第1章4-4
仕事始めの朝はよく晴れていた。
朱有に来て10日程、実家で過ごした。まるでどこかの姫様の様な扱いで甘やかされ、色々な所へ案内され、ある意味では慣れない状況のせいか、疲れた。母には鞄の作り方も教えておいた。
しかし、父も母も時間の許す限り私に付いていてくれたし、炎珠(エンジュ)もずっと世話をしてくれていたので、不安は感じなかった。
さすがに、ずっと実家にいるわけのも行かず、今日こうして工房へと足を運んだ。
両親はもう少ししてからでもと、名残惜しそうだったが、あの様子だといつまで経っても、工房へ行けないと思ったので、無理を言ってここへ来たのだ。
工房にはすでに、師匠と鈴明(リンメイ)が寝起きをしているし、師匠はモップこと立水巾棒を商品にするべく、在庫を増やしていた。
「師匠、鈴明(リンメイ)、遅くなってごめんね。」
そう声をかけると、師匠が自室から顔を出して、出迎えてくれた。
鈴明(リンメイ)の姿は見えないが、その代わりに見たことのない男性が、師匠と一緒に顔を出す。
(師匠のお客さんかな?)
そう思って、ペコッと頭を下げると、猪のごとく私に突っ込んできた。
何事かと驚きすぎて、動くことが出来なくなってしまったが、器用にその人は私にぶつかる寸前で止まった。
「いやぁ。君が桜綾(オウリン)かい?憂炎(ユウエン)から話は聞いたよ!何でも、新しく便利な物を作り出す天才だとか。憂炎(ユウエン)が羨ましいなぁ。物は相談だが、憂炎(ユウエン)の弟子を止めて、わしの弟子にならないか?」
何だか、師匠と同じ匂いのするこの人は一体何者何のか・・・
私はただ突っ立ったまま、その気迫と大声に圧倒されて、何も答えられない。
「然周(ゼンシュウ)、待て待て!桜綾(オウリン)は足が悪いとさっき話しただろう。それにお前、ちゃんと自己紹介もしないまま、捲し立てたら、桜綾(オウリン)が怖がるぞ。」
慌てて師匠が私とその然周(ゼンシュウ)と呼ばれた人の間に立った。
そう言われて気が付いたのか、頭をポリポリ掻きながら、
「おや。これは失礼。わしの名は高・然周(ゼンシュウ)。この裏の商人や工房を統括している。わしは憂炎(ユウエン)と違って、鉄物の加工が専門だがね。」
そう言って憂炎(ユウエン)を見るが、師匠はやれやれというポーズを取っている。
師匠をも上回る程の変人・・・いや、変わった人なのだろうか・・・
「こんにちは。朱・桜綾(オウリン)です。ここで図案を書く予定ですが、然周(ゼンシュウ)様は師匠のお知り合いですか?」
どうにかそう答えると、師匠が然周(ゼンシュウ)の口を塞いで私に話す。
「然周(ゼンシュウ)は昔からの悪友みたいなもんだ。コイツも発明好きで、今回から色々、協力してもらうことになった。俺は木細工できないが、コイツがいれば、桜綾(オウリン)の作る物の幅も広がるだろう。然周(ゼンシュウ)、口から手を離すが、取りあえず落ち着け。」
「フガフガっ」
何度か頷いたのを確認して、師匠が然周(ゼンシュウ)様から手を離す。
「とにかく、今鈴明(リンメイ)がお茶をいれているから、桜綾(オウリン)は荷物を置いてこい。」
師匠は然周(ゼンシュウ)様を引きずって、自室へ戻っていった。
初日から何とも激しい出迎えにあったものだ・・・と思いながら、私は自室へ行き、荷物を下ろして楽な服に着替えた。
着替え終わる頃には、炎珠(エンジュ)も本殿への挨拶が終わって、工房に戻ってきたので、二人で師匠の元を訪ねた。
炎珠(エンジュ)は正式に護衛に任命されたため、今は男装の装いで、刀を腰に下げている。
先ほどの件があったので、ゆっくりと師匠の部屋の扉を開けると、飛び出そうとする然周(ゼンシュウ)の腰紐をひっ捕まえている師匠の姿が目に入る。炎珠(エンジュ)はこの様子を見て、何が起きているのか理解が出来ず、腰の刀に手を当てる。
私がそれを止めると、師匠が然周(ゼンシュウ)様を椅子に座らせた。
「だから、落ち着け。座って話せば良いだろう。見てみろ、護衛に敵扱いされてるぞ。桜綾(オウリン)、炎珠(エンジュ)すまんな。まぁ座ってくれ。コイツは俺が押さえるから。」
