第一章『虚妄の安寧の中で』

サンライトルビー/朝比奈栞


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 朝比奈栞あさひなしおりは、朱桜しゅおう学園中等部二年一組の窓際の席に座り、一週間前にハジメと出会ってからの日々を振り返りながら、爽やかな朝の空を眺めていた。


(ハジメくん、あれからどうなったかな。ヒーロー協会に保護されたから、悪いことになってないとは思うけど……)


 朝のホームルームが開始し、生徒たちが静かに席につく中、担任教師が教卓に立ち、明るい声で挨拶を始めた。窓から差し込む朝日が教室を照らし、期待に満ちた一日の始まりを予感させる。


「おはよう諸君。えー、今日は、転入生を紹介する」


 その言葉を聞いて、にわかに教室中がざわめき出す。四月の終わりごろという不自然な時期に転入生が入ってくるというのは、朱桜学園中等部において、滅多にあることではない。

 

「おーい、いいぞ、入っておいで」


 そう担任教師が声を掛けると、扉がガラガラと勢いよく開かれ、元気な少年の声が響いた。

 

「おはようございます! おれ、ハジメです! よろしくお願いします!」


 彼は、黒髪に赤い瞳をした少年だった。見覚えのある姿に、朝比奈栞はびっくりして叫んだ。


「ハジメくん!?」

「朝比奈さん……そっか、この学園だったんだな!」

 

 ハジメと朝比奈栞は再会に驚き、喜び、笑顔を交わしあった。その様子を横目で見ながら、担任教師がハジメに関する説明を行う。


「えー。君達も知っての通り、朱桜学園中等部及び高等部は、ヒーロー協会と協力関係にある。そこで、ちょっと事情のある子を通わせてほしいと頼まれた。……ハジメ本人から、話していいと確認を取っているから伝えるが、ちょっとショッキングな事情かもしれない。心して聞くように」

 

 担任の教師から、ハジメはヒーロー協会に保護された少年で、怪人に襲われて記憶喪失であるという経緯が語られた。 

 ヒーロー協会はリハビリも兼ねてハジメを学園に通わせることに決めたそうだ。そして、その編入先がたまたま朝比奈栞と同じクラスだったのだ。

 クラスメイトたちは、怪人に襲われて記憶喪失だという編入生の事情を聞いて、同情するものや心配するものに分かれた。


「ああ、大丈夫! おれ、元気なんで! そのうち記憶も戻るから!」


 彼は、周囲に負担をかけまいとして、とびきりの笑顔を浮かべてみせた。辛い目にあっても挫けていないハジメの明るさによって、少しずつクラスメイト達も彼への接し方を明るいものへと変えていく。

 彼はあっという間にクラスに溶け込んでいった。


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 ハジメは、朝比奈栞の隣の席に座ることになった。 

 朝比奈栞は手を振り、彼に笑顔で話しかける。


「ハジメくん! おはよう!」

「おう、おはよう、朝比奈さん!」

「また会えて嬉しい! ねえ、ハジメくん、記憶は戻った? 体調は大丈夫?」

「いや、記憶の方は、まだ全然。でも、知らねえ一般常識とかは矢作さんからちょっとずつ教えてもらってるし、生活には困ってねえよ。体調も、ヒーロー協会に診てもらってっから、バッチリだ」


 ハジメは力こぶを作るようなポーズをして、健康をアピールした。そんな様子を見た朝比奈栞は、楽しそうにくすくすと笑う。

 

「あたし、勉強は苦手だから教えられないけど、学園の中の構造にはちょっと詳しいよ。昼休みになったら案内するね。この学園とっても広くて色んな施設があるから、きっと楽しいよ!」


 朝比奈栞はそう言って、歓迎の気持ちを込めて微笑んでくれた。


「おう! ありがとな!」


 ハジメもそう伝えて、二人は笑顔を交わしあった。

 

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 朝比奈栞は、休み時間に学園中を一緒に歩き、ハジメに学園の様子を案内した。新しい環境に慣れない彼のために、優しく手助けをすることで、朝比奈栞の心には満足感が広がっている。

 学園中を散策し終えた二人は、学食で食事を楽しんだ。周囲のざわめきとは対照的に、彼らの間には心地よい穏やかさが漂っていた。


「ね、学食のご飯美味しいでしょ?」

「ああ。すっげー美味い。今日はおにぎり買ってみたけど他のも美味そーだった!」


 学園の学食を褒められて、朝比奈栞は嬉しそうに微笑む。

 

