第2話 vsトロル

 声がした方向へ振り返るとそこには……


 暗くてよく分かりにくいが、恐らく緑色の体色……いや、緑寄りの浅黒さと言った色合いの大男が立っていた。


 ゴブリン?


 いや、それよりももっと大きく見える。

 緑の巨体と考えると、私の中では『トロル』という大男のモンスターを思い浮かべた。

 何の種族か分からないから、これからは仮に『トロル』と呼称しよう。


 服装は腰回りに獣の毛皮のようなものを巻いており、上半身は裸。

 口には大きな牙が見える。

 そして手には、あの有名な棍棒。

 わぁ! あれが伝説に聞く棍棒なのね。初めて見た! ふと~い! でか~い!


 …………と、現実感が湧かなくて一瞬そんなことを考えたが、三歩ほど詰め寄られると身体が緊張を覚え、瞬時に思考が戻ってきた。


 あ、これ死んだわ。第二の人生はここで終了ゲームオーバーだ……


「お前、人間みたいでうまそうだな。しかも子どもか。子どもの肉はやわらかくてうまいだよ。子どもは魔界にはあんま来ねぇから貴重なんだよな~」


 この期に及んでも、私は今目前に迫っている死を自分のこととして感じていなかった。

 死を目前にしても、俯瞰ふかんしていられるのはブラック企業で働いていた賜物たまものだろうか?

 恐怖は……少しだけあるけど、目の前にこんな怪物を見てしまって、心でもう諦めてるのかもしれない……

 こんな地獄みたいな空が広がるところで第二の人生を始めるくらいなら、次の第三の人生に期待しよう! 出来ることなら痛くないように殺してください! 第二の人生始まったばかりだけど、さようなら!


「じゃあ、いただきまぁ~す!!」


 手にした棍棒が振りかざされ、そして勢い良く斜めに振り降ろされる。


「うわぁ!!」


 死を覚悟しても、やっぱり痛いのも死ぬのも恐い。反射的に身を屈めて防衛姿勢を取っていた。

 振り下ろされた棍棒が左首から左肩辺りに当たり――


 ガギォンッ!!


 ――と、聞いたことのない轟音が響く。

 気付いた時には横に殴り飛ばされ、地面に突っ伏していた。


 痛った~~……くない……

 全然痛くない!

 棍棒で殴られて、物凄い音がしたのに全然痛くない!


 思わず今まで自身が居た場所に目をやると、四、五メートルくらい吹っ飛ばされてる。


 でも痛くない!

 一発で動かぬ死体になるかと思いきや、本当に何も痛くないのだ!


「あれ? まだ動いてるだなぁ、弱かっただかなぁ?」


 あんなに大きい棍棒で殴られてもまだ動いてる私を見て、不思議がったのか、とぼとぼと歩いて近寄ってくるトロル。


「じゃあもう一発かなぁ。肉が新鮮じゃなくなるけど今度は叩き潰すか~」

「わぁ!」


 痛みが無かった所為せいか、「やめてください!」とか「殺さないで!」とか、そういった言葉は出てこなかったものの、やはり恐怖心はあるので再び屈み込んで防御姿勢を取る。

 そんな私に対して再び棍棒を振り上げられ、今度は背中に向かって縦一文字に振り下ろされる。


 ガイイィィィン!


 という金属音が響き、トロルが持っていた棍棒が持ち手付近からぽっきり折れていた。


「痛てぇ……し……しびれたぁ」


 本気で殴り、それでも肉塊にならなかった私の身体からの反動を受け、トロルの手に痺れが来たらしい。


「くそっ! ぶ、武器ががこわれちまった! な、なんだこのガキ!! なんで攻げきが効かねんだ!」


 確かに……何で全然痛くないんだろ?

