第1章 第1話 神様はいじわる?
「師匠、ありがとう。また明日!」
小脇に抱えた、まだ温かな芋を落とさないように、軋む戸を開けて外に出る。
「桜(おう)綾(りん)、気をつけろよ!また明日頼むぞ!」
外まで響く師匠の声に
「分かってるって!」
と、大きな返事をして、再び歩き始める。
(今日は何とか、お腹一杯に食べられそうだ。)
そう思うだけで、心が弾む。
外の空気は冷たく、思わず身震いを起こしそうだが、寒さで芋が冷めないかという方が心配だった。
家に帰るのは憂鬱な気分だが、これ以上遅くなると何をされるか分からない。
師匠に迷惑がかかるのも嫌だし、とにかく抜け出したことがバレないうちに帰る方がいい。
師匠の家から細い路地を抜けると、多くの露天が立ち並ぶ大通りへと抜ける。
そこにはありとあらゆる物が並び、色々な匂いが入り交じる。
できたての饅頭を売る者、今流行の生地や装飾品を並べて大声で客を寄せ集めている者など様々だ。
その奥の建物には、宿や妓楼、医院や酒場などが店を構え、まるで祭りでも催しているかのような風景が広がる。
まぁこれが日常の風景なのだが。
そしてそれを目当てに、様々な人が行き来する。
着飾ったお嬢様やその付き人、大柄な態度の若様、野菜を品定めする婦人・・・そんな人達を狙うスリ。道端には物乞いの姿も見える。
それをうまくよけながら、流れに逆らって桜綾(オウリン)は先を急いだ。
この通りを抜けて1本路地を入れば、家の裏口へとたどり着く。
路地に入っただけなのに、人通りは一気に減り、活気も減る。民家が並ぶ一角なので当たり前だ。
芋のために早く帰りたいが、体は正直で家に近づく程、足取りは重くなる。
それでも、そう時間はかからず戸口の前にたどり着いてしまった。
はぁぁぁぁぁ
大きくため息をついた後、大きく息を吸って裏口の戸を開けた。
幸い、そこに人の姿はなく屋敷の中に体を滑らせると、自分の部屋へと急いだ。
部屋とは言っても、元は小さな物置部屋だ。豪華な家具などはなく、ボロの衣服を収める申し訳程度のつづらと、小さな机、それに綿のへたった布団一式が置かれているだけの部屋だ。
寒さをしのぐ物はないし隙間風は入ってくるが、直接当たらないだけ、まだいい方だ。
部屋の入り口で履物を脱ぐと、机に芋を1本だけ置いて、後は布団の中へ隠した。
家の人間に見られでもしたら、また叱られるか、取り上げられてしまう。
部屋の中を家捜しすることまではしないので、とにかく目に付かないように隠しておくのが、一番いい。
机に出した芋を半分に割ると、かろうじてまだ湯気が出ている。
皮もむかず、そのまま頬張ると、少し土臭い匂いの後に、ほのかな甘さが広がる。
甘さはかなり控えめだが、これでも私には十分な甘さだ。
砂糖や蜂蜜なんて高い物だし、そもそも買えるだけの財力の家であっても私の口に入らない。
私は確かにこの家の長女であるが、生母が1歳の時に亡くなり、後妻が来た。そして6歳で母の実家、琳家が没落すると、扱いは最底辺へと落とされた。
それまでは母の付き人だった灯(とう)鈴(りん)が世話をしてくれていたが、その灯鈴も解雇され、私は一人この部屋へと移された。
そこからは、周りの使用人と同じように労働を強いられるばかりか、食事すらまともに取れず、義母や腹違いの弟の嫌がらせを受けながら生きて行かなくてはならなくなった。
始めこそ父に懇願したが、義母に逆らえない父は、私の存在を無視することに決めたらしい。
そのうち、それまでお嬢様として扱っていた使用人も、私を見下し、仕事を押しつけるようになった。
掃除、洗濯、調理や肥桶洗いまであらゆる仕事が、毎日課せられる。
寝る時間も無い時もある。体を壊しても休めない。そんな状況に、心底嫌気が差して、仕方なく頭を使うことにした。
私には、知られてはいけない秘密がある。
それは、前世の記憶があると言うこと。
物心がついた頃から、頭の中にはここではない世界が広がっていた。
私は日本と呼ばれる国で生き、そこには沢山の便利な物が存在していた。
そこで私は、藤崎桜という名前で生活している。気弱で、要領も悪く、本ばかり読んで過ごし、学校や仕事場ではいじめに遭って、そして28歳で誰かに命を奪われた・・・そんな人。その人が見た物や知識、全てが頭にあった。
言葉を話せるようになり、ある程度こちらでの生活を理解し始めると、頭の中の記憶とあまりにも違いすぎて、混乱した。
