第1章 5-2
桜は地球という天体の日本という所で産まれた。
黄仁より、遙かに文明は進み、鉄が空を飛び、海を渡り、人を遠くまで運ぶ。地上では自動車が人を快適に目的地まで運び、道は殆どがアスファルトと言う物で固められ、平らで滑らかだ。
人が住む家はコンクリートと言う物と鉄で出来ていて、地上から空高く伸びている物もあった。建築技術は木造ですら黄仁よりも高い。窓は透明なガラスで出来ているし、虫がはいれないように網戸という物が設置されている。
パソコンという物であらゆる情報を収集し、それを数字化して商売や科学という物に役立てる。
スマホという機械は、どんな遠くの人とでも近くで会話している様に話が出来、メールを飛ばせば、瞬時に相手に伝言が届く。鳩は基本、使わない。趣味で伝書鳩を飛ばす人はいたりするが・・・
医学は発達し、多くの病は原因を突き止め、手術で治すことも可能だった。勿論、治せない病も多数あるが、黄仁で出来ない治療方が日本には存在し、頭痛や胃痛などは、薬1粒で和らげることも可能だった。手術なんて黄仁でやったら大変なことなる。体を傷つけることは親不孝に当たるとして、髪すら切らない国なのだから。
衛生面では世界でも有数の優良国で、トイレやお風呂と言った設備は他国から買いに来る人すらいた。
ここみたいに肥桶を洗うことも、重いお湯を運ぶこともない。
夜でも外灯が灯り、電気という物で全てが動いていた。指一本で部屋を明るく出来たし、冬は暖かく、夏は涼しい環境を作るエアコンという物が存在する。米を炊くのも、冷えたおかずを温めるのも、指一本で出来る。
法律はここよりも複雑で、全てに決りが存在した。それを殆どの人が守る。そして70年以上、戦争のない国でもあった。
他国では戦争をしている所もあったが、日本は先の大戦で大きな犠牲を払った。だからこそ戦争を放棄した国だ。
私がいた時代は、世界情勢が悪化し、それも少し危ぶまれてはいたが、人々に危機感はなく、日常を送る。500年も大きな争いのない黄仁に比べれば、そこは黄仁の方が優秀だ。それでも、桜がいた日本と言う国は恵まれた国で、いい時代だとも言える。
ここより優れた物を上げれば切りがない。
桜の父は元柔道の選手、母は陸上の経験者で、男の子を望んでいたが、残念ながら産まれたのは女の子。春の桜の咲く時期に産まれたので、桜と命名された。
それから1年後には弟が誕生するが、待望の男の子とあって、両親はそちらを溺愛した。そうは言っても、別に育児放棄されたりしたわけではない。3歳から当たり前のように運動をさせられ、弟と一緒に、柔道や陸上を中心に訓練を受けたが、私にはそれが合わなかった。1つ歳下の弟にもかなわず、いくら頑張っても他の子よりも劣っていた。それは子供心にも理解出来た。試合や訓練の度に大勢の前で叱責され、人から笑われる。その頃から、人の視線が怖くなった。
私が5歳になった頃、もう一人妹が出来た。私の出来を知っていたから、父達は女の子に期待をしていなかったが、妹は確かに両親の才能を受け継いでいた。
私も10歳位までは運動を続けていたが、5歳の妹に劣る始末。妹は陸上の為に産まれたような物だと言わんばかりで、弟は柔道のために産まれた様な子だった。
唯一、私だけが両親の才能を一つも受け継がなかった。それで、両親は私を運動選手にすることを諦め、運動もしなくて良くなった。その分、私は本を読んだり、編み物や手芸をするようになったが、どんな手作り品を両親に贈っても、喜ばれることはなく、食事の時には弟や妹に合わせた食事と、会話のみが進み、私はいないも同然だった。
誕生日は忘れられ、弟や妹が成長すればするほど、私の存在は両親から消えていく。遠征や試合などで家には私だけ。
いつの間にか洗濯や家事は私の仕事になり、弟達に合わせた食事も私が作る様になった。その残りを私は自室で食べる。家族がいない日は、お金だけが置かれている。
まるで使用人の様な扱いだった
初めて父が私に手を上げたのは私が14歳の頃。
私は熱が出ている中、食事を作り、二階に上がろうと階段を上がっているときにフラついて落ちた。
そこへ運悪く、帰宅した妹が私の後ろにいたため、妹の上に倒れ込む形になり、妹が足を捻ったのだ。
しかも、試合を控えていた。陸上選手にとって、足の怪我は致命傷だ。治るまで時間もいる。
妹は泣きながら試合に出られないと私を責め、父は激高して私を叩いた。
気絶した私をそのままに、両親は妹を連れて、病院へと行ったが、幸い軽い捻挫で済んだらしく、万全ではないにしろ、試合には出られたし、優勝もした。
私はと言うと、左手を骨折して完治まで3ヶ月かかった。原因は、階段から落ちたときか、父に殴られてぶつけた時かは分からない。
だが、1度殴ったら、2度も3度も同じ。何か粗相をする度に、父から背中を叩かれる様になった。根性がないからだ、と言って。背中なら、痣になっても気づかれない。そう計算していたかは、分からないが。
