第2話 笑う土岐頼芸(ときよりのり)

「到着でーす!」


「イっちゃんありがとー」


「帰るときは呼んでねー」


「りょ!」


 サラちゃんこと女神サラスバティはアバター「弁財天」の姿で天正10年11月4日、深夜の美濃国揖斐郡岐礼の東春庵で睡眠中の土岐頼芸ときよりのりの枕元に現れた。そして彼の頭に手際よくヘッドセット内蔵のゴーグルを装着する。


「これでよし。夢の中で会おうね」


 そう言うと自分も同じようなゴーグルを装着する。すると、彼女の目の前には、まさしく夢空間とでも言うべきほんわかとした幼稚園の教室のような空間が現れた。目を閉じた土岐頼芸よりのりがその空間を漂っている。


「土岐頼芸よりのりさん。ちょっといいですかー?」


「んんん? なんだここは? ふむ。ただの夢か」


「現状認識が早すぎるんですけど!」


「当り前だ。わしの目はもう光を失うておる。もし姿形が見えたなら、うつつではなく夢か幻ぞ」


「あ、なるほど。それはごもっとも」


「夢とはいえ、わざわざわしに会いに来るとは酔狂すいきょうな。さては狐狸こりあやかしか。ふむ。わしも、もう八十二歳。随分ずいぶんの歳だでのう。ならばそなたは死神か。三途の川の渡し賃、六文銭は枕元よ」


「ひっど~い。あーあーアー、テステス。コホン。斯様かように愛くるしいわらわを捕まえて狐狸こりあやかしや死神扱いするなど無礼にも程があろう!」


 サラスバティはアバター「弁財天」の姿の時は、なるだけ威厳のある口調で話をするようにしている。あくまでも一応である。話せば話すほど、どんどんぼろが出てしまうのだが。


「ふむ。であればそなたは何者で、何用でこのじじいの元に参ったのだ?」


わらわは七福神が一柱、弁財天じゃ。わらわはその方に福を授けに参ったのじゃ」


「かっかっかっか。何を今更いまさら何故なにゆえ今頃。碌に徳を積む事もなき、このくたばりぞこないに福をとは笑止千万、滑稽滑稽。福などもろうたところで使い道などありやせぬ」


「だからこそだ。冥福という言葉があろう」


「ふむ。やはりお迎えが近いのか」


「左様。お主はあとひと月ほどで死ぬであろう。ゆえにお主の来世で、やり残したこと、やりたかったこと、後悔したことなどをうまくできるようにわらわが手を貸してやろう。ありがたく思うがよい」


「やり残したこと、やりたかったこと、後悔したことか。山ほどあるのう」


「いかにもそうであろう。例えば時をさかのぼり、お主の側室の深芳野みよしのを奪い、更にはお主を美濃から追放したという斎藤道三に意趣返しするとか……」


「はあ? 何故なにゆえに? 左様なことなど思いもせぬが」


「ええっ? なんでえ?」


「国をうしのうたのもおのれの不始末、儂の器量が足りぬゆえ。齋藤道三いやさ西村新九郎を責めてなんとする。そもそも新九郎もおのれが業の報いを受けて死を遂げた。新九郎は国を奪えどさっさとくたばり、奪われた儂は生き永らえた。思えば新九郎も義龍も龍興も、武田の信玄も勝頼も、織田の信長も信忠も、そうそう明智光秀もだ。秀でたる者が早う死に、無能な儂が生き残る。実に皮肉な巡り合わせだ」


「じゃあ、深芳野みよしのさんのことはどうなの! 最愛の人を奪われて悔しくなかったの? それとも深芳野みよしのさんなんてアンタにはどうでもよかったの?」


「おおこわや。儂が深芳野みよしのが事を大切に思わぬはずがない。されど儂では深芳野みよしのも子も護れなんだ、それだけよ」


「どういうことよ!」


「父に望まれ兄や甥とも相争うて、守護になれどその身は所詮、守護代に小守護代、国人どもの言いなりよ。絵を描くことのほか何一つままなる事などなかったわ」


「……」


「あの頃の美濃は修羅道でのう。血族骨肉あいむ有様。誰が味方で誰が敵か。信を置くにあたいする者など数える程しからなんだ。さような中で新九郎はこう申した。『深芳野みよしの殿をたまわりたし。さすれば君臣のきずなも真に堅固なものとなろう』と。事もあろうに身重であった深芳野をだ」