「うん! ここの学食ね、生徒からもすごく評判がいいんだよ!」

 

 ハジメは、しみじみと周囲を見渡して、微笑みを見せた。

 

「……この学園、先生もクラスメイトも優しくてすげー好きだな。おれも、身元がちゃんとわかったら、正式にこの学園に通いてえ」


 朝比奈栞は、ハジメを励ますように、優しく声を掛ける。

  

「うん。早く記憶が戻ると良いね。きっと、ハジメくんのこと、家族の人たちも探してくれてるよ」 

「そーだな。そのうちきっと会えるよな……」


 ハジメは、まだ見ぬ自分の家族に思いを馳せて、少しだけ笑みを見せた。

 しかし、その穏やかな時間をつんざくように、けたたましい音が鳴った。


 ――ジリリリリリリリ!


 その瞬間、学園内に警報が鳴り響き、同時に学校全体が揺れるような地響きが起きた。


「な、なんだ!?」

「これは……『怪人警報かいじんけいほう』! 学園に、怪人が出るなんて……!」 

 

 更に立て続けに大きく揺れる音と振動。その警報を聞いた途端、朝比奈栞は血相を変える。彼女は揺れの方向に走り出す。


「お、おい! こんな揺れの中、危ねえだろ! どこ行くんだよ……!」

  

 ハジメが声を掛けたが、聞こえていないのか、朝比奈栞は脇目もふらずに駆け出していく。ハジメはどうすべきか悩んだが、咄嗟に、彼女を追いかけた。

  

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 朝比奈栞を追いかけた先は、中庭だった。朝比奈栞に追いついたハジメは、彼女の視線の先にある怪物を見て硬直する。 


(は!? なんだあれ……!)


 ハジメは、三階建ての建物並みの大きさを誇る巨大な花の怪物を目の当たりにして呆然とした。職種はクネクネ動き、花弁の中央には巨大な牙の生えた口が見える。どこからどう見ても、まともな花ではないことは明らかだ。


「……てことはあれが……『怪人』ってやつなのか!?」


 動揺しながらも、ハジメは、朝比奈栞に呼びかける。


「朝比奈さん! 何してんだ! 逃げるぞ!」

「は、ハジメくん!? どうしてここに……」

「それはこっちのセリフだ! なんであんな怪物の近くに行くんだよ! 避難するぞ! こっちだ、早く!」


 ハジメは、彼女の手を引いて逃げようとするが、朝比奈栞は抵抗するように動かない。


「で、でも、あたし……あたしは……」


 ――キシャー!

 その瞬間、ハジメは、花の怪物が、蔦を伸ばして朝比奈栞を狙っているのに気づいた。


(こいつ……朝比奈さんを狙ってる!)


 ハジメは咄嗟に、身を呈して朝比奈栞をかばう姿勢を取った。


「危ないっ、伏せろっ!」

 

 しかし朝比奈栞は、そんなハジメを手で制して、彼と花怪人の前に進み出る。

 彼女の瞳には、決意と勇気が宿っていた。


「庇ってくれて、ありがとう。ハジメくん。――でも、あたしは、大丈夫!」 


 朝比奈栞の叫び声と共に、物陰から白く小さな生き物が姿を現した。その生き物はまるで小さなぬいぐるみのような姿をしており、背中には小さな羽が生えていた。ハジメは、地球上のものとは思えないファンタジックな姿に驚きつつも、その白い生き物が実際に生きていて動き、さらに話す姿に圧倒された。


「――さあ、ルビー! 変身だ!」

「うん! ミルキーちゃん、あたし、頑張る!」


 そして朝比奈栞は、綺麗な宝石が嵌ったブレスレットに手をかざし、華麗に叫んだ。


「――変身!」


 その瞬間、朝比奈栞の姿が眩い光に包まれていく。ハジメは、眩しさに一瞬目を閉じた。光が収まると、朝比奈栞の姿が一変していた。


栗色だった髪は、鮮やかなピンク色に変わり、着崩していない制服だった服装は、ピンクと赤が配色された、色鮮やかなフリルがついた可愛らしい衣装へと変身していた。その可憐な姿に、ハジメは言葉を失った。


