第1章 3-2

朝食を取った後、宇航(ユーハン)様と夏月(カゲツ)さんは用事があると、屋敷を出ていった。

私は師匠と一緒に自室に戻り、さっきお湯を入れた鍋の中に指を挿して、温度を確かめる。

粗熱が取れている事と、灰が沈んでいるのを確認して、鈴明(リンメイ)に持ってきてもらった空の桶の上に絹の生地を二枚重ねて置き、それを引っ張ってもらった上から、お玉で掬った灰の上澄みを掬い入れる。

絹を少し持ち上げて確認すると、灰を通さず上澄みだけが溜っているようだ。

それから何度か掬い入れて、絹の生地を洗ったものを、残りの灰汁にかぶせておく。残りは明日用だ。

師匠が作ってくれた油も、保存状態もよく、澄んだ色をしている。

これを鈴明(リンメイ)に持ってきてもらった、小さめの鍋にその灰汁を入れ、油をゆっくりと入れていく。

師匠はそれをかき混ぜ、ある程度の粘りが出たところで、木蓮の花を乾燥させたものを乳鉢で粉にして加えていく。

乾燥した物なので香りがどうかと思っていたが、思ったよりも、あの甘い香りがちゃんとする。

ある程度まで混ぜ、固くなり始めた頃、師匠が以前作っていた、花形のお菓子の型に椿油を塗って、そこへ入れていく。

明日になって、これがある程度固まっていれば、成功だ。

日陰において、乾燥させる。数は3つ。あまり大きくはないが、試しで作っている物だし、良いことにしよう。

「なんだか、お菓子みたい。食べられそう。」

鈴明(リンメイ)がそう言いながら触ろうとしたので、止めた。

「食べられません。もう。お菓子の型に入っていても、食べちゃ駄目。」

「わかってるよ。本当に食べたりしないって。」

鈴明(リンメイ)は口をとがらせながら、使い終わった鍋などを片付けに井戸へ向かっていった。

「もう終わりか?油を作る方が大変じゃないか。俺は一人でやったのに、不公平じゃないか!」

師匠は師匠ですぐむくれる。

「ありがとう。師匠のおかげで、石鹸が早くできたよ。まだ成功するとは限らないけど。次はちゃんと手伝うから。」

そう言ってなだめる。30を超えたおじさんが、駄々をこねても可愛くない。

しかし、師匠が油を作っていなければ、こんなに順調には進まなかっただろう。

駄々をこねるくらいは大目に見なければ。

「次は師匠が楽しんで作れる物にしよう。からくりとか好きでしょ?」

「ん?もう次を考えてるのか?それはどんな物だ?大きいか?それとも複雑か?」

さっきまで不機嫌だったくせに、もう機嫌が直っている。

目をキラキラさせて私の答えを待っているが、聞いただけで、まだ具体案がある訳ではない。

「師匠・・・色々あるけど、次に何を作るかまではまだ決めてないの。朱有についた後、工房を見てから決めようかと。それに、ここには1月しかいないから、途中になってもあれだし。」

師匠はまたシュンとなる。

「わかった。分かったから。ここでも作れる簡単な物か、次に作る物の部品とか、なんか考えてみるから。」

師匠は俯いたまま、こちらを睨む。睨まれても怖くはないが、面倒だ。

「明日までには考えておくから。ね?ね?」

そう言うと、やっと顔を上げた。

(いいかげん、大人になってほしい・・・)

師匠は明日だぞと念を押して、自室へ帰っていった。

気づけば太陽は真上に輝いていた。



次の日、朝食を取った後、石鹸の出来を確かめる。

ある程度、固まってはいるが、もう少し固さが欲しい。もう少し乾燥させるべきか・・・

昨日の石鹸はそのまま、もう一日乾燥させることにした。

今日は一日おいた灰汁を同じ要領で作っていく。香りは蜜柑の皮の乾燥した物を使ってみた。

ほんのり柑橘系の匂いがする。

昨日よりも少し固めに練って、型に入れて乾燥させる。

宇航(ユーハン)様は昨日から姿を見ていないので、あれから戻っていないのだろう。

師匠には新しい物の図面を朝食時に渡しておいた。今頃、楽しげにそれを眺めていることだろう。

しかし、それがどんな風にできあがるかは、師匠次第だが。

今回、師匠に渡した図面は改良版の雑巾。日本ではモップと言う物だが、胡家の屋敷では廊下が広かったので、雑巾がけが大変だった。端から端まで猫の背伸びのような恰好で、駆け回るのは辛い。

