第2話 笑う土岐頼芸(ときよりのり)
「到着でーす!」
「イっちゃんありがとー」
「帰るときは呼んでねー」
「りょ!」
サラちゃんこと女神サラスバティはアバター「弁財天」の姿で天正10年11月4日、深夜の美濃国揖斐郡岐礼の東春庵で睡眠中の
「これでよし。夢の中で会おうね」
そう言うと自分も同じようなゴーグルを装着する。すると、彼女の目の前には、まさしく夢空間とでも言うべきほんわかとした幼稚園の教室のような空間が現れた。目を閉じた土岐
「土岐
「んんん? なんだここは? ふむ。ただの夢か」
「現状認識が早すぎるんですけど!」
「当り前だ。
「あ、なるほど。それはごもっとも」
「夢とはいえ、わざわざ
「ひっど~い。あーあーアー、テステス。コホン。
サラスバティはアバター「弁財天」の姿の時は、なるだけ威厳のある口調で話をするようにしている。あくまでも一応である。話せば話すほど、どんどんぼろが出てしまうのだが。
「ふむ。であればそなたは何者で、何用でこの
「
「かっかっかっか。何を
「だからこそだ。冥福という言葉があろう」
「ふむ。やはりお迎えが近いのか」
「左様。お主はあとひと月ほどで死ぬであろう。
「やり残したこと、やりたかったこと、後悔したことか。山ほどあるのう」
「いかにもそうであろう。例えば時を
「はあ?
「ええっ? なんでえ?」
「国を
「じゃあ、
「おお
「どういうことよ!」
「父に望まれ兄や甥とも相争うて、守護になれどその身は所詮、守護代に小守護代、国人どもの言いなりよ。絵を描くことのほか何一つ
「……」
「あの頃の美濃は修羅道でのう。血族骨肉
「どうして、断らなかったの?」
「断りようがなかったわ。もし儂が断れば、信なき主人には仕えぬと、我が兄、
「だからと言って妊娠中の
「深芳野を大切に思うが
「……」
「あとは、新九郎の
「そんな目にあったのなら、なおのこと道三を恨むのが当然だと思うんだけど」
「若き日に儂と新九郎は二人で美濃をいかに良き国にするか熱く語り合うたものだ。兄上との合戦でも互いに何度も命を助け合うた。新九郎も端から
「でも・・・・・・」
「儂の器量が足りなんだからだ。新九郎は小守護代の長井の分家を継いだ辺りから人が変わった。儂の為と称し、予め儂に図ることなく己に不都合な者を次々と
「そして終には美濃を追われた」
「儂を追放する前に、新九郎はこうも言った。『頼芸様のお子を
「義龍さんは、アンタが実の父親だって知っていたの?」
「無論だ。義龍は母親孝行でな。
「それであなたは悔しくないの?」
「悔しいぞ。ああ悔しいとも! だが、皆が皆もう死んでしもうた。今更この死に損ないに何を為す事ができようか!」
「だから、さっきからワタシがアンタの人生をやり直しさせてあげると言っているでしょうが!」
「それが真ならば・・・・・・真ならば、そうさのう。
「わかった。ワタシがなんとかしてあげる」
「されどいくら夢だとは言え、儂はそなたに
「大丈夫、
「たしかに面白そうではあるの。では左様に致すとしよう。
「任せて! わたしが説得する!」
「威勢の良い
「何言ってんの! ワタシは福の神よ、弁財天だってさっきから言ってるでしょう!」
「かっかっか。だが礼をせぬのも心苦しい。そうだ儂の絵がまだ
「いいの? それって大切な絵じゃないの?」
「目の見えぬ儂にはもはや不要だ。その絵は心に焼きついとるわ。なにせ己れが描きし絵ぞ。何かの縁だ、持って行け。後片付けが楽になるわい」
「わかったわ。じゃあ、ありがたくいただくよ」
「そうだ、あと一つ
「わかった。本人に確認したら、ちゃんと一緒にさせてあげる」
「それは大いに助かるの。やれやれすこぶる都合の良い夢を見させて貰うたわい」
「ただの夢じゃないんだけどね。じゃあ殿様、準備ができたら迎えに来るわね。コホン。では
サラスバティは土岐頼芸からゴーグルを外した。
立ち去ろうとしたが絵のことを思い出し、行李の中に絵を探す。
「この絵って・・・・・・アンタ、ほんとに馬鹿じゃない! イっちゃん! 一度ワタシを戻して!」
「オッケー!」
サラスバティの姿がかき消えた。
「この明るさはもう朝か。目覚めると逆に物が見えぬはいつもながらの皮肉だの。されど昨夜の夢は愉快であった。数馬! 数馬は居らぬか!」
夜具の上に横たわったまま頼芸は山本数馬を呼んだ。
「ははっ、これに!」
「儂の行李の中にあの絵がまだあるか見ておくれ」
「ははっ。…………殿、大変で御座る! 絵が御座いませぬぞ!」
「かっかっか。であるか」
土岐頼芸は上機嫌に笑った。
「探さずともよろしいのですか、あの絵は大切になさっていた殿直筆の
「構わぬ。あれは弁財天様に差し上げたのだ」
「弁財天様! 殿、実は
「ほう、さては数馬、そちの夢に弁財天様が現れたとでも言うのか?」
「ぎょ、御意に御座います」
「弁財天様に来世でこの儂や
「まさか殿の夢にも!」
「左様だ。で、そちはいかが致す?」
「
「そちの妻のお
「ははっ!」
「ならば思い残すこともなし。のう数馬、儂はあとひと月で死ぬるぞ。最後までそちには迷惑をかける。後はお主の好きにせい」
「殿! お気を強くお持ちくだされ!」
「天命である。是非に及ばず。そちの
「
「そちも頑固者よのう。まぁ良きにはからうべし。さてもさても、ようやっとだ。じきに儂は
土岐
ひと月後の天正10年12月4日(1582年12月28日)、土岐
近習として生涯を通して土岐
つづく
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