「さあ、これが、変身ヒーロー、サンライトルビーのデビュー戦だ!」


 先ほど、朝比奈栞に『ミルキーちゃん』と呼ばれた白いぬいぐるみのような生き物が、高揚したように声を上げる。それに応えるように、朝比奈栞――サンライトルビーは頷いた。


「うん! あたし、頑張る!」


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 変身ヒーロー・サンライトルビーは、魔法の杖を持ってポーズを決めると、口上を高らかに謳い上げようとした。

 

「さあ、怪人さん! 学園での大暴れは………大暴れは、……あたしが、えーっと……えーっと……」


 サンライトルビーは、そこまで言うと、困ったように眉を下げて振り向いた。


「……続き、なんだっけ? ミルキーちゃん」

「ルビー! 口上はもういい! 攻撃が来ているよ!」

「う、うん!」


 サンライトルビーは、杖の先から放たれた光の球で花の怪人を攻撃しようとしている。その現実離れした光景を目の前にして、ハジメは目を見開き、言葉を失ってしまう。彼の心は驚きに満ちていた。 


(朝比奈さんが……変身した!? それに、白いふわふわしたよくわからない生き物もいる!? まさか……『変身ヒーロー』ってやつが、こんな近くにいたなんて……!)


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 変身した朝比奈栞、サンライトルビーは、花の姿をした巨大な怪人と戦闘する。


「せいっ! やあっ……!」


 しかし、サンライトルビーは見るからに戦闘に不慣れで、動きがおぼつかない。彼女は攻撃魔法を使おうとしているようだが、うまく魔力を集束させることができていない。その不安定な状況に、ハジメは心配そうな表情を浮かべた。


「うう……魔法の扱い、難しい……もっと、もっと練習しないと……」


 白いふわふわのぬいぐるみのような生き物、ミルキーは、避難経路を指さしてハジメに避難指示を出した。その小さな生き物の行動に、ハジメは驚きを隠せなかったが、それでもミルキーの指示に従った。

 

「そこの君! 危ないから、遠くに離れて避難してくれ! 右奥に通路があるから急いで!」

「わ、わかった……!」


 しかしハジメは、その瞬間、花の怪人の攻撃前の挙動に気づいた。花の怪人は、蔦を振り下ろす攻撃をする前に、必ず予備動作で蔦をくねらせる。ハジメは咄嗟に叫んだ。


「朝比奈さん、気をつけろ! 左に回避!」

「……! うん!」 


 ハジメの声掛けもあり、サンライトルビーは花の怪人の攻撃を横に避けて回避した。

 一方、変身ヒーローを補佐する役割があるらしいミルキーは、サンライトルビーに落ち着いて声をかけた。


「ルビー、大丈夫だよ。魔力反応の計測結果、あれは最下級のD級怪人だ。落ち着いて。深呼吸して、杖の先に魔力を集中させて、そして唱えるんだ。『マジカルショット』と!」


(深呼吸して……魔力を集中させる……)


 サンライトルビーが深呼吸をし、杖の先に魔力を込める。すると、彼女の元に、眩い光が集まり始める。

 そして、杖の先に光が凝縮され、明るい光を放つ光球となる。サンライトルビーは、杖を花の怪人に向けて叫んだ。


「当たれ! 『マジカルショット!』」


 杖の先から、眩い光球が放たれ、花の怪人の中心に直撃した。花の怪人は、言葉にならない悲鳴のような断末魔を上げて消滅していった。

 ――ギグ ギギギグギ ギグギギ グギグギギ……

 花の怪人が、細かい砂粒のように崩れ去ったあとには、透明な色をした宝石のようなものが落ちていた。


「か、勝った!? あたし……」


 サンライトルビーは、地面にへたりこみ、安堵したような吐息をもらした。そんな彼女に、ミルキーは微笑みかけ、労いの言葉をかける。

 