そう言われて、私と炎珠(エンジュ)は顔を見合わせたが、進められるままに椅子に腰掛けた。
「さっきも言ったが、然周(ゼンシュウ)は鉄の加工が得意で、うちの工房と卸やら材料集めやらで、色々世話になる事になったので、顔合わせをしとこうと思ったんだが、桜綾(オウリン)の作品を見て興奮してしまってな。発明が関わると人が変わるんだ。こう見えても俺より年上だし、普段は頼りになるやつなんだが・・・」
師匠もあまり変わりがないような・・・この二人が一緒で私は大丈夫だろうか・・・そんな不安が押し寄せてくる。
その時、お茶を運んできた鈴明(リンメイ)が入ってきた。
「あっ桜綾(オウリン)、炎珠(エンジュ)も来たんだ。今、お茶入れるね。この二人、騒がしいったらないの。朝からずっとこの調子。私、疲れちゃって・・・」
(鈴明(リンメイ)、お疲れ様・・・。)
お茶を入れ終わると、鈴明(リンメイ)はそそくさと部屋を出て行く。よっぽど疲れたのだろう。私もすでに疲れている。
「とにかく、わしは桜綾(オウリン)の作品が気に入った!これからはわしもいるから、どんどん頼ってくれ!桜綾(オウリン)の発明に関われると思うと今から興奮するなぁ!で、次は何を作る予定だ?」
お茶を飲もうと湯飲みを持ち上げたが、飲む暇がないほど矢継ぎ早に話してくる。
「今は石鹸を作っているので、そちらが完成したら、次を考えるつもりですが・・・然周(ゼンシュウ)様、こちらからもお伺いしてよろしいでしょうか?」
「なんでも聞いて良いぞ!」
私はお茶を一口、やっと飲んでから質問をする。
「まず、然周(ゼンシュウ)様の周りではどのくらいの物が手に入るのでしょうか?量ではなく種類の話ですが。」
「うーん。何が欲しいのかにもよるが、よっぽど貴重な物や季節的に無理な物以外なら、大抵は手に入れられる。鉄、銅、銀、鉛、後は薬草全般と食料や香、花や植物、それを加工する事も出来る・・・かもしれないな。」
「かもとは?」
「憂炎(ユウエン)の話を聞けば、桜綾(オウリン)からまず説明を受けないと、作れないんだろう?技術的に無理な物もあるかもしれないしな。まぁ加工については、交渉が必要って事だ。」
材料に関して言えば、大抵の物を扱っていると理解して良いだろう。しかし、加工する人の力量も見ておきたい。
「加工のお願いは誰にすれば良いのでしょう?」
「わしに回してくれたら、適任者をここへ送ろう。例えば、鋳造ならわしが、薬草なら薬師の中から優秀な人間を選んで連れてくるという具合だな。」
さすがに喉が渇いたのか、然周(ゼンシュウ)はお茶を一気飲みした。あれだけ話せば当然だろう。大声だし。
「分かりました。では然周(ゼンシュウ)様。こちらで必要な物は、依頼をさせて頂きます。発明がお好きなら、いつでも足を運んでください。ただし、私が図面を書いているときは、邪魔をしないで頂けると助かります。」
図面を書いている横で、この状態の然周(ゼンシュウ)様が近くにいたら、集中なんて出来やしない。
いつもなら師匠が一番喋るのに、今日は然周(ゼンシュウ)様が喋っているせいか、静かだ。
二人一緒に話されたら、収拾がつかなくなるので、ありがたいことではあるが。
「師匠からは何かないの?聞きたい事。」
「全部、お前達が話して解決してるだろ。俺はもう聞いているだけで、お腹いっぱいだ。」
手にしたお茶を飲みながら、めんどうくさそうに話す。
「では、私は石鹸の確認に行きますので、お先に失礼します。」
そう言って席を立とうとしたとき。
「さっきも言っていたが、石鹸とはなんだ?その話は憂炎(ユウエン)にも聞いてないが、新しい発明品か?なんだ、どんな物なんだ?」
(もう石鹸の説明はいいって・・・)
私は思いっきりの作り笑顔を向けて言う。
「石鹸の説明は師匠に任せます。出来上がったら、見せにお伺いしますので。」
それだけ言うとその場を一目散に飛び出した。
「おい!桜綾(オウリン)!」
師匠の止める大きな声が聞こえるが、お構いなしに工房へ逃げた。