自分が胡(コ)・桜綾(オウリン)なのか、藤崎桜なのか分からなくなった時期もあった。
まだ幼い頃は、灯鈴にこちらでは通じない言葉を話したり、自分の記憶の中の世界を話したりしたことがある。けれど、
「それはきっと神様からの贈り物です。でも私以外に話たり、ここで聞いた言葉以外を使ってはなりません。お嬢様のことを理解出来ない人達も多いのです。いいですね、私達だけの秘密ですよ?」
そう言われてからは、誰にも話さなくなった。
古代中国の様な文化を持つ、黄仁(こうじん)国(こく)と呼ばれる国の都、黄有(こうゆう)からほど近い黄泰(こうたい)という町の豪商の家に生まれ、科学なんて言葉は存在もせず、記憶の中の世界とは、遙かにかけ離れた世界。桜との唯一の共通点は、家族に愛されないという点。
習う文字は漢字だったから、書くことに苦労はしなかったが、日本語の音読みと中国語の読みが入り交じって、初めは苦労した。計算も複雑な物は存在せず、医療に至っては最低限の知識も乏しい。生活も原始的だ。時間は2時間で1刻、十二支で表され、午前0時が子の刻、午前2時が丑の刻という具合。一年は12ヶ月で、1月は子月、2月は丑月・・・似ていて否なる物。桜の記憶にある古代中国という国とも違う。つまり、桜の知らない場所、異世界なのだろ。神様からの贈り物とは言われたが、桜の記憶にあった異世界物の本や転生物の本の様に神様に会ったり、特別な力を授かったりはしていない。あるのは記憶のみ。
そんな中で日本の生活水準を知り、ここにはない知識がある私には、受け入れられない事も多かった。
だけど、自分の頭にあるのは前世の記憶、ここではそれを求めることは不可能だと思えるようになってからは、前世の知識は封印した。
しかし、それも限界だった。
何をするにしても、時間がかかりすぎて寝る時間すら削られるのでは、こちらの身が持たない。どうせある知識なら、知られない程度に使ってしまおうと思った。
それでまず手をつけたのは、洗濯だった。
特に水の冷たい時期になると、手がかじかんで上手く洗えないし、棒で叩く洗い方は、生地を傷める。
かといって、こちらには洗濯機を作る材料も、そんな高度な知識も道具もなかった。
だから、洗い桶に穴を開け、そこに羽板と柄を付けた棒を差し込んで、それを回すことで攪拌して汚れを落とせないか、試行錯誤して作り上げたのが、第一号洗濯機もどきだ。
素人が作る物なので、何度も失敗を繰り返し、しかも完成までに時間もかかった。何とか形になってそれを使って洗濯をしていた。不格好だし、すぐ壊れたりもするが、直しては使いを繰り返していた。
これなら、薄い生地の物なら、3枚くらいは一度に洗える。
洗濯の時間は、これで大幅に縮小できた。
師匠と出会ったのもこの頃。たまたま、川へ釣りに来ていた師匠が、私の使っている物を見て、釣り竿を放り投げてこちらへ突進してきたときは、さすがに引いた。
師匠は本来、人に頼まれた物を作る木細工の職人だが、その傍ら、発明品を作ることが趣味で、見たこともない物で何かをしている私を、横目で見ていたが、そこから布が出てきて、それを絞っている姿を見た瞬間に、それが洗濯をしていたのだと気づいたようだ。
「これは誰が作った!」
肩をつかまれ、散々体を揺らされ、答えるのに苦労した。
やっと私が作った物だと理解してもらえたとき、師匠が、もっとちゃんとした物を作ってやると、その洗濯機もどきを持って行ってしまった。それから数日は、元の洗濯方法に戻ったのはいうまでもない。
その後、本当に改良された洗濯機もどきを持って師匠が現れ、水漏れもなく、動きがスムーズになっていることに、感動していると師匠に、他にも考えがあるのなら一緒に作らないかと提案され、私も素人が作るよりは・・・と考えて承諾し、その時から、師匠と私の共同発明が始まった。それは私が12歳の時だ。師匠の名前が宋(ソウ)・憂炎(ユウエン)だと知ったのは、随分経ってからだ。
名前も知らずに師弟関係を結ぶとはどうかしているが、そのおかげで随分と楽しく生活出来る様になった。
黄仁国の多くの事も師匠から教わった。
そして時々、こうして食べ物を渡してくれるのだ。
「おい!桜綾(オウリン)!春燕(シュンエン)様がお呼びだ!早く行け!」
戸の外から急に大声でお呼びがかかる。
人が芋食べて幸せに浸っているときにお呼びとは・・・千里眼でも持っているのか?