「ルビー、変身ヒーローとしての初戦闘、お疲れ様! 素晴らしい戦いだったよ。無事D級グリムコアも手に入れた。回収しておくね」

「ミルキーちゃん、ありがとう。でも、……腰が抜けちゃった。憧れのシャインシトリンちゃんみたいには、いかないね……」


 サンライトルビーは苦笑しながらも、変身を解除して、朝比奈栞としての姿に戻った。そして彼女は、ハジメの安否を確認する。


「ハジメくん、大丈夫? 怪我はない?」

「あ、ああ。おれは大丈夫」


 そう言いつつ、ハジメの目は泳いでいた。結局避難しそびれた彼は、完全に目撃していた。サンライトルビーへの変身も、魔法も、変身解除の様子も。


 その様子に気づいた朝比奈栞も、ハッとした顔で彼を見た。 

 二人の間に、長い沈黙が落ちる。やがて、勇気を振り絞ったハジメが、朝比奈栞に声を掛ける。


「……見なかったことに、したほうが良いのか?」

「わーーーーーーーーーーーー!」


 朝比奈栞は、顔を覆って悶絶すると、その後ミルキーにむかって泣きべそをかいた。


「どうしよう、ミルキーちゃん! デビュー初日から、正体がバレちゃったよ……!」


 ミルキーは、冷静な態度を崩さず、「ふむ。困ったね」といって何事かを思案している。

 そしてミルキーは、小さな背中の羽をぱたぱたさせつつ、ハジメに語りかけた。


「君、ちょっと、ボク達についてきてくれないか?」 


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 朱桜学園の映画鑑賞室。変身を解除した朝比奈栞と、ハジメと、ミルキーが顔を突き合わせていた。

 昼前に学園の案内をされた時、ハジメは、『映画鑑賞室』が何のためにあるのかよく分からない部屋だと思っていた。事情を聞いたところによると、ヒーロー協会が朱桜学園中等部と協力して用意した部屋らしい。


 映画鑑賞室は変身ヒーローが――朝比奈栞が、自由に使える待機場所になっている。


「さて、ここまでくれば大丈夫だろう。午後からの授業のことは気にしないで、ゆっくり話して大丈夫だよ。学園は、D級怪人が出たことで休校になったしね」


 背中の小さな羽をぱたぱたと羽ばたかせながら、ミルキーが語る。朝比奈栞は、それを受けて頷く。


「学園に怪人が出るなんて、初めてだもんね。あたし、びっくりしちゃった」


 そんな二人の様子を見つつ、ハジメは姿勢良く挙手して質問の姿勢を取った。

  

「……えーっと。さっきからすげー気になることだらけなんだけどさ、いくつか質問をしてもいいか?」

「どうぞ。答えられることなら答えるよ」


 ミルキーは、羽をはためかせながら笑顔を保っている。

 

「サンキュな。さっき朝比奈さんが戦ってた花の怪物、あれが……怪人なんだろ? 怪人について、詳しく聞いてもいいか?」

「うん。いいよ」

 

 朝比奈栞は頷いて、映画鑑賞室にあるノートとペンを持ってきた。そして、わかりやすく図解して解説してくれる。


「怪人にはね、脅威度っていう強さのランクがあるんだよ。A級が一番強くて、さっきあたしが戦ったのは、一番弱いD級怪人。怪人に対する研究はあんまり進んでなくて、どこからどうやって現れてるのかわからないの。でも、放っておいたら人を傷つけちゃうから、あたしたちみたいな変身ヒーローが戦って倒してるんだ」


 ミルキーは、ぱたぱたと羽をはためかせながら、ハジメの周りを飛ぶ。彼女の小さな体には、不思議な力が宿っているようにも見えた。

 

「……、ハジメくん、君は、怪人のことを全く知らないのかい? テレビや、ニュースでみたことは?」


 ハジメは困ったように、事情を説明した。

 

「おれ、記憶喪失なんだ。それと、昨日まで、ヒーロー協会付属の病院で治療やら検査受けたり、学園転入のために面接やら面談をしてて……」 

「……そっか、あれからまだ一週間だもんね。お疲れ様、ハジメくん。ほら、ミルキーちゃん。この間話したでしょ? あたしがスマホで連絡して、ヒーロー協会に保護された男の子だよ」


 ミルキーは、合点がいったように目を見開くと、コクコクと頷いた。


「ああ! 怪人に襲われて記憶をなくしてしまった可能性がある子のことか。大変な思いをしたんだね、ハジメくん。体調は平気かい?」

「ありがとな! 体調は大丈夫。記憶が戻る気配は全然ねえけど……」

 