 音もしてるし、当たってる感触はあるんだけど、痛くはないな。

 音がしてるとは言っても、金属音みたいな音で、私から発してるのかどうか定かじゃないけど……


 二度攻撃を受けてみて、痛みが無いというのが分かったため、ゆっくりと起き上がってトロルの方を見ると――


 ビクッ

 と、私の突然の予想外の動きにトロルが身じろいだ。


「う……こ、このガキーー!!」


 と、言いながら拳で殴りつけられ、ぶっ飛ばされて再び地面に転がらされたが痛みは全く無い。

 それどころか――


「い、痛ってぇ……な、なんでぇ!?」


 逆に相手の拳の方が傷ついて血が滲んでいる。


 ああ……今やっと理解できた、なるほど……この身体って凄く頑丈なんだ。

 そりゃまあ、長時間落下してきて地面に激突して、地面は物凄くえぐれたのに、私無傷だったもんな。

 生前の私の体重が五十二キログラムぐらいだったけど、三途の川で見た時はもっと幼く見えたから、仮にこの身体の体重を四十キログラムとすると終端速度百四十キロメートルくらいで激突したことになる。普通に考えれば激突した瞬間に肉塊どころかミンチ肉になっていてもおかしくない速度なのに。

 ものっすごい頑丈!

 神様、こんな体に産んで(転生させて)くれてありがとう!


 トロルに向かってちょっと動いてみたところ――


「ひぃ!! く、来るな!」


 おどかしたつもりもないけど、凄い速さで後ずさられた。

 まあ、自分の方が巨体で、明らかに目の前の相手より強いであろう自分の攻撃を、どう見ても弱々しい少女に鉄壁の防御力で、しかも無傷で防がれたら不気味よね。


 もしかして、魔法とかも出せるかな?

 ファンタジー世界の怪物が目の前にいるのだから、魔法ももしかしたら使えるかもしれない。

 しかし人間時代には当然魔法なんか使えなかったから、魔力コントロールとかよくわからない。

 とりあえず、手をかざして魔力を放出しようと試みる。


 イマイチイメージ湧かないな……

 あ、そうだ! 放出と言えば、日本人の多くが知り、世界的にも有名なあのポーズをしてみたら放出するイメージが出せるかも!


「つ~る~か~め~…………」


 その掛け声と共に手の平に光が集まる。


「波~~~!!」


 イメージ通りに巨大なエネルギーが手の平から放たれた!!

 放出するにはピッタリのイメージだったみたいだ!


 光のエネルギーは一直線にトロルに向かう。


「ヤバッ!」


 このままでは殺してしまうような気がして、咄嗟とっさに腕を動かして、魔力の方向を曲げるが時すでに遅し……

 トロルの右上半身の一部と顔の四分の一が吹っ飛んだ!

 こ、これはもう死んでるかも……


「これ、ヤバイわ……本当に出るとは思わなかった……」


 手に光が集まった時点でやめておくべきだった……今後は無闇やたらに使わないようにしよう。

 もうちょっと威力低めの魔法の練習をしておかないと、モンスターに遭ったそばから死体の山が築かれてしまう。


 ここまでで確認出来たことが三つある。

 一つ目、私は多分天使と悪魔が混ざったようなものに転生している。心は人間を引き継いでいて、身体は天使+悪魔。見た目から判断すると多分天使の方がベースっぽい。悪魔っぽいのはツノくらいだ。

 二つ目、この身体は物凄く頑丈に出来ている。大男に棍棒で殴られた程度では痛みすら無い。

 三つ目、この世界では魔法が使える、しかも私の魔力の強さは半端じゃない……と思う。


「この身体、きっとかなりのチート性能ね」


 一応、死に戻りみたいな痛い目に遭う可能性は低そうだ。刀すら刺さりそうもない頑丈な体である。遥か上空から落下してきて無傷だったことを考えると、多分銃で撃たれても傷すらつかないと思う。

 ここの環境は見るからに過酷そうだけど……生きていくのに、この身体ならきっと大丈夫だろう。


「そういえば、さっきこのトロル、『魔界』って言ってたような……」


 魔界? 地獄じゃないのかしら?