今しがた口に入れた残りの芋を必死に嚥下して、むせながら答える。
「んぐ!っはい!只今参ります!」
「ったく、なんで俺がこんな遠くまで・・・」
愚痴を言いながら去って行く男の気配が消えるのを待って、口を拭い、煮沸しておいた水で喉を潤すと外へ飛び出し、屋敷の大きな棟へと向かう。
同じ敷地にはあるが、広さがあるため、数歩でたどり着く事はない。枯れた枝が広がる庭を抜け、表門を通り過ぎたその先に、義母の部屋がある。
扉の前まで来ると、息を整え深呼吸をしてから、2回扉を叩く。
「桜綾(オウリン)でございます。お呼びでしょうか。」
外で声をかけると、一呼吸置いてから、
「入れ!」
と、短い返事が返ってくる。
「失礼致します。」
顔は上げず、そっと扉を押して中に入る。
足音を立てないよう、静かに義母の座している場所に近づく。
「今日、ここの掃除をしたのはお前か?」
冷ややかな目つきと、きつい口調。美人ではあるがその性格は最悪だ。
「はい。」
聞かなくても、いつも掃除していることは分かっているだろうに・・・
「この花瓶に触れたか?」
そういって目の前に花瓶を突き出す。
いつも、窓辺に置いてある高そうな花瓶。そんな物、恐ろしくて触れるはずもない。
「いえ。触れてはおりません。」
そう私が返事すると同時に義母がガタンと音を立てながら立ち上がった。
「嘘を申すな!他の誰がこれに触れる?お前しかいないであろう。それとも何か、お前は花瓶の掃除を怠っていたという事か!」
触れたにせよ、触れてないにせよ、どちらの答えても駄目なやつだ。お見事!と褒めてやりたい気持ちになった。
「高価な物とお見受けしましたので、手を触れるのは控えました。」
「つまり、お前は掃除もまともに出来ないと言うことか。しかしそれでは説明が付かない傷がここに付いている。これは誰がやったというのだ?」
そんなの知るわけがない・・・・と言いたいところだが、言えば火に油になるので黙っておく。
「私が掃除を怠ったのは事実ですが、その花瓶には手を触れてはおりません。触っていないのに傷を付けることなど出来はしません。」
「・・・・・・・強情な・・・!」
義母が拳を握りしめているのが目に浮かぶ。
本来なら、泣いてでも身の潔白を訴える場面だろうが、やってない物はやっていないし、泣いてすがったところで、義母が喜ぶだけだ。
「とにかく、この花瓶に傷が入ったことは事実だ。お前が責任をとれ。誰か!誰かおらぬか!」
いやいや、だからやってないし、なんだ、この強引な展開は・・・
毎度の事ながら、この義母という人は・・・・
「奥様。お呼びでしょうか?」
そう言って入ってきたのは、義母の侍女、梅衣花(メイファ)だった。
「この者の頬を20回叩け。花瓶に傷を付けた罰を受けさせよ。」
梅衣花(メイファ)はチラっとこちらを見ると、
「承知いたしました。」
とだけ答え、私の脇を抱えて扉の外へ連れ出す。
毎回、抵抗もしない私を運ぶのは、さぞかし楽なことだろう。
大きく開かれた扉の前に跪かされ、人目のある中で思いっきり頬をぶたれる。
パンッといういい音が響くと同時に、頭が振られ、頬に痛みが走る。
だが10回を過ぎた頃には、頬にあまり感覚もなく、左右に頭が揺らされ、視界がぐらつく方が不快だった。
泣きはしない。悲鳴も上げない。
それが私に出来る、唯一の反抗だった。義母が優越に浸る事だけは、してやらない。
20回を叩き終えた梅衣花(メイファ)は、叩いた手が痛いのか、手首を押さえながら、視線を義母へと向ける。
頬は熱を持って熱い。
「もうよい、顔を見るのも腹立たしい。さっさと去れ!」
私は義母に一礼すると、そそくさとその場を去った。
叩かれた両頬を手で包み込む。冷えた手が心地よく頬を冷やす。
普段から何かしら不愉快なことが起こると、こうして呼び出しては私で憂さを晴らす。
今日は叩かれただけで済んだから、まだいい方だ。
一日中、跪かされるのが一番辛い。暑かろうが、寒かろうがどちらにしても苦痛だし、全くの飲まず食わずではさすがに堪える。
今日みたいに叩かれるだけなら、短時間我慢すれば良いことだし、さすがに長女を殺してしまうことは出来ないだろうから、生かさず殺さずと言う所だろう。
頬の内側が切れたのか、口の中で血の味が広がっていることに気がついて、ペッとそこへ吐き出す。
「芋・・・食べられるかな・・・」
頬をさすりながら、私は結局芋が食べられるかどうかを考えていた。
私の仕事はまだ夜も明けきらない、暗いうちから始まる。
まずは、水桶に水を運び、自分の分は竈で火にかけ、冷えたところで水筒に移しておく。
飲み水は湧かした方がいいのだが、人の分までそんな手間をかける義理はない。
先日の花瓶騒動で、義母の部屋の掃除はしなくてよくなった。叩かれたけど、仕事が減ってラッキーだ。
その後は、台に置かれた今日分の野菜を洗い、出された洗濯物を川まで洗いに行く。
その頃には日も昇り、お腹がすいてくる。
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