INTERLUDE 速見千歳
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ハジメは、日用品の買い物をするために外出していた。ヒーロー協会に保護されている身分とはいえ、自分でできることは自分でしたいと申し出たため、必要な物資は自分で買うようにしているのだ。
その帰り道、眼の前を歩いていたキャスケット帽を被った少女のポケットから、何かが転がり落ちた。咄嗟にそれを拾い上げたハジメは、落とし物を届けてあげることにする。
その落とし物は、美しい装飾が施された特徴的な十字架だった。
「なあ! これ、落としたぜ」
「あ、ありがとう……!」
少女はキャスケット帽を被っていて、その下で長く綺麗な黒髪が揺れていた。彼女の目は大きくて、まるで星のように輝いていた。彼女の笑顔はとても明るく、周りの空気まで温かくしているようだった。
「この十字架、お母さんの形見なの。だから、すごく大事で……! 拾ってくれて本当にありがとう。わたし、
「おれ? おれは、ハジメ。よろしくな!」
速見千歳という少女と、ハジメは、この日から時々会うようになった。速見千歳は、隣町に住む少女で、朱桜市には習い事の為にやって来るらしい。ハジメがスマホを持っていないため、千歳が朱桜市を訪れる毎週金曜日に朱桜公園で待ち合わせて、一緒に話すことになった。
千歳とハジメは、朱桜公園での待ち合わせを楽しみにしていた。公園には青々とした木々や色とりどりの花が咲き乱れ、風にそよぐ葉っぱの音が心地よかった。彼らはベンチに座り、公園の景色を眺めながら、お互いの日常や興味を持つことについて話し合った。
千歳は隣町での生活や習い事について熱心に語り、ハジメは朱桜市のことや自分の趣味について話した。彼らはお互いの違いを楽しんで受け入れ、新しい視点や考え方を学び合った。時には公園の中を散歩しながら、お互いの好きなものや興味を持つことについて深く掘り下げたり、笑い合ったりすることもあった。
金曜日の公園での何気ないひとときは、彼らにとって特別な時間となり、お互いの心を豊かにしていった。変身ヒーローや怪人と関係ない人間関係は、ハジメにとっても心地良いものだった。
「なあ、千歳」
「なに、ハジメくん?」
二人は、朱桜公園のベンチに座って話していた。
ハジメは、暗い表情をしながら、俯いて千歳に問いかける。
「――もしおれが、怪人だって言ったら、どうする?」
「え?」
ハジメの言葉に、千歳は驚いたように目を見開いた。彼女はハジメが冗談を言っているのだと思った。
「ハジメくん、面白いこと言うんだね。怪人って、人間を無差別に襲うんだよ。わたし、ハジメくんは、怪人じゃないと思うなあ」
「……。ありがとう、千歳」
それでもなお、ハジメの表情は晴れない。
彼の顔からは冗談とは思えない真剣さが伝わってきた。そんな彼の姿を見て、千歳は心配そうに眉を寄せた。彼女はハジメが何を言おうとしているのか理解できなかったが、それでも彼の不安に寄り添おうとして優しく微笑んで言った。
「何か悩んでるんなら、話聞くよ?」
「ありがとう。でもおれ、人間じゃないかもしれないんだ。本当に。化け物かもしれなくて。だから。悩んでるんだ。おれは、生きていていいのかなって」
ハジメは自分の心臓の傷跡の部分に手を触れて、俯く。
悩み続けるハジメを見つめながら千歳は微笑んだ。
「――いいよ。生きてて、いいんだよ」
彼女の真っ直ぐな言葉を受けて、ハジメは顔を上げた。千歳は十字架を握って遠くを見つめる。
「あのね、私のおじいさんはね、二十年前の第三次世界大戦で、亡くなったの。外国にいたんだって」
「……第三次世界大戦……?」
ハジメは耳慣れない言葉を聞いて首を傾げるが、話の腰を折るのも申し訳ないと思って千歳に向き直った。千歳は、彼女なりに一生懸命言葉を選んで喋ってくれているようだ。
「あのね、すごく乱暴な言い方かもしれないけど……私のおじいさんみたいに……死にたくなくても、死んじゃうことがあるんだよ。だからね、生きたかったら生きててもいいんだって、わたしは思うよ」
「……千歳……」
千歳の言葉を噛みしめるようにハジメは呟き、ゆっくりと笑顔を浮かべた。
「うん。……ありがとう」
「どういたしまして」
速見千歳は、微笑む。その笑顔は明るくて可愛らしく、なんとなく朝比奈栞を思い出させるものだった。