 多分、私が死んだのは紛れもない事実だと思う。そうでなければ昨日と顔や体型が違うことに説明が付かない。

 何よりも人間に羽やツノは付いてないから、転生したのも確定事項だ。

 『この身体に憑依した』という可能性もあるが、三途の川の時点でこの身体だったから多分『転生』の方だろう。


 落とされてきた場所が、地獄かと思ってたけどどうやら地獄ではないらしい。

 もしかして、地獄行きにならなかったから、閻魔様の判決をすっ飛ばされたのかな?

 でも、地獄行きじゃなくて、魔界行きの人間って他にもいるの? そもそも魔界に送られる人間ってどんな人間?


 私の天国・地獄のイメージはこんな感じなんだけど……

  天国 → 善人が行くところ

  地獄 → 悪人が行くところ

 じゃあ、魔界はなに?

  魔界 → ?


 “魔”界って言葉の響きから、どちらかと言えば悪人っぽいイメージだけど……

 もしくは地獄に行くまでの途中に魔界があるとか? そうすると私はこの後地獄行きになるわけか……それはわざわざ自分の足で歩いて行きたくはないな……

 疑問は出てくるものの、今これを考えていても答えは出ない。


「お腹空いたな……とりあえず何か食べたいけど……」


 私は人間時代も燃費の良い身体ではなかった。大食いだったわりには身体は一向に太らない……所謂いわゆる痩せの大食いだったわけだ。正直燃費の良い身体ではなかった。

 死んでからどれくらいの時間が経ってるか分からないが、今すぐに食物を摂取したい衝動に駆られている。

 しかし、周囲を見回したところで食べ物になりそうなものは皆無。

 真っ暗でよく見えない。赤い薄明かりだけで、両手側に辛うじて壁があることくらいはわかる。


「ゲームではモンスターを食べたりするけど、今倒したアイツは……」


 倒したトロルの方をチラッと見る。

 簡単に「食べる」と口にしたが、食べるためには解体して煮たり焼いたりしなければならないわけだ。

 人みたいな見た目してるし、人語話してるし、知的生命体は流石に遠慮したい。


 とりあえずここから歩いてみて、木の実とか果実とかそんなのがあれば取って食べることにしよう。

 最終手段は獣みたいなやつかな……狩ったこともないから食べられるように加工するまでが大変かもしれないけど……

 再度言うけど、今倒したトロルについては、食べる選択肢には絶対に入らない。


 あ、そうだ魔法使えるならこういうのはどうだろう。

 例えば……【エナジードレイン】。弱体化も出来て、自分も回復できて一石二鳥じゃないかな?

 試しにトロルの死体に向かって、かけてみる。ほとんど、体力減ってないから実感がわからないけど、ちょっと気持ち程度回復した……気がする。

 あとは……【スキルドレイン】とか。もしかしたら相手の能力を奪えるかもしれない。

 この辺使えれば、魔界で夢のスローライフも実現できるかも!


 敵もいなくなったし、やっと落ち着いて考えられる。

 なぜ死後の世界と思われるところにいるのか。それを考えてみよう。

 私がここに来た経緯は、やはり現世での“死”があるのだと思う。


   ◆


 親友と行ったコンビニの帰り道、暴走した車に追突されそうになり、親友にかばわれ、親友が吹っ飛んだところをスローモーションで見ていたところまでは覚えてる。


 親友……『天野 亜依 (アマノ・アイ)』。

 私、『地野 改 (チノ・カイ)』と、名前が似てるところがあり、名字がちょうど天と地に分かれていたことから、小学校時代から高校時代には、友人たちには二人の名字の頭文字を取って『天地姉妹』とセットで呼ばれていた。