これも前から欲しかった物だが、あの屋敷ではそれを使うことに抵抗があったので、作りはしなかった。

朱義での屋敷も広かったが、ここも広い。使用人は、やはり雑巾がけに苦労しているようだった。

それでこの際に柄の付いた雑巾を作ってもらうことにした。勿論、雑巾は取り外して洗えるように。

図と言葉で説明はした物の、どこまで師匠が理解しているかは、分からない。

きっと、大丈夫だろう。失敗しても作り直せば良いだけのことだ。

遅めの昼食を母と取り、その後は母と街へ散策に出かける。

母の衝動買いはいつものことだが、今日は鈴明(リンメイ)も一緒に来ている。

黄泰と似ているがここは魚や貝も多く売られている。

珊瑚で出来た簪などは、驚くほど高いが、綺麗な桃色で以前、義母が付けていたのをチラッと見たことがあるが、ここで見たのはもっと大きくて、艶がある。

練り香やおしろいなども種類が豊富で、入れ物も鮮やかだ。

私達は食事や買い物を楽しんで、夕方頃帰宅すると、宇航(ユーハン)様が帰ってきていた。

「桜綾(オウリン)、外は楽しかったかい?」

椅子に座ったまま話しかけられたので、一礼して答えた。

「領主様、お帰りなさいませ。母との買い物はいつも楽しんでおります。領主様もお疲れはございませんか?」

そう聞くと、

「それほど疲れてはいないよ。それよりも、桜綾(オウリン)に渡したい物があって待っていたのだ。」

そう答えて、夏月(カゲツ)さんに小さな箱を持ってこさせる。

夏月(カゲツ)さんは私の前に来ると、両手でその箱を手渡した。

そっと中を開けてみると、実のような物が入っていた。もしかして・・・

「泡活草の実だ。近くの村でそれを子供達が遊び道具にしていると聞いてな。視察がてら取りに行ってきた。」

視察だとは言うが、きっと視察の方が名目で、実を取りに行ってくれたのだろうと察しがついた。

その心遣いに素直に感謝する。

「申し訳ございません。お手を煩わせてしまいました。それからありがとうございます。」

そう言ってもう一礼すると、

「私も何か協力出来ればと思ってね。それに、視察ついでだから、そこまで気にしなくても良い。」

満足そうににっこり笑って返事をする。

私は箱の蓋を閉め、それを炎珠(エンジュ)に渡した

泡活草があれば、泡立つ石鹸が作れる。明日試して見よう。そのためには、蓋が付いた陶器の容器が欲しい。

石鹸が出来ていれば、それを細かく削って、熱湯を注いで溶かし泡活草を入れて振れば、液体の石鹸が出来るはずだ。

保存は利かないが、温泉に行く日に作れば、きっとさっぱりするだろう。

「桜綾(オウリン)、桜綾(オウリン)。桜綾(オウリン)!」

「あっっはい!」

思考がまた飛んでいた。宇航(ユーハン)様の呼びかけにも気が付かない程に。

「石鹸の事を考えていたのかい?桜綾(オウリン)は分かりやすいね。それで明日の予定を私は訪ねたいのだが?」

考えていたことを言い当てられて、少し恥ずかしくなった。

「明日は、石鹸の乾燥具合の確認と、頂いた泡活草で、少し改良できるか試してみようかと思っております。午後は何もなければ、書物でも読もうかと考えておりますが、何か私にご用がおありでしょうか?」

「では、午後の時間、少し外出に付き合ってはもらえぬか?」

「それはかまいませんが・・・どちらへお出かけで?」

「行けば分かる。」

それ以上は何も言わなかったので、私は早々に自室へ戻った。



翌朝、石鹸を確認すると、良い感じに固まっている。一昨日の物から1つを型から外し、半分に切る。中はまだ少し柔らかい。ネリっとした手応えがある。

ひとまず半分で手を洗ってみる。多少の泡立ちしかないが、洗った後の手がしっとりしているように感じた。

炎珠(エンジュ)や鈴明(リンメイ)にも試してもらったが、同じような感想だった。

残りを炎珠(エンジュ)に渡して、洗濯に使ってもらうことにした。汚れのひどい部分に使ってもらって、感想を聞いてもらう手はずになっている。

もう半分は小刀で削って、みじん切りにして、用意してもらった酒壺の小さめの物にそれを入れて、熱湯を注ぐ。

中身をしっかり溶かした後、実を入れてカシャカシャと振る。

ある程度振ったところで、蓋を開け、中を確認すると、ちゃんと泡立っていた。

どうやらこれも、見た目だけは成功したらしい。

それで鈴明(リンメイ)と炎珠(エンジュ)に試しに髪を洗ってもらう。初めは戸惑っていたが、使い終わって、髪が乾いた頃には、おおよろこびしていた。水だけで洗った時は、パサついていた髪も、今は指通り良く艶めいていた。

