けたん!? そうよな!?」と聞いた。月森奏の声は引きつっていた。そうあってほしいという願望を込めた言葉だった。

 しかし、朝比奈栞は蒼白な顔で首を横に振る。


「あたし、何もしてない。何も……出来なかった……。こんな大怪我、塞ぐ回復魔法なんて……ない……」


 ――朝比奈栞は何もしていない。何もできていない。

 それなのに、ハジメの致命傷は――ぐちゃりぐちゃりとおぞましい音を立てながらも、まるで何事もなかったかのようにふさがり、治ってしまっていた。


「…………なんだよ、なんだよこれ……!」

 

 ハジメの致命傷は、何もしていないのに癒えてしまった。

 今は、大量の血の跡と、破れた服が、怪我の名残を残すだけになっている。

 重苦しい沈黙が、雪の降る公園に落ちた。


(……考えたくなかった。考えないようにしていた……でも……)


 ハジメは、荒く呼吸をして、自分の体から出たはずの血に震える手で触れた。それは、べっとりと、赤色をしている。

 ハジメは、大量に出血していたはずなのに、人間なら助かるはずがない致命傷を負ったのに、生きている。彼は、自分の心臓から送られてくるエネルギーが、自分の体を再生しているのだと感じ取った。


(……おれの、心臓に、埋め込まれているのは……)

 

 そして、今まで複数の怪人を見てきたハジメは、気づいてしまった。自分の心臓に埋め込まれているものが一体何なのか。

 彼は、今まで起きた不可解な事象に説明がつく仮説を、呆然としながら呟いてしまった。

 

「…………」


 その呟きを聞いた月森奏は、脳裏で、変身ヒーローになる前に、ヒーロー協会で受けた講習を思い出していた。

  

「グリムコアを、体内に宿し、再生能力を持つ存在――つまり、それは……」


 月森奏は、呆然としたまま、決定的な言葉を呟いてしまった。


「――……?」


 

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 その言葉を聞いた瞬間の、ハジメの表情は、絶望に満ちていた。

 

 彼は、自分が普通の人間ではないことを薄々気づいていたが、それを朝比奈栞と月森奏の二人に知られることをひどく恐れていた。ハジメにとって、二人はとても大切な人であり、かけがえのない友人だったから。

 そして、ハジメは、朝比奈栞に好意を寄せていた。彼女とこれからも一緒に生きていきたいと心のどこかで思っていた。


 しかし、その思いを伝えることは永遠にできなくなってしまった。

 ハジメは、人間ではない、化け物なのだから。

 

 怪人と変身ヒーローが、一緒にいられるわけがないと、ハジメは知っていた。怪人は討伐対象であり、人間を襲う危険な存在なのだ。しかしハジメは、死ぬことは不思議と恐ろしくはなかった。殺されるなら、それでもよかった。記憶喪失で、根無し草のハジメにとって、自分の命はそこまで重くない。だからこそ、今まで、平気な顔で怪人のいる危険な場所に立ち入ったり、朝比奈栞を庇ったりすることができていた。


 ハジメが最も怖いのは――大切な人に、怯えた眼差しを向けられること。ハジメは、自分が朝比奈栞と月森奏の二人に拒絶されることが、何よりも恐ろしかった。だから、自分が人間ではないかもしれないということを、彼女達に相談することが一度もできなかったのだ。


 ハジメは、咄嗟に――走り出し、逃げ出した。

 宛てがあるわけではなかった。

 生きるために逃げ出したのではなかった。


 ――彼は、傷つくことを恐れて逃げたのだ。

 

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 ハジメは、三人で遊んだ思い出の詰まった朱桜海岸で、独り、涙を流していた。雪が降り積もる寒さの中、海岸にはハジメ以外誰もいなかった。

 

 ハジメは、自分の正体が、怪人か、それに類するものなのだと感じた。冷たい風を浴びて、打ち寄せる波の音を聞きながら呆然と立ち尽くすハジメは、海岸に流れ着いたガラス瓶に気づく。


 それを手に取ったハジメは、自分のするべきことに思い至った。


 変身ヒーローの手を煩わせる怪人になる前に、自分で死ぬこと。ハジメは、本能的に、自分の弱点についてわかっていた。心臓。ハジメは、自分の心臓を貫くべく、ガラス瓶を割った。そして、自分の心臓に向けて、鋭いガラス辺を振り下ろした。


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