 ハジメは、朝比奈栞に向かい合い、頭を下げる。

 

「朝比奈さん。それとさっき、怪人から守ってくれてありがとな。朝比奈さんが戦ってくれてなかったら、きっとおれ死んでたぜ」

「……う、うん。あんなにはっきり見たんだもん、誤魔化そうにも、誤魔化しきれないよね……」


 朝比奈栞は、困ったように眉を下げながら微笑み、ハジメに向き直った。彼女は右腕につけた腕輪を見せる。その腕輪に嵌った宝石は、謎めいた輝きを放ち、まるで彼女自身の意志が宿ったかのように見えた。


「あたし、変身ヒーローなんだ。あたしのヒーローネームは、サンライトルビー。といっても、今日デビューしたばっかりの新人なんだけど」


 ハジメは、首を傾げながら質問を続ける。


「……新人? っつーことは……朝比奈さんの他にも変身ヒーローがいるのか?」

「うん。あたし以外にも変身ヒーローはたくさんいるよ。でも、この地域に……朱桜市に配属されてるのは、今はあたしだけ」

「……なるほどなー。わかった。ありがとう。それとさ、あと……」


 ハジメは、ちらりとミルキーを見る。ミルキーと呼ばれたその生き物は、ぬいぐるみのような柔らかく脆そうな体躯を持ち、謎の原理で空中に浮かんでいる。


「今更だけどよ。朝比奈さんの横に浮かんでる、白い……ふわふわした生き物ってなんなんだ……?」

「──おや、失敬。自己紹介が遅れてしまったね。ボクの名前はミルキー!  変身ヒーローのサポート妖精さ。新人変身ヒーローの手助けをするのが趣味……お仕事なんだ」

「サポート妖精……?」


 ハジメは首を傾げる。


「そう。特撮やアニメで言う、マスコット枠みたいなものだよ。ボクもヒーロー協会に所属しているから、困ったことがあったら相談してくれてもいいよ!」

「ありがとな。ミルキー……さん……?」

「ミルキーでいいよ! よろしくね!」


 ハジメとミルキーは握手をした。

 ミルキーの手は、とても小さくぬいぐるみのような質感で、強く握るともげてしまいそうな脆さを感じた。ハジメは、そっと手を離す。


「……ごほん。そして、大事な話をしようか。ハジメくんは記憶喪失なので、知らなくても大丈夫なんだけど。変身ヒーローは、プライバシー保護のために、基本的にその正体を秘匿しているんだよね」


 ミルキーは、ハジメの周りをふわふわ飛びながら、変身ヒーローについて教えてくれる。


「変身ヒーローに変身している間は、本名ではなく、栞でいう『サンライトルビー』のような、ヒーローネームで呼び合うようになってるんだ。そうしないと、正体がすぐバレちゃうからね」


 ミルキーは、そこで困った顔をする。


「しかし、怪人は昼夜問わず襲ってくるものだ。意図しない形で変身ヒーローの正体を知ってしまう人はどうしても現れる。今日の、ハジメくんのようにね」


 朝比奈栞は、俯いて、「でも、初日からバレる変身ヒーローなんて前代未聞なの……」とつぶやいている。


「そこで、ハジメくんには、この書類にサインして、変身ヒーローサンライトルビーの一般協力者としての登録に同意して欲しい」

「登録……?」

「君は、ヒーロー協会に保護されているだけで、ヒーロー協会で働いているわけじゃない。だから、現状、秘密保持をしなければならない義務はない。このままだと、栞が困ってしまうからね」


 ミルキーは、映画鑑賞室の戸棚の中から、一枚の白いプリントと、ボールペンを取り出した。

 

「この書類は、変身ヒーローの正体を知った人に渡すものだよ。君には、一般人の身分のまま、秘密保持協力者になってもらうってことさ」


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 変身ヒーローの補佐妖精であるという白いふわふわの生物、ミルキーは、『一般協力者』についての説明を続ける。 

 

「もちろん、タダで変身ヒーローの秘密を守り、協力しろっていうわけじゃない。少しだけど、謝礼金も出るよ。その代わり、決してサンライトルビーの正体を公言しないという同意書にサインしてもらうことになるけど」


 同意書を受け取って、ハジメは力強く頷いた。 

 