本当は泡活草を練り込んで、石鹸を使用した際に泡立たせたいが、それを作るには改良を重ねるしかない。

なんせ、日本には泡活草に変わる薬品がすでに開発されていたので、植物を使う必要はなかった。

ただ、知識として泡立つ実がムクロジと言う名前という事と、昔はそれが石鹸代わりに使われていたという物があった。

それを応用して、記憶の中の泡立つ石鹸を作ろうと思ったわけだから、半分は手探りだ。

今回はこれでも上出来だろう。

後は洗濯物の汚れの落ち具合だけだ。汚れのひどい部分が綺麗になれば、固形の石鹸の効果が分かるだろう。

残りの石鹸は取りあえず、そのまま干しておく。固まり具合を確認したい。干して水分が蒸発すれば、もう少し固くなるかもしれない。

午前中に出来ることを全て終え、昼食を軽く取った後、昨日の言葉通り、宇航(ユーハン)様が私の部屋へ迎えに来た。

宇航(ユーハン)様に言われるがまま、馬車に乗り小半刻。(日本の時間軸で言えば、一刻は2時間、判刻は1時間、小半刻は30分)宇航(ユーハン)様は口を開かず、たまに茶に手をつけるぐらいだ。

これからどこへ行くのか聞きたかったが、聞ける空気感ではなく、何故か怒っているようにも感じられる。

ピリピリした時間の中、空気は重いし、すでに帰りたい気持ちで一杯だった。

視線も合わせられず、外を覗いてみると、どうやら山道を進んでいるようだ。

こんな所に連れてきた目的は、全く分からないが・・・もしかしたら泡活草のあった村へ向かっているとか?

それならば、昨日話をしているだろうし、こんな雰囲気にはならない気がする。

色々思考を巡らせていると、急に馬車が止まった。

「降りよう。」

そう言って宇航(ユーハン)様が腰を上げたので、私も立ち上がった。

馬車から降りる際、足の不自由な私を気遣って宇航(ユーハン)様が手を貸してくれる。

怒っていたのではないのか・・・

そう思いながら、馬車から降りきった所で、宇航(ユーハン)様に抱えられた。

あまりに突然のことに声も出なかったが、

「ここから先は少し登り坂で、足下も悪い。だから少しだけ我慢してくれ。」

宇航(ユーハン)様がそう答えたので、私は何も言わなかった。

あまり褒められたことではないが、こうして抱えられるのは、初めてではないし慣れてしまっているのかもしれない。

辺りは木々が生い茂り、少し湿気の多く、木の葉が空を覆って、少し薄暗い場所だ。土の湿った匂いに混じって、少し甘い匂いがする。

そのまま坂を登り切った所で、光が私の顔を照らし、眩しくて思わず目を細める。

「着いたよ。」

宇航(ユーハン)様は私を地面に下ろし、杖を渡す。

細めていた目を開いて、飛び込んできた光景に息をのんだ。

黄色い布を敷き詰めたような、一面の花畑。

先ほどの光景の先にこんな景色があるとは・・・。これほどまで群生した菜の花を見るのは初めてだ。

菜の花といえば油、そう菜種油の材料だ。

なんと言うことでしょう。あれほど求めていた油の材料がこんな所に!

「宇航(ユーハン)様!何故、私が欲しいものが分かったの?しかもこんなに沢山!」

「村へ行く途中で見つけて、気分転換に綺麗な花でもみれば、桜綾(オウリン)も喜ぶかと思ったのだ。」

「はい!嬉しいです!油の材料がこんなに・・・」

なんか会話がかみ合っていないような気がする。

「桜綾(オウリン)・・・ここに連れてきたのは、油の材料を見せるためではないよ。花をみて欲しかったのだが?」

目を細くしながら私を見る。

(あぁまたやってしまった・・・何度やらかせばいいのだか・・・)