 男みたいな名前だけど、れっきとした女子として生を受けている。


 その親友は、ご近所さんで生まれた時から大学まで一緒だったが、突然失速、徐々に……いや割とすぐに社会からフェードアウトしていった。

 大人しいものの、何でも出来る子だったが、大学在学中に突然やる気が無くなったさまに、私は衝撃を受けてしまった。今思えば無理して周囲とコミュニケーションを取っていたのかもしれない。


 私はグラフィッカーとしてそこそこそれなりの企業に就職、対して彼女はニート。

 それなりの企業とは言っても労働環境は過酷だった。納期前のデスマーチは当然。通常営業の日ですら、睡眠時間は四時間寝られれば御の字。泊まり込みも少なくない。社長が無理に仕事を請け負ってくるから、社員がその煽りを受けて馬車馬のように働かなければならない。

 社長は左団扇うちわで、社員もそれなりの給料ではあったが、実務に見合っているとは思えない過剰な労働環境だったように思う。

 表向きはそこに入れれば親や親類が喜ぶような企業だったが、その内情はかなりのブラック企業だった。


 私は連日の激務に疲弊し切っていた。

 そんな中、親友との遊興時間が私の心の安らぎだった。

 彼女はニートになってすら、輝いて見え………いや、別に輝いてはないな……でも、ほぼ自由時間の無かった私よりもいくらか人生を謳歌おうかしているように思えた。


 そんな彼女を見た最後が、車に追突された姿だなんて……

 彼女はあの後無事でいられたのだろうか?

 それだけが心配だ。


   ◇


 多分、私はあの追突事故で死んでしまったんだろう……

 庇われた私が死んでいるってことは、庇ったアイも恐らくは……


「魔力があるなら、遠くを見ることができる『千里眼的な能力』って使えるのかな? ちょっと試してみるか」


 あの事故で親友がどうなったか気になって夜も眠れなさそうだし。

 地球を見るイメージで。

 アイの家を探す……地球を上から見下ろす。

 神の視点ってこんな感じかな?

 何かこれインターネットで見られる地球の土地を上空から見られる某神視点のマップみたいだ。


「あった、アイの家」


 ………………

 ああ……仏壇に彼女の遺影ってことは……


「ああぁぁ……やっぱり死んでた……私を庇って……」


 しばらくその場で泣き崩れる。


「……ごめん……ごめん…………」


   ◇


 十分くらい感傷に浸っていただろうか……

 少しして気付く。


 私も同じ状況だ……!!!


 ちょっと軽い感じもするけど、自分も同じ状況だと考えたら、悲しさも半減してしまった。

 もしかしたら、あっちアイ側はあっちアイ側で同じようなこと考えて、悲しさ半減させてるかもしれない。そうすると不謹慎ながら少し笑えてもくる。

 私も死んでしまったけど、最後に庇ってくれてありがとう。


「またどこかで会えるのを楽しみにしてるよ、生まれてすぐの付き合いだったから二十七年間ありがとう……」


 せめてご冥福をお祈りします……私も死んでるけど……

 多分普通の人間には過酷なので、魔界や地獄こっちには来ないでください。

 あ、一応さっき殺してしまったトロルにも祈っとくか。成仏してください。

 もう魔界ここにいる時点で冥福でも何でもないけど。

 ホントの種族名とかはわからないけど、ゴブリンよりトロルっぽいし今後もこんな感じの亜人に遭遇するかもしれない。私の中では引き続き仮に『トロル』と呼んでおこう。


「ふぅ……しかし、ここホント暑いな……」


 気温は三十六度くらいかな? 猛暑日くらいの暑さがある。

 空は真っ暗、両横は岩壁で、岩壁の向こうから赤色が見える。多分火が燃えてるんだと思う。

 私が立っている前と後ろに道があるけど、どちらも遠くまで続いているみたいだ。


「さてどっちに行こう……」


 考えてても仕方がないので、トロルの死体がある方向とは逆の方向に向かうことにした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る