「ああ。朝比奈さんの正体は誰にも言わねえ。……でもな、謝礼金目当てで黙ってると思われたくねえし、金もいらねえよ」


 ハジメは、決意のこもった眼差しで、快活な笑顔を浮かべる。


「おれは、朝比奈さんにめいっぱい助けられてるしな。その恩を仇で返したくねえよ」

「ハジメくん……!」

 

 彼のその言葉に、朝比奈栞は安堵して、笑顔を浮かべた。


 ミルキーは、ハジメを見つめながら、何やら思案するようにふわふわと空中を漂っている。その小さな羽が小刻みに動いている。

 ハジメはよくよく観察してみても、ミルキーがどういう原理で浮いているのか、想像もつかなかった。その不思議な姿に、ハジメは目を見張る。

 

「ふーむ、ハジメくん、意外と欲がないんだね。でも、栞に無償で協力してくれようとする君の気持ちはわかったよ。ありがとう」

「助けてもらった恩を返したいってのは、自然なことだろ」


 彼のその言葉に、ミルキーは笑みを浮かべる。

 

「わかった。では、提案をしよう。今、君はヒーロー協会に保護されているね? 君が生活したり、学園に通ったりするお金は、ヒーロー協会が運営する基金から出ている。君が受け取り拒否した今回の謝礼金はその基金に募金させてもらおうと思うんだけど、どうかな?」


 ミルキーの申し出は、ハジメにとっても申し分ないものだった。

 

「ありがとな。手間をかけてすまねえけど、それで頼んだ」


 補佐妖精ミルキーは、書類や資料を一通りまとめ終えると、律儀な姿勢でぺこりと頭を下げた。

 

「ハジメくん、ご協力感謝するよ!」

「こっちこそ。色々ありがとな」


 ミルキーとハジメは笑顔を交わしあった。

 そうしてミルキーは、朝比奈栞に苦笑を向ける。

  

「……それにしても栞、正体がバレたのが、ハジメくんでよかったね。ここまでスムーズに交渉が進むのは珍しいよ」


 こくこくと朝比奈栞は頷く。ハジメはとても協力的だったが、中には、変身ヒーローの秘密を悪用する人間がいないとも限らない。

 デビュー前の講習で受けた説明を思い出し、朝比奈栞は気を引き締める意図をこめて拳を握った。


「う、うん……! 気をつけるね!」


 ミルキーと朝比奈栞が会話をしている間に、ハジメは、書類を読んでサインする。

 そして彼は、書き終えた書類をミルキーに渡した。

 

「これでいいか? 住所はヒーロー協会に住ませてもらってるアパートのやつ。苗字は……思い出せねえから、名前だけサラッと書いといたぜ」

「どれどれ」


 ミルキーは、書類をチェックして笑顔を浮かべる。問題や不備はなかったようだ。


「……うん、大丈夫だよ。ありがとう。ハジメくん。君は今日から、サンライトルビーの一般協力者だ。よろしく頼むよ」


 ハジメはその言葉を聞いて、左側に首を傾げた。


「協力するのはもちろんいいけどよ、具体的にどんなことをすりゃ朝比奈さんの力になれるんだ? おれも変身ヒーローになったほうがいいのか?」


 ふわふわと浮きながら、補佐妖精ミルキーは首を横に振る。


「そう大変なことはしなくてもいいよ。例えば、栞が戦っている間、受けられなかった間の授業のノートを取るとか、テストに出る範囲を教えてあげるとか、そういう学生としてできる範囲のことで大丈夫だよ」

「そっか。それならおれにもできそうだ!」

「他にも、栞が困っていたら、話を聞いて助けてあげて欲しい。……それと、ごめんね」

「ん? 何がだ?」


 ミルキーは、心底申し訳無さそうに、ハジメのことを見つめた。その瞳には、嘘偽りのない感情が滲んでいるように見える。

 

「変身ヒーローは、身元がしっかりしていて、適正な審査に合格した人間しかなれないんだ。ハジメくんは、身元が分からない状態だから、推薦状を書くことが出来ない。咄嗟に栞を庇おうとした君の勇気は素晴らしいから、本当ならヒーロー候補に推薦したいんだけど……」

「いや、そういう決まりならしゃーねーよ。そこまで変身ヒーローになりてえわけでもねえし。……おれ、朝比奈さんが授業受けられねえ間のノートとか、プリントとか、ちゃんととっとくから。そうすりゃ少しでも、恩返しができるな!」