そう思って自分の額を平手で叩く。

「宇航(ユーハン)様。もっ勿論、花が美しいです。あぁなんていい匂いかしら。あは、あははは」

宇航(ユーハン)様の目が更に細くなっている。今更、誤魔化せないか。

「君の頭には、石鹸のことしかないのかい?これでは先が思いやられる・・・」

大きなため息を一つ。

確かに、申し訳ないことをした。きっと本当にこの景色を見せたくて、忙しい合間に連れてきてくれたのだろう。

「ごめんなさい。宇航(ユーハン)様の心遣いを無にするような事を言いました。でも嬉しかったのは本当です。綺麗なのも。」

取り繕った所で、口から出てしまったものは取り返せるはずもない。

失望させてしまったことに後悔と恐怖が湧いてくる。

ここで宇航(ユーハン)様に嫌われれば、私はどうなってしまうか分からないからだ。

「仕方ないね。桜綾(オウリン)らしい。石鹸を作り終えたら、次は何に夢中になることやら。」

私の心配とは反対に、宇航(ユーハン)様は袖で口を隠しながらも、声を出して笑っている。

くるくると変わる宇航(ユーハン)様の表情に、戸惑いながら、怒ってはいない事に安堵する。

しかし、本当に見事な菜の花畑だ。黄泰でも春には花を咲かせていたが、本数が集まれば、こんなにも香りが強いとは。

そういえば、記憶に菜の花の芥子和えという料理があった。こちらにもからし菜は存在するから、似たものを作れるかもしれない。

「宇航(ユーハン)様、この花のもう一つの楽しみ方は知っていますか?」

「愛でる、油になる以外にという事か?」

「そうです。もう一つこの花には使い方があるんです。試して見ますか?」

宇航(ユーハン)様は頭をかしげながら、考えているが、答えは思いつかないらしい。

こちらでは食さないのかもしれない。菜の花の芥子和え。桜の記憶だが、ここには練り芥子はないが、からし菜はある。

もし、からし菜が手に入らなければ、他の物を作ってもいい。珠璃の街では、海鮮なら簡単に手に入るだろう。

私は周りに咲いている菜の花の蕾の多い物を選び、引き抜いていく。

それを見て宇航(ユーハン)がギョッとしているが、かまわずに片手で握れるだけの菜の花を取った。

それをもって、宇航(ユーハン)の元に戻る。

「それを持ち帰るのか?油にするなら少ないのでは?」

「宇航(ユーハン)様、油は種からでないと。これは花だから、油にするためではないんです。でも、お詫びに今度は私が宇航(ユーハン)様を驚かせます!」

そう言って菜の花を持った手を上に持ち上げると、土が降ってくる。

顔を直撃した土を払いながら、口に入った土を吐き出す。

それをそばで笑っている宇航(ユーハン)様が、そっと私の顔に手を伸ばしたので、反射的にかがんでしまった。

宇航(ユーハン)様はそんな私を見て、怒るわけでもなく、自分も屈んで再び顔に手を伸ばし、私の頬を親指で擦る。

「土が付いている。」

拭き取った後、私の手から菜の花を取ると、もう片方の手で私を立たせる。

杖を拾い上げて私に持たせると、再び抱き上げられてしまった。

「桜綾(オウリン)は本当に面白いね。見ていて飽きない。部屋に飾っておけば、私の暇な時間に癒やされるかもしれない。」

「私は人形じゃありません。それにわざとではないし。」

来た時とは違い、宇航(ユーハン)様は終始笑顔だったが、何故に来るときはあんなに怒っていたのだろう?という疑問が湧いた。

「宇航(ユーハン)様。なぜここへ来るときは怒っていたの?」

「怒ってはいなかったが?桜綾(オウリン)が黙っていたから、私も黙っていた。後、その・・・少し眠かった。」

(何じゃそりゃ。)