「それにね。例えば……事故や病気で死んじゃったって、終わりじゃないんだよ。その人のことを覚えてくれてる人がいる間は、続いてるの。人はね、人から忘れられた時に死ぬんだよ。覚えられている間は、その人の中で生き続けるんだよ」
「――忘れられた、時に……」
千歳は頷いた。そして彼女は、母の形見の十字架を大切そうに握りしめる。
「そう。わたしのお母さんが亡くなる前に言ってたの。だから……わたしもそう思ってる」
「……うん。おれも、そう思うことにする。もしおれが、いつか、死んでしまっても。おれを覚えてくれる人がいれば……本当のお別れじゃないんだな」
「うん。そうだよ。きっと……」
速見千歳は、十字架をそっと握りしめて、祈りのポーズを取った。
ハジメも、彼女の亡くなった母の為に祈った。
そんなハジメの姿を見て、千歳は笑顔を浮かべる。
「ありがとう、ハジメくん。わたし、ハジメくんのこと、ちょっとだけ好きになっちゃったかも」
「!?」
からかうようにそう言って、速見千歳は軽やかに笑った。それにつられて、ハジメも笑い返す。二人の間には、穏やかな時間が流れていた。ふと、千歳は朱桜公園に備え付けられている時計を見上げて告げた。
「あ。わたし、そろそろ帰らなきゃ。……じゃあ、また来週ね、ハジメくん!」
「ああ、またな!」
ハジメは手を振って彼女を見送る。千歳も、微笑んで手を振り返してくれた。
これが永遠の別離になることを、ハジメも千歳も、まだ誰も知らなかった。
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朝比奈栞と月森奏は、授業終わりの金曜日の夕方にカフェで雑談していた。朝比奈栞はカフェラテ、月森奏はコーラを注文して飲んでいる。
「なあ。栞ちゃん、ハジメくんのこと気になっとるんやろ〜?」
「……!」
朝比奈栞は噎せて噴き出して咳き込んでしまう。
「なあなあ、ハジメくんのこと、いつから気になっとん?」
「いつからって……!」
朝比奈栞は、顔を赤くして俯いた。
「……気がついたら。だって、親切だし、辛い目に遭ってても明るく振る舞ってるし、それに、頼り甲斐がある……から……」
月森奏はちょっぴり意地悪な目を向ける。
「でも、うかうかしとったら、他の子に取られてしまうんちゃう? ハジメくん、結構モテとるって話聞くで?」
朝比奈栞は、その言葉に手をぎゅっと握った。ハジメと、他の女の子が仲良くしている姿を想像すると、胸が潰れそうな気持ちになる。
「……!」
「頑張りーや、栞ちゃん。応援するで」
「う、うん……!」
朝比奈栞は、決意を固めたように拳を握った。
そんな時、朝比奈栞と月森奏のスマホに、怪人出現の連絡が届く。
「――なんや、D級怪人か。場所は……」
「朱桜公園……!」
月森奏と朝比奈栞は頷きあうと、カフェの会計を済ませて、物陰で変身して朱桜公園への道を急いだ。
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朱桜公園には、二人の見慣れた少年の姿があった。少年も、驚いたように目を見開く。
「――ルビーに、サファイア!?」
「ハジメくん、どうしてここに?」
「友達と待ち合わせしてたんだよ。それより……二人が変身してここにいるってことは、怪人がでたのか!」
「うん。ハジメくん、指示をくれる?」
「おう。おれでよければ、任せろ!」
朱桜公園には、小柄な怪人が棒立ちしていた。周囲を攻撃するでもなく、ただ立ち尽くしている。しばらくするとフラフラと歩き出し、朱桜公園のベンチの近くを彷徨い始めた。
朱桜公園に現れたD級怪人を前に立ち向かうサンライトルビーと、ムーンライトサファイア。少し離れて、ハジメが指揮を取る。
しかし、怪人は、サンライトルビーとムーンライトサファイアを攻撃することなく、ただうろうろと朱桜公園のベンチ付近を歩くだけ。
「……? 攻撃してこない? どうして……」
ハジメは訝しむが、その問いに明確な答えは見つからなかった。
「今がチャンスや、ルビー!」
「う、うん……! 『マジカルショット』!」
サンライトルビーのマジカルショットが、怪人に直撃する。怪人は、派手な抵抗をすることなく、断末魔を上げて息絶えた。
――ギグググ ギギグギグ ググ ギグググギ グググギ グギグギグ……
倒した怪人の懐から、美しい彫刻が施された十字架が転がり落ち、公園の隅に落ちる。しかしそれに、誰も気づかなかった。
「ん……? 今日はやけに簡単に倒せたなあ……」
「うん……。こんなこともあるんだね」