「どうして、断らなかったの?」


「断りようがなかったわ。もし儂が断れば、信なき主人には仕えぬと、我が兄、土岐頼武ときよりたけに走ると新九郎は言うたのだ。しからば儂も滅ぶのみ」


「だからと言って妊娠中の深芳野みよしのさんを下賜するだなんておかしいでしょ。お腹にはアンタの子供がいるんじゃない! なんで斎藤道三に抵抗して戦おうとしなかったの!」


「深芳野を大切に思うがゆえだ。もう一つ断れなかった理由があってのう。新九郎が儂にいけしゃあしゃあと『深芳野みよしの殿を賜りたし』と申した時には、深芳野みよしのは奴にかどわかされてとうの昔に人質であった。もし断れば深芳野みよしのもお腹の子も皆、かばねさらす事となろう。儂だけならばいざ知らず、深芳野みよしのと子までを巻き込む事に、儂はとても耐えられなんだ」


「……」


「あとは、新九郎の傀儡かいらいで望まれるまま言われるままよ。無能な暗君に成り下がり、新九郎の引き立て役ぞ。我が深芳野みよしのと子が人質なれば愚行も是非に及ばず」


「そんな目にあったのなら、なおのこと道三を恨むのが当然だと思うんだけど」


「若き日に儂と新九郎は二人で美濃をいかに良き国にするか熱く語り合うたものだ。兄上との合戦でも互いに何度も命を助け合うた。新九郎も端から斯様かように悪辣だった訳ではない。彼奴は文武に秀で計数にも明るく勤勉で面倒見の良い漢であった」


「でも・・・・・・」


「儂の器量が足りなんだからだ。新九郎は小守護代の長井の分家を継いだ辺りから人が変わった。儂の為と称し、予め儂に図ることなく己に不都合な者を次々とはかりごとで粛清しよった。少なくともこの時、既に奴は土岐家も美濃も盗る気で居ったろう。もっと前からかも知れぬがの。いずれにしろ全てのとがは新九郎を止められなんだ儂の不始末。儂さえしっかりして居れば、新九郎もああならずにすんだであろう」


「そして終には美濃を追われた」


「儂を追放する前に、新九郎はこうも言った。『頼芸様のお子をそれがしの嫡子とさせて頂くゆえ、どうぞご安心めされよ』とな。新九郎は儂の子をおのが子といつわり育ておった。それが我が子、義龍よ」


「義龍さんは、アンタが実の父親だって知っていたの?」


「無論だ。義龍は母親孝行でな。深芳野みよしのに危害が及ばぬように細心の注意を払い何も知らぬふりをし続けた。その後、義龍は敵であり形式上の親でもある新九郎を討ち果たした後は、斎藤の家も土岐の家も名乗る事をばよしとせず、儂の祖父や深芳野みよしのの母の出た『一色』の家を名乗ったのよ」


「それであなたは悔しくないの?」


「悔しいぞ。ああ悔しいとも! だが、皆が皆もう死んでしもうた。今更この死に損ないに何を為す事ができようか!」


「だから、さっきからワタシがアンタの人生をやり直しさせてあげると言っているでしょうが!」


「それが真ならば・・・・・・真ならば、そうさのう。あたうなら来世こそは深芳野みよしのと、能うならば戦のない平和な地にて絵など描き、穏やかに暮らしたいものだのう」


「わかった。ワタシがなんとかしてあげる」


「されどいくら夢だとは言え、儂はそなたにこたえ得る何物をも持っておらぬ」


「大丈夫、深芳野みよしのさんと平和なところで暮らさせてあげるその代わりに、この戦国時代でももう一度人生をやり直して欲しいの。もちろん深芳野みよしのさんと一緒にもっとしたたかに用心深く」