無表情で黙りこくっていたのは、眠かったから?という事か。

気が抜けるような意外な答えだった。しかし、眠いのに眠らずここへ連れてきてくれたのだ。

足場の悪い下りを器用に降りていく宇航(ユーハン)様だが、本当は疲れているのではないかと心配になった。

ただでさえ、領主という立場上、仕事も多いだろう。しかも、朱有から珠璃まで馬を走らせてきているのだ。

その仕事内容を私は知らないが、本来なら私などにかまっている時間はないはずだ。

馬車たどり着き、帰路に就く。

相変わらず、ガタガタと揺れて落ち着きのない乗り心地だが、宇航(ユーハン)様は何食わぬ顔で座っている。

「宇航(ユーハン)様、眠いのなら少し寝たら?ってこの揺れじゃ、難しいかな。」

自分が言ったのに自分で否定して、何が言いたいのだか。

すると宇航(ユーハン)様が手招きして、私に横に座れという仕草をする。

揺れに気をつけながら、少し離れて隣へ座ると、突然太ももに宇航(ユーハン)様の頭が乗っかってくる。

驚くが、動けば宇航(ユーハン)様の頭が落ちてしまうので、動けない。

「さっき抱えてやっただろう。その礼だと思って、少しの間、膝を貸してくれ。」

そう言われると、何も言い返せないが、これで宇航(ユーハン)様が楽になるのなら、これぐらいはなんともない。

黙ってそのまま馬車に揺られることにした。

宇航(ユーハン)様は目つぶり、微動だにしない。よく耳をこらすと、すぅすぅという寝息が聞こえてくる。

よほど疲れていたのだろう。宇航(ユーハン)の身長からすると狭すぎる馬車の中、しかも揺れのひどい状態でも、窮屈な姿勢でも眠れるのだから。

やはり馬車の改良をいずれ師匠と考えてみるのもいいかもしれない。

自動車の知識はなくても、私の持っている物を応用すれば、出来る日が来るかもしれない。それには私も馬車の構造を知っておかなければならない。それを考えれば、今すぐにそれを実行するのは難しいが、いつか出来ればと思う。

それに大がかりな事は師匠もきっと好きなはずだ。

今度、馬車の構造についても聞いて見よう。師匠が分からなければ、馬車を作っている所へ行ってみてもいいかもしれない。

宇航(ユーハン)様が眠っている間、私の思考はまたも飛んでいたようで、馬車が止まったことに気が付かなかった。

出てこない私達を心配して、御者が声をかけてきて、初めて気が付いた。

寝ている宇航(ユーハン)様を起こすのは、申し訳ない気もしたが、部屋で休んでもらう方が良さそうだと思い、宇航(ユーハン)様を揺すって起こした。

「あぁもう着いたのかい?」

私の膝から頭がどけられると、自分の足が痺れていることに気が付いた。

「桜綾(オウリン)、降りないのかい?」

「お気になさらず、領主様はお先に屋敷へお戻りください。」

足が痺れているとは言いづらい。宇航(ユーハン)様には早く屋敷に戻って頂きたいのだが・・・

宇航(ユーハン)様に笑顔を向けながら、手振りで外へと伝える。

それを見て気が付いたらしく、宇航(ユーハン)様はまたも私を抱え上げる。

「領主様、下ろしてください。痺れただけだから、すぐに治ります。それに、この恰好はさすがに・・・」

「足を使いすぎたとでも言えばすむ。それにこれは私が招いたことだからな。」

屋敷の中に抱き抱えられて入るのを、使用人達が見ている気がして、顔が赤くなる。

(恥ずかしすぎる・・・早く部屋に着かないかな・・・)