勿論、炎珠(エンジュ)も私の後を追ってくる。
工房の中には、1ヶ月以上干した石鹸が並べてある。おそらく鈴明(リンメイ)が私のいない間、管理してくれていたのだろう。
手に取って見ると、始めに作った物よりも固まっているのが分かる。
それを近くにあった小刀で少し削ってみる。中もちゃんと固まっているようだ。
それを確認した後、1つを炎珠(エンジュ)に削ってもらえる様に頼んで、私は洗濯場へと向かった。
汚れのひどそうな物を借りて、石鹸を試すためだ。
本家の裏手から使用人の作業場へと向かう。通り道に使用人の部屋の中が見えた。
屋敷が広いので人数も多いが、大部屋とはいえ、きちんとした作りになっており、布団も清潔そうだ。
その近くには休憩所のような場所もあり、快適そうに見えた。
洗濯の干し場を過ぎたところで二人の使用人の姿が見えたので、声をかけようとした時だった。
「あの桜綾(オウリン)って子、運が良いよね。まぁ元々、豪商の娘なら贅沢してたんだろうけど、まさか朱家に養女で迎え入れられるなんて、羨ましい。好きでこの身分に産まれたわけでもないのに、神様も不公平だよね。あの子より不幸な子は沢山いるのに、結局、得するのはお金持っている人間だけ何だから。」
「しっ!誰に聞かれているか分からないでしょ?そんな大きな声で言わないの。確かに羨ましいけど、足も不自由みたいだし、同情もあったのかも。どちらにしろ、私達みたいな使用人には何の関係もない話よ。朱家の使用人だって、他の屋敷の使用人に比べたら、待遇は良いんだから、文句言わないの。」
洗濯物の入った篭を片手に、話しているのが聞こえてしまった。
正直、気持ちのいい物ではないし、やっぱり周りにはそう見えるのかと、予想はしていたが現実を突きつけられると、やっぱり胸が痛い。
「でも、皆、言ってるよ。あの子、領主様のお気に入りなんじゃないかって。領主様、あの子を見るときだけ、優しい目になるって。まぁ噂だけど。」
「あの領主様が?まさか。それが本当なら、領主様の・・・」
そこまで言いかけた使用人の一人が、言葉を止めた。
「私が何かな?それに今、桜綾(オウリン)の話をしていた様に思うが・・・私の聞き間違い・・・かな?」
二人の顔色がみるみる変わっていく。慌てて跪き頭を下げる。
二人の前に立っている宇航(ユーハン)様は、明らかに怒っている様に見える。
端正な顔立ちだけに、冷たい表情が、更に冷たく感じる。
宇航(ユーハン)様は二人の少し離れた所に私がいることに気がついている。
「申し訳ありません。」
二人は声をそろえて謝罪する。
「桜綾(オウリン)、謝っているが、どうしたい?」
宇航(ユーハン)様のその言葉でやっと私の存在に気がついたらしく、二人は振り返って、明らかに動揺した。
私は二人に近寄って、その前に立った。
「どう・・・と言われても、慣れてますから。それより洗濯物の汚れがひどそうな物を1枚貸してもらえませんか?」
そう、こんなことは慣れている。もっとひどい扱いを受けてきたのだから、こんなのは慣れている。大丈夫。
宇航(ユーハン)様はやれやれと言わんばかりの顔でこちらを見ている。
宇航(ユーハン)様を見上げながらも、使用人の一人が、篭の中から1枚の衣を私に渡す。
私はそれを受け取ると、礼を言ってその場を後にした。
本家の裏辺りに戻ったところで、追ってきた宇航(ユーハン)様に捕まった。
「桜綾(オウリン)!待て。」
待ても何も捕まっているのですが・・・と言いたいが、それは言わずに振向いた。
「宇航(ユーハン)様。どうしたんです?」
「どうしたって・・・桜綾(オウリン)、君はひどいことを言われたのに、何とも思わないのか?」
「なんともって、もっとひどいこと言われて来たのに、これくらいはなんともないですよ。彼女たちは本当の事しか言っていません。宇航(ユーハン)様のお気に入りって部分以外は。あっでも、発明仲間だからお気に入りでも間違いないのか・・・」
あははと言って笑顔で返すと、宇航(ユーハン)様は、私の両肩を掴んだまま、俯いた。
