第1章 5-1
灯鈴(トウリン)が朱家の本家に来て1週間ほどたった。
今は私の侍女として働いている。炎珠(エンジュ)や鈴明(リンメイ)とも旨くやっているし、元々、母のお付きだったので、仕事の感を取り戻すのに時間は掛からなかった。
しかし、私が前世の記憶を利用して、道具を発明していることに、当初は反対していたが、そうなった経緯を説明して、今は納得してもらっている。
あれから、宇航(ユーハン)様には会えていないが、今日の午後に会える様に、夏月(カゲツ)さんに手配してもらった。
朝食の後、コック栓付きの陶器を売るために条件を出すことにした。その条件を書面にする。
まずは、図面を描いた私の名前を伏せること。適正な価格で売ること。3年経ったら作り方を公開すること。朱有においての販売権は全て、宇航(ユーハン)様に委ねること。勝手に改造しないこと。これを破った場合、私は発明に二度と関わらない。
これが私の求める最低限の条件だ。その他の条件は、作り手や宇航(ユーハン)様の事も配慮して、後から付け加えていけばいい。
全ての条件が出そろったら、関係者の署名と血判で正式に書面に残す。
この国においても、書面にして残しておくことは大事である。
まぁ口で言うのは簡単なのだけれど、これを書く作業が、大変面倒というか苦手である。
まず墨。硯で水と一緒に墨を摺り、それを穂先の揃った筆で書く。間違えれば書き直し、衣に散れば洗濯しても落ちない。
しかも手や顔に付くし、持ち歩くにも面倒だ。
図面を描くときの直線だって書きにくいし、ボールペンは無理にしても鉛筆くらいは必要だ。
しかし、こう次々商品の案を出していては、師匠や然周(ゼンシュウ)様が体を壊してしまう。
当分は胸の内に留めておいて、陶器の事が落ち着いてから話しても遅くはない。
やっと書き上げた書面を文箱にしまって、一息つく。
炎珠(エンジュ)が入れてくれたお茶はもう冷めてしまっているが、それを飲もうとしたら、タイミング良く灯鈴(とうりん)がお茶を持ってきた。
「お嬢様、冷たいお茶は体を冷やしますよ。お控えください。」
灯鈴(とうりん)は鈴明(リンメイ)に輪を掛けて心配性だ。熱かろうが、冷たかろうが、お茶はお茶だと思うのだが・・・
胡家にいるときは、冬でも真水だった私からすれば、味がついているだけでも贅沢な気分だ。
「それよりも宇航(ユーハン)様と約束があるのではありませんか?その衣では行かない方が良いかと思いますが・・・」
そう言われて衣を見ると、墨が散ってしまっている。作業用の衣なので汚れていても工房では差し支えないが、さすがに宇航(ユーハン)様にこれでは失礼だろう。
着替えようと思って箪笥の方へ視線をやると、すでに灯鈴(とうりん)が衣を持って立っていた。
(素早い・・・)
灯鈴(とうりん)はさっさと私を着替えさせ、顔の墨を拭き取り、軽く化粧をして体裁を整える。
それから宇航(ユーハン)様の前でお腹が鳴らないようにと、串団子を2本用意してくれた。何から何まで灯鈴(とうりん)がしてしまうので、炎珠(エンジュ)や鈴明(リンメイ)は手持ち無沙汰気味だが、鈴明(リンメイ)は師匠の手伝いもあるし、炎珠(エンジュ)は元々、護衛だ。
と言いつつも、結局、石鹸を作るのを手伝ったりしているので、出来る人が出来るところをするという、暗黙のルールみたいな物が3人には出来ているらしい。
団子と茶をお腹に入れたところで、口元を拭き、衣を正してから、炎珠(エンジュ)を伴って宇航(ユーハン)様の書斎へと出向いた。
本家の入り口には、屈強な護衛が2人立っているが、私達を見るとすぐに一礼して、扉を開ける。
そこにはすでに夏月(カゲツ)さんが立っており、書斎までの道のりを案内してくれた。
(そう言えば、宇航(ユーハン)様の書斎は初めて来るかも・・・)
一つの扉の前で夏月(カゲツ)さんが足を止めた。書斎に着いたのだろう。
「桜綾(オウリン)様がいらっしゃいました。」
扉を数回叩いた後、夏月(カゲツ)さんが部屋の中に声を掛ける。
「入れ。」
返事が返ってくると、夏月(カゲツ)さんは扉を開けて、右手で私に中に入るように促す。
それに従って、私は敷居をまたいで中に入る。
整然と並んだ多くの書物と机に積まれた上奏書、白檀の香りの中に、山奈を混ぜた様なスッキリとした香が部屋にくゆっている。
私の部屋の2倍ほどあるが、その部屋の隅の窓際に置かれた椅子に、宇航(ユーハン)様は腰を掛けていた。
どうやら、風に当たっていたようだ。
そちらへ向かってそっと歩き始めると、扉が閉まった。
夏月(カゲツ)さんと炎珠(エンジュ)は外で待機するらしい。
宇航(ユーハン)様はこちらを見て微笑むと、立ち上がって私を出迎える。
そんな礼を尽くされるような人間ではないので、恐縮するが、宇航(ユーハン)様が手を引いて椅子に座らせてくれる。
「ここの所、忙しくてね。君たちの作った物が何しろ・・・ね。で、今日は改まってどうかしたのかい?用があるなら、こちらから出向いたのに。わざわざ夏月(カゲツ)に許可を取らせなくても。」
「いえ。ちゃんと話をする時間が欲しかったので。話が途中になるのも困るし、宇航(ユーハン)様の時間をとってもらいました。」
私にお茶を入れてくれた宇航(ユーハン)様は向かいの席に着いて、机の上で両手を組んだ。
「何かそう改まって話されると、少し怖いな。どんな話だい?」
「話す前に一つ、約束して頂きたい事があります。」
「また約束かい?まぁ出来ることならいい。」
私は出されたお茶を一口飲んで、渇いた口を潤す。
「ここで話したことは、決して誰にも言わないでください。他の3領主様にも、です。」
「・・・・・分かった。約束しよう。」
少し間はあったものの、そう言い切ったのを聞いて大きく息を吐いた。
「これからお話しする事は、きっと俄(にわか)には信じられない事だと思います。しかも少し長い話になります。それでも聞きますか?」
自分から話すために時間を割いてもらっておいて、聞くかと尋ねるのもおかしな話だが、宇航(ユーハン)様に聞く覚悟を問いたかった。
「時間は大丈夫だが・・・君は、それを話して大丈夫なのかい?」
「以前、お話しましたよね。信頼の証としてお話すると。これは私の最大限の信頼の証だと思って頂いて結構です。大まかな話でも灯鈴(とうりん)しか知りません。私の持っている知識の謎を知りたいのですよね?」
一瞬、沈黙が流れる。
「確かに知りたいとは思うが・・・君が話したくないのなら無理に聞く気はない。」
「これから先、私が作る物が非常識な物でも宇航(ユーハン)様にだけは理解して頂きたいと思っています。それに宇航(ユーハン)様はこの秘密を守ってくださると信じているので。」
「そう言われると、嬉しいような気もするが・・・本当に大丈夫かい?」
「私は大丈夫です。」
「ならば聞こう。君の最大限の信頼の証を。」
私はもう一度お茶に手を伸ばし、一口飲むと目をつむって深呼吸した。
そして、私の中にある桜の記憶を話し始める。
「私には前世の記憶があります。」
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