「ありがとう、ハジメくん……!」


 朝比奈栞は笑顔を浮かべて、ハジメを見つめた。

  

「あたし、変身ヒーローとしての活動と、学園生活が両立出来るかなって不安だったの。でも、同じクラスにハジメくんがいてくれたら、すごく安心だよ!」

「良かったね、栞。ついでに学園の授業再開日の話だけど、夜の間に怪人がいないか点検作業が行われる予定になった。問題なければ明日から普通に登校して大丈夫だと思うよ」

「良かった! じゃあ、ハジメくん、また明日だね!」

「ああ。また明日な、朝比奈さん!」


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 夕暮れの中、帰路につくハジメ。

 学園生活初日から怒涛の展開で少し疲れていたが、朝比奈栞に恩を返すべく力になろうと決意し、拳を握りしめた。


(今日は……色んなことが起きたなー……)


(怪人……変身ヒーロー……朝比奈さん……ミルキー)


(覚えることがすげーたくさんだ……)


(帰ったら、今日聞いた一般常識を、忘れないように手帳に書いてメモっとかなくちゃな)

 

(でも、朝比奈さんや、ミルキーのことは、書かねえようにしよう。落としたり無くしたら迷惑がかかるだろーからな……)


 ハジメの心に、ふと不安や寂しさが去来する。明るく振る舞ってはいても、ハジメが身元不明の記憶喪失であるという事実は変わらない。

 

(おれは、記憶を取り戻せんのかな。おれの家族は、どこにいるんだろ……)


「きゃっ!」


 考え事をしていたハジメは、近くを歩いていた同い年くらいのロングヘアの少女に軽く肩をぶつけてしまった。


「ご、ごめん! 怪我はねえか……!?」


 彼女は驚いた表情を浮かべながらも、すぐに謝罪するハジメの姿に、少し安心したような表情を見せた。ロングヘアの少女は、艶のある真っ直ぐな黒髪を風にそよがせて淑やかに微笑んだ。

 

「大丈夫や。ちょっとよろけただけ。あんたこそ怪我しとらん?」

「おれは大丈夫。本当にごめんな! ぼーっとしてた!」


 ハジメは頭を深く下げて詫びた。すると、少女の方は微笑んで、許しを与えるように軽く手を横に振った。その一瞬の間に、彼女の優しさと包容力に満ちた雰囲気は、穏やかなものだった。

 

「別に痛くあらへんし、あんまりペコペコせんでええで。ウチこそ、考え事してふらふらしとったさかい、お互い様やな。ごめんな」


 少女は、一瞬自分の右手につけた物に視線を移し、ぺこりと軽く会釈して去っていった。


「ウチ、急ぐからこれで。ほなな」

「ああ……! ほんとにごめんな! 次から気をつけて歩く!」


(ぶつかって悪かったな……。考え事は帰ってからにしよう……)


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「あーあ。シケた街やなあ…………」


 黒髪ロングヘアの美しい少女、月森奏は、高台から朱桜市の町並みを見下ろしながら、静かに呟いた。


「ここがウチの『仕事場』か。退屈せんとええんやけどなあ……」


 月森奏の右手には、変身ヒーローが変身する際に用いる、美しい宝石がついたブレスレットが輝いていた。

 

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 ─【朱桜新聞社コラム】より一部引用─

 

【ヒーロー協会が守る、我が国の平和と安全】

 

 かつて、我が国を守るために存在した『警察』や『自衛隊』。彼らは、我が国の平和と安全を守るために、日々活動していました。しかし、現在では、彼らの役割を担うのは、ヒーロー協会です。


 ヒーロー協会は、我が国を守るために、日々活動しています。彼らは、怪人や犯罪者と戦い、我が国の平和と安全を守っています。彼らの活躍によって、我が国の国民は、安心して暮らすことができています。


 ヒーロー協会は、ただ単に怪人や犯罪者を撃退するだけではありません。彼らは、我が国の未来を担う若者たちに、勇気や正義の心を教え、社会に貢献することを目指しています。ヒーロー協会は、我が国の宝物です。


 彼らの活躍によって、我が国の平和と安全が守られています。今後も、彼らが我が国を守り続けることを期待しています。 


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