「桜綾(オウリン)、君はひどいことに慣れすぎだ。自分が傷ついた事すら、気づいていないだろう。今、君はどんな顔をして私に笑っているか分かるか?」
どんな顔って、そんなこと気にしたこともない。ちゃんと笑っているはずだ。
そう思って、顔に手を当てる。
(あれ?何か濡れてる・・・)
そこで初めて自分が涙を流していることに気がついた。前ならこんなことで涙なんて流さなかったし、最近、泣きすぎて涙腺が緩んでいるのかも・・・
慌てて涙を拭いて、宇航(ユーハン)様にもう一度笑顔を向けた。
「どうしたんでしょうね。宇航(ユーハン)様、何でもないですよ。ほら、もう泣いてなんかいません。」
そう言うと、いきなり私の顔が宇航(ユーハン)様の胸に押しつけられた。
「すまない。君を傷つけないと憂炎(ユウエン)と約束したのに。あの二人には暇を出す。」
自分がどんな状況なのか分からないでいたが、どうやら今私は宇航(ユーハン)様に抱きしめられているらしい。
「そんな。傷ついてなんかいませんよ。大丈夫です!これくらいでめげる私ではない事は知っているでしょう?今は味方もいます。だから、あの二人は許してあげてください。」
そう言っても宇航(ユーハン)様の腕の力は緩まない。
こんなとこ、見られる方がまずいのだけれど・・・きっと悪口を言われた私に同情してくれたのだろう。
「宇航(ユーハン)様、そろそろ離してもらえると助かるのですけど・・・」
その言葉で、やっと宇航(ユーハン)様は腕を緩めた。その隙に腕からすり抜ける。
「私、これから石鹸の効果を確認する作業をするので。宇航(ユーハン)様も、仕事があるでしょう?あまり無理はなさらないでくださいね。」
そう言って私は宇航(ユーハン)様を残して、足早に工房へと向かって歩く。
もう追っては来ないが心臓に悪い。なぜだか宇航(ユーハン)様に抱きしめられたとき、心臓がドキドキした。
きっと宇航(ユーハン)様が力一杯、抱きしめたから、息が出来なかっただけだろう。
後は汚れた衣を手に、工房へ戻った。
炎珠(エンジュ)に任せていた石鹸は見事に削れている。それを更に細かくする必要があるが、先に洗濯の方を試すことにした。
工房の隅に完備されている井戸に洗濯物と固まった石鹸の一つを持って行く。
そこに何故か、師匠と然周(ゼンシュウ)様の姿もある。
「すまんな。桜綾(オウリン)。然周(ゼンシュウ)がどうしてもみたいというから、工房へ行ったら、お前が洗濯物を取りに行ったと聞いたから、ここへ先回りした。正直、俺も見たいし。」
然周(ゼンシュウ)様は相変わらずニコニコ顔ですでに座り込んでいる。
私は気にせずに桶に水を入れて、そこへ衣を浸し、軽くもみ洗いする。それから、落ちていないひどい汚れの部分に石鹸をこすりつけ、もみ洗いをしてみる。相変わらず、泡の立ち具合は足りないが、汚れはちゃんと落ちているように見える。
然周(ゼンシュウ)様もやってみたいと言うので、使い方を説明しながら、やってもらう。
「おお、石鹸とはすごいな。水で洗っても落ちない汚れが、落ちたぞ。しかも叩いたりしていないのに、これはすごい!」
然周(ゼンシュウ)様はそれが楽しかったのか、結局、衣の洗濯を一人で終わらせてしまった。
血液なのか、何なのかは分からないが、1,2カ所汚れが薄く残っている部分はあるが、それ以外は綺麗になっている。
石鹸も大部分が残っており、固さも十分だという事が分かった。
石鹸は最低で1ヶ月は干した方がいいという事も、これで判明した。
ただし、これは今の材料では・・・という事だ。
油の材料や、香料によっては、月日も変わってくるかもしれない。
それに、体や顔を洗う石鹸には蜂蜜も使って見たい。
石鹸だけでも、まだまだ改良や種類を増やさなくてはならない。
椿の油と灰汁と木蓮の組み合わせと柑橘系の石鹸は、取りあえずこれで完成としても良いだろう。
菜種なら、今の時期に収穫出来るし、夏になればひまわりの種を入手することも可能だろう。
後はあればオリーブなども使える。
そういえば、この前お風呂に浸かっていたバラは、入手出来るのだろうか・・・?