サンライトルビーとムーンライトサファイアは、顔を見合わせて頷くと、怪人が落としたグリムコアを回収した。
「ハジメくんは、お友達と待ち合わせしてるんだよね?」
「ああ。うん。もうすぐで、待ち合わせの時間のはずなんだけど……」
ハジメは時計を確認しつつ、周囲を見回す。しかし、それらしい人の姿は見えない。ムーンライトサファイアは、首を傾げて問いかける。
「なあ、ハジメくん。その友達って、どんな子なん?」
「優しい人だよ。おれが悩んでる時、助言をくれたんだ」
その言葉を聞いたムーンライトサファイアは、目を輝かせて問いかけた。
「ふうん……。なあ、ウチもハジメくんの友達に会ってみたい! 変身解いて来るさかい、一緒に待っとってもええ?」
「サファイア、だめだよ、ハジメくんのプライバシーを……!」
「そんなこと言うて、ルビーも気になっとる癖に」
「そ。それは、そうだけど……」
ハジメは、しばらく悩んでいたが、折衷案を思いついて笑顔を浮かべた。
「千歳が来たら、みんなで一緒に遊んでもいいか聞いてみる。千歳がいいって言ってくれたら、一緒に遊ぼうぜ」
「ほんま!? ありがとうハジメくん! じゃあ、変身解いてくるわ!」
「い、いいのかな。でも、ハジメくんのお友達、どんな人か気になるなあ。あたしも、変身解いてくる。お友達さんがダメって言ったら、早く帰るね」
サンライトルビーは、そう言って嬉しそうに微笑んだ。
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変身解除した朝比奈栞と月森奏は、ハジメと千歳の待ち合わせ場所近くにある別のベンチに座って待って、どんな人がやってくるのか楽しみに待っていた。
しかし、しばらく経っても、夕暮れを過ぎて月が輝き始める時間帯になっても、千歳は来なかった。
「どうしたんやろ、ハジメくんのお友達。千歳くん言うたっけ?」
「いや。千歳は女の子だよ」
「なんやて!?」
「ええっ!?」
オーバーリアクションする二人を見て、ハジメは首を傾げた。
「……そんなに驚くことか? ざっくり人類の半分は異性だぜ?」
「え、いや、そうやね。ウチらも性別違うけど仲いいもんな」
「う、うん!」
ハジメは、朱桜公園の時計を見上げて困り顔をする。
「それにしても……遅いな、千歳。こんなことなら、電話番号くらい聞いときゃよかったな……」
「ハジメくんスマホ持っとらへんもんね。そろそろ不便やし、矢作さんに頼んで買ってもらったら?」
「うーん。確かに不便なんだけどよ、高級品だから、予算を使い込むのも申し訳なくてな……」
ハジメは腕を組んで悩みつつ、時計をみあげた。
約束の時刻から数時間が過ぎ、時刻はもう、十九時四十分になっていた。
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「流石にもう、今日は来ないかな、千歳。何か急用ができたのかもしれねえ。病気や怪我じゃねえといいけどな……」
ハジメは、待ち合わせの場所で待ちくたびれてしゃがみこんだ。その時、彼は特徴的な意匠がほどこされた十字架が落ちているのに気がついた。
「ん? この十字架は……? ってことは千歳、公園には来てたのか?」
ハジメはきょろきょろと周囲を見渡すが、千歳の姿はどこにもない。
「おーい、いるのか、千歳? おーい!」
何度呼びかけても声は届かない。それからしばらく周囲を探し回ったが、千歳の姿はない。あるのは、彼女が大切にしていた十字架だけだった。ハジメは、十字架についた汚れを払ってあげたあと、周囲を見渡してきょろきょろと見つめた。
「千歳? ……どこだよー!」
「千歳さーん! どこおるのー?」
「おーい! 千歳さーん!」
ハジメと月森奏と朝比奈栞は何度も呼びかけて、彼女を探した。しかし、彼女は、どこにもいなかった。
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それから、毎週金曜日の夕方、ハジメは、千歳の落とし物である十字架を持って、彼女を待っている。
しかし、いつまで経っても、彼女は現れない。
(おれ、何か怒らせるようなことしちまったのかな。でも、十字架は届けてやりたいな。千歳、お母さんの形見のこの十字架、すごく大事にしてたから……)
そう思うハジメ。しかし彼の願いが叶うことはない。
何故なら彼女は、もう、どこにもいない。
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