宇航(ユーハン)様は何食わぬ顔をしているが、私は顔を隠すので精一杯だ。

そろそろ部屋に着こうかというとき、よりにもよって母に出会ってしまった。

「桜綾(オウリン)!どうしたの?宇航(ユーハン)様、何があったのです?桜綾(オウリン)は大丈夫なのですか?」

母の心配性には困った物だ。

「大事ない。少し歩かせすぎてしまった様でね。杖をつくのも辛そうだったから、抱えて戻っただけだ。」

用意したかのようにでまかせな言葉が出てくる。

「お母様、大丈夫です。領主様のお手を煩わせてしまいました。領主様、ここで大丈夫でございます。母もおりますので。」

私がそういうと、そっと下ろしてくれた。おかげで痺れもなくなっている。

その後すぐに御者が追ってきて、菜の花を手渡してくれた。

馬車のことを考えすぎて、忘れていた。

「領主様、今日の夕食はこちらでお召し上がりですか?」

「そのつもりだ。その前に少しだけ休ませてもらう。ではこれで。」

宇航(ユーハン)様はそのまま身を翻し、元来た道を戻っていった。

母は私の側で、足を心配そうに見ている。

「お母様、お願いがあるのですが、一緒に夕食を作ってはもらえませんか?」

突然の申し出に、嫌がられるかと思ったが、母は嬉しそうに目を細める。

「いいわよ。私もたまには腕を振るわないと、鈍ってしまうわ。でも足は大丈夫なの?」

「はい。領主様が気遣ってくださったおかげで、大丈夫です。」

私の様子を見て安心したのか、私は母に支えられて、厨房へと向かった。



厨房にある物を確認したが、からし菜がなかったため、厨房長に確認すると、ここにはないが、街へ出れば手に入るというので、下働きの一人に買いに行ってもらった。

その間に、私は菜の花の下ごしらえを始める。

まずは根を切り、葉と茎、花部分を綺麗に洗い流す。それから三等分にして水にさらしておく。

母は鳥と野菜の汁物と、餃子を作っているようだ。

手持ち無沙汰になった私は母から鶏肉を分けてもらい、それをぶつ切りにして塩と胡椒で揉んで置く。

胡椒は貴重な物らしいが、この屋敷には結構な量が備蓄されていたので、厨房長の許可を得て使わせてもらった。

鳥を揉み終わった所でからし菜が届いたので、それを綺麗に洗って、細く切っていく。

湯を沸かし、そこに先ほどの菜の花と塩を入れて軽くゆでる。それが終わったら、少しお湯を捨ててからし菜を入れ、からし菜に火が通ったところで、ザルにあげ水を切る。残った煮汁を少しと醤油を入れて味を調え、菜の花とからし菜を和える。

味見をしたら、これが中々においしかった。少し苦みがあるが、それも良い引き立て役になっている。

後は、卵と小麦粉を使って、先ほど下味を付けた鳥を、油で揚げていく。ここで使われているのは、何の油あろうと考えながらも、今は、料理に集中する。

鶏肉がカラッと揚がったところで、ザルに移し油を切る。これも私の中にある桜の記憶から作った物だ。

唐揚げという物らしいが、味見をしてみると、確かにこれは肉好きにはたまらない味だろう。

それらを、皿に盛り付け、完成させる。キャベツを千切りにして唐揚げに添える。

自分でも満足のいく物が出来た。

母はまだ餃子を蒸していたので、そこへ行って少しばかりおしゃべりを楽しむ。

今日の夕食は、鳥の汁と、餃子、菜の花の和え物と唐揚げ、ご飯。唐揚げは炎珠(エンジュ)と鈴明(リンメイ)、師匠と夏月(カゲツ)さんの分を取り置いて、後は食卓に運んでもらった。

高い食材は使用してはいない。果たして、気に入ってもらえるだろうか・・・

期待と少しばかりの不安を胸に、食卓につく。

宇航(ユーハン)様は最後にやってきた。3人ばかりでの食卓は少し淋しいが、宇航(ユーハン)様の目は唐揚げに釘付けだった。

席に座ると同時に質問が飛んでくる。

「桜綾(オウリン)、これは君が言っていた菜の花の使い方かい?いや、それはこっちか。ではこれは?」

唐揚げと菜の花を交互に見ながら、箸を握る。相変わらず察しがいい。

「この茶色いのは、鶏肉を揚げた物ございます。菜の花はこちらのからし菜和えで使いました。お口に合えばよろしいのですが・・・」

そう私が答えると、早速、唐揚げに手を伸ばす。母もつられて、それを取る。

二人とも一口食べて、箸が止まる。

(もしかして、だめだった?)