父は柔道の選手を引退したとはいえ、柔道を教えている人間だ。そんな人間が子供の背中を叩けばどうなるか、分からなかったのかとも思うが、私には文句をいう立場はなかった。
学校へ行っても、人の目が気になって人と話すのが苦手な為、友達もいなかった。それどころか、いじめの対象になってしまい、周りは避けて通るし、水を掛けられたり、物を隠されたり。そんなことは当たり前に起きる。どこにも居場所がなかった。
それが祟ったのか、17歳でとうとう、心を病んだ。日本の言葉で言えば鬱病だ。
部屋から出られず、弟達の食事も、洗濯も、家事一切が出来なくなり、学校にも行かず、自室に鍵を掛けて5日ほど閉じこもった頃、さすがに痺れを切らした父が、扉を壊して部屋に入ったときには、私は意識をなくしていた。
その時、病院で下されたのは、脱水症状と栄養不良、そして鬱病だった。
だが親たちは、心の病など弱い人間がなる者だと言って、医者の言うことを真っ向から反対し、根性がないからだと治療を拒んだ。その結果、私は引き籠りとなった。部屋からは出ず、ただひたすらに自分を責めて過ごした。
父と母の期待に応えられず、人目を気にして話す事も出来ず、そんな自分が嫌いでどうしようもなかった。
最初は、父も母も部屋から出そうと必死だった。扉は何度も壊れた。引きずられて外へ放り出されたこともある。
だが、近所でそれが噂されるようになると、弟達の対面を考えて、私を部屋に閉じ込める事に決めたようだった。
何も言わず、いつも扉の外にお握りとおかずだけが置いてあった。家に誰もいないときはお金だけ置いてあったので、それで宅配を頼んだ。一日1食だけ。部屋では寝ているか、気分のいいときには本を読んだり、パソコンで色々な物を調べたり、動画を見たり。死にたいと思う事は毎日だったが、それでも生きた。
それから4年。私は21歳になり、弟は日本代表にまで上り詰めていた。妹は陸上の成績が思うように伸びず、思い悩んでいる時期だった。私はやっと部屋から出て、親に勉強をしたいと頼んだ。親は何も言わなかったが、勉強に掛かるお金は出してくれた。
勉強に4年かけて仕事に付いた。黄仁で言えば,商家の帳簿係の様な物だ。日本では事務職。小さな会社ではあったが、25歳でも仕事に就けたのは実は、弟と妹の名声のお陰だった。妹は一度挫折したが、その後持ち直して、陸上選手として活躍中で、弟は世界に通用する選手になっていた。二人の名声を当てにして私を採用したという事は、後から知ったことだ。だから始めは異様に丁寧な扱いだったのだ。
コネを使う様で嫌だったので、内緒にしてはいたが、どこかから漏れたのだろう。けれど、仲が悪いと知れてからは、扱いも雑になった。それでも、クビにならなかっただけましだ。
私が仕事に就いて半年、実家を出た。あの家にいると、自分が惨めで卑屈になってしまうから。
それから、医者にかかり、治療を受け始めた。薬は気休めにしかならないと親は言っていたが、ちゃんと効果を発揮した。
仕事場で嫌なことがあっても、いじめられても、一人でも、何とか休まずに通えたのは、薬のお陰もあったと思う。
お茶くみから書類整理まで、色々やらされたが、それでもお金をもらえた。自分で生きる為のお金だ。
仕事に付いてからは、家族と連絡を取る事はなかった。向こうからの連絡もない。
誰にも必要とされず、誰にもかまってもらえない。それでも自分の、自分で得た居場所があったから、何とか生きていた。
そして、その3年後、私は突然、命をなくすことになる。
メールで必要な書類を、屋上に届けてくれと言われたので、持って行くと、そこには誰もおらず、少しの間待ったが、誰も現れなかった。それで帰ろうと思ったら、階段から落ちた。正確には誰かに突き落とされた。
誰かは分からない。でも、最後に願った事は覚えている。
次に生まれ変わったら、もっと強い人間になりたい。前向きな人生を歩けるように。そして人に愛される人間になれる様に。そう願った。
まさか、その記憶を持ったまま、桜綾(オウリン)になるとは考えてもいなかったが。
だから、私は、胡家での仕打ちにも耐えられた。
私は桜綾(オウリン)であって、桜でもあるから。もうあの頃のように、自分を嫌いになったり、誰かのせいで不幸になりたくなかった。
この黄仁という国は確かに、技術や知識は劣るが、ここでは師匠や鈴明(リンメイ)達に出会えたし、今では多くの人に支えられている。それは桜であった時には得られなかった物だ。今は幸せだと思う。ただ、正直に話すと、愛されるという感覚が分からない。愛されたいと願う反面、愛がなんなのか分からないからだ。人の温かさや、優しさは理解出来る。けれどそれが愛なのか、相手に本当に愛されているのか、確信は持てない。幸せな今でも・・・。
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