「然周(ゼンシュウ)様、菜種・・・つまり、菜の花の種から油を取りたいのですが、菜種は入手出来ますか?」
「菜種がいいのか?菜種油なら普通に手に入るぞ。皆の食事に使われているだろ。」
なんと!いつも使っていたのは、菜種油か・・・なんと言うことでしょう。
「なるべく絞りたてが良いのです・・・それを密封して光や酸素が入らないようにしたいのですが可能ですか?」
「光は分かるが、酸素ってのは何だ?」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
酸素とは人間が生きる上で必要な気体です・・・何て説明は出来ないし。何て答えたらいいのか戸惑う。
「じゃあ、その密封の方法を教えてくれ。それなら出来るか?」
「それなら、多分・・・」
炎珠(エンジュ)が来たので、洗った洗濯物を、使用人に返してもらいに行ってもらい、私達は工房へと移動した。
「出来れば壺か甕に一杯まで出来たての油を注いで、上から木の蓋で密閉します。この時、油が溢れる位が理想です。壺や甕に蛇口がついていれば、完璧なんですが・・・・」
(そうだ!蛇口!鉄を加工できる人がいるなら、銅も加工できるはず。蛇口を作ることが可能では?)
鉄は錆が心配だし、ステンレスなんて作り方知らないし、金や白銀は高すぎる。なら銅が一番適している。
確か強度はないが、腐食に耐性があったはず・・・
「あの・・・つかぬ事を伺いますが・・・銅を加工することって出来ますか?少し複雑なんですが・・・」
「出来る・・・といいたいが・・・物による。それより、蛇口って何だ?」
「だから、その蛇口を作りたいんですって!」
私の言っている事が当たり前だが、全く理解出来ていない然周(ゼンシュウ)様の頭には、はっきりと?が浮かんでいる。
勿論、師匠も分かってはいないが、私に耐性がある分、落ち着いている。
「つまり桜綾(オウリン)は、その蛇口ってのを作りたいんだ。それを作るには銅がいる。しかもそれを加工しなくてはいけないが、ここにはない物だから、試行錯誤が必要・・・そういうことか?」
師匠が私の代わりに説明をしてくれる。
「そう!そういうこと!あっでも蛇口の作り方は知らないな、うん。なら、コック栓でも代用できるか。コック栓なら簡単だし・・・」
「桜綾(オウリン)!お前だけが理解しても作れないぞ!大体、蛇口だの、コック栓だの分からん言葉を並べるな。まずは図を書け、図を!」
師匠の言葉で我に返る。あれだけ喋る然周(ゼンシュウ)でさえ呆気にとられている。
「すいません・・・つい・・・今すぐ書いてくるので、少しお待ちを・・・」
衣の裾をまくし上げ、急いで部屋に戻る。コック栓は桜が壊した水のタンクについていたもので、その構造が気になって、分解したから、しっかり記憶にある。その後、蛇口についても検索したが、よく理解出来ず、途中で放棄した。
コック栓の見た目をまず描き、その構造を文字と絵で表現する。これで分からない部分は、口で説明したら良い。
この墨と筆も何とかしたい。描きにくいし、かすれるしでイライラする。が、今はコック栓が先決。これが出来れば、色々と便利になる。
一通りかけるだけ描いて工房に戻ると、師匠と然周(ゼンシュウ)、鈴明(リンメイ)に炎珠(エンジュ)も勢揃いでお菓子をむさぼっている。
(私は一生懸命描いていたのに!)