「旨いな。これは本当に鳥肉なのかい?なんだか初めての食感だ。」

「本当に。鳥肉にこんな料理方法があるのね。旦那様にも召し上がって頂きたいわ。」

口々に褒めてくれるので、嬉しくもあり恥ずかしくもなった。

それから、菜の花のからし菜和えを口にする。

「これはピリっとするが、口の中がさっぱりとする。この歯ごたえもいい。鳥の揚げた物と相性がいいな。」

「菜の花が食べられるなんて。油の材料としか知りませんでしたけれど、お酒にも合いそう。」

2人とも気に入ってくれたようだ。良かったと胸をなで下ろしながら、私もご飯を食べ始める。

母の作った餃子は、しっかりと肉汁が染み出てくる。そこへニラとキャベツの歯ごたえが加わって、旨味を引き出している。

私の料理より、よっぽど母の料理の方がおいしいと思う。

黙々と食べ、気づいたときには、全ての皿が空っぽだった。

宇航(ユーハン)様もお腹の辺りを手でさすっている。

「久しぶりにこんなに食べた気がするな。藍珠(ランジュ)の料理も桜綾(オウリン)の料理も旨かった。」

随分とご満悦な様子に私も母も作った甲斐があった。

私も今日は衣がきつく感じる位には食べた。動くのが億劫だ。

しかし、いつまでもここにはいられない。炎珠(エンジュ)に洗濯の結果を聞かなくては。

おもむろに席を立ち、宇航(ユーハン)様と母に一礼して、その場を後にした。

日が落ちると外の気温が下がり、少し肌寒く感じる。今日は雲一つなく、空には半分欠けた月が太陽に代わって、柔らかな光を放っている。

桜に記憶にはあまり星の輝きがないが、ここでは沢山の星が空一杯に広がっている。

私にはいつもの風景だが、今日は何だか感慨深い。

空を見上げながら、廊下を歩く。星は時に瞬きながら、時に流れながら、いつも私達の上に存在する。

早く自室へ帰らなければとは思いつつ、空を眺めて浸ってしまった。

我を取り戻し、やっと自室に戻ると、鈴明(リンメイ)達が唐揚げをむさぼっている最中だった。

私が急に扉を開けたので、皆がこちらを見て一瞬固まったが、すぐに唐揚げを食べる動作に戻った。

「ほおひん、ほれ、ほいしい。」

鈴明(リンメイ)が唐揚げをリスの様に頬張りながら喋るが、言葉になっていない。

多分、桜綾(オウリン)これおいしい、と言いたいのだろう。

「ゆっくり食べないと、喉に詰まるよ。」

そう言いながら4人の湯飲みに水を注ぐ。それにもかまわず、必死に食べているのを見て、嬉しくなった。

「そんなにおいしいなら、また作るし。作り方を厨房長に伝えておけば、作ってもくれると思うよ。」

そう言うと4人揃って、首を縦に振る。

必死に食べる4人の食事が終わるまで、私は扉の前の階段に腰を下ろして、またも空を見上げる。

そこへ宇航(ユーハン)様がやってきた。片手に何やらぶら下げている。よく見ると酒瓶だ。

もう片手には杯が2つ。

音もなく歩いてきて、当たり前のように私の横へ腰をかける。

中の会話が丸聞こえで、宇航(ユーハン)様もその会話を聞きながら笑っている。

持ってきた杯に酒を注ぐと、一つを私に差し出す。

「宇航(ユーハン)様。私、お酒飲んだことないんですけど・・・」

「これも経験だ。貴族の集まりなどでは必ず酒が出る。それに今日は飲みたい気分なんだ。少し付き合ってくれないか。」

日本では20歳以下の飲酒は禁じられていた。桜もお酒は得意ではなかったと思う。

それでも、宇航(ユーハン)様の誘いとあらば断るわけにもいかない。

杯を持ち上げ匂いを嗅いでみると、酒の独特の香りに少し果実の香りが混ざっている。

果実酒なのだろう。

杯の縁にそっと口を付けて、舐めるように一口飲んでみる。

(ん?意外においしいかも)