「たしかに面白そうではあるの。では左様に致すとしよう。たして深芳野みよしのはなんと言うかわからぬが」


「任せて! わたしが説得する!」


「威勢の良いあやかしだのう」


「何言ってんの! ワタシは福の神よ、弁財天だってさっきから言ってるでしょう!」


「かっかっか。だが礼をせぬのも心苦しい。そうだ儂の絵がまだ行李こうりにあるはず今宵こよい楽しませて貰うた礼じゃ。せめてそれを貰うてくれ」


「いいの? それって大切な絵じゃないの?」


「目の見えぬ儂にはもはや不要だ。その絵は心に焼きついとるわ。なにせ己れが描きし絵ぞ。何かの縁だ、持って行け。後片付けが楽になるわい」


「わかったわ。じゃあ、ありがたくいただくよ」


「そうだ、あと一つ我儘わがままを言えば、儂が来世でやり直すとき、本人さえよければなのだが、近習の山本数馬とその妻女も呼び寄せたいぞ。数馬も妻女も儂の為、歩まずともよき苦難の道を随分歩ませてしもうたでな」


「わかった。本人に確認したら、ちゃんと一緒にさせてあげる」


「それは大いに助かるの。やれやれすこぶる都合の良い夢を見させて貰うたわい」


「ただの夢じゃないんだけどね。じゃあ殿様、準備ができたら迎えに来るわね。コホン。ではわらわの迎えを楽しみに待つがよいぞよ」


 サラスバティは土岐頼芸からゴーグルを外した。


 立ち去ろうとしたが絵のことを思い出し、行李の中に絵を探す。


「この絵って・・・・・・アンタ、ほんとに馬鹿じゃない! イっちゃん! 一度ワタシを戻して!」


「オッケー!」


 サラスバティの姿がかき消えた。













「この明るさはもう朝か。目覚めると逆に物が見えぬはいつもながらの皮肉だの。されど昨夜の夢は愉快であった。数馬! 数馬は居らぬか!」


 夜具の上に横たわったまま頼芸は山本数馬を呼んだ。


「ははっ、これに!」


「儂の行李の中にあの絵がまだあるか見ておくれ」


「ははっ。…………殿、大変で御座る! 絵が御座いませぬぞ!」


「かっかっか。であるか」


 土岐頼芸は上機嫌に笑った。


「探さずともよろしいのですか、あの絵は大切になさっていた殿直筆の深芳野みよしの様のお姿なのに」


「構わぬ。あれは弁財天様に差し上げたのだ」


「弁財天様! 殿、実はそれがし、昨晩、摩訶不思議な夢を見ました」


「ほう、さては数馬、そちの夢に弁財天様が現れたとでも言うのか?」


「ぎょ、御意に御座います」


「弁財天様に来世でこの儂やおのが妻女と穏やかに暮らすことと、戦国の世でもう一度生き直すことを誘われたのか?」


「まさか殿の夢にも!」


「左様だ。で、そちはいかが致す?」


あたうならばそれがしも殿と来世を歩みとう御座います」


「そちの妻のお千歌ちかも共にか?」


「ははっ!」


「ならば思い残すこともなし。のう数馬、儂はあとひと月で死ぬるぞ。最後までそちには迷惑をかける。後はお主の好きにせい」


「殿! お気を強くお持ちくだされ!」


「天命である。是非に及ばず。そちの今際いまわきわにはきっと儂と弁財天様が迎えに参るゆえ安心せい。あたうならば来世でそちとは友として付き合いたいのう」


勿体もったいのうございます。殿はあくまでも我が殿でござりますれば」


「そちも頑固者よのう。まぁ良きにはからうべし。さてもさても、ようやっとだ。じきに儂は深芳野みよしのと、そちもお千歌ちかと会えそうだの。あな目出度めでたや、あな目出度めでたや。かっかっか。数馬、数馬よ、そちも笑え!」


 土岐頼芸よりのりは横たわったまま心底嬉しそうに笑い続けた。


















 ひと月後の天正10年12月4日(1582年12月28日)、土岐頼芸よりのりは老衰で息を引き取った。満面の笑みを浮かべての82歳の大往生だった。


 近習として生涯を通して土岐頼芸よりのりに仕え続けた山本数馬も、頼芸よりのりの葬儀後まもなく主の後を追うように息を引き取った。その死に顔はやはり満面の笑みを浮かべていたと言う。







つづく

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