そう思いながらも机の方へ向かって、書いた図を机の真ん中にドンッと置いた。
「これが、コック栓です!」
腕を組んで得意げにそれを見せるが、皆、私の顔を見たまま、止まってしまった。
「ぶははっは。桜綾(オウリン)、お前の顔。まず顔洗ってこい!」
毎度毎度、師匠に笑われてばかりだが、慌てて井戸まで行って、水面に映った自分の顔を見て、笑った理由が分かった。
顔中に墨がついていて、黒子だらけだ。
顔を洗って墨を落した所で、衣にも墨が散っていることに気がつくが、これはさすがに落とせない。
落胆しながら、師匠達の元に戻ると、お菓子は食べ終わったのか、私の描いた図に目を通している最中だった。
戻った私に気がついた鈴明(リンメイ)が、お菓子を手に駆け寄ってくる。
「ちゃんと桜綾(オウリン)の分も取ってあるよ。後で食べてね。」
(さすが鈴明(リンメイ)!私の愛する友よ・・・)
そのお菓子を手に取る間もなく、然周(ゼンシュウ)の質問攻めが始まる。
「桜綾(オウリン)!これは何だ?これは何をするための物だ?材質は銅で良いのか?早く来て説明をしてくれよぉ。もう頭がおかしくなりそうだ!」
いや、元々では・・・・と言いたいが、今回は然周(ゼンシュウ)様の助けが必要だ。
「一つずつ説明しますね。まずこれはコックと行って・・・」
それから一刻ほど然周(ゼンシュウ)と師匠を交えたコック栓開発会議が行われた。
コック栓の話をしながら、壺についても改良をしたいという話になり、壺の口部分に螺子状の溝を掘り、そこに合うような蓋を銅で作る話にまで及んだ。しかし、壺は口が薄く、螺旋を彫りづらいため、形を筒状に焼いてもらうことにした。もしこれが成功すれば、本当に色々な物に応用できるし、私の実験にも役立つ物が出来る。
簡単ではない。多くの人の協力がいる。取りあえず、案として宇航(ユーハン)様に図案と用途を提出。壺を作っている窯元と、銅の仕入れ、加工は然周(ゼンシュウ)様に任せ、概算で金額を出してもらわなくてはならない。それを更に宇航(ユーハン)様に提出して、初めて試作品を作る作業に入る。
今回、師匠は然周(ゼンシュウ)様と窯元や加工に同行してもらうことにした。
発明家という物は暴走する物だ。師匠でそれを止められるのか、はたまた、一緒に暴走するかは分からないが、任せることにした。
私はと言うと、宇航(ユーハン)様に図面と用途を綺麗に書き直した物を提出した。
その後は、石鹸に使う香料探しだ。
バラは匂いも強いし、バラ水も比較的簡単に抽出できそうだが、それはあくまでも材料があればの話。
精製水を作る要領で出来れば良いのだが・・・
後は比較的手に入りやすい、薬草の類いと香の材料を試して見るつもりだが・・・
薄荷は爽快感を生むし、安息香の香りは甘さがするので、女性には喜ばれそうだ。菊花や茉莉花なども良いだろ。
薬草で言えば、蓬や馬蓼は皮膚病やかゆみに効くので、使い方によっては薬用石鹸としても利用出来るかもしれない。
どちらにしても、やってみないことには分からないが、石鹸は商品化出来るかもしれない。
取りあえず出来上がった石鹸の一つから、花形の綺麗な物を選び、少し良い箱に入れて、炎麗(エンレイ)様に届けてもらうことにした。
削った石鹸は、泡活草で使うときに泡立てて使っている。
主に沐浴の時の3回に1回程度だが。泡活草が尽きそうなので、また手に入れなくては・・・
あとは師匠と然周(ゼンシュウ)様に掛かっている。二人に頑張ってもらうしかない。
取りあえず、二人の返事を待つことにしよう。
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