横を見ると宇航(ユーハン)様はそれを一気に口に流し込んでいる。それから私の方を見て

「初めての酒はどうだい?飲めそうか?」

と聞いてきたので、私も一気に杯を空にした。

「思っていたより、おいしいです。果実酒ですか?」

「あぁそうだが、初めてでよくこれが果実酒だと分かったな。」

「香りが・・・柑橘系の香りがした物で・・・」

「かんきつけい?」

あぁこれも、ない言葉なのか。

「えーと・・・蜜柑のように酸っぱいような甘い香りです。」

「柑橘系・・・ね」

宇航(ユーハン)様はそれ以上突っ込んでは来なかったが、何か言いたげだった。

今はまだ、この秘密を話す訳にはいかない。でも、いつか宇航(ユーハン)様に打ち明けられる日が来るといいなとは思う。

話せない事が心苦しいが、それ以上聞かない宇航(ユーハン)様に今は甘えておこう。

私の空いた杯に酒を注いでくれたので、私も宇航(ユーハン)様に注ぎ返す。

それを飲もうとすると、食事を終えた4人が出てきた。

「桜綾(オウリン)、俺を差し置いて酒とは・・・2人で飲んでたのか?」

師匠が早速文句を言いながら、私の杯の酒を飲んでしまう。

「師匠達は唐揚げをむさぼってたでしょ!もう。私の取らないでよ。」

師匠から杯を取り返す。

それを見た宇航(ユーハン)様が、夏月(カゲツ)さんに目で合図を送る。

「桜綾(オウリン)、お酒飲めたの?」

「今日初めて飲んだの。意外においしかったから、領主様と星見酒を楽しもうと思って。」

鈴明(リンメイ)はまだ15になったばかり。勿論、酒など飲んだことはないだろう。

いくら嫁に行ける歳になったからと言って、すぐすぐ飲む物でもない。

普通は必要に迫られて飲むか、好奇心に駆られて飲むか。

「私も飲んでみたいな・・・」

鈴明(リンメイ)はどうやら好奇心に負けたらしい。上目遣いでこちらを見てくるが、

「お前にはまだ早い!」

と、師匠に一括されて、むくれている。

そんな会話をしていたら、夏月(カゲツ)さんと護衛の人が杯と、酒瓶を人数分、それとつまみに漬物を持ってきた。

それを私の部屋へと運び込む。

師匠は嬉しそうに夏月(カゲツ)さんに付いて行き、炎珠(エンジュ)もそれに付いて行く。

炎珠(エンジュ)は何も言わなかったが、どうやら、飲みたかったらしい。

(さっきの合図はこれを用意させるためのものか・・・目を見るだけで会話が出来るってすごい信頼関係だな)

部屋の中では、師匠と炎珠(エンジュ)、夏月(カゲツ)さんが酒を飲み交わしている。

師匠が飲んでしまった杯に、宇航(ユーハン)様がまた注いでくれる。

それを、横でむくれている鈴明(リンメイ)の前に差し出す。

「師匠は中だから、一口だけ飲んでみたら?」

私の言葉に、急に笑顔になって頷くと、杯に口を付けて、すぐに眉をしかめた。

「桜綾(オウリン)・・・おいしくないよ、これ。」

そう言って残った酒を私に返して、つまみをもらいに部屋に消えていった。

また二人になった階段で、ゆっくりと酒を楽しむ。

宇航(ユーハン)様も酒を飲みながら、星を見上げていた。

「空にはこんなに星が出ているのに、領主になって忙しすぎて、空を見上げることもなかった。だが、星からしてみたら、私達の事など関係なく、当たり前にそこにあるんだな。」

「こんな話を知っていますか?あの輝いている星は空の上よりもっと遠くにあって、何千年の時を超えて私達に光をとどけているんです。私達が見ているあの星の光は、星が生きて放った灯なんだそうです。」

「難しい話・・・だな。だが、神秘的だ。」

ここの環境は文明や五神以外、桜の知っている世界とあまり変わらない。名称や言葉の違いは多少あれど、自然の摂理は同じだと思う。

木も川も太陽も月も星も、全て桜の記憶にもあった。これから違う部分がもっと見えてくるとは思う。

それでも、桜の記憶が私を生かし、支えになっている事に違いはない。

何杯目かを飲んだとき、ふと肩に重さを感じる。どうやら、宇航(ユーハン)様が酔って寝てしまったらしい。

お酒に弱いのか、疲れているのか、その両方か。

しかし、まだ肌寒い中、ここで寝かせる訳にはいかない。どうしていいか分からず、結局、夏月(カゲツ)さんを呼んだ。

「領主様が人前で酔うのは、初めてのことです。」

その少し含みのあるその一言だけ言って、夏月(カゲツ)さんは宇航(ユーハン)様を支えて、宇航(ユーハン)の部屋の方へと消えていった。

自室に入ると、師匠と炎珠(エンジュ)が赤い顔をして、まだ酒を飲んでいる。

「炎珠(エンジュ)、今日の洗濯はどうだったの?」

そう聞くと、杯を持った手を振り回しながら、

「桜綾(オウリン)様、あれ、すごいですよ。染みは取れるし、香りもいいから、洗濯してる女性が喜んでました。うへへへ」

かなり酔ってはいるが、まぁ結果は上々と言う所だろう。

「あっ、ただ柔らかいから、すぐ溶けてなくなっちゃって、衣数枚しかあれを使えなかったって、ヒック」

やはり・・・洗濯に使うにはもう少し改良が必要か・・・・

考えながら寝台の縁に腰を掛けると、お尻に柔らかい感触がある。見ると、鈴明(リンメイ)が寝台で眠っていた。

「師匠、炎珠(エンジュ)。そろそろ部屋へ戻って、寝て頂戴。私も眠いから。」

師匠は不満げにこちらを見た後、酒瓶を一つ持って何も言わず、部屋を出て行った。

炎珠(エンジュ)は、必死に立ち上がり、ふらふらしながらも、部屋の方へ戻っていく。

大丈夫か心配だったので、扉の前から見守っていたが、無事に自分の部屋へ帰っていった。

部屋に戻った私は、鈴明(リンメイ)を端に寄せて隣へ潜り込む。

酒のおかげか、布団に入ってすぐに眠りに落ちた。

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